1-14.魔王容疑者第一号

 翌日、オークの里から俺たちは出発した。


 例の木々が避けていく不思議な魔法だが、どうやら森の精霊ドライアドとの契約で使えるらしい。ドライアドと言えば緑の肌の美女というのが定番なので期待したが、お目通りはかなわなかった。残念。

 馬車に揺られながらミリアム先生が話すには、この世界の精霊は八百万の神々の使い、という立場らしい。各地域に根付いている駐在員みたいなものか。


 そんなことを聞いたあと、俺は思い出した。

「なぁ、ミリアム。オーガの討伐を引き受ける時、何か言いたそうだったけど?」

 ミリアムはしばし考え込んでから答えた。

「あなたとオークが仲良くなるのは良いことよ。でも、全部のヒト族があなたみたいじゃないわ」

 なるほど、そういうことか。


 純朴な彼らを騙したり、奴隷にしたりする者は必ずいるはずだ。トゥルトゥルなんて、オークの姫君を食べる気満々だったしな。

 俺以外の人間には気をつけろ、と忠告すべきだったか。

 書き置きでも残しておきたかったが、オークの里からは既に数十キロ離れてる。アイテムボックス転送の範囲外だ。彼らの慎重さに賭けよう。


 もうひとつ、彼女に頼みがあった。

「ミリアム、皆の鑑定をしてくれないか?」

 二つ返事で引き受けてくれた。


 グインはレベルが三つ上がって十三だった。魔族襲来で活躍したし、オーガも仕留めたからな。

 トゥルトゥルもレベルが一つ上がってた。レベル六の斥候スカウト。職業は初めて知った。盗賊シーフじゃなかったのか。まぁ、最近は森で狩りをするばかりだしな。

 他の非戦闘員も、それぞれの職業、執事・職人・メイドとしてレベルが上がってた。こっちはレベルアップで何が変わるのかよくわからないが、ギャリソンの作る料理はますます美味しくなってるからいいか。


 エレは「生後半年」となっていた。人間ならまだ赤ん坊だが、すでに大型犬並みのサイズだ。

 これ以上育つと、アイテムボックスから出せる場所が限られるな。


 ミリアムに礼を言う。聞けば、彼女もレベルが二つ上がって十四になってるそうだ。やはり魔物とのバトルは大きい。


 そして、キウイは自己申告した。レベル五になって、アイテムボックスの数が二十五個、総容量は約15立方メートルに増えた。これならアリエルの沐浴用の水を沢山用意し、頻繁に取り換えることができそうだ。

 空間魔法の呪文は「遠話」を会得したが、これは役に立ちそうだ。実際に会ったことのある相手なら、世界中どこにいても話せるらしい。仕組みとしては、声の振動だけを伝える小さな亜空間ゲートを、お互いの口元と耳元に出現させるらしい。遠隔視の音声版といった感じだ。


 それなら、ペイジントンで別れたザッハに近況報告するか。いやその前に、オークの里の族長に他の人間を警戒するように警告する方が先だな。

 キウイの同時通訳が使えるかどうか気になったが、うまくいった。そうして分かったのだが、族長らは元から人間界と距離を置く方針で、それは変えるつもりはないという。

 先日の政権闘争は、オーガに狩場を奪われた為に、人間界を襲って食糧を得ようとする過激派によるものだとか。危うく、RPG的な魔物種族に堕落するところだったようだ。

 また遊びに行くと約束し、俺は遠話を切った。


 さて、次はザッハだ。

『ザッハ、ちょっと良いかい? タクヤだ』

『なに? タクヤ? 兄ちゃんなのか?』

 相当、驚かせてしまったようだ。


『キウイが新しく覚えた魔法でね。あ、小声で話しても十分伝わるよ。一人で喋ってると変に見えるだろ』

『……お、おう。今ちょっと周りの視線が痛かった』

 俺はザッハとしばし情報交換した。


『じゃあ、復興は順調なんだね』

『うむ、一か月もすれば、中央通りの店の半分は営業再開できるだろう』

 聞けば、建築用の魔法もあるらしい。被害にあったのは富裕層の店や屋敷ばかりなので、高額の魔法を駆使できるため、復旧が早いようだ。

 これが貧民街に被害が出ていたら、酷いことになっていたはずだ。


『ところで、こっちじゃ話題もちきりだぜ、泣き虫勇者さん』

 頭痛がしてきた。

『途中で寄った宿場町で聞いたよ。勘弁してくれ』

『勇者の正体は誰か? 情報提供者に金貨百枚! なんてのが太守から出てるぜ』

 おいおい。

『チクっちゃおうかな~?』

『オッサン、いっぺん死んでみる?』

 がはは、と笑い声が響いた。突然笑い出したザッハが、向こうで正気を疑われないだろうか。


『しかし、そのようすじゃ魔族に関しての情報は、兄ちゃんも今のところ何もないんだな』

『ああ、今のところはね。ただ、西の国を離れる人が増え、向こうに行く人が減ってるようだ』

 旅人のほとんどは商人だ。商人ギルドには何か情報があるのかもしれない。


『わかった。こっちのギルドに当たってみるわ』

 よろしく頼むよ、と伝えて遠話を切った。

 馬車は順調に走り、魔物や山賊の襲撃もなく、一見すると平和そのものだ。山賊は騎馬のグインを恐れて近寄らないのだと思うが、魔物はどうなんだろうか?


 今の俺たちなら、相当手ごわい魔物でも撃退できるはず。襲い掛かってくれれば退治するチャンスだ。そんな考えから、あえて馬車はゆっくりと、人が小走りするくらいの速度で走らせている。それでも、キウイの探知能力に引っかからない。


 ――先日のペイジントン襲撃で、ここいらの魔物が在庫一掃されたのならいいんだけど。単に魔族を倒した俺たちを恐れてるだけだと、しばらくしてまた暴れ出すかもしれない。


「なぁミリアム、魔物をおびき寄せる魔法とかないのかな?」

 俺の問いかけに、ミリアムは薄い目になった。

「バカなの?」

 どこかのキャラと被ってるな。

 さらに追い打ちが。

「なんでそんな厄介なものを必要とするのよ」

 そりゃそうだ。でも、魔物が増えているなら減らしたいし。こちらから探すのは時間がかかるし。

 何かいい方法はないものかな。


 そうこうするうちに、馬車は国境へ近づいてきた。

 俺たちが出発したペイジントンはホーエン伯爵領の領都だが、この領地はアストリアス王国の西の端に位置するという。つまり、伯爵領が終われば西の国だ。正確にはルテラリウス帝国。ミリアムによれば、百年前に魔王を倒した勇者が築いた国だという。すげえな勇者。


 ちなみに、その百年前の勇者を召喚したのもアストリアス王国なのだが、当時はこちらが帝国で、つまり皇帝がいたらしい。領土も北のエルトリアス公国と東のオレゴリアス公国を合わせた広大なものだったという。

 ところが、魔王との戦いで皇帝が戦死し、三人の息子が分割して受け継いだ。長男が受け継いだのがアストリアス王国で、ここが勇者を召喚したわけだ。


 以上、ミリアム先生の受け売りだが、なるほど当時は未曽有の国難で、止むにやまれず勇者を召喚したのは本当らしい。その勇者は魔王に支配されていた西の国々を解放し、自ら皇帝に即位して統治したわけだ。さすがは本物の勇者だ。

 だが、今回はどうなのだろう?


「ミリアム先生に質問」

「なによ」

 いや、真面目な質問なんで、お願い睨まないで。

「魔王復活は国王が宣言しているけど、勇者召喚が秘密なのはなぜ?」

 ミリアムの目が怖い。俺、ひょっとして地雷を踏んだ?


「……あなたの召喚が失敗だと見なされたのもあるけど、本当はね、まだ勇者召喚を行う条件が満たされていないからなの」

 恐る恐る、俺は聞いた。

「それってつまり、違法召喚ってこと?」

 ため息をついて、ミリアムは言った。

「形式的にはそうなるわ」

 ということは、実質的には条件は満たされてるのか。


「その条件って?」

「皇帝よ」

 うーん。わからん。

「皇帝がいる間は、勇者召喚は禁じられているの」

 俺って違法存在なのか。正解するカドうか知らんけど、さらに質問。

「……国王と皇帝って、どう違うの?」

 またもやため息。はい、無知ですみません。

「皇帝は諸王の王。この世界で唯一絶対の権威なの」

 なるほど、国王より上なんだ。

「だから、皇帝がいる間は、国と国の戦争は起こらないし、全ての国をまとめて魔族に立ち向かえるわけ」


 読めてきた。

「じゃあ、前回はそうして魔族と戦ったけど、負けちゃったんだね。で、皇帝が戦死していなくなったと」

「そうよ。だから、異世界から召喚された勇者は、魔王を倒せば皇帝に即位する権利が与えられるし、そう期待されるの」

 そこでさっきの西の国だ。


「でも、今はまだ皇帝がいるんだね。ルテラリウス帝国に」

 ミリアムはうなずいた。

「ルテラリウス三世、かつての勇者の孫が」

 ミリアムの顔が険しい。

「つまり、今の皇帝がその地位にふさわしい能力を欠いている、ってこと?」

「もっとひどいわ」

 彼女はぐっと唇を噛みしめる。血が出そうだ。

「今のところ、その皇帝なのよ。魔王の最有力候補は」


 ……なんですと?


******


 やがて、馬車は国境を越えてルテラリウス帝国に入った。一応、国境警備の検問はあったが、こちらから向こうへはほとんどノーチェックだった。

 そもそも、西への旅行者はいないに等しい。一般よりゆっくり走っていたのに、俺たちの馬車が追い越されることは一度もなかった。逆に、向こうからこちらへ来る方は、何台もの馬車が列に並んでいた。検問も厳しいらしく、かなり長く止められていた。

 どう見ても、西の国からの脱出者だ。


 国境など人間が勝手に引いたものだ。俺もそう思ってた時期がありました。はい、ついさっきまでは。

 しかし、馬車が進むにつれて明らかに景色が変わってきていた。

 紅葉の盛りで冬枯れにはまだ早いというのに、森の木々には枯れて倒れたものが目立つ。

 放棄されたのか、荒れ果てた宿場もあった。秋撒きの麦畑も、ほとんどが茶色い雑草に覆われている。さらに、キウイの探知能力で魔物の気配が急上昇。


「やっぱり、この先はヤバイみたいだね」

 俺がつぶやくと、向かいに座っているミリアムがうなずいた。

「何度もアストリアス国王が呼びかけているんだけど、ルテラリウス皇帝は一度も返事をしてないの。そして、西の方から徐々に魔物の被害が増え、ペイジントンを襲った魔族も魔物の軍勢も西から来たわ」

 確かに、それじゃあ魔王嫌疑が濃厚になるのも分る。

 まともな皇帝なら、魔族や魔物が自国を通過することすら許すはずがない。


「皇帝が病気なだけ、なんてことはないかな?」

 一縷いちるの希望。

「公務に支障をきたすようなら、摂政を立てたり帝位を後継者に禅譲することが決められているの」

 なるほど、最高権威が空白になっちゃまずいよな。


 思わずこぼれた一言。

「皇帝に会って確かめるしかないのかな」

「どうやって?」

 真顔で聞かれた。えーと。

 そういや、日本の天皇陛下って、英語ではエンペラー、つまり皇帝だよな。元旦とか祭日に一般参賀で顔は見れるけど。


「こっちでは、皇帝と一般民衆が顔を合わせる機会はないの?」

「あるわけないでしょ」

 一刀両断されちゃったよ。

「あるとしたらそれこそ、魔王討伐の出陣や凱旋のパレードくらいね」

「それ、やってくれないから魔王嫌疑なんだよね」

 詰んでるなぁ。


「もしかして、その辺何も考えないでここまで来たの?」

 いや、だって皇帝のことを聞いたのついさっきだし。それまで教えてもくれなかったし。

「……漠然と、西へ向かえば何か情報が手に入るかと思ってたくらいだよ」

 無計画と言えばそれまでだが。

「仕方ないわね。この国にも魔法ギルドがあるはずだから、まずはそこを訊ねましょう。ここから二日の距離に都市があるから、ギルドの支部もあるはずよ」

 ミリアム先生、頼りになるなぁ。


 夕暮れまで走って、その日は早めに野営した。トゥルトゥルが狩りに出たがったが、諦めさせた。キウイの探知能力が魔物の存在確率八十パーセントを告げているからだ。

 夕食の後、全員で交代の見張りに立つことにした。最初は俺だ。奴隷たちが異を唱えたが、命令だと言って黙らせた。


 さて、遠話でザッハと話すか。何か情報が入ったかな?

『ザッハ、タクヤだ』

『おう、兄ちゃんか』

 オッサンも遠話に慣れたようだ。声が低い。

『商業ギルドの方だが……情報がない、というのが情報かな』

 禅問答かよ。


『西の方について、誰も喋らねぇんだ。向こうから帰ってきた連中は多いんだが、どうしたのか聞いても商売が上手くいかなくて、とか適当に誤魔化されてね』

『つまり、口封じされてる?』

 ザッハがうなずいた感じがした。便利だな遠話って。

『ただ、誰かに強制や脅された、というのとは違うみたいだ。なんというか、その件には触れないで、みたいな空気が漂っててね。ありゃまさしく、商売で大失敗こいたような感じなんだ』

 商人同士の感覚なんだろう。部外者には分らないだろうから、ありがたい。


『こっちだが、今日、ようやく国境を越えた』

『おう、随分かかったな。道中、魔物がそんなに出たか』

『全然だ。でも、国境を越えたらいきなり気配が増えたよ』

 ふーむ、とザッハが唸る感じ。

『なんつーか、それを聞くと例の噂が真実味持っちゃうな』

『噂?』

『魔王の正体は、皇帝ルテラリウス三世じゃないか、ってやつ』

 ……国家の最高機密、筒抜けだぞミリアム。


『その噂、真偽を確かめなきゃな』

『いきなり乗り込んで戦うか?』

 オッサン、適当に言ってるだろ。

『そりゃどこの筋肉馬鹿だよ。俺は知的労働者なの』

 ジョークだと思ったのか、ザッハは爆笑していた。正気を疑われても知らんぞ。

『まぁ、兄ちゃんのことだからうまくやってくれると思うけどな。無茶はしないでくれよ。あのお嬢さんも一緒なんだろ?』

『ああ』

 オッサン、相変わらずだな。

 遠話を切ると、ミリアムが近づいてきた。


「隣、いいかしら」

「もちろん」

 もう少し近くてもいいんですよ?

 腕を伸ばせば届くくらいの、微妙な距離だ。

「なぁミリアム。魔王って、魔界とかの王で、そこから攻め込んで来るんじゃないのか?」

 よくあるRPGの設定だ。

「一般にはそう信じられているわ。でも、人が魔人になった例はあるの」


 ミリアムは懐から魔核を取り出した。ペイジントンで魔物を倒して得た魔核だ。グインと三人で山分けしようと言ったんだが、グインは固辞し、彼女はひとつしか受け取らなかった。


「普通の動物と魔物の違いは、魔核の有無。魔核は魔力を発揮するための器官だと言われてるわ。でも、人間のような知性ある動物は、魔核の代わりになる器官が発達しているのよ」

「大脳、だね」

 知性の宿る場所。

「そう。言葉を操れる人間なら、呪文を唱えてイデア界に働きかけられる。言葉を持たない生物は、魔核が代わりにそれを行うの」


 彼女は月の明かりに魔核をかざした。幻惑的な細かい光りの文様が、その表面を走る。

「でも、人間も限界を越えて魔力を使い続けると、やがて魔核が生じ、魔人となる。魔法学の奥義で伝えられてるわ」

「限界って越えられるの?」

 ミリアムはうなずいた。

「魔力を使いすぎると、その対価で思考が鈍って、限界を超えると意識を失う。超えた分が大きすぎれば、二度と目を覚まさずに死んでしまうわ。これを過剰対価オーバードーズと言うの。だから、対価がわかるように鑑定の簡易版があるのよ」

 命がけなんだな、魔法は。


「でも、他の魔術師が対価を引き受ければ、またすぐに魔力が使えるようになる。それで過剰対価オーバードーズを繰り返して脳に過負荷を与え続けると、ある確率で魔核が生じるの。その確率は、生じた対価の大きさによって高まる。つまり、より高度で強力な魔法を使うほどに高まるの」

 そこで俺も気が付いた。


「ひょっとして、魔王と戦うくらいの激戦を繰り返した魔術師がいたら……」

 再び、ミリアムはうなずく。

「魔人となるでしょうね。そして、いったん魔核が生じれば、後は魔力を使うたびに魔核が成長し続けるわけ」

 嫌な設定だ。まるで癌細胞だな。


「そしていつか、魔王を倒すくらい強くなるでしょう。そうなれば、その人……かつて人だった魔人が、次の魔王よ」


 ――なんなんだよ、その鬱エンドは。

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