第7話 少女の過去③

旋風刃エッジサイクロン!」


 両手の魔法陣を合わせるように前へ突き出し、魔法を詠唱するライラス。

 すると同時に二つの小さな魔法陣は一つの大きな魔法陣へと姿を変え、そこから目には見えない無数の刃が飛んでいく。


「ガアアアアアアアアアア!!」


 血しぶきをあげ、ばたばたと地面に叩き付けられるインプたち。

 腹を引き裂かれ、羽を両断され、文字通り虫の息寸前だ。


「よし、全然戦える! あとはあの巨大な怪物だけ……」


 インプが戦闘不能になったことを確認し、後ろで小さくうめき声をあげるサイクロプスを見上げる。

 見ると先ほど切断したはずの手首が再生し、しっかり両手が生えそろった状態でそこにいた。


「全然襲ってこないと思ってたら、傷の再生に集中していたのね」


 サイクロプスは自己再生能力が秀でている魔人。

 それだけでなく巨大な図体を生かした力業は一つ一つが強力で、一撃でも当たれば人は即死するだろう。


 しかしその反面、知能は全くと言っていいほど皆無だ。

 知能を必要とする魔法はおろか、戦闘における戦闘知識もほぼほぼ持ち合わせていない生物。


 いくら強大な力を持っていても、それを生かす技量がなければ敵ではない。

 ある程度の距離を保って魔法を複数回打ち続けていれば、再生させるまでもなく絶命させることは容易であろう。

 ライラスは騎士の頃に身に着けた知識で敵を分析し、それに準じて距離を取る。


 ――私なら出来る。私なら出来る!


 久々の戦闘で緊張気味だったが、今は少し気分がいい。

 自分の力を信じ、早くここを片付けて、ナタリーの待つ避難所へいこう。

 身構え、目の前に再三魔法陣を展開。迫りくるサイクロプスに強烈な魔法を喰らわせてやろうと——


「ッ!!?」


 不意に、腹部に強烈な痛みが訪れた。


 またお腹の胎児が元気に動き回っているのか。

 そう思ったが違う。

 それは胎児がお腹の中で動いている時のものとは比べ物にならない激痛だった。


「まさか……今……?」


 陣痛。

 お腹の中の胎児を、外に押し出そうとするときに生じる子宮の収縮。

 ナタリーを生む直前にもこの痛みを経験していたライラスは、これが何を意味するのかが分かった。


 今この時に、生まれようとしているのだ。

 ライラスの娘が。ナタリーの妹が。

 生憎にも魔物との戦闘という、最悪のタイミングで。


「だ、だめっ……。今は、我慢して……」


 お腹をグッと抑え、聞こえるはずのない言葉を胎児に投げかける。

 それでも痛みは治まらず、段々と強くなっていくばかりだ。


「くっ……」


 目の前に展開させた魔法陣が光の粒子となって音もなく消えていく。

 必死に形を維持しようと試みたが、努力むなしく完全に姿を隠した。


「——ゥア゛」


 うめき声をあげ、棍棒を力強く握り込むサイクロプス。

 ここで終わりか。せめてこの赤子だけでもなんとか……。

 そう諦めかけた瞬間、






「ママああぁーーーーーーーー!!」


 背後から突然、悲鳴に似た叫びが聞こえてくる。

 振り返ると、


「……ナタリー!」


 涙を拭いながらこちらに向かって駆けてくる、ナタリーがいた。


 ナタリーは一度、避難所へ向かって走った。

 振り返らず、ただ真っ直ぐに。


 しかしその道中。

 先ほど路地裏で具合の悪そうにしていた母の表情を思い出す。

 いくら踏ん張ろうともやせ我慢しようとも、たかが数分の休憩で戦闘出来るほどに回復しているわけがないのだ。

 ナタリーはそう考え、急いで母のいる場所へ戻った。


 だが、本人ではないライラスがナタリーのその考えを汲み取れるわけが無かった。

 

 ――どうして戻ってきたの。


 ライラスの頭には、絶望の文字が浮かぶ。

 サイクロプスは棍棒を大きく振り上げ、攻撃の構えを見せた。

 ナタリーは既に近くまで来てしまっている。


 このままでは二人とも。

 お腹の子も合わせて三人ともやられる。


 ――動いて、動いて私の足!!


 腹の痛みに耐え、ライラスは脚に渾身の力を込めて地面を蹴った。


 ――間に合え……!

 ドカアアアアアアアン!!


 直後、そこに巨大な棍棒による強烈な衝撃が加わる。

 轟音が響き、地面が割れ、血しぶきと共に辺りに土煙が舞う。


     ・


     ・


     ・


 静寂する空気の中、一つの声が静寂を破った。


「マ、ママ……」


 それはナタリーの震える声だった。

 ナタリーはライラスに抱きかかえられ、二人は地面にめり込んだ棍棒から数メートル離れたところにいる。

 棍棒が衝突する刹那、ライラスのすぐ近くまできてしまっていたナタリーはそのままいけば衝突を免れず、潰されてしまうところだった。


 そこをライラスが救い出した。

 強烈な腹の痛みに耐えながらもナタリーを抱きかかえて飛び出し、棍棒による直撃を直前で回避したのだ。


「ナタリー……。怪我は、ない?」


 そう言ってナタリーの頭を撫でるライラスの手に力はなく、声も聞こえるか聞こえないか程度の声量しか出せていなかった。


「ひっく……! うぐっ……!」


 ヒクヒクとえずくばかりで、ライラスの問いになかなか答えられないナタリー。

 それを案じライラスは優しい言葉を投げかける。


「もう、そんなに泣かないの。可愛い顔が台無し」

「けど……! ママが、ママがぁ……!」


 必死にこらえていた涙が溢れ、その場で泣き出してしまうナタリー。

 棍棒の直撃は避けることの出来たナタリーだが、ライラスはその限りではない。

 





 ライラスの足は棍棒の直撃を避けきることが出来ず、ぐちゃぐちゃにつぶれていた。






 さらに足だけではなく、塗装された街路時の破片が直撃したのか頭からは流血し、ポタポタと血が地に落ちている。


 意識が遠い。

 視界がぼやける。

 体が熱い。


 そんなふうに全身の意識が段々と薄れていく中、腹の痛みだけは先ほどにも増して強くなっていた。


「全く、元気な子……。一体誰に似たのかしら……」


 片手で腹をさすり、もう片手で泣きじゃくるナタリーの頬を撫でる。


「行きなさい……。ナタリー。今度はもう、戻ってきちゃだめよ」

「……! い、いやだ!! ママも、一緒に!」

「ダメよ。私はもう、走ることも、歩くことも出来ない。逃げようとしても、あの怪人に追い付かれて二人ともやられちゃう」


 かすれる声をしっかり届けるよう、一言一句を大事に言葉にしていくライラス。

 その背面ではサイクロプスが棍棒を持ち上げ、今度こそ彼女らを潰そうと迫ってきていた。


「な、なら私がママを担いでいくよ! そしたらママだって助かるし、避難所で治療だってしてもらえるかもしれない!」


 ナタリーが必死に訴える。

 それは苦しむ母を助けたいという気持ち。そして、こんなところで母を失いたくないという気持ちからくるものだった。


「だから……、ママも――」

「馬鹿を言わないで!!」


 ナタリーの言葉を遮るように、ライラスが精一杯の叫びで訴えかける。


「どうして言うことを聞いてくれないの! こんな状況で、私まで助かるなんて無理よ! 頭の良い貴方なら分かるでしょ! お願いだから、くらいママの言うことを聞いてよ!!」


 血をポタポタと流しながら、ライラスは必死に訴える。


 厳しいことを言っているかもしれない。

 今のナタリーには堪えるかもしれない。


 それでも、この状態で自分まで助かるのには無理がある。


 なにより、自分に付き合って可愛い娘に命を落としてほしくなかった。


「う、うう……。うわああああああああああああああ!!」


 ナタリーは振り返り、大通りを再度駆けだした。

 娘に寄りかかる形でなんとかバランスを保っていたライラスの体は、支えをなくして地面に落ちる。


 ――これでいい。これでよかった。


 お腹の子には悪いことをした。

 外の世界を、一度たりとも見せてあげることが出来なかったのだから。


 もしここで自分が生きていられたなら、これからどんな生活が待っていたのだろう。


 ナタリーはお姉さんとなり、自覚が芽生えて家事を手伝うようになる。

 それから私を真似て、父が帰ってきたらいたずらにキスをするんだろうな。


 デリーは相変わらず忙しい日々だが、休暇の度に家に帰ってきてはナタリーと遊んで、「またやってしまった」と休暇という休暇を取ることが出来ないだろう。

 それでも騎士の生活は充実し、また新聞に載って私たちにからかわれてしまう。


 生まれた赤子は毎晩のように癇癪かんしゃくを起こし、おっぱいを飲ませてあげるとすぐに泣き止む。

 すくすくと大きくなって、いずれナタリーみたいに明るく、元気な子に育って……。

 

「……あれ……?」


 ライラスはふと、自分の頬を何か熱いものが伝っているのに気づく。

 血ではない。

 意識が遠のき、既に全身の感覚がないライラス。

 だが、熱い涙が頬を伝っているというのだけは分かった。




 ――ああ、そうだ。




 ライラスは薄れゆく意識の中、小さくなっていくナタリーの背中を見つめる。


 明朝、愛する夫が戦場に赴く時。

 そして今、愛娘が自分を見捨てて避難所へ駆ける時。


 ――無茶だけはしないで。

 ――私を見捨てて行きなさい。


 そんなことを言っておきながら、ほんとはこう言いたかったのだ。
















「行かない……で……」

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