第7話 契約成立
「穂乃実様の魂とは、どういうことです?」
男性スタッフはビックリした顔で訊き、はっと気づいて、
「失礼しました。立ち話もなんですので、どうぞお掛けください。
上司らしい男性は多少注意を含んで若い女性スタッフに命じ、女性スタッフ池嶋は、
「ただいまお持ちいたします」
とお辞儀して慌てて厨房に入っていった。
「さ、どうぞ」
と、男性スタッフは一行を奥の、庭に面した窓際の席に案内した。格子の入った縦長のガラス窓から白くそびえる教会が望める。四人掛けのテーブル席に、紅倉と芙蓉、綿引と守口が並んで座り、男女スタッフはテーブルに向かって並んで立った。前に軽く手を組み、リラックスした様子を見せているが……落ち着かない。
池嶋が銀のお盆に載せて紅茶とケーキを運んできた。
「失礼いたします」
一々丁寧にお辞儀して、ケーキの皿をそれぞれに配り、銀のポットから花の描かれた可愛いティーカップにトポトポ紅茶をついで、配った。
「失礼いたしました」
ポットを載せたお盆を後ろのテーブルに移動させ、上司二人の斜め後ろに緊張した面もちで立った。芙蓉はその初々しいたたずまいに査定に響くのを心配しているのかしらと思ったが、二人並んだ三十代の男女は優しそうな顔つきで、この事態にちょっと頼りなくも思えた。
「どうぞお召し上がりください」
男性が笑顔で勧め、芙蓉は場を和ませるように
「先生、よかったですね、美味しそうなケーキですよ?」
と言った。
「いただきまーす」
ウエディングケーキを切り分けたようなホワイトクリームの、上に赤と紫のベリーが載ったケーキで、紅倉はパンでもなんでもミルフィーユが好きなのだが、フォークにブスッと突き刺して美味しそうに頬張った。
「美味しいですか?」
「うん」
「よかったですね」
芙蓉は軽く紅茶を含み、まだ熱いなとさりげなく紅倉のカップをテーブルの中央へ寄せた。
四人がお茶とケーキを楽しんでいる様子を眺め、男性から順に自己紹介した。
「わたくし、チーフマネージャーの
「チーフプランナーの
「スタッフの池嶋です」
下澤は三十代後半、特にこれと言った特徴はない、強いて言えば髪の毛と眉毛がやたらと黒く、地味ながらねばり強そうな感じで、
寺沢は三十代半ば、面長で、ニコニコしすぎで年よりちょっと老けて見える印象だが、いかにも気配りが行き届いて何ごとにも親身になって相談に乗るような人の善さが感じられ、
池嶋はまだまだ新人らしい硬さがあるが、アイドルっぽい顔立ちで、若くて可愛らしい。男(=守口)が鼻の下を伸ばすのも分かる。三人ともそれぞれ別だが薄い渋めの茶と緑の統一されたイメージのユニフォームを着て、もちろん身だしなみはぴしっと整っている。
チーフマネージャー下澤が切り出す。
「紅倉先生がいらしたということは、花嫁様が倒れられたのはやはり……」
「あなたがここの一番偉い人?」
「ええ…、まあ。式場の直接の責任者です」
「お若いのにご立派ですわねえ。そう、それじゃあビジネスライクに。
花嫁さんの魂が行方不明になっちゃってね、どこ行っちゃったのかなあって捜してたんだけど、なんのことはない、そこ」
と、窓の外の教会を指さし。
「にいるわ」
綿引が言う。
「じゃあ早く穂乃実の魂を呼び戻して…」
「だからねえ〜〜」
紅倉がケーキをぶっ刺したフォークを振り回し、コメディー映画みたいな展開を予感した芙蓉が止めた。
「居るのは分かるんだけど、姿は隠れているの。ここ、魔界になっちゃってるわ」
何やら物騒そうなオカルト言葉が飛び出して下澤と寺沢は顔を青くした。
「それは、やはり悪い物なんでしょうか?」
「そりゃあやっぱりねえー、良くはないわね。はっきり言えば、不吉ね。アンラッキー」
「式に差し障りがあると?」
「うん。特に、幸せな二人に対する妬みそねみの固まりみたいな物だから」
「しかし、」
下澤は遠慮がちにしながらも信じがたいように言った。
「あれは結婚式場の教会ですが、ちゃんと資格を持った神父様に毎月一回礼拝をあげてもらっていますが…」
芙蓉にもっと詳しく、と視線を向けられ、下澤は説明した。
「毎月第四日曜日の朝に教会を開放して礼拝を執り行っていただいております。一般の方どなたでもご参加いただけますし、こちらで式を挙げるカップル様には挙式までに最低一回は礼拝への参加を義務づけさせていただいております。礼拝はキリスト教に入信するということではなく、教会という神聖な宗教施設で式を挙げていただく以上、最低限の礼儀であると共に、ご自分たちの神聖な結婚への決意と喜びを今一度確認していただくという意味でして」
最初に教会があってそこを結婚式に使わせてもらうわけでなく、結婚式場の施設として教会を建てたのだろうが、まあ、清らかな結婚式に余計な水を差すこともないだろう。形ばかりの儀礼であると説明しながら、下澤は思い出したように眉をひそめて再度言った。
「礼拝に参加するのは純粋なキリスト教信者とは限りませんが、神父様は本物です。本物の神父様に本物の礼拝をあげていただいて……、それでも『魔界』などという物が巣くったりするのでしょうか?」
「魔界を作っている霊たちも、きっと、熱心なキリスト教信者じゃあないでしょうねえ」
紅倉の人を食ったような言い方に下澤は思わず顔をしかめ、紅倉は美味しいケーキをぱくりと食べて上機嫌に補足した。
「神聖な場所にはそれそのものの聖なる力はあるわよ? でも、その聖なる力が最も効果的なのは聖なる存在を信じる相手に対してです。神様なんて信じない罰当たりには効果は薄いわね。それでも本当に強い力ならどんな相手だろうと寄せ付けませんが……、月一度程度の礼拝じゃあねえー、イエス様もあんまり親身になって力をお貸しくださらないんじゃない?」
紅倉は丁寧な言葉で不遜なことを言った。だいたい紅倉の「神」観は「力」一辺倒で、精神的にありがたがることをしない。下澤はがっかりして
「駄目、…ですか……」
とため息をついた。こちらも「駄目」とは即物的だが、こちらは商売が掛かっているから切実だ。
「ごちそうさま」
ケーキを食べ終えてぺろりと唇を舐めた紅倉は、ニッコリした笑顔を向けて言った。
「で、現金なお話ですが、
さっきのお父さん、次の日曜日の花嫁さんのお父さん? 式はキャンセルですか? キャンセル料をいただけないとなるとどのくらいの損失が出るんです?」
「それは……」
下澤マネージャーはあまり言いたくない顔をし、紅倉も深く追求はせず。
「結婚式、挙げられるようにしてあげましょうか?」
「本当ですか?」
下澤は嬉しそうに言い…、警戒するように訊いた。
「それで、いかほどの……?」
紅倉が「現金な」と前置きしているので尋ねた。紅倉は。
「受け取れるはずのキャンセル料の……二〇パーセントってところでどうです?」
紅倉は良心的でしょ?と目をクリッとさせ、下澤は頭の中で計算し、うなずいた。
「分かりました。それでよろしくお願いします。しかし……、もし式を行って、何か問題が生じた場合は…………」
「その時は相手方の要求する慰謝料、全て引き受けます」
下澤は安心してうなずいた。
「分かりました。よろしくお願いします。……しかし、島田様……先ほどの新婦様のお父さまですが、相当こちらに不信をいだいております。大丈夫と言っても納得していただけますかどうか……」
「三日」
紅倉はビシッと三本指を立て、
「えーと、火、水、木、と…」
と数えて言った。
「んと、じゃあ木曜の正午までに納得してもらえる証拠を見せるから、その時点でやっぱりキャンセルってなったらその損害もわたしが被るということで」
「分かりました。島田様にはそのようにお伝えさせていただきます」
下澤はうなずきつつ、ふと紅倉を心配して尋ねた。
「あの、本当に大丈夫でしょうか?」
「ああん、大丈夫大丈夫。わたし、自分が損することはしないから」
紅倉は軽やかに手を振り、下澤は微笑んだ。
「それでは申し訳ございませんが、わたくしはさっそく島田様に」
「はい、行ってらっしゃい」
お辞儀する下澤をバイバーイと送り出し、紅倉はカップに手を伸ばして満足そうに紅茶をすすった。
「あー、美味し」
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