異世界のプログラマ
原幌平晴
第一章「魔神礼賛」
1-1.凡人ですが何か?
月の無い満天の星の下、街のそこここに燃え盛る火の手に照らされて、ヤツの黒々とした巨体が眼前に立ちふさがる。そして空には翼ある魔物の群れ。
どう見てもハリウッド映画のシーンにしか思えず、現実感が無い。だが、あそこで傷つき命を落としているのは、この街に来てからの
俺は、もう逃げない。仲間を護るために、俺自身が生き延びるために、戦うと決めた。武器もなく、魔法すら使えない凡人だけど。俺にはこれがある。いや、これしかないんだ。
そう、あの日からずっと。
********
「へぐっ!?」
思わず変な声が漏れてしまった。顔から地面に突っ込むとイタイ。芝生でも土でもなく、石畳だとなおさら痛い。
……しばらく前に、ボーナスはたいてド近眼をレーシックしておいてよかった。メガネなら、絶対割れてるね。
転んだ拍子に、とっさにプログラマの本能でノートパソコンの入った通勤カバンを抱え込んで守ったから、顔が犠牲になったわけだ。
痛みに顔をしかめながら目を開くと、あたりは真っ暗。
え? 出勤途中だったから朝なのに。
カバンを抱えたまま、モソモソと体を起こす。反射的に胸ポケットのスマホを探るが、転んだ拍子に飛び出してしまったらしい。周囲の石畳の上を手で探るが、見つからない。
……石畳?
歩いてたのは渋谷の駅前交差点だから、アスファルトのはず。だが、指に振れる冷たい凹凸は間違いない。そう、スクランブル交差点を歩いているうちに、急に足元の地面が無くなった感触があった。階段を降り切ったと思ったら、もう一段あった時のような。
呆然としていると、次第に目が慣れてきたようで、暗闇にうっすらと何かが見えてくる。
「ひっ?」
周囲を取り巻く、顔、顔、顔。十以上の白い顔が俺の回りにぼんやりと浮かんでいた。
……危うく漏らすところだった。なんとかこらえたけど。
そこへ、しわがれた感じの男の声で、念仏のようなつぶやきが響いた。
「……
周囲に並ぶ顔の上に、ポツポツと灯りがともっていく。
改めて見回すと、やっぱりここは交差点じゃない。というか、屋外ですらない。石造りのホール、天井が高くて、なんとなく教会の礼拝堂を思わせるような場所だ。
その真ん中で俺が腰を抜かしていて、その周りを黒いローブの十数人が取り巻いている。それで闇の中、顔だけが浮かび上がってたのか。
顔立ちは外人、というか白人系? 彫が深くて色白。よく見ると老若男女が混ざってる。みな厳粛な面持ちだが、敵意はなさそうなので、少しホッとする。
その一人が俺の前に歩み出て、膝をついて頭を下げた。顔に刻まれた皺と白い顎鬚から、かなりの高齢だと見える。
「ようこそ、異世界の勇者よ」
勇者? 今俺、勇者って呼ばれた?
……まさか、ゲームでよくある異世界召喚じゃないよな。あるわきゃない。夢だろ、そうだ、そうに違いない。
なんて考えが頭をぐるぐる駆け巡る。
困るんだよ。会社に遅刻しちゃうじゃないか。昨夜の帰り際に気がついたあのバグ、さっさと直しておかなきゃ。年度末近いし、納品だし。
なら、まずは起きないとな。
石畳に打った方の頬は相変わらずジンジン痛むので、反対側をつねりあげてみる。いてぇ。マジで痛いのに、まだ目は覚めない。
「勇者どの、どうぞこちらへ」
老人が手招きする。今いるホールは四方を石壁に囲まれており、その一つの中央に祭壇のようなものがしつらえられていた。声の感じから、さっきの呪文も光りあれも、この老人に違いない。
その老人、俺を祭壇の前に立たせて、再びモゴモゴと呪文を唱え出した。
「……
最後に一声。それが合図かのように、祭壇の上に立つ墓石みたいな黒い板に光点がともった。光はチラチラと動きながら左から右に動き、文字を綴っていく。
「あれ?」
思わず声に出た。光点が描く文字は、アルファベットに似てはいるが見慣れないものだ。綴られる単語も見知らぬ物のはず。なのに……読める。苦もなく、スラスラと。便利な夢だな。
・クラス 異世界からの召喚者
・名前 不明
・年齢 不明
うーん……使えない魔法だな。
老人が俺の方に向き直り、言った。
「どうぞ、お名前とお年をお教えください」
迂闊にこの手を教えると、個人情報的に不味い気がするが……まあいいか、夢だしな。
「
すると、黒い板の上の文章が消え、書き直された。
・クラス 異世界の凡人
・レベル 1
・体力 100
・魔力 なし
・すばやさ 50
・かしこさ 100
・スキル 特になし
・称号 特になし
・体脂肪率 28%
なんだよ、最初の「異世界の凡人」と最後の「体脂肪率」って。そりゃ、身長168cmで体重80kgはデブだろうけどさ。でも、こちとら健康が売りもんなんだ。徹夜だってこなせるぞ。
それに、スキルも特になしとは酷過ぎる。これでもコンピュータ系の認定資格はいくつか持ってるのに。あ、あとフィギュア作成とかの工作ね。
……そういやどこかのブログで、夢だと分かってるのは明晰夢といって、自分で好きにアレンジできるとか行ってたけど、あれはウソだな。本当に異世界召喚された夢なら、いくらなんでも凡人はないだろ。
その「いくらなんでも」という思いは、この黒ローブ集団も同じだったらしい。背後からどよめきと囁き合う声が聞こえてきた。
夢なのに夢も希望もないな。早く覚めろ!
と、怒りを感じたのがいけなかったのか。俺は腹を押さえてその場にうずくまった。
……痛いんじゃない。猛烈に腹が空いてる。胃袋が空っぽで、自分自身を消化しちまいそうだ。
朝はいつも通りしっかり食べてきたのに。いや、起きたところから全部夢だった、てことか?
「さぞ空腹でしょう。勇者どの、ひとまずこちらへ」
腹の鳴る音が聞こえたのか、老人が扉の方へいざなった。俺は極度の空きっ腹を抱えて、その後に従った。
********
空腹は最高の調味料というのは、空腹の科学の
あの礼拝堂みたいなホールから連れて行かれた一室には、食事の用意がしてあった。かなり豪華な花の飾られたテーブルに。部屋そのものには他の調度はなく、明り取りの小さな窓が高いところにあるだけだった。これで鉄格子がはまってたら、ズバリ牢屋だな。
そう、それでもテーブルにあるのは料理だ。それがなんだかわからない粥のようなものであっても。一応、出来たてで湯気もたってる。
テーブルの向かい側に座った老人に勧められるまま、「いただきます」と手を合わせて、スプーンですくって口に運んだのだが……
「ぐっ??」
何ともいえぬエグ味と異様な香りが口いっぱいに広がり、吐きそうになるのをなんとかこらえた。
「お
口に合うかどうか以前に、食い物なのかと言うレベルなんだが。
「あちらの世界から転移する際に、体の中の異物は排除され、元の世界に残されるのです。同時に、この世界の病気に対する耐性や、言語などの最低限の知識が植え付けられます」
なるほど。こっちに無いウイルスとか持ち込んだらえらい事だからな。大航海時代で新大陸にインフルエンザを持ちこんで、代わりに梅毒をもらってきたんだっけ。
……ちょっと待てよ。
「その異物って、ようするに……」
「はい、食べた物とか、……排泄する前のものです」
さっき失禁せずに済んだのは、膀胱が空っぽだったからか。……いやまて。それだと、俺の朝食ったものとか、トイレで出切らなかったものとかは、今頃、渋谷のスクランブル交差点のど真ん中にぶちまけられてるのか?
嫌だ。嫌過ぎる。いくら夢でも、これはあんまりだ。
老人が言葉を続けた。
「先ほどからの空腹感はそのためです。しかし、通常の食事を取っても、胃腸の準備が整わないと受け付けませんから、このような薬膳を供させていただきました」
老人の言う通りなら、確かに今の俺の身体は何日も断食した後のような状態だ。いきなり肉とか食っても、戻したり下したり酷い事になるだろう。
なにより、空腹はさらに耐えがたいほどになってた。なのに食欲をなくすような話を聞くと……胃がキリキリ痛むんだな。初めて知った。というか、知りたくなかったし。
仕方なく、俺は粥を平らげた。不思議なもので、一口食べた後は味も臭いもそれほど気にならなくなった。量から言ったらお代わりしたいくらいだが、それは流石に控えた。
紅茶のようでそうでもない、これまた変わった香りのする食後の茶を飲み干す。すると、黙って見ていた老人が口を開いた。
「人心地ついたでしょうか。申し遅れましたが、わしの名はガロウラン。ここ、アストリアス王国の魔術師ギルドの
なるほど。さっきの黒ローブはギルド所属の魔術師というわけか。
「王国の存亡の危機を回避するため、禁断の秘術を用いて、異世界からタクヤどのを勇者としてお招きしたわけですが……」
語尾が消えるのは、さっきの黒い板に出たステータスのせいか。思いっきり凡人だし。魔力もスキルもないし。
「えーと、人違いだったと言うことで、このまま返してもらえませんか?」
話の流れから見て無理そうな感じだが、一応聞いてみる。
「誠に申し訳ありませぬが……」
老人……ガロウランは深々と頭を下げた。
「あちらの世界に送り返す魔法の術式は、残念ながら残されていないのです」
そうだろうと思った。夢なら覚めてくれ。
「それに、まだ勇者である可能性も残されています。どうぞこちらへ」
ガロウランに続いて立ち上がる。うーむ、給仕に椅子を引いてもらうなんて、初めての体験だ。
が、その後の待遇は酷いものだった。
食事(というには抵抗のあるアレ)を取った部屋を出て、長い廊下を歩く。左右に並び立つ甲冑は、がらんどうの置き物ではなく、中身が詰まった本物の騎士たちだった。
……魔術師ギルドてのは、相当警備が厳重なんだな。
理由はすぐに分かった。廊下の突き当たりの壮麗なホールを抜けると、真昼の陽光に満ちた庭に出た。まぶしくて目がくらむ。振り仰ぐと、がっしりと重厚な石造りの城がそびえ立っていた。なるほど、魔術師ギルドは王城の中にあったのか。
というか、春先にしてはやけに暖かい。つーか、暑い。
思わず肩掛け鞄をおろし、ユニ〇ロのジャンパーを脱ぐ。
「よろしければ、お荷物はお預かりしましょう」
ギルドの長に持たせるのはちょっと気がひけたが、一番信頼できるとも言える。しばしためらったが、結局預けることにした。
で、その後この王城の庭でやらされたのは、さっき廊下にいたような騎士のひとりとの、木剣での打ちあいだ。木剣ってのは木刀が両刃になったようなものだが、そのせいか木刀よりさらに重い。これを右手で振り回し、左手の木製の盾で受けるんだが……。
痛てェよ。ホントにマジで痛てェ。
一応、簡素な兜と胸当ては付けてるが、その上から打たれても衝撃はそのまま響く。盾で受けても腕がしびれる。まともに腕や足に当たれば、あまりの激痛に立ってられなくて転げまわるほど。
それでも相手の騎士さんは「打ちこんできなさい」とか言うわけだが、普段、マウスより重いものを持たない俺の腕は、木剣をまっすぐ構えることすら難しい。
「い、いやぁ!」
痴漢に襲われた乙女みたいな掛け声で、必死に木剣を振り下ろす。しかし、反動で足元がふらつき、ばったりとその場に倒れ伏してしまった。
顔を上げる気にもなれない。汗が目にしみるが、見なくてもわかる。騎士さんが憐みのこもった眼差しで見降ろしてるのが。
「……老師さま。今日、これ以上は無理です」
騎士さんは、離れて見守っていたガロウランに声をかけた。
「そうか。ご苦労だったの。下がって良い」
騎士が歩み去る。伏したまま、それを見送る俺。みじめだ。
「……
そういや、耳から聞く言葉も全然知らないはずものだ。この世界に転移するときに知識としてすりこまれたんだな。
俺がぼんやりとそんなことを考えていると、ガロウランは深いため息をついて、俺に声をかけた。
「タクヤどの。起き上がれますかな?」
その声にも疲れが感じられた。俺は木剣と楯を放り出して、なんとかたちあがった。預かってもらっていた荷物を受けとり、下を向いたまま、頭の中ではまた言い訳めいた思いがぐるぐる廻りだす。
うん、期待を裏切って済まないね。魔力はゼロでも、剣士としてならばと。実際に鍛錬したら、スキルがぐんぐん上がるとかの可能性にかけたんだよね。でもほら、木製とはいえ、剣なんて触ったの生まれて初めてだし。期待に添えなくて悪かったよ……。
ふと顔を上げると、ガロウランは瞑目して立ち尽くしていた。
「ありえぬ」
一言つぶやくと、かっと目を見開いて、天を見上げて続けた。
「ありえぬ! この秘術は創造神さま御自らが伝授なされたもの。間違いなどあるわけない!」
信心深いのは良いけれど、現実を認めようよ。……それに、ものすごく、居心地悪い。
ガロウランはしばらく身を震わせてたが、やがて溜息をつくとこちらを向いて言った。
「タクヤどの。どうぞこちらへ」
……そう言えば、いつの間にか「勇者どの」ではなくなってるな。
ガロウランに連れられて、先ほどの部屋に戻った。そこで昼食をふるまわれたわけだが……ありがたい事に、今度は普通の食事だ。鶏肉の丸焼に野菜のシチュー、黒パン。肉はちょっと筋張ってるが、地鶏っぽいと言えなくもない。シチューは結構いけた。
黒パンは小麦とは違うライ麦ってので作るらしい。ものすごく硬くて、かなり強い酸味がある。好みから言ったら、普通のパンの方がありがたい。バターをたっぷり塗って食ったが、顎が疲れる。
鳥の丸焼は傍らに控えてた給仕が切り分けてくれた。
ガロウランの前にも料理の皿が置かれたが、手をつけようとはしない。肘をついて指を組み、うつむいて額を押し当ててる。俺が勇者でない事が、相当こたえているようだ。
ひとしきり飲み食いして、例の紅茶ではないお茶を飲んでいると、ガロウランが沈黙を破った。
「タクヤどの」
「なんでしょう?」
問いかける形だが、返事はわかりきってる。
「……今後のことなのじゃが」
ですよね。勇者どころか、役立たずですから。
「当座の生活費は工面するので……その、なんじゃ」
「立ち去って欲しいと?」
言いにくそうなので、助け舟。ガロウランは、ほっと一息ついた。そう言えば、口調もジジ臭くなってるし。
「勝手に召喚しておいて何なのじゃが。これ以上、王城に置いておくわけにもいかんのでな」
まー、そうだろな。責任問題だもんな。もみ消したいよな。
もみ消すと言うなら、闇から闇に葬り去るのがベストだが、さすがにそれは困る。夢ならそこで覚めるのかも知れんが、今までの経験からその線は薄れてきた。
これも現実と言うなら、なんとかこの世界で生きていくことを考えないと。なんだか、胃がもたれそうだ。
先ほどの剣術の真似ごとの時以外、後生大事に抱えてた鞄を開けてみる。所持品は、愛用のノートPC、外付けバッテリー、レザーマンという多機能工具、USBケーブル長短2本、レシートでパンパンな長財布、ボールペンとA5サイズの手帳、などなど。
パソコンなんて電池が切れたらおしまいだし、日本円なんて紙と金属の分の価値しかないだろう。
この世界で役に立ちそうなのは、工具のレザーマンくらいか。……となると、趣味で鍛えた工作の腕で、なにかこの世界でも売れるような物を作って売るしかないな。
魔法も剣も使えない「異世界の凡人」では、今はこれが精一杯。
「入ってまいれ」
突然、ガロウランが戸口に向かって声を上ると、フードを目深にかぶったローブ姿のやや小柄な人物がやってきた。テーブルの横まで来ると、そのフードを払う。
「この者に、タクヤどのを案内させましょう。私の孫です」
紹介するガロウランの言葉は、ほとんど聞こえてなかった。口をポカンと開けたアホ面で、俺はその人物……女性を見上げていた。
金髪を結いあげ、左右に房が垂れている。青い瞳に白い肌、ピンク色の唇はキッと結ばれ、やや太めの眉と一緒に強い意志を感じられる。歳の頃は二十代前半か。
その唇が開かれ、落ち着いた声音で女性は自己紹介した。
「ミリアムと申します」
……ああ、一目惚れってこんな形で起こるんだな。
そう思うと同時に、実るはずもないだろうと言う確信もまた生じた、異世界の初日でした。
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