1-10.さらばペイジントン

『パパ!』「「ご主人様!」」「若様!」「旦那!」

 転移のゲートをくぐると、中庭にいた皆が一斉に出迎えてくれた。


「ご主人様、これだけやっつけましたよ!」

 トゥルトゥルが庭の隅に積んである、小型の昆虫型魔物の死骸を指さした。

「よくやったな、トゥルトゥル」

 得意満面でくるりと回る。だからそのキメポーズはやめなさい。


 そこへ、家の中からザッハ一家が出てきた。娘さんは奥さんに抱かれて熟睡している。

「もう、兄ちゃんなんて呼べないな。立派な勇者様だ」

「よしてください。俺は自分の力で戦っちゃいない。勇者なんかじゃないよ」

 ザッハはかぶりを振った


「勇者の証は、力じゃない。戦う決意だ」

 オッサンにしては、カッコいいこと言う。


「どれだけ迷ったか知らんが、あんたは戦う決心をした。そして勝ったんだ」

 こそばゆいから、もうやめて。

「まぁ、俺のことはさておき、だ」

 話題を変えよう。


「ギャリソン、炊き出しの準備はできたか?」

 ブラウニーは慇懃に一礼した。

「オート粥と肉入り野菜スープを、まずは二百人分」

 短時間で良くできたものだ。魔族料理用のために近所から集めた炭や石炭の残りが役立ったようだ。熱々のそれら料理をアイテムボックスに入れていく。


 瓦礫だらけの表通りに出ると、そこここに生き残った避難民がうずくまっていた。グインが担いできた樽二つに板を渡し、即席のテーブルとする。その上にテーブルクロスをかけて、オート粥とスープの大鍋を出した。アリエルたちがお椀を並べ、焼け出された人たちに声をかける。

 料理はうちの庭でどんどん作られていた。調理が終わった鍋をアイテムボックス転送で炊き出し場所へ転送し、カラになった方を庭に戻す。その連続だ。炊き出し場所のテーブルクロスの下に転送すれば違和感はないだろう。

 こっちはなんとかなった。問題は瓦礫とそこに埋まってる人たちの方だ。


 ザッハのオッサンは勇者とか言ってたが、とんでもない。目の前に広がる惨状は、俺の決心が遅れたせいだ。

 賑やかだったペイジントンの中央通りは、完全に破壊されている。いつか行こうと思っていた高級料理屋も、ミリアムやアリエルに着せたかった服飾の店も、跡形もない。その瓦礫の中からは、生き埋めになった人の声が漏れていた。隙間から顔が見える。


「おばさん、怪我は? 今助けるから」

 声をかけると、傍らで泣き伏していた娘らしい少女が、涙ながらに言った。

「無理よおじさん。こんな大きな瓦礫、どうやって……」

 この際、おじさんでもいいや。泥だらけで煤まみれだし。


 俺は下敷きになっている女性の真下にアイテムボックスのゲートを開いた。ゆっくりと亜空間の底を深くして、断面透視で体が全部入りきったことを確認するとゲートを閉じる。女性の体が消えたので、瓦礫が少し崩れた。

「か、母さん!」

 驚く少女に声をかける。

「大丈夫だよ」


 傍らにゲートを開き、女性を出してやる。酷い怪我だが、命に別状は無さそうだ。

 生還した母にすがって泣く少女を後に、俺は歩み去る。

 ごめんよ、俺がもっとしゃんとしてたら、こんなに被害は出なかったはずなんだ。泣けてくる。


 ……そして、決定的に打ちのめされる瞬間が訪れた。


 兵士の屍は何度も目にした。グインの同僚たちも全滅だった。それらは痛ましいけれど、戦うからには死はつきものだ。俺も嫌と言うほど死にかけた。だけど……


 大通りを奥に進んだあたりで、見つけてしまった。瓦礫の中から、子供の手が覗いていたんだ。心臓が止まるかと思った。夢中で瓦礫をどけた。大きいものは慎重に空間断裂斬で細かくしてどかした。

 女の子だった。うつ伏せに倒れている。抱き起そうとしたら、感じが変だ。そう……その子の下半身は大きな瓦礫に押しつぶされていて、ちぎれてしまったのだ。


「あああああ……」

 奇妙な声がする。それが自分の喚き声だとわかったのは、かなり時間がたってからだ。


「あああああうあああああ!」


 上半身しかない少女の亡骸を抱きしめて、俺は慟哭していた。少女の死後硬直した左手は、しっかりと何かを抱きかかえていたのだ。馬の置物。脚に車が付いていて、転がすと首や尻尾を振るカラクリのある……。


 俺が作ったんだ。俺が見守る中、ザッハの店で買ってくれたのは、この少女に違いない。あの時、あんなに幸せそうに笑ってた子が。うつ伏せだったせいだろう。顔は紫色の死斑が浮いて、ひどい有様だった。もう二度と、あの笑顔は見られないんだ。

 俺が……俺が戦うのを嫌がったから。

 俺は、逃げようとしていた。この街から、敵から、戦いから。

 これはその報いだ。


 この子を殺したのは俺だ。俺の卑怯さが、不甲斐なさが、この子をこんな姿にしてしまったんだ。

 何が勇者だ。そんなのは関係ない。力があろうとなかろうと、敵がどんなに強かろうと、戦わなくちゃいけなかったんだ。

 現に、俺は勝った。勝てたんだ。それで俺は良い気になってた。俺って凄いじゃん、とか思ってたんだ。


 でも、本当は違う。俺はこの子を見殺しにした。見捨てて、自分らだけで逃げようとしてたんだ。畜生!


「タクヤ!」

 誰かが両肩を掴んだ。それを振り払って、亡骸を抱きかかえたまま、俺は立ち上がった。

「ご主人様……」「我が君!」

 誰かの声がするが、耳に入らない。


「その子はお預かりします、ご主人様。きちんと弔わないと」

 落ち着いた女性の声に、腕の中の亡骸をゆだね、俺は歩きだした。

 ……それから後のことはよく覚えていない。気が付いたら、あの倉庫の自宅のベッドの上だった。


「タクヤ……」

 ミリアムが枕元で見降ろしている。

「お……れ……ミリアム、俺」

 酷くせき込んだ。喉がガラガラだ。まるで一昼夜、叫び続けていたみたいに。


 脳裏によみがえるのは悪夢だった。瓦礫から掘り起こす屍の数々。すがりついて泣く人々。

「飲んで。乾ききってるはずだから」

 ゴブレットについでくれた冷水をがぶ飲みする。呼び水だとでも言うのか、枯れ切ってたのだろうか、両目から涙があふれ出す。

「……きたい」

 うまく声が出なかった。


「タクヤ、今なんて?」

 何度か口を動かして、俺はようやく告げる事が出来た。

「俺は、西へ、行きたい。行かないと」

 そうだ。あの黒い魔族が来た方へ。


 ……もう逃げない。


*******


 魔族との戦いが避けられないのなら、逃げ回っても意味はない。むしろ、敵にこちらから迫った方がいい。巻き込まれる被害者は少なくなるはずだし、魔族についての情報も多くなる。

 だから、旅に出る。西に向かって。


 住み慣れた元倉庫の家は、ザッハの家族に明け渡した。元々、彼の持ち物だし。屋敷が燃えてしまったから住むところがないしね。

 さんざんお礼を言われたけど、そもそも俺がもっと早く戦う決心をしてれば、屋敷を失わずに済んだはずなんだ。

 まぁ、おかげで晩秋の寒空のもと、中庭で野宿となったわけだが。幼い娘さんを抱えたザッハ一家にそうさせるわけにゃいかんからね。


 翌日。まずは、街を襲った魔物から回収した魔核をいくつか換金して、旅の支度に当てた。魔核を引き取った魔法屋は、裏の路地に店を構えていたので、魔族の破壊から免れていた。そこの店主は脂ぎった中年オヤジだが、さんざん嫌味を言われた。


「この魔核、例の名も知れぬ勇者が倒した魔物のじゃないのか? そう言うのを火事場泥棒ってんだぞ」

 もちろん、俺がその勇者だなんて名乗るつもりなんてない。好きなだけ罵倒してくれ。蔑んでくれていい。心の奥で渦巻く怒りも悲しみも、今は抑え込んでいる。全部、キッチリ、魔王とやらにぶつけてやる。


 俺が黙っていると、ふん、と鼻を鳴らして、オヤジは魔核の買い取り価格を示した。大銀貨デカスタ三十枚だが、かなり買い叩かれている。

 オヤジの罵倒は続く。

「あんたみたいな持ち込みが増えていてね。近頃じゃ値崩れしているんだ」


 魔物の死骸は全部、深淵投棄で処分したつもりだったが、城壁からでは見えないところに結構残っていたらしい。

「質だってバラバラだ。傷物も多いし」

 確かにそうで、特に傷物の方はゲートの刃が当たって削れた物がかなりあった。それでも貧乏性で捨てる気になれなくて、アイテムボックスの肥やしになっている。


「全く、この間のペア魔核みたいなレア物なんてありゃしない」

 オヤジの愚痴に気になる点が。


「そのペア魔核って?」

「ああ。金髪美女の魔術師が持ち込んだやつさ。ゲリ・フレキのだとか。惚れ惚れするほどの逸品だが、お得意さんにすぐ高値で売れたよ。あんないい取引は滅多にないな」

 ミリアムが持ち込んだものに違いない。ちなみに、買っていったのは白髪で金色の瞳の美少年だとか。どこかの貴族のお小姓か?


 それ以上の愚痴に付き合うの暇はないし、そもそも別に大金が欲しいわけでもないので、オヤジが示したままの価格で魔核を売り払い、店を後にした。その足で運送関係の店に行き、馬と二頭立ての馬車を買った。ギャリソンが御者のスキルを持っていたのは幸いだ。

 あと、馬は一頭余分に買った。武装したグインに騎乗してもらえば盗賊避けになると、運送屋がアドバイスしてくれたからだ。


 グインの肋骨だが、あんなに無理をしたのにもうほとんど治っている。鍛え方が違うのか、丈夫な種族だからなのか。なんにせよ、悪化しなくてよかった。

 ギャリソンに御者をやってもらい、騎馬のグインを伴って、一旦、家に帰る。中庭では、ミリアムとアリエルが炊き出しの後片付けをしていた。

 主神七柱の神殿による救護活動が本格化したので、俺たちの方は店じまいしてもよくなったのだ。おかげで旅に出られるわけだけど。


 そういえば、俺は「魔族」という名称を誤解していたらしい。

 「ヒト族」とか「豹頭族」みたいな種族名かと思ってたんだが、それに当たるのは「魔人族」で、先天的ないし後天的に魔核を持った人類の総称だという。

 ヒト族に限らず、森人族エルフ鉱人族ドワーフもケンダーも、魔核を持てば魔人族だ。外見などいくらでも変化させられるから、元の種族など関係ないらしい。

 ミリアム先生によると、魔族とはその中で特に力の強い「魔王の候補」だという。ちょうど人間の国王が貴族から選ばれるのと一緒だが、「魔貴族」では矛盾してしまうので「魔族」なのだそうだ。

 一つ利口になったな。


 そして、遂に旅立ちの日が訪れる。


 炊き出しで鍋や釜を貸してくれたご近所にも、お別れを告げる。たった一カ月と少しだったが、結構、繋がりはできていたようだ。

 被害は大通りが中心だったので、死傷者の大半は富裕層だった。このあたりに住んだり店を構えている一般庶民は、むしろ無傷に近かった。

 幸いに、と言うわけにはいかないだろうけど、この世界の貨幣は金貨や銀貨なので、火事でも燃えてしまわない。富裕層も無一文にはならないわけだから、復興は意外と速く進むだろう。

 ……失われた命だけは、戻らないだろうけど。


 ミリアムは地面から背負い鞄を拾い上げると、肩に担いだ。

「良い馬車が買えたわね。私の方も、宿は引き払ったわ」


 そう、ミリアムも旅に同行すると言ってくれた。キウイの空間魔法への関心がさらに高まり、もう王都に帰る気などない、とのことだ。しかし、本音は俺が気になるからだろう。……いや、恋愛的な意味ではなくて。

 何より、俺が本物の勇者だと知れ渡ると、ミリアムが困ることになる。俺を召喚したその日のうちに、見込み違いだからと放り出したのは、彼女の祖父。ギルド長のガロウランなのだから。あのジジイの立場なんてどうでもいいが、ミリアムを困らせたくはないからね。


 というわけで、旅の準備の中で銀色の仮面と銀髪のカツラを購入しておいた。今後、勇者として人前に出る時は、この扮装で身元を誤魔化そう。

 それに、俺は称賛に値しない、偽物の勇者なんだし。


「御用命の品々、買いこんでおきましたよ」

 アリエルが家の中を手で示す。旅の間の食料などの雑貨が、木箱や籠に入って床に置かれている。食糧や衣類、布のたぐいだ。

 食料の方は、種類ごとに分けてアイテムボックスに詰め込む。生肉などはミリアムの氷で冷蔵だ。十六分割できるのは非常にありがたい。臭いが移ったりすると困るからな。

 もっとも、ここで購入するのは最低限だ。ペイジントンはかなりモノ不足になっている。途中で立ち寄る宿場町などで買い足して行こう。


 あと、ザッハのアドバイスで、西の国々で高く売れそうな品物も仕入れてある。折角ジンゴローと作った小物だが、しばらくここでは誰も買う余裕がないだろうから、これらも全部持っていく。

 到底、馬車一台では収まらない分量になるが、アイテムボックスに入れれば問題ない。


 それと、馬車には少々改造が必要だった。

 アリエルは尻尾のために座席には座れないからね。座席を一部取り除いて、御美脚V2を装着したまま落ち着ける場所を専用に作った。ちょっと電車やバスの車いすスペースみたいな感じだ。


 後は俺の服。

 償還時に履いていたGパンはアリエルの御美脚に使ってしまったが、下着やシャツなどはこっちで買った古着のローブの下に着ていた。これらも魔族との戦いで酷く傷んだので、ひと揃え買い直した。

 今まで着なかったジャンパーだけど、これからの季節は着れそうだから、これを中心にミリアムに頼んでコーディネートしてもらった。高給服飾店は全滅だから、裏通りの庶民派の店で購入した。


 帰宅し、着替えてアイテムゲートの鏡面に映してみると、黒髪黒目である以外は、どこにでもいそうな男性の姿だ。

 くすんだ緑灰色のマントに茶色のジャンパー、黒い布のズボン。化繊のジャンパーだけは元の世界のものだが、テカらない生地だと意外と馴染んで見える。

 革のブーツはジンゴローが夜なべして作ってくれた。レプラコーンは片方の靴しか作らないと言ったな。あれはウソだ。


 体型のほうは、さんざん走り回ったおかげで腹も引っ込んだし。でも、鍛えてないから割れてないけどね。

 しかし……マントだよ、マント。ヒーローの必須アイテム。いや、こっちじゃ普通にみんな着てるけどさ。なんかこう、なんちゃってコスプレ感が強い。特に、下に着てるのがユニ○ロのジャンパーだもんね。


 さらに言うと、このマントは裏地が黒で、リバーシブルだ。つまり、裏返せば即席の変装にもなる。


「とてもお似合いですぞ、若様」

 ギャリソンのお世辞に気を良くして、ミリアムにも聞いてみた。

「どうかな?」

「……馬子にも衣装ってとこかしら」


 秋深し 心に一陣 隙間風


 このマント、君が選んでくれたのに。そりゃないよ。

 こうして魔族襲撃から一週間後、ザッハ一家や炊き出しで関わった人たちに見送られながら、俺たちはペイジントンの街を後にした。


 馬車の後ろから眺めると、朝日を背にした街並みは、まだ正門が崩れたままだが、美しいと言えた。俺はその街並みに別れの言葉を告げる。


「さようなら、ペイジントン」


 遠からずきっと、街は復興するだろう。

 でもそこには、馬の置物を抱きしめて嬉しそうに笑っていた、あの女の子はいない。


 さようなら、名も知らない幼い少女。

 さようなら、知り合う前に死んでしまった人たち。

 さようなら、さようなら、短かったけど平和な、幸せな日々。

 全部失い、背を向けて、俺は仲間と共に旅に出る。


「ああ、そうか」

 なんで今まで気がつかなかったんだろう。

「俺、みんなから日常を取り上げちまったんだな」


 ポン、と肩を叩かれた。

「何言ってんですか旦那。あっしらの日常は、いつだって旦那と一緒ですぜ」

 ジンゴロー、ありがとう。

 ミリアムもトゥルトゥルもアリエルも、うなずいてる。御者のギャリソンも、前を向いたまま親指を立ててる。馬車の窓から馬上のグインを見ると、彼もうなずいた。


 ありがとう。本当にありがとう、みんな。


 そして、街を出てから三日後。俺たちは西への街道沿いにある宿場町にたどり着いたのだった。

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