第5話 花婿の苦悩
「改めまして。僕、金森の大学以来の友人で、守口達之って言います。よろしく」
守口は長椅子の綿引の隣に座り、膝高のテーブルを挟んで紅倉の隣の芙蓉と向かい合い、『うわお!』と目を丸くし、芙蓉と綿引に名刺を渡した。名刺には
「株式会社 タカミデザイン事務所
デザイナー
守口 達之(もりぐち たつゆき) 」
とあった。
「デザイナーさん?」
「主に看板屋です。みなさんのような華やかな世界の住人じゃあないです」
「わたしたちも華やかさとは無縁の色物専門家ですけれどねえ」
芙蓉の皮肉な受け答えに綿引はちょっと心外に、わたしは仲間に入れないでほしい、いえ、グループから足抜けしたいと思っているんだけど…、とため息混じりに思った。
「今日はお仕事はよろしいんですか?」
「この不況ですからね、あっさり有給が取れまして」
苦笑しながらあまり悩んだところもなく、軽やかな性格の人物らしい。しかしながら顔を曇らせて身を乗り出すように訊いた。
「金森の奴、なんだかひどく悩んでいるような様子でしたが、何かありましたか?」
「それをこちらが訊きたいですね」
紅倉が、こちらは花嫁側のエージェントなので、いささか非難する調子を見せて言った。
「金森さんは穂乃実さんがああなってしまったのを自分のせいだと言っています。どういうことか?、友人のあなたは何かご存じですか?」
「あいつ、そんなことを……」
困った奴だ、と忌々しく、友人を代弁して落ち込んだ調子で言った。
「あいつ、やっぱり瑤子ちゃんのことを…………」
それきり守口はじいっと思い悩むように押し黙ってしまったが、やがて意を決したように顔を上げて話し出した。
「金森は穂乃実さんと出会う前に付き合っていた女性がいたんです。沖野瑤子(おきのようこ)さんというんですが、婚約して、結婚目前というところで……、彼女が事故……で亡くなってしまいまして…………」
「まあっ」
隣で綿引が驚いた声を上げた。
「それじゃ穂乃実の場合と同じじゃない!?」
「ええ…。実は、そうなんですよ……」
口振りから守口が穂乃実と婚約者の光太郎のことを知っていたようなのに綿引は多少ショックを感じた。自分は金森に亡くなった婚約者がいたなど知らなかった。
「別に隠していたわけじゃないんですが」
綿引の空気を察して守口は弁解するように言った。
「おめでたい席で言うようなことでもないんであえて触れなかったんですが。
穂乃実さんは知っていたはずです。似た境遇の二人が引かれ合い、もしかしてただ単に傷つき合った二人が慰め合っているだけじゃないか?って金森は穂乃実さんとおつき合いすることにためらいがある、と僕に打ち明けました。彼女も同じように感じているんじゃないだろうか?、って。それで僕はこっちで、大学卒業後も仕事の付き合いもあったんで学生時代同様頻繁に会っていて…、ああ、僕が看板屋で、あいつは内装屋なんですよ、あいつも一応肩書きはデザイナーでしてね、僕たち長陵(ながおか)国際大学の商業デザイン科出身なんです」
長陵国際大学は同じ新潟県、新潟市から五〇キロほど離れた都市長陵市の郊外にキャンパスを構える外資系の大学だ。
「それで、なんとなく二人の関係がぎくしゃくした感じになってしまったみたいで、そこで僕がおじゃま虫で加わって三人でデートしましてね、愉快に遊び回っている間に二人はお互いの思いを確認し合って、やっぱりこの人といっしょに居たいと、用のなくなったおじゃま虫の僕は呼ばれなくなって、二人でデートを重ねて、結婚を決意したようです。めでたしめでたし。ね?僕が二人の恋のキューピッドを務めたようなものでしょう?」
守口は自慢するように言って、綿引は穂乃実にそのデートに呼ばれなかったことに正直嫉妬した。
「じゃああなたが金森さんの一番の親友なんですか?」
「ええ。そのつもりですよ?」
「それにしちゃあ昨日穂乃実が倒れたとき、他のお友だちは真っ先に駆けつけたのにあなたは悠長にビデオを撮影してましたよねえ?」
「まあね。でも、お役に立ったみたいじゃないですか?」
こうして専門家が来ているのを指しているのだろう。連れてきたのは自分だと綿引はまたムッとした。守口はなんだかライバル視されているようなのに苦笑した。
「倒れたのが金森の方だったら僕も駆けつけましたけれどね。女性ですからねえ、男が何人も群がっちゃあ迷惑でしょう?」
今度はおろおろしていた自分に矛先が返ってきて、綿引はますますムムムとなった。半分専門家みたいなものなのに………。
愉快そうにニコニコしていた守口が、がっくりうなだれてため息をついた。
「二人は、今度こそ幸せになるはずだったのに……、なんでこんなことになっちまったのかなあ…………」
綿引はまったく同感で、守口を見直した。友人のために自分と同じように悩んで落ち込む彼に同志意識を感じた。それにしてもなんで穂乃実は自分にもっと詳しく彼氏のことを話してくれなかったのだろうと不満は残るが。
紅倉はあごに指を当て、首をいささかかしげて、じいっと赤い目で守口を見ていた。
「何か……、含みがあるわね?」
「え?」
守口はポカンとした顔を紅倉に向け、紅倉は守口の心の奥、本人があえて見たくないと思っている部分まで覗いて、指摘した。
「沖野瑤子さんはどういう風に亡くなったの?」
あ、と守口は一瞬眉を痙攣させるように歪めた。
「そこですか……。やっぱり、見るところが違いますねえ…、さすが……」
守口は自分にうなずくようにして、静かな口調で話した。
「そうなんです、瑤子ちゃんの死に方が、金森の心にどうしても消せない暗い……穴…を開けているんです……。
瑤子ちゃんの死は、いわゆる変死です」
綿引はビクッと身を震わせ、芙蓉は目つきをきつくさせまっすぐ守口を見つめた。紅倉は「フンン」と癖の鼻から抜ける声を漏らした。
「皆さんは東京ですよね? じゃあ覚えているかなあ?……、このところ毎年どこかで起こっているんでもう記憶にも残らないかも知れないですけど、四年前の夏、こっちで豪雨災害がありましてね」
どうです?と守口は目で三人に訊き、綿引は地元のことなので「あったわねえ」と答えたが、芙蓉は申し訳ないが正直(そんなニュースがあったわねえ)くらいの記憶しかなく、それもどこの地域のことだったかごちゃごちゃになっている。
「低い土地では車がすっぽり浸かってしまうくらいの水が出たんですが、瑤子ちゃんも……、トンネルの中で冠水にはまって、脱出できずに…………。死因は溺死で……、車の中で相当苦しんだようです……」
守口は思いきり眉間にしわを寄せ、目をパチパチさせ、気持ちを切り替えて三人を見渡して確認するように話した。
「瑤子ちゃんの死は事故で間違いないと思うんですが……、ただ、ちょっと腑に落ちない状況がありまして。
事故に遭ったトンネルはバイパスの下をくぐる、底にカーブしたトンネルで、雨が降れば冠水しやすいところで表にも注意を促す看板が立っていて、大雨の時には自動的に『危険 進入禁止』のランプがつくようになっているんです。その時もランプはちゃんとついていて、見逃すというのはちょっと考えられない状況だったと思われるんですが……。瑤子ちゃんの運転する小型車は既に冠水している所へ突っ込んでいって、エンジンが止まり、脱出できないまま車内に侵入してきた雨水で溺れてしまった……ということのようです。腑に落ちないのは、室内が水でいっぱいになってしまったら窓ガラスを開けて脱出できたと思うんですね。さすがにトンネル全部が埋まってしまうほどの水かさではなかったので屋根の上に避難すれば助かったと思うんですが……。パニックに陥っていて、考える心の余裕がなかったのかも知れないけれど……。実際携帯電話を掛けようとした様子がありました。トンネル内でも通じたはずなんですが、それも結局通信されずじまいで。まあ…、やっぱりパニックになってしまったんでしょうねえ、可哀相に……」
「ずいぶん詳しく知っているんですね?」
「ええ…。その、そのように不審な点があって、事件性が疑われたんでしょう。僕は金森と瑤子ちゃん共通の親しい友人でしたから。警察はその、二人の仲がどうだったか、何かトラブルがなかったか、……瑤子ちゃんが自殺を考えるような事情はなかったか、と……、あれやこれや考えたようですね」
守口は馬鹿馬鹿しいというように肩をすくめた。
「事故ですよ、不幸な。二人は幸せな結婚をするはずだったんだ。事件や、自殺なんて、絶対にあり得ませんよ」
芙蓉は隣の紅倉を見た。先生はどう、視て、いるのだろう?と。
「事故、でしょうね」
紅倉は目が疲れたように瞬かせて関心が薄れた声で言った。
「そうそうね、物事は人の思うようにはならないものよ」
なんだか含みのあるような言い方だが、いつものことだ。
「事故…ですよね、やっぱり……」
守口は自分を納得させるようにうなずき、うなずきながら、また何か苦悩するように眉を曇らせた。
「何か?」
芙蓉が訊くと、守口は迷いながらも実は言いたくて仕方なかったように話した。
「瑤子ちゃんは僕たちと同じ長陵国際のデザイン科の後輩なんです。四年違いで在学期間は合いませんでしたが、その関係の合コンで金森と知り合ったんです。
彼女は服飾デザイン専攻で、卒業後はフォーマルドレスのメーカーに就職しました……つまり、主にウエディングドレスのメーカーです……。彼女は自分のウエディングドレスを自分でデザインして製作も自分でやっていました。……これは、金森も後で知ったことで、仲間内で知っていたのはごくわずか……男では僕一人だったろうと思うんですが……、彼女は明るい弾けた性格の子で、普通のウエディングドレスじゃつまらないと、真っ赤なウエディングドレスを準備していたんです」
綿引がギョッとした顔をして、芙蓉はまた紅倉の顔を窺った。紅倉は目をパチパチさせて、
「あらまあ」
と言った。三人の反応を確認して、守口は言った。
「だから金森のショックは分かるんです。瑤子ちゃんは明るいいい子でした。金森のことをすごく好きで、……あいつを恨んで苦しめるようなことをするわけはない、と、僕は信じます。でも……、それにしちゃあ符号が合いすぎている、というのも確かで……。どう……なんでしょう?」
守口の視線を追って芙蓉と綿引も紅倉に注目した。
「うーーん……」
と紅倉はあまり元気のない声で言って、
「残っちゃった思いとその人そのものはイコールじゃないからねえー……」
と、悩ましげに三人の視線を避けるようにあらぬ方へ視線を向けた。
守口はがっくりと落ち込んで辛そうな声を出した。
「瑤子ちゃんが原因じゃあ、金森の奴………」
可哀相に、と綿引は守口の丸まった背中を見て、自分もため息をつきたくなった。
「でもねえ、そうとは決められないのよ」
再び三人は紅倉に注目した。紅倉はあらぬ方から三人へ視線を向け、こちらもため息混じりに言った。
「瑤子さんの意志も糸の一本ではあるようね。でもね、言ったように、今回の事態は無駄に複雑に糸がこんがらがっちゃってて、慌てて一本を引っ張るとみんな団子になっちゃって、ブツン、てことになりかねないのよね。あー、めんどくさ」
最後は投げやりに、
「まったくもー、どうして結婚てのはこう」
と、ぶつぶつ、また愚痴になってしまった。
「先生」
「分かってるわよ」
フンッ、と紅倉は怠け心を切り捨てて顔をまっすぐにして言った。
「眠れる花嫁は目覚めさせるわよ。ま、出来るだけソフトにね」
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