第13話 邪魔な姉
外…スポーツ公園と鳥里乃湖を見渡せる広い窓の明るい待合室に誘い、美也子に話を聴いた。同席するのは芙蓉だけである。「喉乾いたっすねー」と言うので、芙蓉が仕方なく自動販売機で爽健美茶を買ってきてやった。健康のためにこれがいいそうで、どうせカリスマモデルの受け売りだろう。
「ありーっす。感激っす。このペットボトル家宝にして一生もんにするっす」
相変わらず言葉が間違っているように思うが、こう犬のように喜ばれると悪い気もしない。あまり似ていないが、眠れる美女穂乃実の妹なので元は悪くはないのだ。こう化粧が濃くては元がどうであろうが関係ないが。こういうメークをする子は、個性的であろうとして、逆に没個性的になってしまっている。けっきょくどういう集団に所属するかの問題で、自分のアイデンティティーもその集団に仮託している。女子高時代から群れるのが苦手な芙蓉には理解できない女子心理だ。
長椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合った紅倉は、苦笑混じりに美也子に尋ねた。
「お姉さんがこんなことを引き起こして、あなたもとんだ大迷惑だったわね?」
「いや、ほんとっすよねー」
美也子は紅倉の誘導にあっさり乗った。
「言っちゃあなんすけどお、うちの姉貴い、子どもの時からとろくってえ、ほんと、妹としちゃマジ恥っすよねー」
「あらそうなの? 綺麗でまじめそうなお姉さんだけどなあ?」
『綺麗な』というポイントが美也子の神経に障ったらしい。すぐ顔に出る。
「マジ、ウザイっすよお。邪魔なんすよ、あの女はあ。勉強は出来たっすよお。どうせあたし馬鹿なんでえ。誰でも入れるファッションの専門学校入りましたあー。悪いすか?」
ちょっと気に入らないことを言われただけでリスペクトする紅倉にまで切れかかり、現代の問題児そのものだ。
「ふうん、それで、バッチリ、ファッションキマってるわけね? 偉いなあ、わたし、高校も行ってないわよ?」
「ええーっ! マジっすかあー!? もしかして、馬鹿、すか?」
芙蓉はヒクリと眉を動かしたが、
「うん。わたし、ちょっと頭おかしいから」
紅倉は自分の頭を指で「クルクル」とやって、美也子はひどく「ウケル」ようで、機嫌が直った。
「マジムカつくんすよー、自分が勉強できるの鼻に掛けて、美也子ちゃんも勉強頑張ってみたら?、なんて当てつけがましく言ってさあ。嫌みったらしく国立大なんてストレートで合格して。ま、いいんすけどね、どうせ国立じゃなきゃ通わせてもらえないんすから、必死に勉強したんすよ」
と、また「ウケルー」ようで、腹を押さえた。穂乃実は地元の国立清陵大学卒業だ。国立大のレベルとしては平均的なところだろう。芙蓉はまた穂乃実の家族に違和感を覚えた。どうも美也子は美人で頭のいい姉に劣等感を抱いているというわけではないらしい。劣等感どころか、マジで馬鹿にしている。どう見ても馬鹿にされるべきは当人だろうに、どうして逆の態度が取れるのだろう? 紅倉が馬鹿の美也子の仲間のふりをして訊く。
「ふうーん、国立じゃなきゃ行かせてもらえなかったんだ? 受からなかったら、就職?」
「そうっすよお、働かざる者食うべからず、っすから」
そう言う美也子自身、実家に出戻ってからは世話になりっぱなしでパートにも出ていないらしい。子どもがまだ三歳だから世話が大変なのだろうが、そのくせ家に閉じこもっているようななりには見えない。幼い子どもを家に預けて街で遊び歩いているか、幼い子どもを連れ回して街で遊び歩いているか、どちらかだろう。
「あなたは実務的な専門学校ですものねえ?」
「そうっすよ」
と、美也子はあくまで自分本位で、まったく嫌味とも受け取っていない。芙蓉にはその頭の構造が不思議でならない。
「お姉さんが国立大に受かって、お祖母さんも鼻高々だったでしょう?」
「ばあちゃん?」
美也子は、なんで?、という顔をした。
「ばあちゃんはどうでもいいっすよ。女に学なんていらないって、全然興味ないんすから」
「昔気質の頑固な嫌なお祖母さんみたいねえ?」
「そうでもないっすよ。姉貴がとろくて、邪魔なだけっす。ふつうの可愛いお婆ちゃんっすよ」
芙蓉は美也子の言い方に何か引っかかりながら、彼女のキャラクターの正体が見えたような気がした。紅倉も次の質問に移った。
「お子さんは、竜之介君? 今三歳ですってね?、可愛くって仕方ないでしょう?」
「いやあ〜、子どもなんて面倒くさくって大変っすよお」
そこはさすがに実感があるようだが。
「でもうちのは凛々しいっすからねえ、将来いい男になるっすよ。楽しみっすね」
と、ニコニコ、自慢した。紅倉もニコニコして。
「ふうん。でもまだまだお母さんにべたべた甘えたい年頃なんじゃない?」
「まあ、そうなんすけどお、ほら、うちお婆ちゃんが二人もいて、世話したがるんでえ、可愛がらせてやらないと。初孫っすから」
お婆ちゃんが二人、とは、自分の母親と祖母、子どもにしてみれば曾祖母、を指してだろう。
「旦那さんの方のお祖母ちゃんは?」
「ええー? 会いたがってるみたいなんすけどお〜、そうすっとお〜、元旦那を通さなくちゃならないんでえ〜、面倒なんすよねえ〜〜」
紅倉は苦笑して訊いた。
「元旦那さんには、全然未練はないの?」
「別にないっすねえー、あんな甲斐性なし。男として、駄目っすよねえ?」
旦那は勤めていた会社をリストラされて、それで別れてしまったらしい。さすがに収入が途絶えたから即というのではないだろうが、きっとそれを巡って言い争いがあって、この美也子の旦那になるような男だから、まあ、似たような男なのだろう。紅倉が訊く。
「結婚は、お姉さんのことがあったから困ったでしょう?」
「そうなんすよおー」
美也子はいかにもその通りというように身を乗り出して話した。
「本当ならあ、おめでた続きでえ、ちょうどいいはずだったんすよねえ〜。あったま来ますよねえ?、姉貴はいっつもそうなんすよお、とろくて、タイミングが悪くて、人の迷惑になってばっかりなんすよお」
「その頃、元旦那さんとはもうおつき合いしてたの?」
「あの頃はラブラブだったっすねー。毎週リッチなデートしてえー、あたしのことを世界一愛してくれていたっすからあ」
旦那については、詳しくは聴いていないが、美也子より五歳年上だそうだ。それほど大した会社に勤めていたわけでもないらしい。日々ろくな計画性もなくお金を浪費して、この美也子とはお似合いの馬鹿カップルのように芙蓉は思った。紅倉はズバリ訊いた。
「妊娠しちゃって、慌てたでしょう?」
「そうなんすよおーー」
美也子はうんざりしたように、いかにも迷惑そうに言った。
「ばあちゃん、結婚にだけはすっげえうるさいって分かっちゃってたんでえー、拙いっすよね?、出来ちゃった婚は?」
「うるさいって、お姉さんと光太郎さんのこと?」
「そうっす。姉貴と光太郎さんと二人で挨拶に来たとき、ばあちゃん、人が変わったように根ほり葉ほり二人のことにツッコミしまくりでえ、いっしょにいてすげえ恥ずかしかったっすよ」
派手派手で厚顔無恥に思える美也子が顔を赤らめるとは、よほど赤裸々な尋問が行われたと想像される。紅倉も興味深くうなずき、次の質問をした。
「光太郎さんが事故で亡くなって、お姉さん、相当落ち込んでいたでしょう?」
「まあ、そりゃあ、本人は当然っすよね……」
ここはさすがに気まずそうにうなずいたが。
「あなたは、困ったわよねえ?」
「そうなんすよお〜〜。事故のショックで?こっちまでつわりが来ちゃってえ、すげえゲロゲロっすよお〜」
まるで事故のショックで妊娠したような口振りだ。
「姉貴は悪い子なんでえ、ばあちゃんがうるさいのは分かるんすけどおー、あたしだって出来ちゃった婚じゃあ、『順番が違う』ってえ、やっぱあ、すんげえ言われるだろうしいー、マジでえー、すんげえ迷惑っすよねえ?」
「そうねえー。それで大急ぎで結婚式挙げなくちゃならなかったんでしょう?」
「そうなんすよおー。お腹が膨れてマタニティーウエディングドレスなんて、全然イケテないしい、すんげえ焦りまくりっしたねー」
美也子は姉のフィアンセ光太郎の事故死から三ヶ月後に結婚式を挙げている。一応身内の喪明けと、出来ちゃった婚を誤魔化すのと、本人的にはギリギリのところだったのだろう。もっとも、子供が生まれてしまったら、逆算で「出来ちゃった婚」だったのはバレバレだろうが。その時は家を出て新居にいるから平気、というつもりだったのだろう。ちなみに美也子はそれまでずっと実家暮らしだ。ブティックの店員をやっていたようだが、どうせファッションだのグルメなスイーツだの浪費が激しく、きれいな新築マンションで一人暮らしできるほど稼げていなかったのだろう。………どうも芙蓉はこの年上の娘に対して偏見が強いようだ。
「あなたたちの結婚式にお姉さんは出席したの?」
「招待したすけどー、当日ドタキャンされましたあー。てえかあ、確信犯? 一応一人だけの姉なんでえ、最初から欠席も『ガイブン』が悪いんでえ、当日になって病欠っつうことにして」
「『外聞が悪い』って、誰の入れ知恵?」
「えーと、本人の意向じゃないすか?」
ひたすら物事を浅くしか考えようとしない娘だが、『外聞が悪い』なんていう言葉をどこからか聞いて、それが穂乃実本人の口からとは思えない。
祖母のタツの入れ知恵だろう、と芙蓉は思い、本格的にこの年寄りに腹が立った。どこまで実の孫をいじめたら気が済むのだろう…………。実の、孫なのだろうか?…………………
紅倉が質問した。
「あなたたち、兄弟は二人だけ?」
「そうっすよ」
「そう。
ところで、あなたはお姉さんがドレスが真っ赤になって倒れるのを見て、どう思った?」
「すげーイリュージョン、セロも真っ青って思ったっすねー」
美也子はウケテ、さすがに芙蓉が怒りのオーラを発しているのに気づいて、ばつが悪そうに、ニコニコしている紅倉を見て言った。
「あーあ、またやらかしやがったって思ったっすね。呪われてるんすよ、姉貴は。」
「呪われている、ねえー…」
「紅倉さんはそのために来たんしょ?」
「まあね」
「じゃあ、お願いするっす」
美也子は神妙に頭を下げて言った。
「姉貴の呪われた運命を直してやってください」
芙蓉は、心の芯には姉に対する姉妹愛があるかと気を緩めたが。
「まったく、これ以上迷惑掛けられちゃたまんないっすから」
と、苦笑し、芙蓉は呆れ返った。
「はい、ありがとうございました。それじゃあお姉さんの病室に帰って、お義兄さんを呼んでいただけます?」
「了解しやしたー。芙蓉さん、お茶、ありんしたー。一生の家宝にするっすー」
美也子はニコニコ上機嫌で頭を下げ、廊下へ出ていった。芙蓉はあのペットボトルがキラキラにデコレーションされた姿を想像した。
「なんですか、あれ?」
美也子が行ってしまうと芙蓉はつい毒づいた。
「いい年して頭の悪いヤンキー言葉を使って。どういう育てられ方をしたんです?」
芙蓉がプンプン怒るのに苦笑して、紅倉はしらっとした目つきになって言った。
「まあいいわよ。子どもがいるんだから、じきに、母親として変わらざるを得ないわよ」
「そうでしょうか?」
芙蓉は繁華街で見かけるやたらとおしゃれな若い母親たちを思って怪しんだ。
「美貴ちゃん。別に若いお母さんたちが自分の生き方を楽しんでいるからってけしからん!と叱るようなことではないわよ?」
「けしからん!とは思いませんけれどね、まともな子育てが出来るか心配しているだけです」
紅倉は笑った。
「古いなあー。今の若い人たちって案外みんな賢いのよ? 自分に得な生き方をちゃあんと考えているのよ。連れている子どもだってずいぶんおしゃれでかっこいいでしょう? 美貴ちゃんも、いずれ子どもを産んで若いお母さんたちの仲間になったときに、古くさいお説教なんてしてひんしゅくを買うんじゃないわよ?」
「わたし、子供を生む気はありませんからご心配なく」
芙蓉は子どもは好きでも嫌いでもない。興味がないのだ。
将来女の卵子から精子を作る技術が完成したら産んでもいいかなとは思うが。
「はいはい、変態娘の妄想はけっこうです」
紅倉に揶揄され芙蓉はムッと、ちょっと赤くなったが、紅倉は冷たい顔つきで考え、言った。
「かなり見えたわね。
理由は分からないけれど、祖母が穂乃実さんを憎んでいるのは確実ね。それは昔気質の躾なんかじゃなく、妹の美也子さんをこれ見よがしに甘やかして育てているのでも明らか。穂乃実さん個人を憎んでいるのよ」
芙蓉は自分の考えを言った。
「もしかしたら、穂乃実さんはお祖母さんとは血がつながっていない……、娘であるお母さんの実子ではないのでは?」
「それはない」
紅倉は断言した。
「あの母娘は実の親子よ」
芙蓉は病室の二人を思いだして、それもそうかと納得した。
「お祖母さんは、お母さんの母親なんですよね?」
「そうよね?」
「じゃあやっぱり…、どうして血のつながった実の孫をそんなに憎んだり出来るんでしょう?……」
芙蓉は考え、ハッと、思いついた。
「それじゃあ……、問題は父親?……
美也子さんと穂乃実さんとは父親が違うのでは?
美也子さんは今のお父さんの子ですよね? すると、穂乃実さんはその前に別れた別の父親の子?」
「多分、そうでしょうね」
紅倉は冷たい顔でうなずいた。それでも芙蓉は納得行かず、思わず眉間にしわを寄せて言った。
「でも、自分の実の孫であるのは間違いないでしょうに、何故…………」
「そうよね」
紅倉はふうとため息をつき、自身気持ちを切り替えるように顔を上げ、言った。
「その理由を探らなくちゃね。それが多分今回の事件の端緒でしょう」
事件解決の手がかりがつかめた、かに思えたが。
「先生。よろしくお願いします」
史哉が寝不足の白い顔で現れた。
こちらにも「僕のせいだ」と口走るフィアンセがいて、事件の原因は一つとは特定できないらしい。
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