第2話 先生、助けてっ

 綿引響子わたびききょうこは初めて訪れたお屋敷の様子に

(まあっ、式場より豪華だわ)

 と、驚くというか、呆れ返った。

 噂には聞いていたのだけれど。

 都内某高級住宅街に広大な敷地を占める紅倉美姫べにくらみきの居宅である屋敷である。高い白壁の塀に囲まれ、そのままふすま絵になりそうな松の庭に囲まれ、老舗温泉旅館のような廊下の長い平屋の邸宅が寝そべっている。

 紅倉個人の持ち物ではなく、紅倉のスポンサーの某大物政治家の隠し財産であるのをただ同然の家賃で借りているということだが。

 黒い高級革張りのふかふかソファーに待たされ、きょろきょろ高級ホテルのラウンジみたいな応接間で落ち着かずにいると、しばらくして主たる紅倉が同居するパートナーの芙蓉美貴ふようみきに手を引かれてやってきた。

 紅倉は赤い目をしていた。

 紅倉は現代最強と評される霊能力者である。綿引も何度も見ているが紅倉は霊能力を発揮するとき目が赤く充血し、普段紫と緑が入り交じったような不思議な色をしている瞳が赤く輝く。

 勘の鋭い紅倉のこと、既に綿引の突然の訪問を察知し、その用件についても既に「霊視」を行っていたのか?

 紅倉は、

 ブーーン、とティッシュに鼻をかみ、芙蓉にくずかごに捨ててもらった。ぼうっとした顔で、

「やあねえ、花粉症」

 と言った。グジュッと鼻をすすり上げ、どうやら目の充血も花粉症のせいらしい。

「こんにちは、先生。突然押し掛けてすみません」

 綿引はいささかがっかりしながら立ち上がって挨拶した。

「あ、いえいえ、どうせ引きこもりで暇だから」

 と紅倉は愛想良く笑い、

「なんですかとても華やかな装いをしてらっしゃるそうで」

 と楽しそうに綿引を眺めた。紅倉は目がひどく悪く、綿引の姿はぼうっとした薄いシルエットにしか見えていないはずだ。

「ええ、まあ」

 と綿引は苦笑いを浮かべながら自分の黒と紫のパーティードレス姿を両手を開いて披露した。頭も美容院でアップにセットしてもらっている。ちょっと弾けて派手めに着飾って、まさかこういうことになるとは思わず、とにかく新幹線に飛び乗ってここまで駆けつけたので道中かなり人目を引いて恥ずかしい思いをした。

 だがそんなことにかまっていられない状況なのだ。

「どうぞお座りください」

 と紅倉はソファーを手で指し、

「失礼します」

 と綿引が座ると、紅倉は

「あうっ」

 とテーブルにスネをぶつけて前のめりに転びそうになり芙蓉に素早く腕を取られて支えられた。

 痛い!、これは痛いぞ!、と思ったら、テーブルの縁は厚いゴムを巻かれていた。

「はいどうぞ」

 と芙蓉にソファーに座らされて、綿引は、この先生は自分の家でもこうなのか、といささか不安になった。

 お茶でもと言う芙蓉をとどめて綿引は火急の用件を切り出した。

「わたし今日、地元の友人の結婚式に出席していたんです」

「ああ、それでその素敵なお衣装?」

「そうなんです。ところがそこでたいへんなことが起きてしまいまして。あの、ビデオ、見られます?」

 綿引は出席者からぶんどってきたビデオカメラを出して芙蓉に訊いた。

「つなぎます」

 芙蓉はラックからUSBケーブルを出して60v型テレビにつないだ。芙蓉に顔で訊かれて綿引は

「すぐに出ます」

 と答えた。どさ回りの女優のような綿引は同年代の一般女性より少しはカメラに詳しい。新幹線の中で問題の映像が映っているのを確認してその部分の少し手前からインデックスを作成してある。

 芙蓉がPLAYボタンを押すとテレビのブルーの画面にパッと明るく聖堂のドアが映った。

 ドアが開き拍手に迎えられて照れながらも満面の笑みを浮かべた新郎新婦が現れた。画像は白が潰れがちだったが明るく大画面で見てもきれいに撮れている。それにしてもこのサイズで普通の大きさに感じてしまう部屋の広さに改めて呆れてしまうが。

 揃って階段を降りだした花嫁を異変が襲う。

 花嫁は何かに気づいて立ち止まり、何か慌て出す。なに?と怪訝そうな花婿。

 花嫁はブーケを花婿と組んだ右手に持ち、左手でしきりと自分のドレスの腹やスカートを払うようにした。

 花嫁が何を気にしているのか分からなかったが、じきに、純白のドレスがうっすらピンク色に変化してきた。広く全体を撮していたカメラが花嫁にズームする。

 ピンクが、濃く、赤くなっていき、花嫁は怯えて泣きそうな顔になっている。花婿も異常事態に気づき、花嫁を守るように抱きしめ、階段の下からも友人の若い男性たちが階段を上がり、二人を守るようにして聖堂の中へ戻るよう誘導した。

「きゃあーーーーっ」

 と悲鳴が上がり、花嫁の姿は男性たちの姿の向こうに消えた。

 画面がぶれる。足下に赤い色を見つけてズームする。手ぶれ機能も追いつかないほどアップの画面が揺れ、しかしその中で、花婿に抱き起こされ気を失ったようにぐったりした花嫁の顔が見受けられた。

 花嫁のドレスは濃い赤に変化している。

 花嫁は花婿に抱き上げられ、友人たちに守られながら聖堂の中へ連れていかれ、式場のスタッフが慌てて後を追い、観音開きのドアは急いでお辞儀をするスタッフによってしっかりと閉められた。

 カメラは切り替わり、ざわざわがやがやと今の異常現象を確認し合うお客たちを撮した。


「というわけです」

 芙蓉はいいとして、

 綿引は自分たちと同じ物は見えていないだろう紅倉に不安そうに訊いた。

「先生、これはいったい……、なんなんでしょう?」

 綿引の問いに、

「ふうーーん……」

 と、紅倉は顎に人差し指を当て可愛らしく首を傾げるお得意のポーズを取った。

「なんだかよく分からないけど、結婚って面倒くさそうねえー」

 と、紅倉はとんちんかんなことを言った。

 綿引はグイと身を乗り出し恐い顔で尋ねた。

「先生。真面目に考えてます?」

 ん?と紅倉は目をクリッとさせてニッと白い歯を見せた。

「実はあんまりよく分かんない」

 と言い、むっとする綿引に怖そうな首をすくめ、改まって冷めた目になって言った。

「よく分からないというのは本音。結婚が面倒くさそうだというのもそう。これは、

 呪い、

 なんでしょうけれど、正体がよく見えないわ」

「呪い!」

 綿引はびっくりしたように声に出し、さすがと紅倉を見直した。

「実は先生のところに駆けつけたのは式場でその言葉を聞いたからなんです。

 『呪い』

 と」

 紅倉は合わせた指先を顎に当て、今ひとつどこを見ているんだか分からない目で綿引を見、芙蓉は再生を続けるカメラを床に置いて紅倉のとなりに座り、真剣な目で向かいの綿引を見つめた。

 綿引は二人に頷いてみせ、言った。

「ご覧の通りその後庭園はすっかり混乱状態で、式場のスタッフが聖堂を出入りして上の人を呼んできたようですが、わたしたちには『すみません、今しばらくお待ちください』と頭を下げるばかりで、花嫁のお父さんお母さんだけ呼ばれて聖堂に上がっていきました。あ、この二人です」

 テレビには男性スタッフにどうぞと手で案内され礼服の男女が階段を上がりドアの中へ入っていった。後ろ姿でよく分からないがやはり相当うろたえているようだ。お父さんは背が低く恰幅がよく、お母さんは細くお父さんより背が高い。

 取り残された庭園の親族招待客たちはさわさわと遠慮がちに何ごとが起こったのだろうと囁き合った。

 そのざわめきの中で、

 テレビのスピーカーから、


『呪いだ』


 と声が聞こえて、芙蓉は思わずビクッと体を震わせた。

 硬く、怒ったような調子で、しわがれて、年輩の女性の声だ。

 声の主はカメラの背後に位置していたようだが、それっきり声は聞こえない。画面はそのままなんの工夫もなく花嫁の消えた聖堂の階段をバックに庭園のお客たちを撮し続け、カメラマンはどうやらその声に気づかなかったらしい。

 怖い声だが、

「幽霊の声ではありませんね?」

 と芙蓉は紅倉に訊いた。

「違うわね。お婆ちゃんみたい」

 芙蓉は心当たりはないかと綿引を見た。

「わたしも新幹線の中で改めてチェックしていてゾッとしたんですが」

 と、綿引はゾッとした顔をしたが、こういう普通のメイクでは「いつも」のようにはゾッとしなかった。

「この時わたしは、ほら」

 階段の下に花嫁を待ち受けていた紫色のドレスの綿引が、何か腑に落ちないような顔で二度三度とこちらを振り向いて、カメラに気づくとつかつかやってきて、

『ちょっとこれ、貸して』

 と手を伸ばし、画面が大きく揺れ、

『え?何?』

 と言う男性カメラマンの抗議の声を最後にビデオは終わった。デジタルメディアのデータで、プレイが終了するとインデックスのサムネイルが並んで表示された。

「わたし、『呪い』って言う言葉が聞こえたような気がして、このカメラマンの、新郎の友人や、周りの人にそれとなく訊いてみたんですけれど、誰も気づかなかったようです。わたしも気のせいだったかなと半信半疑だったんですが……」

 空耳ではなかったわけだ。さすが職業柄この手の言葉には敏感なのだろう。

「この声、はっきりとは言えませんが、多分、穂乃実……花嫁のお祖母さんじゃないかと思います。花嫁が倒れる前も式の間ずっと不機嫌な怖い顔をしていましたから……、かわいい孫の結婚式なのにどうしてこんなに不機嫌な顔をしているんだろう?って不思議に思っていたんです。可愛がりすぎて、よその家にお嫁に出すのが惜しいのかとも思いましたが……どうもその、穂乃実とはあんまり仲がよくないようで……。それに、どうもちょっと痴ほうの気があるようなんです……」

 と、綿引は大事な友人の家族を悪く言うのに心苦しい顔をしながら報告した。紅倉はふむふむとうなずいた。

「多分そのクソババアに間違いないでしょう」

 綿引は困って言い訳した。

「わたしそんな風には言ってませんよ?」

 内心ムッとしていたのは事実ではあるが…。

「さっき友人に電話して確認しましたが、花嫁は救急車で病院に運ばれて、その後の容態はよく分かりません。どうもまだ意識が戻らないようで……。ねえ、先生」

 綿引は深刻な顔でじっと紅倉を見つめた。

「やっぱり穂乃実が倒れたのは何かの霊現象なんですか? 余興のマジックでもあるまいしウエディングドレスが突然真っ赤に染まって意識を失うなんて、普通じゃありません。ねえ、先生、花嫁を、穂乃実を助けてください!…」

 綿引は手を握らんばかりに身を乗り出して紅倉に頼んだ。紅倉は。

「う〜〜〜〜〜ん……。

 ……面倒くさい」

 と、実に薄情なことを言った。芙蓉がジロリと冷たい横目で睨む。

「だってえ〜〜…。遠いんでしょう?」

「新幹線でたったの2時間ですよ?」

「どこ?」

「新潟県新潟市です」

「裏日本」

「えーえー、どうせ、表の太平洋の、裏、の日本海の都市ですよお〜」

「都市い〜〜?」

「はいはい、どうせ、地方の田園都市です。先生は華やかな大都会がお好きでしたか?」

「嫌い」

「…………せんせえ〜……」

 綿引はぬうっと恨めしそうな「お化け」の顔で紅倉に迫った。

「そんっなに、嫌なんですかあ?」

 紅倉は顔を背け、

「怖いじゃない」

 と、迷惑そうに白々しく言った。綿引は

「へえ〜〜え〜? 確かわたし、先生には一つ貸しがありましたよねえ?」

 ソファーにまっすぐ座り直すと冷たい目で見下すようにした。紅倉は

「さあ? なんのことかしら?」

 ととぼけたが、正直に「ギクリ」と痛いところを突かれた顔をした。

 綿引響子は紅倉の出演する心霊オカルト番組「本当にあった恐怖心霊事件ファイル」御用達の幽霊女優である。番組で視聴者の体験談の再現ビデオが流れ、女の幽霊が出てくると八割方綿引が演じいている。またか、とほとんどお約束のギャグになっているが、内容がかなり怖いので精神的なクッションになってちょうどいい。

 実に幸薄そうな貧相な顔立ちをしている。

 本人も自分の地味さを十分自覚していて、本格的な舞台女優を目指しているが、演技力もほどほどで、たまに普通のメイクで二時間サスペンスの旅館の仲居さんなどをやると決まって、「ああ、あの幽霊の人だ」と笑われる。時代劇で斬られ役をやって「おのれ、この恨みけっして忘れはしない」などというセリフを力を込めて迫真の演技をすればするほどギャグになってしまう。制作側もそれを狙ってクスクス笑っている節がある。

 「幽霊」に祟られている、と、本人はたいへん悔しい思いをしている。

 さて紅倉が綿引に「借り」があるというのは、

 この二月に恐ろしい「つららの杭」事件があったが、それを解決するために紅倉は綿引に「ひどい役」を演じさせたのだ。本人には事後承諾の形で、それがすなわち綿引の紅倉への「貸し」なのである。

「せんせえ〜〜」

 と恨めしそうに迫られて紅倉も

「はいはい、分かりました。行けばいいんでしょ行けば」

 と降参した。

「でもお〜…」

 と助けを求めるように芙蓉を見た。

「はいはい、車でお送りいたします」

 紅倉は人混みに紛れるのも、狭いところに長時間他人といっしょに居なければならないのも大の苦手なのだ。

「車だとどう行ったらいいですか?」

「車だと関越道で五時間くらい掛かりますよ?」

「じゃあ七時間見ておけばいいですね」

「ゲロゲロ〜」

 紅倉が公共交通機関を使わないのは決定事項のようだ。

 綿引はおしゃれな腕時計を見て考えた。

「もう五時を過ぎちゃいましたねえ……。日曜で夕方のラッシュもそうひどくはないと思いますけど……」

 友人が心配で気が急く綿引は未練たっぷりに言ったが、芙蓉は、

「それじゃあ急いでもしょうがないですから、夕飯を食べてから出かけましょう」

 と、紅倉同様譲る気はない。やっぱり先生第一なのだ。

「どうせ夜中じゃ病院の花嫁さんにも会えないでしょう?」

「ええ……。先生。穂乃実は大丈夫でしょうか? 急がないとそのまま意識が戻らないで死んじゃう……なんてことはありませんか?」

 紅倉はまじめに考えて、答えた。

「すぐに危険な状態にはならないでしょう。長引けばやっぱり危ないけど……。ま、一日二日は平気よ」

「それじゃ、夕飯の準備しますね」

 芙蓉が部屋を出ていくと、綿引は紅倉と二人きり、途端に気まずい重い空気になってしまった。紅倉もそれを感じて、フレンドリーに話し掛けてきた。

「綿引さんの守護霊は江戸時代の農民一揆の罪で一族皆殺しにされた若い娘さんね」

 綿引は、実に自分らしいと思ってげんなりした。

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