第11話 血の正体
時刻は正午に迫り、このままティーサロンでパスタの昼食をいただくことになった。死人相手の事件ではないのでのんびりしたものである。先ほどケーキをいただいて、お昼まで今しばらく時間もあるので紅倉たちはお向かいの公園で散歩を楽しむことにした。
芝生の広場を従えて軽い丘になり、休憩所と、その屋上が展望台になっている。強い日差しでもないので展望台に上がって鳥里乃湖を眺めた。青い湖……ではなく、緑がかった茶色の大きな池だが、キラキラ波が輝いているのは綺麗だ。
芙蓉はとにかく紅倉と常にいっしょなので、自然と綿引と守口がペアになっている。事件の話題が途切れると、滅多にない男性とのツーショットで、綿引は途端にどぎまぎして芙蓉に応援の視線を送ってきたが、芙蓉は知らんぷりした。
せっかくいい雰囲気になりそうだったが、守口の携帯が鳴った。
「もしもし。うん、どうだった? ……うん、そうか。うん、詳しくはこれから分析、と」
相手は病院の金森だった。三人に視線を送りながら話す。
「うん、特に異常が見られないなら、まあ、良かったんじゃないか。心配だろうけれど、紅倉先生に会ったんだろう? 原因は……穂乃実さんの心にあるみたいじゃないか。うん、だからさ、おまえがしっかり穂乃実さんを守ってやれよ。愛の力でしっかり穂乃実さんの心をつなぎ止めて、どこにもやるんじゃないぞ。どうするって、手でも握ってろよ、しっかりと」
守口は冗談めかしながら友人を励ました。
「穂乃実さんの魂は大丈夫だ。紅倉先生が見つけてくれた。ただ、状態が複雑でな、なかなか解きほぐして救い出すまで手間が掛かるらしい」
ここら辺は守口のアドリブで、紅倉にいいですよね?と眉を動かしながら話した。
「だからな、心配だろうけど、必ず目を覚ますから、信じて頑張れ!」
傷心の金森を励ます守口に、いいお友だちねと綿引は自然に微笑んだ。
「え? ウエディングドレスの血? 分かったのか? なんだったって?」
警察の研究所で調べていた結果が出たらしい。守口は緊張した様子で耳をすました。
「血じゃない? うん、うん、カルミン酸色素……って、何? うん、…………カイガラムシ?」
守口は拍子抜けして、思わず隣の綿引と顔を見合わせた。
「ああ、そういえば赤色の染料に使うんだっけ? 梅の木なんかに付いてる白い貝みたいな害虫だろう? 種類は色々あるのか? とにかく、それなんだな? うん、分かった。いや、紅倉先生はここにいて聞いてるから。うん、うん、分かった。もし何かあったらまた電話くれ。俺たちも午後にはそっちに行くと思うから。じゃあな」
携帯電話を閉じ、
「虫、だそうです」
と、考えてみれば実に現実的な答えにそういえばと思い出しながら話した。
「穂乃実さん、ドレスが赤くなる前、慌てた様子で空に向かって手を振るようにしたよねえ?何かを追い払うように。あれ、遠目には見えない細かい虫が飛んできたのかなあ? でも金森は全然気づいてなかったみたいだし、ドレスは全部真っ赤に染まってたからなあ……、どれだけ大量の虫が飛んできたんだ? そもそもカイガラムシってどんな虫だ?飛ぶのか?」
カイガラムシの成虫は羽根があって飛ぶが、種類によって二ミリから五ミリほど、それだけ大量に飛んでくれば嫌でも鳥肌が立ちそうなものだが。赤い色素は体内及び幼虫時植物に取り付いて固まっている分泌液の殻に含まれているが、この殻は種類によって高級なろうそくの材料にもされる。
「うーーん……、やっぱりちょっと普通じゃ考えられないなあ……。真っ赤だったもんなあ……、精製しないであれだけ濃い赤が出るものか分からないけれど、きっと虫の死骸がびっしりくっついてなきゃならないだろうからなあ、そんな話も聞いてないし……」
守口は「虫の死骸」を想像してぶるっと震え上がった。
「紅倉先生、どうなんでしょう?」
「そうね」
紅倉も考えながら答えた。
「あの魔界のパワーから推定して、液体でしょ?、自然から採取できる物なら、可能なんでしょうね」
霊がなにがしかのあり得ない物を出現させる例はある。ただ、科学的にまったく未知の物質を出現させる例は希であり、たいていはこの世に普通にある物が、ただ、「何故そこに?」という出現の仕方をするのが謎なのだ。
「じゃあやっぱりあの『魔界』の仕業なんですね?」
守口の質問に
「ええ。間違いないでしょうね」
と紅倉はうなずいた。
「先生ー! 紅倉先生ー!」
下澤が慌てた様子で紅倉を呼びながら走ってきた。芙蓉が「ここです」と手を振ってやると、見つけてやってきて、階段を上がってきた。いかにも慌てた様子でハアハア息をつき、
「た、たった今、警察から電話がありまして」
こちらにも分析の結果が報されたのかと思いきや、
「し、島田様が、事故に遭われたそうです!」
と報告し、芙蓉も、紅倉も、ぎょっとした。
「事故ですって? 容態は?」
「は、はい」
下澤はつばを飲み込み、一呼吸置いて説明した。
「会社にお帰りになる途中、海岸の道路で自損事故を起こされたようでして。先ほどこちらにお電話いただいたのは途中休憩なさったときにメッセージに気づいてお電話くださいましたようで、事故の通報で駆けつけた警察が携帯電話で最後に話したこちらへ連絡くださいましたようで。島田様は目立った外傷はないようですが、脳しんとうを起こして意識を失っていらっしゃいますそうで、既に救急車で病院へ搬送されたそうです」
「ご家族へは?」
「会社の方へ連絡したそうです。ご自宅もいっしょで、奥様が専務を務めていらっしゃいますので。こちらへ電話したのはどうやら事故の調査の参考ということらしいです」
携帯電話を掛けながら運転していて事故を起こしたのではないか?と疑ったのだろうが、それはない。
「事故………」
紅倉はひどく気に入らないように眉間にしわを寄せ、樹木の重なりの向こうに教会を睨んだ。
「ちょっと、舐めてたかしら?」
芙蓉は紅倉の緊張を気にしつつ、下澤に確認した。
「島田さんの会社はどこにあるんです?」
「中倉町です。上越市の先です」
「うわっ、遠いな!」
守口が驚いた。
「じゃあ朝っぱらから自分で車運転してわざわざ怒鳴り込んできたわけか? 呆れた親父さんだなあ」
地理が把握できていない芙蓉に説明する。
「上越市まで確か高速道路で百二十キロ弱……一時間以上掛かりますよ」
下澤に確認すると下澤もうなずいた。
「海岸沿いというと高速道路ではないですよね? じゃあもっと掛かるなあ…。社長のくせに高速料金けちってんのかなあ?」
「そんなに遠いんですか? じゃあ、お嬢さんは?」
芙蓉の質問に下澤が答え、
「今はご実家で会社のお手伝いをなされています。フィアンセ様はこちらにアパートを借りてお勤めでして、お二人は大学の先輩後輩だそうです」
綿引がぽつりと、
「穂乃実と光太郎さんみたい……」
と暗い声でつぶやいた。大学で知り合い、遠距離恋愛だった点を指してのことだろう。紅倉も、
「車の行き来は禁止ね。二人には新幹線を使わせなさい」
と下澤に命じた。中倉町はどうか知らないが新潟と上越は新幹線が通っている。
下澤はうつむきかげんに誰の顔もまともに見ないようにして遠慮がちに言った。
「島田様が事故を起こされたのはわたしが掛けた電話の内容を気になされて運転への注意がおろそかになったのでは……」
つまり暗に紅倉のせいだと指摘している。
紅倉はじいっと教会を見つめ、その目は赤く光を放ち、全身から血生臭いオーラが吹き出している。
「本体があったのか………。わたしとしたことが、迂闊だったわ。ここは、トンネルの出口に過ぎなかったのね」
皆ぎょっとした。あの黒い、恐ろしいビジュアルが、『魔界』のほんの表玄関に過ぎないということだろうか? 芙蓉も緊張して手のひらにじっとり汗を感じた。
「ともかく!」
紅倉が宣言するように言った。
「パスタ! 腹が減っては戦は出来ぬ、よ!」
あらら、とずっこけたが、
「こっちの方はともかく、本体はぶっ叩いてやる必要があるかもね」
と、紅倉はやる気満々のようだ。
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