第12話 家族の肖像

 シンプルなトマトソースのパスタは美味しかった。今日は契約しているシェフはいなかったが、調理した池嶋の腕はなかなかのものだった。調理師学校の出身だろうか? 小食の紅倉も一人前ぺろりと平らげた。

 さてデザートのアイスクリームを食べながら芙蓉は事件の関係者を整理してみた。その後の関係者(綿引、守口、リガリエ・ウエディングマナーハウス スタッフ)聴取で得た事実も補足。




 ・稲家 穂乃実(いないえ ほのみ) ……二十九歳。突然ウエディングドレスが真っ赤に染まって気を失い、以後現在まで意識が戻っていない。

 ・金森 史哉(かねもり ふみや) ……三十一歳。苦悩する穂乃実の結婚相手。

 ・鳴海 光太郎(なるみ こうたろう) ……穂乃実の婚約者であったが、四年前の七月、結婚式の準備中に自動車事故で死亡。

 ・沖野 瑤子(おきの ようこ) ……金森の婚約者であったが、四年前の八月、豪雨災害に巻き込まれて死亡。

 ・稲家 美也子(いないえ みやこ) ……二十五歳。出来ちゃった婚するも子連れで出戻ってきた穂乃実の妹。子ども竜之介(りゅうのすけ)は三歳。

 ・本図 タツ(ほんず たつ) ……穂乃実と美也子の母方の祖母。痴ほうが進行している。穂乃実を嫌っているらしい?


 ・廣井 周平(ひろい しゅうへい) ……二十七歳。今度の日曜日に式を挙げる予定の花婿。ラブホテルオーナーの三男坊。

 ・島田 沙希(しまだ さき) ……二十五歳。周平の花嫁。銘酒「島田寒椿」の島田酒造の一人娘。

 ・島田 喜久蔵(しまだ きくぞう) ……五十六歳。沙希の父親。島田酒造社長。娘の結婚に大反対していた。先ほど交通事故を起こして意識不明らしい。




 ……………整理になっていない気がする……。似たような事情が重なっているが、ごちゃごちゃしていて、どれがどう関係してくるのか、しないのか、さっぱり分からない。

 稲家穂乃実は就職先であり実家のある新潟市内でアパート暮らしをしていたが、先週、金森史哉との新居のマンションに引っ越しをし、アパートは解約している。

 ついでに。


 ・綿引 響子(わたびき きょうこ) ……二十九歳。幽霊女優。本名 渡辺 京子。穂乃実の高校からの親友。

 ・守口 達之(もりぐち たつゆき) ……三十一歳。デザイナー。金森 史哉の大学からの親友。


 さて、この人物群のどこから手を着けるのか?

「ごちそうさま」

 アイスを食べ終わった紅倉は元気に立ち上がった。

「さあ、行くわよお!」

 いつもなら一番最後に食べ終わる紅倉だが、今回は綿引が一番のろく、守口はおつき合いでのんびりコーヒーを飲んでいた。

「え〜、まだあ〜? もう、たるんでるなあー」

 紅倉に叱咤されて綿引は慌てて残りのアイスをかき込んだ。テレビ関係者なんて早食いが得意だろうに、女優は別なのだろうか? 実は昨夜送ってやった実家は石垣に囲まれた広い庭付きの立派な豪邸で、実は綿引はお嬢様なのであった。守口もグイッと残っていた一口をあおった。


 スタッフに丁寧なお辞儀で送り出されて、駐車場へ入ると、紅倉は今一度教会を振り返った。こちらからだとオレンジの屋根に渋めの黄緑色の壁のゲストハウスが手前にあり、その背後から覗くようにチャーチがあり、その隣奥にもう一つ紺色の屋根に淡い紫色の壁のゲストハウスがある。ゲストハウスは一見二階建てに見えるが、天井の高い一階屋だ。式場のキャパシティーはゲストハウスを両方使って最大一二〇人だそうだ。マナーハウス=中世ヨーロッパの荘園領主の邸宅を模した上品で適度にメルヘンチックな美しい式場だが、島田氏にはいかにも物足りないだろう。

 こちらからは幼子イエスと聖マリアと聖人のステンドグラスが見える。午後の日を斜めに受けて透明に輝く七色のガラスを見つめ紅倉は、

「そうね、やっぱりブラックホールが空いているわ。どこか別の空間につながっていたのね」

 と言った。芙蓉は

「魔界の本体の位置は分かりませんか?」

 と訊き、紅倉は

「残念ながら、わたし程度の霊視能力では分かりません」

 と肩をすくめた。紅倉に視えない物が他のどの霊能力者にも視えるとは思えない。ちなみに教区を持たない、こうした施設に付属して建てられた礼拝施設をチャペルと言い、結婚式場の場合ブライダルチャペルなどと呼ばれる。チャーチは信徒を持つ、洗礼など本格的な宗教儀式を行う本物の教会を言うのだが、ここは「セント・ビアトリクス教会」と立派に「教会」を名乗っている。定期的に日曜礼拝を行っているから許される名前だろう。そこに『魔界』が巣くっているなど、たいへんな不名誉であるが。

「どこに行きます? やはり病院ですか?」

「うん。お酒屋さんのお父さんも気になるけど、遠いんでしょ?、今日はパス」

 芙蓉が運転、紅倉が助手席に座り、後ろに綿引と守口が並んで座った。普段の紅倉の定位置は芙蓉と反対の後部座席で、来る時はその位置で綿引と並んで座った。運転中芙蓉は安全第一で無駄なおしゃべりは極力控える。来る時にははしゃいでいた紅倉も今は何ごとか考えに沈み、綿引はもじもじして、守口も沈黙に居心地悪そうにしていた。



 午後一時三〇分、穂乃実の病室を訪ね、穂乃実の母親と金森史哉と再会した。父親は所用で出ているということで、多分親戚や関係者にいろいろ面倒な電話を掛けているのだろう。

 綿引守口に続いて入ってきた紅倉を、史哉はすがるような目で見たが、顔つきはまるで元気がなく、新婚の新妻を心配しているというより、自分を責めているような思い詰めた表情が見られた。

 史哉が喉に引っかかる声で説明するところ、現在MRIのデータを詳しく分析中だが、初見では特に異常は見当たらず、意識の戻らない原因は脳の外傷によるものではないのではないか、ということだった。

 病室に戻った穂乃実は、相変わらず静かな顔で眠っている。

 紅倉は、

「お母さん」

 と穂乃実の母親を尋問した。芙蓉は結婚式場であらかじめ関係者のデータを頭にインプットしてある。


 ・稲家 淑子(いないえ よしこ) ……五十二歳。穂乃実、美也子姉妹の母。子どもはこの二人。


 娘がこんな状態だから心配でひどくギスギスしているが、娘と同じ綺麗な瓜実型の顔をして、この年頃の人としては背が高くプロポーションがよい。惜しむらくは目が一重で、ちょっと能面のような怖い印象を抱かせる。美人ではあるのだが、今の状況はお気の毒だ。

 紅倉は遠慮なしにズバリと訊いた。

「あなたのお母さんは、どうして孫の穂乃実さんをそんなに嫌っているんですか?」

「は?」

 穂乃実の母はいきなりの不躾な質問にあからさまに嫌な顔をした。顔がますます怖くなる。

「どういうことです? 何故母が娘を嫌っているなんておっしゃるんです?」

 と、情報源であろう綿引に視線を向けた。綿引は睨まれて震え上がるように首を振った。芙蓉は綿引が気の毒でそっと紅倉の背をつついてやった。

「穂乃実さんが倒れたところを撮したビデオにはっきり、お祖母さんが『呪いだ』と言っているのが映っているんです。可愛い孫が倒れて、普通そんなひどいことは言わないでしょう?」

 言っている姿は映っていないのだが、母親は、ああ、とすんなり納得した。

「母はだいぶ呆けているんです。あんな姿で倒れたんですから、迷信深い年寄りがそう口走るのも自然でしょう?」

 と、理路整然と解説した。なかなか頭の回転が速く、手強そうだ。

「特に穂乃実さんを嫌っているということはないんですか?」

「昔の人ですから、躾に厳しいだけです。人に笑顔を見せるのははしたないと考えているような人ですから」

「あらまあ、それはまたずいぶん古風ですねえ?」

 芙蓉は再度頭の中のデータを検索したが、祖母、本図タツの年齢データはない。

 紅倉はうーんと考えて訊いた。

「妹の美也子さんにも同じように厳しいんですか?」

 なんてことのない質問のように思われるが、

「・・・・」

 母親は一瞬言葉に詰まって表情が強張った。

「……美也子には、妹ですから、姉に比べれば甘いですわね」

 紅倉は瞬きして、まだ答えを待つようにじいっと母親を見つめ、気まずい感じの母親は、逃げるように目を伏せ、ため息をついて言った。

「懲りたんです。穂乃実にずいぶん厳しくして、怖がられて、嫌われて。それで妹の美也子には優しい甘いお祖母ちゃんになるよう努力したんです」

「努力…ねえ………」

 紅倉は何か含みを持たせるように言ったが、それ以上かたくなに答えを拒否するように視線を逸らして押し黙る母親を追いつめず、別の質問をした。

「穂乃実さんが『呪われる』ような心当たりがありますか?」

「それは」

 今度は顔を上げて挑むように言った。

「やはり鳴海さんのことでしょう。もっとも、ドレスを赤くしたのは虫の悪戯だったそうじゃありませんか? 穂乃実は鳴海さんの死を連想して、ショックを受けて、まだそのショックから立ち直れないんでしょう」

 実に常識的な見解だ。ついでに紅倉に対しひどく迷惑そうな視線をよこした。紅倉はまったく見えていないように笑顔で言った。

「大丈夫ですよ、穂乃実さんは二三日中に必ず目を覚ましますから」

 母親は呆れたように、娘へ心配する視線を戻した。

 芙蓉は母親の応対にひどく不自然さを感じた。午前中会ったときはこんなに棘のある態度は感じなかった。先生の「魂が抜けている」という話も素直に受け入れていた。ドレスの血の正体が分かり「心霊現象」に疑問を抱いたのだろうが、紅倉が「お祖母さん」の質問をした瞬間に、心の中に鋭い敵意が生まれたように芙蓉には感じられた。

 ならば逆に、やはり穂乃実に起きた異変と祖母は大いに関係がありそうだ。

 このお母さんはその心当たりがあり、自分自身、それを指摘されるのが嫌なのだ。

 紅倉はニコニコし、母親は無視し、綿引はおろおろし、守口は元気のない視線を向ける史哉に軽く手で挨拶して微笑んだ。

 ここは個室だ。ブラインド越しに白い光が広がり、芙蓉は室内に立ちこめる白々した空気を感じた。

 その空気を掻き回し、

「あ、やばいー、お客さんじゃーん」

 はすっぱなギャル言葉がキンキンと響き、目に痛い色彩が飛び込んできた。

 金色の髪を巻いて頭上に山盛りにし、やたらと濃いマスカラに普通の二倍はあるまつげをピンピンに跳ね上げ、化粧が濃すぎて素顔がまったく分からない。英語のスラングのでかでかプリントされたショッキングピンクのTシャツを着て、裾の極めて短いホットパンツから足を剥き出しにして、ハイヒールのサンダルを履いている。腕にはブランドものらしいバッグを下げている。

 想像以上に「ギャル」している、二十五歳になる穂乃実の妹、美也子だろう。案の定、

「美也子!」

 穂乃実の枕元に座って背を向けていた母親が振り返って鋭く叱りつける声を上げた。

「あなた、お祖母ちゃんはどうしたの?」

「あーん? うざったいからオバちゃんに任せてきた」

「久子さん? 来てくれたの?」

「だーかーらー、姉ちゃんの見舞いに来てやったんじゃん? なあーに?まだ眠ってんのー? ぐーたらな姉貴だなあー」

 美也子は自分で「ウケルー」と腹を押さえて笑った。

「竜之介は? 竜之介まで久子さんに預けてきたの?」

「いいじゃん、リュウちゃんかわいいわねえー、って可愛がってんだからさ。喜んでるよ」

 母親は眉間と、皮膚の薄い額にいっぱい細かいしわを寄せて呆れ返った。

 姉に厳しくしすぎた反省で甘やかした結果がこれとは、またずいぶんと極端な変わり様だ。それとも母親が言うほど甘やかしたわけではなく、子どもの頃はやはり厳しくされ、その反動で大人(?)になった今こうしてグレてしまったのだろうか?

 母親はお客のいる前でずいぶんばつの悪い思いをしているが、芙蓉が冷静に観察すると、どうもこの妹に対して言いたいことを言い切れない遠慮のようなものを感じる。その遠慮は……母親、美也子の祖母に対する遠慮ではないだろうか? するとやっぱりこの我が儘丸出しの馬鹿娘のバックには、彼女を甘やかしてこう育てた祖母の存在があるのではないだろうか?

 姉は憎むほど厳しく、妹はべたべたに甘やかし、この孫姉妹に対する祖母の態度は異常だ。

 何かある、と考えざるを得ない。

「うわっ、すっげ、紅倉美姫に芙蓉美貴じゃん! カワイー! あたしマジリスペクトしまくり〜」

 まったく、どうして最近の若者はこうやたら大声で人の癇にさわるのを無視してしゃべり倒し自己主張したがるのだろう? 分厚い付けまつげが邪魔で物が見えず、携帯でおしゃべりしすぎて耳の聞こえも悪いのだろうか? 強引に握手を求められ、紅倉は珍しい生き物でも見るように目をぱちくりさせ、「マジウレシイッスー」とリスペクトされながら芙蓉は「どうも」とつんとすまして嫌な芸能人を気取ってやった。それで「キャー」とか嬉しがられているが、どうせすぐにブログやミクシィで悪口を書き散らすのだろう。美也子の剥き出しの脚は細すぎて全然そそられない。芙蓉はスポーツやダンスで鍛えている健康的な太ももが好きだ。

「じゃあ美也子さん」

 紅倉に呼びかけられて美也子は

「なんすか!?」

 と大喜びで返事をした。

「あなたにお話をお聴きしたいわ。お姉さんの内緒のプライベートをあれこれと」

 紅倉が悪戯っぽく笑って言うと美也子も悪のりして

「いいっすよー、紅倉様ならなんでもカミングアウトしちゃうっすよー」

 と、トイレの女子高生みたいな悪い笑いを浮かべた。芙蓉は言葉の用法が違うだろうと心の中でツッコミを入れながら黙っていた。母親と夫に大ひんしゅくの視線を向けられながら、まったく気づいていない顔の二人だが、さすがに紅倉は、

「ではこっそりべらべらしゃべってくださいな」

 と、廊下へ美也子を誘った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る