第4話 花嫁の履歴

 担当の医者がMRI検査の説明に来た。紅倉たちは居ると話がややこしくなるので休憩室に移動した。紅倉と芙蓉と綿引である。

「それじゃあ今の内におさらいしておきますね?」

 昨日も高速道路の道すがら説明したのだが、紅倉はお化け女優の綿引に実際の幽霊はどういう風に見えるかなど余計なアドバイスを面白がってしてくれて、綿引の話を全然まじめに聞こうという態度がなかったので、綿引は説明し直した。

「穂乃実はわたしの高校の時の仲の良かった同級生です。ですから、まあ……、現在二十九歳です……」

 綿引が言葉を濁すのは彼女が独身で、ぜんぜん、結婚に結びつく色っぽい兆候がないからである。考えてみればこんな女子大生崩れみたいな若者たちにへりくだった丁寧な話し方をして、改めてムカッとしないでもないが、残念ながら二人とも超の付く美人なのでそれだけで態度が改まるというか、こちらが勝手に気持ちをいじけさせてしまう。

 えい、穂乃実のためよ!、と、綿引は勝負を挑むつもりで強い表情で二人に話した。

「彼女はあの通り美人ですから、男子たちにもてたんですが、思ったほどもてませんでした」

「どっちなんです?」

 とさっそく芙蓉が質問をはさんだ。

「すごーく美人の割りには、すごーくはもてなかった、というところです」

「あ、先生の同類ですね」

 断定的に納得する芙蓉に紅倉がむくれ、綿引は続きを話した。

「どことなく影があって、言い寄ってくる男どももなんとなく(あれ?)っていう感じで、フェードアウトしていっちゃうんですね。いっしょにいるとなんとなく気まずいような、空気が沈みがちで、ま、嫉妬もあったんでしょうけれど女子の友だちもあまり多くはありませんでしたね。わたしはたまたま席が近くて、仲が良かったんですけれど」

「フンフン」

 芙蓉に至極自然にうなずかれ、なんとなく綿引は面食らった。戸惑ったように言葉の止まった綿引に、

「綿引さんと波長が合ったんですね? 穂乃実さんのキャラクターがよーく分かりました」

 と芙蓉が真顔で言い、綿引は(どういう意味よ?)と内心思ったが、話が脱線しそうなので口には出さず話を続けた。

「穂乃実とは二年三年といっしょのクラスで、卒業と共に別れて、わたしは女優になりたくて東京の専門学校に、彼女は地元の国立大に進学しました。昨日花嫁側の友人で来ていたのは職場……デンシバの地方子会社のオフィス勤めで、同僚の男女八人と、大学時代の友人の女子四人でしたが、高校時代の友人はわたし一人でした。大学時代の友人四人とはわたしも以前から顔見知りです。わたし、こっちに帰ってくると必ず穂乃実に会うんで、何回かいっしょにお食事会をしたりちょっとした旅行に行ったりしています。えーと、二人は地元出身で、二人は大学卒業してそのままこっちに就職しています」

 「ふうーーん」と軽い声を出して紅倉が質問した。

「本当に仲のいいお友だちなわけね?」

「ええ」

 綿引は嬉しそうにうなずいた。

「大学に行ってから穂乃実は変わったようです……いい方に。明るく、積極的になって、わたしなんかよりずっとおしゃれにあか抜けて。紹介されるお友だちも明るく楽しい人たちで……、なんだかわたしは穂乃実がわたしとの友情なんかどうでもよくなっちゃってるんじゃないかって不安を感じたりもしたんですが、そんなこと全然なくって、さっき言ったとおりわたしも皆さんとお食事したり、旅行行ったり、なんて言うかな、みんな裏表のないいい人たちで、ああ、穂乃実はいい環境にいるんだな、ってほっとしました」

 ふむふむとうなずいて、紅倉は質問する。

「穂乃実さんが明るく変身したのはいいお友だちに恵まれただけ?」

「あ……」

 何気なく鋭いところを突いてくる紅倉の質問に、綿引は感心しつつ切ない気持ちになってしまった。

「いえ…………。穂乃実は……、恋をしたんです……。その恋が、穂乃実を明るく綺麗に変身させたんです……」

「その恋は、幸せなものだったんでしょう?」

「ええ……。そうだったと思います。」

 綿引は思わず切ない泣き笑いのような顔になってしまった。そうだ、穂乃実は幸せだったのだ。それを否定するようなことを思ってはいけない。

「同じ学部の同級生で、時間が経つに連れて自然と付き合うようになっていったみたいです。彼女が三年生の時、電話で話しながら『わたし、好きな人が出来ちゃったみたい』って恥ずかしそうに報告した穂乃実の声は、聞いているこっちまで幸せな気分になるようでした」

 話しながらその声を思い出し、綿引は思わず目頭が熱くなった。

「その頃わたしはもう演劇の専門学校を出て、一応芸能事務所に所属してぼちぼちエキストラの仕事なんかしていたんですけれど、なんだかんだでこっちに帰ってくることが多くて」

 収入が圧倒的に足りず、餓死するのを避けるため実家に避難してくることが多かったのだ。新幹線なんてもってのほかで、青春18切符の発行期間を狙って在来線を乗り継ぎ、その時期以外はヒッチハイクで。その頃から既に「道ばたに恨めしげに立つ女の幽霊」に間違われることしばしだった……ような気がしてならないが……。つまらないことを思い出してしまったと頭を話に戻す。

「こっちに帰ってくると必ず穂乃実に会って、ごはんをおごってもらったりしていたんですけれど…、たまたま都合が合わないで彼氏には会えずじまいで。穂乃実もわたしに紹介したがって残念そうにしていたんですけど、彼氏の方が遠慮していた節があって、ずいぶんシャイな人だったみたいです。無理やりにでも会わせてもらうんでした」

 本当にそうすれば良かったと思う。

 芙蓉が訊いた。

「その彼の名前は?」

「ああ…。鳴海光太郎さんと言いました。穂乃実といっしょに写った写真は見せてもらいました。ちょっと頼りない感じでしたけれど、髪のさらっとした、爽やかな、いかにも優しそうな人でした」

「それで」

 紅倉が訊く。

「彼に何が起こったの?」

 綿引はヒクリと胃が痙攣を起こし、体内を冷たい物が走る感覚を覚えた。あの時も電話だった。綿引は「幽霊女優」として徐々に指名の仕事をもらえるようになって、あの時も、夜のロケ先のホテルで穂乃実のメールに応えていそいそと携帯に電話し、穂乃実の声を聞いたのだ。綿引も奈落の底に突き落とされたような気がして、彼女の側に行ってあげられない自分を呪わしく思った。なんとも馬鹿げたことにその時綿引は青白い幽霊のメークのままで、電話を切ったあと鏡で自分の姿を見て、情けなくてわんわん泣いてしまったのだ。

「彼が………、自動車事故で亡くなったんです………。」

 綿引はその後しばらく言葉が継げず、芙蓉が同情的に

「それはお気の毒でしたね」

 と言い、綿引はうなずいて、話を再開した。

「彼はお隣、長野県の人で、大学卒業後こちらの会社に就職したんですけれど、長野の支店に人が要るというので入社二年で出身地の長野支店に移動になったんです。それからは穂乃実とは週末の通いデートで。二人とも車を持っていましたが、主に光太郎さんがこちらに通っていたようです。山道があって危険だから、って………。その、金曜の夜にこちらへ向かう途中で、山道のカーブで事故を起こして……、それで…………。

 二人は結納を済ませて、式の日取りの調整をしているところだったんです。これから結婚の準備であれやこれや一番楽しい頃だったでしょうに………」

 綿引は今でもその頃の穂乃実の「声」を思い出すと辛くて、落ち込んでしまう。なんとも間の悪いことに綿引はその頃ちょうど忙しく、しばらく穂乃実に会いに行けなかったのだ。もう新幹線の指定席だって買えるくらいお金は稼げていたのに……。

 ふうーん…と鼻から声を漏らしながら紅倉が訊いた。

「事故は、えっと、光太郎さん?が自分で起こしたのね?」

「はい。なんでも事故の多いカーブだそうで、何度も通っていて気を付けていたと思うんですが……」

「好事魔多し。幸せな二人に運命が嫉妬したのかしらね?」

「はあ………」

 そんな意地悪をする運命の神がいるなら、ひっぱたいてやりたいと思う。

「穂乃実のショックはそりゃあもうひどいものだったようです。大学時代のお友だちに聞いたんですけれどね、目を離すとふらっとどこかに死にに行くんじゃないかって気が気じゃなかったそうです」

「それはいつ頃の話です?」

「四年前です。ちょうど『本当にあった恐怖心霊事件ファイル』が始まった頃です」

「ふうーん。まだわたしがいない頃だ?」

 と紅倉が言ったのは、紅倉がこの世に登場するのはおよそ二年前であるので、その頃のことは紅倉も、もちろん芙蓉も、知らない。番組において再現ビデオの幽霊女優綿引や自称美人霊能師の岳戸由宇の方が開始当初からのずっと古株なのだ。

「それで?」

「はい。わたしが穂乃実に会えたのは光太郎さんが亡くなって一ヶ月後のことで、もうとっくにお葬式も済んで、結婚の話も何もかも済んでしまっていて。穂乃実はわたしを見て『ああ、京子ちゃん、来てくれたんだ』って笑ってくれましたけど、もう、なんというか、痛々しくって。なんだか姿がすーーっと後ろに透けていきそうな感じで……」

 綿引は自分の十八番の「お化け」に例えながら、我ながらイメージが全然違うと思った。自分はあんなに透明で綺麗な幽霊はやらせてもらえない。ちなみに「綿引響子」は芸名で、本名は渡辺京子という。

 芙蓉が真面目な優しい声で言った。

「穂乃実さんは、綿引さんにとって本当に大切なお友だちなんですね」

「え……」

 綿引は何故急に芙蓉の声が改まったのか分からなかったが、気づくと、じわりと視界が歪んで、ぽろりと涙がこぼれた。

「え、ええ、とても大切な友だちです」

 綿引は泣きながら笑って話した。

「高校時代、わたしが女優になりたいって言ったら、穂乃実だけは笑わずに『すごいわね。大変そうだけど、いいわね。羨ましいわ』って言ってくれたんです。本気で好きになれることがあって羨ましいってことだったと思います。『わたしがファンになるから、頑張ってね』って励ましてくれて。その言葉はずうっと変わらずに、いつもわたしを励ましてくれました。わたしの、一番大切なお友だちです」

 言いながら、綿引は嬉しくなってきた。そういう友だちを持てた自分は幸せだと。なんだかすっかりテンションが上がってしまって、芙蓉も紅倉もニコニコ笑って眺めていた。

「ずいぶん長く穂乃実は光太郎さんのことを引きずっていました。冗談ぽく『もう恋はこりごり』なんて言ってましたけど、本当は全然ショックから立ち直れないで、新しい恋に向かう気力がないっていうか、怖かったんだと思います。穂乃実は美人ですから、周りにも好意を見せる男性はきっといたと思うんですが……、すっかり高校時代の暗い感じに戻ってしまったようで、やっぱり男性を受け付けない雰囲気だったんじゃないかと思います。

 ところが。

 ついに穂乃実の暗い心の殻をうち破る王子様が現れたんです!」

「それがお相手の金森史哉さん?」

「そうです!

 二人の出会いは……、半年くらい前のようです」

「あら? 今回はずいぶん早いゴールインですね? 史哉さんって押しの強い人なんですか?」

「ええーとおーーー……?」

 綿引も考えた。金森史哉はあの通り背の高いスポーツマンタイプで、穂乃実とはお似合いの美男美女カップルであり、史哉もきっと女性たちにモテモテだったに違いない……ように思うのだが……………。

「うう〜〜〜ん……」

 綿引は紅倉の真似をして唇に指を当てて考えた。そして自信なさそうに芙蓉に視線を向けて訊いた。

「どう……思いました?」

 芙蓉が答える前に横で紅倉が手を振って言った。

「あー、無理無理。美貴ちゃん、男には全然興味ないから」

 紅倉の茶々に芙蓉はつんとして答えた。

「男としてはまったく興味ありませんが、クライアントとしては一応観察しています。

 綿引さん」

 綿引に真面目な目を見つめ合わせて芙蓉は答えた。

「もしかして、大事なお友だちの穂乃実さんと同じ印象を感じたんじゃありませんか?」

 綿引は自分の考えの裏付けを得られて自信を持ってうなずいた。

「そうなんです。わたしが知っているどことなく暗い影のある穂乃実と、史哉さんは、同じ種類の人間のような気がするんです……。もっとも、こんな事になる前はそんなこと思いもしませんでしたけれど。二人とも明るい幸せいっぱいの笑顔をしていましたから。

 史哉さんとの出会いを穂乃実は、

 『運命みたいだわ』

 って言ってました。

 二人の出会いの本当のところは親友のわたしも聞かせてもらってないんですけれど。

 二人が出会ってから、穂乃実にしては驚くくらい早い時期に結婚を決めたのは、よっぽど二人の波長が合ったからだと思います」

「運命の相手……ですか」

 芙蓉はつい皮肉な見方をしたくなるのを自分でいさめて、隣の紅倉に視線をやって尋ねた。

「二人には何か、結ばれるべき因縁があったんでしょうか?」

「どうかしらねえー」

 紅倉はあまり乗り気でないような声を出した。

「最初から決まっている運命なんてね、たいていろくなもんじゃないわよ」

「あらまあ」

 芙蓉は苦笑いを浮かべて横目で睨んだ。紅倉は気づかないふりをして言う。

「人生が何かに支配されているなんて、思いたくもないじゃない? それに、」

 紅倉は白けたような顔で視線を外して言った。

「それじゃあ光太郎さんは穂乃実さんが本当の運命の彼に出会うために死ななければならなかったってことになっちゃうじゃない?」

 紅倉の指摘に芙蓉も綿引も気まずい表情になった。

「確かに、それは思いたくもないですねえ」

「そ。」

 紅倉はさっぱりした顔で断定した。

「だからね、『運命の恋』なんてのは、舞い上がった当人たちの単なる思い込みなのよ」

「それはまた、身も蓋もないですねえ」

 呆れたように苦笑しながら、芙蓉も綿引も心が軽くなった。

「さってっとおー」

 紅倉が額の横をコツコツ指先で叩いてデータを納めながら言う。

「せっかくそんな『運命の恋人』に出会えたのに、穂乃実さんはウエディングドレスが真っ赤に染まる怪現象に遭遇して、魂が肉体から失踪してしまった、と。彼女自身何かそうなってしまう原因を抱えていたんでしょうけれど……」

 紅倉に視線を向けられて綿引は『分かりません』と首を振った。

「フム…。彼女もそうなんだけど、彼氏の方も問題ありそうね?」

 綿引も芙蓉も思い出す。病室を去る前、彼氏、金森史哉は、呆然とした面もちで「僕のせいだ」とうめくように言い、立ち尽くしていた。

 何が、「僕のせい」、なのか?

 どうやらMRI検査の説明は長引いているようで、当の史哉がここに来ることになっているがまだ来ない。

 コツコツ、と開きっぱなしのドアの柱をノックして、同年輩の男性が立っていた。

「こんにちは。金森に皆さんがこちらにいるって聞きまして。僕も混ぜてもらっていいですか?」

 ノーネクタイのラフなジャケット姿で、丸眼鏡を掛けた老けた魔法少年のような男性だが。

「えーと……、じゃあ金森さんのお友だちの方?」

 綿引がそういえば昨日の新郎側の友人たちのグループにいたような……と思っていると、丸眼鏡は呆れたような、がっかりしたような顔をして、しょうがないなあと苦笑して言った。

「あなた、昨日僕からビデオカメラ強奪していったじゃないですか? ちゃんと返してくださいよ?結婚式のために買ったばかりの新品なんですから」

「あ、」

 綿引は口を丸く開け、

「失礼しました」

 と頭を下げた。綿引が恐縮した顔を上げると、丸眼鏡氏は愉快そうにニコニコ笑っていた。

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