第6話 ケチ
紅倉たちは結婚式場を見に行くことにした。車で十分程度の距離だ。
その前に守口が断りついでに様子を見てきたが、穂乃実はもう十時三十分の予定でMRIの機械の準備がされていて、そのままそちらへ移動するそうだ。金森もついていくので紅倉たちによろしくだそうだが、表情がうつろで、いかにもまいっている様子だそうだ。
守口も自分のセダンで来ていたが紅倉がオーナーの同じメーカーのハイブリッドカーの最上級モデルに同乗させてもらった。外装もホワイトパールの一番高い塗装である。守口はさすがとうらやましがったが、自然とこの「赤いウエディングドレスミステリー」探偵団の一員になっている。
昨日は青く晴れ上がっていた空も、昨日は梅雨の晴れ間だったようで、今日はどんより灰色の雲が空を覆っている。芙蓉はこうして雨が降るのか降らないのかはっきりしないじめじめした空気が苦手だった。年寄り臭くて嫌だが、骨まで雨気が染みてきて、だるくて、なんだか酔ったような気分になる。どうやら芙蓉は水に過敏に反応する性質らしい。時期が悪いのだろうが嫌な土地だわと思いつつ紅倉の様子を窺うと、お肌がしっとりつやつやして、花粉症の症状も収まって、なんだか快適そうだ。自分一人仲間はずれで面白くないが紅倉はどうやら雪国の出身らしいというのを思い出して納得した。
湖は鳥里乃(とりの)湖と言い、直径六〇〇メートル掛ける一〇〇〜三〇〇メートルくらいの「U」の字が潰れたような形をしている。冬は白鳥がたくさん訪れるそうだが、今は整備された大きなスポーツ公園の木々の緑が濃い。こうして大きな病院が建ち、隣にホテルも建っているが、奥には田圃が広がり、田舎の風情だ。
ぐるっと湖沿いの細い昔ながらの市道を走っていくと、病院と反対側の方が住宅がびっしり建ち並び、都市化が進んでいる。こちらにも向かい岸のスポーツ公園と姉妹の芝生の広い公園があり、そこに隣り合って、問題の結婚式場、
「リガリエ・ウエディングマナーハウス」
がある。
噴水の庭を控えて、背の高い二階建ての白いチャーチと、二つのゲストハウス、喫茶店があり、後ろの駐車場側、奥に引っ込んでスタッフハウスがある。
さっと横目に式場全体を眺めつつ駐車場に車を入れ、さてまずどこに行ったらいいかと見渡すと、
「こっちです」
と守口が案内してチャーチのふもとの、ドアが道に面した喫茶店に向かった。他の庭と建物は鉄柵と門扉に囲まれ、表に開かれた入り口はここだけのようだ。
ドアを内側へ開くとチリリンと可愛らしいベルが鳴った。
さぞや可愛いメイドさんが出迎えてくれるかと思いきや。
「詳しく説明したまえ! こんなことで大事な娘の結婚式が挙げられるか!」
と、奥の廊下から年輩の男性の怒った太い声が聞こえた。
いきなり思わぬ事態の洗礼を受けた守口は面食らいながら振り向き、
「なんだか忙しいみたいですねえ?」
と困ったように言った。
さすが式場の喫茶店だけあって多少メルヘンチックに品よく装飾された店内にスタッフは誰もおらず、守口はカウンターの呼び鈴を取って「チリリリリン」と強めの鋭い音をさせた。
慌てたように若い女性スタッフが出てきた。
「いらっしゃいませ。お待たせしてしまいましたでしょうか? 大変申し訳ありません」
丁寧に腰を折ってお辞儀され、笑顔もなく青ざめて、男性の怒った声に気持ちが委縮してしまっているようだ。
「僕、昨日こちらで式を挙げました金森史哉の友人で、守口です」
「はい、守口様。昨日はありがとうございました。……申し訳ございません、あのようなことになってしまいまして……」
守口の顔を覚えている様子の女性スタッフは多少ほっとしながらも、昨日の不祥事のこととあってまた泣き笑いのような顔になった。
「いえ。なんだか友人夫婦のせいでこちらにも迷惑掛けてしまっているようで」
守口は額をかきながら女性スタッフの背後へ視線をやり苦笑いした。
「おそれいります」
どうやらクレームを付けに来たのではないらしい若い男性の優しい態度に、女性スタッフはようやくほっと息をついてリラックスできたようだ。しかし相変わらず困ったように。
「申し訳ございません、立て込んでおりまして。実は……、今度の日曜日にこちらで式を挙げる予定の新婦様のお父さまなのですが、昨日のことを連絡しましたら、その、こんな所で大事な娘の結婚式を挙げさせられるかと、大層な剣幕で怒鳴り……やってこられまして…………。申し訳ございません」
弱り目に祟り目ですっかり泣きたくなってしまっている様子の若い女性に守口は同情し、
「いや、こっちこそすみません。早く原因がはっきりするといいんですけれどねえ」
と、同じ側に立って励ますように言った。女性スタッフは守口の後ろに続く人たちに好奇心を持ちながら
「花嫁様のご容体は快復されましたでしょうかしらねえ?」
と式場スタッフとして心配している気持ちを見せつつ情報を求めた。
「いえ。まだ目を覚ましません。新婚の旦那が付きっきりですよ」
「そうですか……」
女性スタッフは一通りの挨拶を済ませるとようやく後ろのメンバーへはっきり視線を向けた。
「渡辺様。昨日はありがとうございました」
しっかり出席者を把握しているらしい女性スタッフは綿引に控えめな笑顔を見せて挨拶した。綿引も軽い笑顔で挨拶を返すと、女性スタッフはこちらが新婦の関係者だったことを思いだしさりげなく
「花嫁様はまだ意識を回復されないんですか」
と沈んだ調子で尋ねた。
芙蓉は喫茶店の様子を眺め、どうやらここは喫茶店として本格的に営業しているのではなく、式場の見学や挙式の相談に来た人たちの応接室として利用しているようだと思った。
「ええ」
と女性スタッフの問いにこちらもこれからの調査のことを考えていかにも深刻にうなずいた綿引は、
「どうやら穂乃実が意識を失っているのはただの病気や事故ではないらしいんです。そこでこちらの紅倉先生にご相談して……」
と、綿引が主役の紅倉を紹介しようとしたところで、またも隣の建物…チャーチの一階へつながっているらしい廊下から男性の怒った声が聞こえた。
「とにかく、原因がはっきりしないことには娘に結婚式を挙げさせるわけにはいかん! 今週の式はキャンセルさせてもらう!」
女性スタッフがビクッと肩をすくめ、「申し訳ありません」と頭を下げようとするのを紅倉は『しっ』と唇に指を当てて止め、廊下を指さし、『注目!』と唇を動かした。
皆紅倉の指示に従って男性の声に耳をすました。
「原因はそっちにあるんだ、まさかキャンセル料を請求したりせんだろうな?」
男性の声は大きく、奥から壁と壁に反射しながら聞こえている。対応しているスタッフの声はいたって普通で、こちらには何を言っているのか聞こえてこない。
「いや、いいんだ、今度の式をキャンセルしてくれればいいんだよ。娘もここでの式を楽しみにしているんでな。事故の原因を明らかにして、それからまた改めて式の日取りを決めればいい。またこちらにお願いするつもりだから。いや、別に無理を言うつもりもない、空いた日でまた相談すればいいよ。二ヶ月や三ヶ月、半年くらい待ってもかまやせんから。娘はここが気に入っているんだから。うん。じゃ、そういうことで頼むよ。それじゃあわたしは失礼させてもらう。いろいろ忙しくなってしまったからね。ああ、いやいや、いいよ。こっちも大変なんでしょう? お互い様ということで。では、失礼する」
紅倉は眉を上げ目を丸くし、肩をすくめた。
やがてドカドカと、しっかりスーツを着込んだ、ヨーロッパのオペラ歌手みたいに体格のいい五、六十代の男性が後ろに男女二人のスタッフを従えて歩いてきた。大きな体に大きな顔をして、髪の毛が天然パーマ気味に硬く固まって、目鼻が顔の中央にぎゅっと寄って深くしわを刻んだ、かなり怖そうな親父だ。
親父さんは来客のあったことにちょっとばつの悪そうな顔をして、慌てて横に引っ込んでお辞儀する女性スタッフの前を通り、紅倉たちを避けてドアに向かった。後を追ってきた年長の男女スタッフが急いで紅倉たちに挨拶して、チリリンと可愛いベルを鳴らして怖い親父は出ていき、男女スタッフは慌てて見送りに出ていった。
「お芝居の一幕みたいだなあ」
守口が面白い物を見たように感想を言い、紅倉は
「嬉しそうだったわね」
とこれまた面白そうに言った。
「嬉しそう、ですか?」
芙蓉はどこが?と思いながら言った。
「思いっきり怒っていたじゃないですか?」
「あらそうだった?」
紅倉は首をかしげながら、でも自分の印象には自信があるようで、芙蓉は今一度思い返してみた。
「確かに、おかしな物言いだったようには思いますが……」
大声で怒りながら、最後の方はなんだか式場のスタッフを気遣うようで、ちぐはぐな感じだった。
「きっと、大事な娘さんの身を案じて、つい過剰にスタッフの人たちを怒ってしまって、言い過ぎたなとばつの悪い思いがして、会場にけちの付いたことで式が先延ばしになって娘さんともうしばらくいっしょにいられることになって、それもいいなと機嫌がよくなったんじゃないですか?」
怖そうな人だったが、そういう人に限って自分の娘なんて思いっきりニコニコと可愛がっていたりするものだ、と芙蓉は勝手に思った。
「娘を送り出す父親なんてそんなものじゃないですか?」
芙蓉には一人姉がいる。中学の時両親が離婚し、姉は父が、芙蓉は母が引き取り、別れて暮らすことになったが、今も一月に一度ずつ定期的に会っている。今大学の四年生だが、先月会ったとき、家に帰ると父親がそれとなくボーイフレンドのことを探ろうとしてあれこれ訊いてくるのが見え見えで鬱陶しくて仕方ないとこぼしていた。来年卒業なのにまだ内定が一つももらえてなくて男どころじゃないわよ、とぷりぷりしていたが、芙蓉の勘では付き合っている彼氏がいる。一方芙蓉の方は、母親は女同士でうるさいことは言わず、むしろテレビの世界に出入りしている芙蓉にイケメンの芸能人の彼氏でも出来ないかと面白がり、再婚相手の父親はそんな母に顔を赤くして知らんぷりしている。芙蓉本人はと言えば、芙蓉は男なんかにはまったく興味ない。
年頃の娘として実にまっとうな父親評をした芙蓉だったが、紅倉は、
「うーーん…。ちょおっと違うなあー」
と芙蓉の意見に駄目出しした。
「あらそうですか?」
芙蓉は不満そうに言い、ふと、女性スタッフの顔を見た。紅倉も顔を向け、訊いた。
「結婚、もめてるんじゃない?」
事情を知っていそうな女性スタッフは、お客様の個人情報であるので逡巡した。若い彼女は個人的にはおしゃべりしたくてうずうずしているようだが。
親父を見送ってスタッフの年長コンビが戻ってきた。改めて紅倉たちにお辞儀して、
「お見苦しいところをお見せしまして……、あ、いえ、すみません」
お見苦しいのは主に太ったコワモテ親父で、男女スタッフはまいったように苦笑した。
「ところで……、守口様、渡辺様、何かございましたか?」
如才なく昨日の招待客二人に呼びかけ、クレームに備えた。綿引はようやく、
「こちら、わたしが日ごろお世話になっている紅倉美姫先生と助手の芙蓉美貴さんです。ご存じですか?」
と紅倉芙蓉を紹介した。男女スタッフは
「はい。テレビでのご活躍は拝見いたしております」
と笑顔を向けながら、そういう話なのか?、と内心嫌な思いを抱いた。紅倉は素人のそんな反応はお構いなしに言った。
「穂乃実さんの魂の居場所は分かりました。その、二階です」
と奥の壁の天井を指さした。
隣の建物は、チャーチ、教会である。
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