1-2.独身ですが子持ちです

 ガタゴトと揺れる馬車の中で、もう半日ほど俺は堪えていた。

 何って、沈黙に。


 隣に座るのは金髪碧眼の美女。灰色のローブの上から黒いフード付きマントを羽織り、フードは鼻先を隠すまで降ろしている。その御尊顔を拝したのは、ガロウランに紹介された時だけだった。

 俺がこの世界で何とか生きていけるようになるまでの付添人だ。「彼女いない歴=年齢」な俺にとっては、夢みたいなシチュではある。しかし……。


「あのう、ミリアムさん」

「なんですか?」

 この通り、そっけない。


「……これから行く商業都市なんですが、あとどのくらいですかね?」

「三日です」

 ずっとこんな感じで、必要最小限しか答えてくれない。沈黙が痛い。


 俺の召喚が失敗だったので、祖父のガロウランから俺のことを「遠くへ捨ててこい」と命じられたわけだ。犬猫かよ。

 口数が少ないのは元からなのか、俺の相手を押し付けられて不満なのか。……後者だったら辛いな。


 ガロウランから「当座の生活資金」として渡されたのは、大銀貨デカスタ二十枚。馬車に乗る前に、沈黙ミリアムから聞きだした限りでは、大銀貨一枚がおおよそ日本の一万円に当たるようだ。ただ、一般庶民向けの物価は日本よりかなり安いので、二十枚もあれば質素な暮らしなら半年くらいは暮らせるらしい。身寄りのない独身者には十分かな。


 ちなみに、デカスタてのはデカ&スタで、デカは十という意味らしい。大銀貨は五百円玉くらいのサイズだ。スタはスタテルの略で、これだけだとデカスタより一回り小さい百円玉サイズの銀貨になる。これが千円。その下は大銅貨デカドラで百円相当。サイズは大銀貨と同じ。ドラはドラクマの略で、十円。見た目も十円玉サイズ。


 あと、この世界の数字はちょっと漢数字に似ている。一~三まではそのままで、四は縦棒が真ん中に刺さる。五は縦棒だけで、六からは一~四の左に縦棒が付く。十は「口」、百は「日」、千は「田」の記号で、硬貨の裏面にはこれらが刻印されている。百の「日」はヘカ、千の「田」はキロと発音する。


 昼下がりに王城の門前で馬車に乗って、市場を抜ける時に聞こえた売り子の声は、「デカドラ、ドラ、ドラ」と聞こえて、なんだか麻雀でもやってるような響きだった。


 そういえば、ドラクマってなんか聞き覚えがあるな。確か、ギリシャの昔の通貨だっけ? デカてのもギリシャ語っぽい。そう言えば、この世界の文字も、ギリシャ語のアルファベットによく似てる。どっちがオリジナルか分からんけど、この世界は何度も勇者を召喚してるみたいだから、その時に伝わったのだろう。キロなんてそのままだし。


 となると、意外とギリシャ神話の英雄がこっちの勇者になってたりして。ペルセウスとかオリオンとか。そのあたり、ミリアムに聞いてみたいのだが……ガロウランから勇者の件は内密に、と釘を刺されてる。召喚に失敗したなんてのは大事おおごとだからな。スキャンダルって奴だろう。

 この馬車に彼女と二人きりならまだしも、別の客もいるから迂闊な話はできない。


「なんだ、兄ちゃんはペイジントンに行くのか」

 そんなことを考えていると、そのもう一人の乗客、馬車の向かいの席に座る四十絡みのオッサンが声を掛けてきた。彼は馬車が出るなり熟睡していたが、目が覚めたようだ。色が浅黒く、髪がないのに髭もないつるりとした顔立ちが特徴と言えば特徴か。


 ペイジントン。

 それが商業都市の名らしい。ガロウランのジジイは、こんなことも教えてくれなかった。なんでも、この国で三番目に大きな都市だそうだ。日本に例えると、名古屋あたりかな?


「もうそろそろ日没だから、今日はこの辺で野宿だな。兄ちゃんは商人には見えねぇが、職人さんかい?」

 オッサンは俺の着ている古びた灰色のチュニックを指差して言った。実用一点張りで、装飾も何もない質素なものだから、職人風に見えるのだろうか。確かに、商人ならもう少し羽振りのいい服装でないと、取引で足元見られるだろうし。オッサンの服装はもう少し洒落ている。


 召喚時に着ていた俺の服装は冬服だけど、どうやらこちらの世界は真夏らしく、暑すぎるうえに目立ちすぎるので、このチュニックとズボン、サンダルのような履物を渡されて着替えてある。元の服は袋に入れて足元だ。

 ただ、パソコンの入ったこの鞄だけは絶対死守だぞ。


 俺はオッサンの問いかけに答えた。

「はい、木工と金属加工を少し」

 鞄の中にはレザーマンという多機能工具も入っている。スイス・アーミーナイフのペンチ版だ。見たまんまナイフだと銃刀法がうるさいので、こちらにしている。柄の部分にドライバーなどが仕込まれていて、デスクトップPCの部品交換などで重宝するんだよね。


 独身なのに日曜大工が趣味で、フィギュアとかの細工も得意だ。この世界の素材と工具でどこまで出来るか分らないが、プログラマよりは需要があるだろう。コンピュータもネットもない世界じゃ、活かしようがないからね。

 ……それでも、PCは手放すわけに行かない。アイデンティティーてやつだ。


「そうかい。いいモノが出来たら見せてみな。俺はザッハ。商人をやってる」

 意外と面倒見のいいオッサン……もとい、ザッハのおかげで、俺の沈黙の修行は終わりとなった。


 やがて馬車は止まり、野営の準備となった。まず、護衛の傭兵三人のうちの二人が、一生懸命穴を掘り始めた。


「あれは何?」

 俺の何げない質問に、ミリアムは顔を伏せた。え、俺なにか今、不味いこと言った?


「兄ちゃん、ありゃトイレだよ。ご婦人に聞くもんじゃない」

 ああ、そうか。やりっぱなしじゃ不衛生だしな。というか、臭いで野獣が寄ってきても困るし。

 ……ミリアムにはすぐに謝った。


 ちなみに俺は、今日のところはまだ利用しないで済みそうだ。今朝、腹の中身をきれいさっぱりあちらに置いてきちまったからね。


 その夜。野犬避けのたき火を囲んで、ザッハから色々と話を聞いた。俺のことは、遠い辺境の出身ということにしておいた。

「そうか、兄ちゃんの髪や目の色は、このあたりじゃ珍しいからな。それに二十七歳には見えんなぁ」

 はい、童顔です。スンマセン。


 こちらの世界では、東洋系の人種は割と少ないらしい。ここは北大陸と呼ばれていて、比較的緯度が高いせいか白人系が多い。大洋を挟んだ南大陸は赤道に近いので、黒人が多いと言う。温帯や亜熱帯の地域が少ないのが関係しているのかな?


 ちなみに、ザッハの両親は南からの移住者だったそうな。

 ザッハは色々と教えてくれた。この街道には馬車で一日の間隔で宿場町があるので、朝一番で王都を出る馬車なら野営は必要ない。その分、お金もかかる。俺たちの乗った昼の馬車は野営続きになるが、その分安い。


「もっとも、俺は金をけちったんじゃなくて、昨夜飲み過ぎて寝坊したからだけどな」

 ……聞いてもいない事まで教えてくれるし。


 俺は最近の街道沿いの話題についても聞いてみた。

「そうだなぁ、確かに最近、魔物の被害が増えてるな」

 ガロウランのジジイは「国家の存亡」と言っていたが、さすがファンタジー世界。魔物なんてのがウヨウヨしてるのか。


「ここは大丈夫でしょうかね?」

 ちょっと心配になって聞いてみる。ザッハは答えた。

「絶対にとは言えんが、この街道は国軍が巡回してるからな」

 国軍てことは騎士さまか。一応、やることはやってるらしい。しかし、この手は「元から断たなきゃだめ」だろうに。


「魔物が増えてる原因って何でしょうか?」

 俺の疑問に、ザッハは毛のない頭をつるりとなでて答えた。

「なんだろうなぁ。噂では百年ぶりに魔王が現れるとか言ってるが」

 でたな、魔王。ファンタジーの定番、勇者の天敵。俺は勇者そんなのじゃないから、できたら関わりたくないけど。


 そこへ、ずっと空気だったミリアムが割り込んだ。


「魔王はいます」

 ええ? それ言っちゃっていいの?


「今朝、国王陛下からの檄文げきぶんが全国の太守や国軍部隊に出ました。『魔王に備えよ』と」

 珍しく長文を語ってくれたが、それでも最低限だ。

 もう少し語ってもらおう。

「王様が公表したってこと? なら国を挙げて魔王と戦うのかい?」

「そうなります」


 ザッハが首を振った。

いくさは勘弁して欲しいな。となりの国にでも行くか」

 すると、意外にもミリアムは顔を上げて彼を睨んだ。

「この世のどこに逃げても、魔王はいずれ襲って来ます。倒さない限り」


 手厳しいが、魔王だからな。海も山も越えて来るんだろうし、和睦の道もなさそうだ。

 勇者でない以上、この世界で趣味の延長で平和に職人ライフを、と思っていたが……どうやら甘かったようだ。


「お嬢ちゃん、随分詳しいな」

 ザッハが尋ねると、ミリアムはフードを上げて自己紹介した。再び御尊顔を拝せて光栄です。

「なるほど、魔術師か。なら、道中に魔物が出ても安心だな」


 そう言えば、この世界での魔法ってどのくらい普及してるんだろう? この火も普通に火打石で起こしてたし。


「ミリアム、何か魔法を使って見せてよ」

 気安く頼んだら睨まれた。だが、意外にも腰に刺していた短杖たんじょうを抜くと、空に向けて呪文を唱えた。短杖は孫の手くらいの長さの木製で、先端に赤く光る石がはめ込まれていた。

「……炎の矢フィオヴェイロ

 杖の先から小さな炎が上がり、矢のような速度で星空に飛び去った。はるか上空で一瞬光ったのは、破裂したのだろうか。


「おお、これは凄い」

 ザッハが呟いた。そうか、攻撃用の魔法なんて、そうそう見ないだろうからな。

「あまり大きな魔法だと、周りに迷惑だから」

 ミリアムはさりげなく言うが、あくまでも序の口ってことか。


 他の客や馬車の御者などは、既に毛布にくるまって寝ている。起きているのは俺たちと、見張りに立ってる傭兵だけだ。三人で三交替らしい。国軍が巡回パトロールしていると言っても、警戒は必要なのだろう。


 この旅は馬車が三台連なるキャラバンみたいな感じで、一台ごとに騎馬の傭兵が一人、警護に付いている。俺たちのと次は普通の馬車だが、三台目は奴隷商人のもので、荷台が檻になっていて奴隷が乗せられている。


 貴族や身分制度がある以上、この世界にも奴隷がいるのか。日本では全く実感がわかないけど。……うう、俺もうまく立ち回らないと、奴隷に身を落とすかも。

 色々考えてると疲れるので、俺たちも横になる。残念ながら、俺は隣に寝ているミリアムの方も向けない。意気地がないのか、防護の結界でも張られているのか。やっぱ前者かな。


 しかし、ミリアムの大魔法とやらを見てみたいものだな。使うような場面には出くわしたくないけどね。


 ……そんな機会が、すぐ翌日にあるとは。


********


 翌朝、まだ暗いうちに起こされて、冷たい干し肉と硬い黒パンの朝食を取る。干し肉は要するにジャーキーだが、こちらでは胡椒が高いらしく、スパイスなしでやたら塩辛い。黒パンもバターなしでは辛い。

 この世界で美味い飯を食いたかったら、自炊するしかないのだろうか? しかし、パンまでは難しいよな。ああ、白いパンや白い飯が食いたい!


 朝食の後、またもやガタゴト揺られて車中で沈黙の行。それでも、ザッハが世間話の相手をしてくれるので、昨日よりはましだ。


「じゃあ、ペイジントンの特産物って--」

 言いかけたところで馬車が急に止まり、俺は思いっ切り舌を噛んだ。


「魔獣だ!」

 叫ぶと同時に、傭兵三人が馬を降りて前方に走る。


 街道の右手は開けた草原、左手は深い森だった。その森の中から、二頭の魔獣が組みあったまま、立ち木をはね飛ばして走り出てきた。


 後足で立って押されているのは、体長五メートル以上はある巨大な熊。押している方は緑色のトカゲで、こちらも同じくらいの体格だ。


大熊メガロクダ電光トカゲアストラサブラ……」

 ミリアムが呟く。さすが、魔獣の知識も豊富なんだ。しかし、熊の方はそのままだな。トカゲの方は稲妻でも出すんだろうか?


 傭兵たちが盾を構える前方十メートルほどで、二頭は格闘中だ。良く見ると、トカゲの方は腹に大きな傷があり、腸らしきものがはみ出ている。あれじゃ致命傷なのでは?

 やがて、熊の方がトカゲの右前脚に食いついた。勝負あったか、と思われたその時、トカゲの尻尾がグイッと持ちあがった。


 今気づいたが、その尻尾は二本が寄り合わされた形になっていた。それらがほどけると、針のようにとがった先端に火花が走る。俺の期待通りだ。そのまま熊の頭部に左右から突き立てた。

 その瞬間、ぐわっと熊は大口を開き、エビぞりになった体をガクガクと震わせて路上に倒れ込んだ。物凄い地響き。


 トカゲの方は、何やら悲し気な咆哮を放つと、四足で森の中へと帰って行く。クジラの鳴き声にも似た、その響き。


「おい、兄ちゃん!」

「タクヤ!」

 ザッハとミリアムが呼び止める。ミリアムが名前で呼んでくれたの、初めてかな?

 などと考えつつも、俺はフラフラとトカゲの去った森の中に入って行く。


 ……あの悲し気な咆哮が、なぜか気になるんだ。どう考えても、勝利の雄たけびじゃない。


 樹木がなぎ払われて、えぐれた地面が道のようになっている。根に脚をとられて転びそうになりながらも、俺は大トカゲの後をついていく。

 前方で緑色の巨体が、どう、と倒れ伏した。その傍らには、やや小柄なトカゲが血まみれでうずくまっていた。


「つがいだったみたいね」

 いつの間にか付いてきたミリアムが呟いた。

 ザッハはいない。まぁ、当然だな。


 この大トカゲ、奥さんを大熊に殺されて仇を討ったのか。魔物とは言っても家族を思う気持ちはあるんだな。


 --ピィ、ピィ。

 その時、かすかな鳴き声が聞こえた。

「タクヤ」

「しーっ!」

 口に人差し指を当てるこのポーズが、この世界で通じるのか後で気になったが。


 俺はうずくまる小柄なほうの電光トカゲに歩み寄った。かすかな声は、その胸あたりから聞こえる。


「赤ん坊か……」

 生まれたばかりの子猫くらいのトカゲが、母親にしがみついていた。まだ目が開かないらしい。翡翠のような緑色で、黄色いお腹はポッコリと膨らんでる。

 俺はトカゲの赤ん坊を抱きあげ、立ちあがろうとした。


「そのまま! じっとしてて!」

 ミリアムが叫ぶ。そして呪文の詠唱。

「……火の玉フィオバーラ!」

 彼女の短杖からバスケットボール大の火球が打ち出され、俺の髪の毛を焦がして背後へ飛んだ。禿げたら困る!


 爆音。

 振り返ると、人の背丈ほどもありそうな大カマキリが、焼け焦げて倒れていた。


「これではあっという間に魔物のエサよ」

 うんざりという声でミリアムにたしなめられたが、俺はそれどころじゃなかった。

 いつの間に目が開いたのか、手の中のトカゲの赤子が俺の顔をじっと見つめている。真っ黒でつぶらな瞳。

 そして、脳裏にはっきりと声が響いた。


『パパ』と。


 ……嫁さんもいないのに、いきなり子持ちですか。

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