第6話 少女の過去②
ウウウウウウーーーーーーーー……。
街中を大きなサイレンが鳴り響く。
街の端から端までを響き渡り、屋内にいた住民たちもなんだなんだと次々と屋外に出てくる。
その音と光景はやけに辛辣で不安を煽り、五歳であるナタリーを怯えさせるには十分すぎるものだった。
「パ、パパ……。何かあったの?」
サイレンがなるやいなや、一目散にデリーの背中に隠れたナタリー。
デリーの服を掴むその小さな手は、細かく小刻みに震えていた。
ナタリーの手を取り、「大丈夫」となだめるデリー。
しかしその優しい言葉とは裏腹に、心の奥には焦りがあった。
このサイレンの意味をデリーは知っていたからだ。
緊急事態警報。
街に危機が迫っている時、住民たちに避難を促す時に発令される警報だ。
《緊張事態警報。緊張事態警報。アンセル西門より、大量の魔物が襲来。住民の皆様は避難所へ。騎士の皆様は最寄りの駐屯地へ向かってください》
しばらくサイレンが鳴り響いたあと、大きなアナウンスとともにこの街に魔物の大群が侵入したということが知らされる。
近頃郊外では、活発化している魔物たちが問題となっていた。
魔物がなぜ活発化しているのか詳細は不明だが、いずれ居住区にも害を及ぼす可能性があると度々会議の議題に上がっていたのは記憶に新しい。
それがついに、きてしまった。
デリーがせっかくの休暇をもらえた、この日に。
「ナタリー! あなた!」
家の玄関からライラスがこちらに駆けてくる。
ライラスもこの異常な状況を察したのか、酷く焦った表情をしていた。
デリーはナタリーの手をライラスに預け、
「行かないと」
一言。そう発言した。
緊張事態警報が発令されるということは、この街が崩壊するほどの危機が迫っているということ。
これまでも魔物が街に侵入したことは少なからずあったが、それは警報を出すほどのことでもなく、門近くの駐屯地に身を構える騎士数名で対処できるほどの規模だった。
それが今回、街全体の騎士を集めなければいけないほど、街全体の住民を避難させなければいけないほどの規模で目前に迫っている。
騎士である以上、デリーはその勤めを果たすべく、それに立ち向かわなければいけない。
その思いを胸に、デリーは近くの駐屯地に駆け出し――
「パパ……」
その瞬間、背後からの自分を呼ぶ声に足を止める。
振り返ると、そこには相変わらず不安そうな表情を浮かべる愛娘、ナタリーがいた。
彼女は母であるライラスの袖を掴み、真っ直ぐな瞳でデリーを見ていた。
「……ナタリー」
ここでデリーの心が揺れる。
デリーは騎士である以前に、一児の父親だった。
この街に危機が迫っているという状況は理解できる。
それによって、たくさんの人々が苦しむかもしれない。
だが、目の前の娘の傍にいてあげることが、親としての務めではないのか。
ナタリーだけじゃない。妻のライラスもだ。
ライラスは元は腕利きの騎士ではあったが、今では引退し、さらにはお腹に新しい命だって宿している。
顔も名前も知らない住民に手を差し伸べるより、目の前にいる大切な家族の傍にいてあげる方が重要ではないのか。
デリーはゆっくりとナタリーに歩み寄り、目線を合わせるようにしゃがむ。
「すぐ帰ってくるから。帰ってきたら、今日の遊びの続きをしような」
ナタリーの頭を優しく撫で、自分に嘘をつくように笑顔でそう答えた。
「ライラス。ナタリーを頼んだ」
「貴方……」
ライラスは自分の気持ちを抑え、後に続く言葉をグッと心の中におさめた。
デリーは困っている人は見捨てられず、自分の身を投げうってでも他人を優先するような男だ。
今回も住民たちを優先するあまり、自分を犠牲にするに違いない。
だがそれでも彼女は夫の心境を知るが故に、
「無茶だけは……しないでね」
ただそう伝えることしか出来なかった。
デリーはその言葉に微笑みながら頷き、今度は自らライラスに口付けをしてから駐屯地へと向かった。
この瞬間がナタリーが自分の父親の顔を見る最後の瞬間だった。
※
ライラスとナタリーはすぐに近くの避難所へと向かった。
自宅のある住宅街を抜け、田舎道を抜けてから繫華街の大きな通りに入る。
その大通りを真っ直ぐに進めば避難所はすぐ目の前だ。
だが、彼女らはなかなかその通りに入れずにいた。
「噓……。ここにももう魔物が……」
場所は大通りに隣接する、狭い路地裏。
建物と建物の間に出来た小さな隙間にライラスとナタリーは身を隠していた。
思っていたよりも魔物の進行が早く、彼女らの目線の先には数体の魔物。
ここが西門に近い場所だということもあるかもしれないが、あまりにも魔物が多すぎた。
突発的な出来事で騎士たちの対応が遅れているのか。それとも魔物側に高度な知能を持った者がいるのか。
どちらにせよ、今の状況は非常にまずい状態だった。
「ママ……どうしよう」
路地裏の奥に身を潜めるナタリーが震える声でそう口にした。
ライラスはそれに寄り添うように、身を小さくして答える。
「ここで隠れていればあの魔物たちもどこかに行くはず。もう少し様子を見ましょう」
下級悪魔の『インプ』。
小さな体に
戦闘能力自体は高くないが非常に凶暴で、人を見つけると本能のままに襲い掛かるそんな魔物だ。
通りの真ん中にはインプのグループがいて、空き家から盗んできたのか大きな木箱を数匹がかりで漁っていた。
下級悪魔といってもその力は強く、一般人であるライラスやナタリーが無理矢理通りを横切ろうとすれば、あっという間に殺されてしまうだろう。
最も元騎士であるライラスだけであれば下級悪魔など目ではないが、傍に娘がいるのに加え、お腹には小さな命を授かっている。
そんな状況で強行手段に出るのはリスクが大きすぎる。
ライラスは自分の腹をさすりながら、そう考えた。
「……痛っ」
すると同時に、お腹の中から強い痛みを感じる。
外からの刺激に反応したのか、胎児がライラスのお腹を蹴ったのだ。
――もういつ生まれてきてもおかしくない。
既に臨月に差し掛かっていて、予定日もそう遠くはない。
最近になって吐き気や体のだるさも多く感じるようになっていて、お腹の中の子はいつでも準備は出来ているようだった。
その出産の兆候によるものなのか、それともこの緊張感のせいなのか、ライラスは今、酷く気分が優れずにいた。
「ママ、どうしたの? すごい汗……」
「え?」
ナタリーがライラスの身を案じ、心配そうな表情を見せる。
娘にこれ以上負担をかけないがため、必死に気分が悪いのを隠していたが、どうやら顔色には隠せていなかったようだ。
「だ、大丈夫よ。少し休めば直るわ」
嘘だった。
こんな状況で休めるはずもなく、吐き気も先ほどより強く感じている。
だがそれをナタリーに気づかれるわけにはいかない。ナタリーをより不安にさせるわけにはいかない。
ライラスは噓を並べ、必死に取り繕った。
「お腹が痛むの? しんどいの?」
「ううん」
「ほんとに大丈夫? 何か私に出来ることはない?」
「……ううん」
ナタリーはライラスを心配し、常に母の身を案じる。
彼女はとっくに気づいていた。母の体調が優れていないということに。
「……ママは奥で少し休んでて。私が様子見てくるね」
そう言ってナタリーは路地裏を少し進み、大通りの先が見える場所まで移動する。
「ナタリー……」
五歳なんて、まだまだ子供だと思っていた。
ところがお姉ちゃんになるからか、彼女は人の心情を読み、気遣いが出来る程までに成長していた。
ライラスは嬉しくなってしまい、ついナタリーに頼ってしまう。
――それがいけなかったのかもしれない。
通りに身を乗り出し、先ほどまでインプがいたところを確認。
そこには乱雑に荒らされた木箱があるのみで、凶暴な悪魔達はいなくなっていた。
「良かった。どこかいってくれたみたい……」
安全を確認し、ホッと安堵するナタリー。
今なら母を連れて、避難所までたどり着けるかもしれない。
そう思って振り返り、奥で休むライラスを呼ぼうとした瞬間、
「――――――――ア゛?」
日当たりがよく、照りつける日光を全体で浴びていた大通りに大きな日影が出来る。
それと同時に、頭上から酷く低いドスの効いた声が聞こえてきた。
見上げると、そこには巨大な怪人。
筋骨隆々の肉体と緑色の肌。歪んだ顔と一つしかない目玉。
片手に大きな棍棒が握りしめている、『サイクロプス』がそこにはいた。
「あ、ああ……」
ペタン。
目の前の圧倒的な存在感に気圧され、尻もちをつくナタリー。
サイクロプスはそんなナタリーが興味深いのか、目をぎょろぎょろと動かしてナタリーを観察する。
そしてゆっくりと手をナタリーに近づけ、
「ナタリー!」
ザシュッ!!
路地裏からナタリーを呼ぶ声とともに、空気を切り裂く魔法が飛んでくる。
それはサイクロプスの手首を一刀両断し、ナタリーに迫る脅威を打ち払った。
「ウ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!」
大きな叫びとともに、地鳴りをあげながら後ろへ後ずさるサイクロプス。
そして路地裏からは魔法を放ったと思われるライラスが出てきた。
「ナタリー、大丈夫?」
「う、うん!」
「良かった……」
と、胸をなでおろすのもつかの間。
木箱を漁り終えてどこかに行ってしまったはずのインプ達が、サイクロプスの叫びを聞きつけたのか通りに戻ってきていた。
「オイ、オンナダ! オンナトガキガイルゾ!!」
「コロセ、コロセ!!」
魔物たちはライラスとナタリーを見つけるやいなや、まるで飢えた獣のように彼女たちへ向かって羽ばたく。
「く……やるしかないわね」
魔物との戦闘。
一番やりたくなかった強行手段であるが、こうなってしまった以上仕方がない。
ブゥンという音と共に緑の小さな魔法陣がライラスの手のひらに展開される。
それを握りつぶすように拳を握ると、バキンッ!という力強い音と共に魔法陣が割れ、手の中に魔力が宿った。
「
それをそのまま、目の前に向かって横に振り払う。
瞬間、目の前に強い突風が吹き荒れた。
「ガアアアアアアアアアア!!」
インプたちは突風に巻き込まれ、甲高い声をあげながら次々と後ろに吹き飛ばされていく。
しかし、後ろにいたサイクロプスまで吹き飛ばせるほどの風量はなく、サイクロプスの腹につっかえる形で魔物たちはその場に留まった。
「ナ、ナンダ!?」
「マサカ、イッパンノマホウツカイカ!?」
いきなりの魔法に戸惑いを隠せない魔物たち。
「聞いて、ナタリー」
ライラスは地面に膝をつき、ナタリーと目線を合わせる。
そして片手でナタリーの肩を掴み、もう一方の手で通りの先を指差した。
「ここを真っ直ぐに進むと大きな噴水があるわ。それを越えてさらに先に進んだら、右側に大きな白い教会が見えてくるはず。そこが避難所よ」
避難所までの道順を簡潔に説明する。
頭の良いナタリーであれば一人でも十分たどり着けるだろう。
「え? ママは? どうするの?」
「私はここで、あの魔物たちと戦う」
ナタリーは耳を疑った。
敵は数体。対してこちらは、体調の優れない妊婦が一人だ。
母が元は騎士だったという話は聞いているが、それも自分が生まれる数年前だったと聞く。
――勝てるはずがない。
敵は小さなインプだけでなく、見るからに強そうで巨大なサイクロプスだっている。
どれだけ戦闘の知識があろうが、多勢に無勢で戦えばどういう結果になるか、五歳の少女でも簡単に判断できた。
「や、やだ! ママも一緒に行こう!!」
目に涙を浮かべ、そう訴えるナタリー。
そんなことをしている間にも、魔物たちは態勢を立て直しつつある。
「大丈夫よ。前にも話したことあるだろうけど、私は昔、パパくらい強かったんだから。それに、さっき私の魔法を見たでしょ?」
笑顔でそう答え、ナタリーを安心させようとするライラス。
実際その言葉に噓はなかった。
騎士を引退して数年経つとは言え、魔法を使ってこなかったわけではない。日常生活において魔法は必須であるからだ。
攻撃魔法自体を使ったのは久しぶりだったが、先ほど使ってみた感じ手ごたえは悪くない。
インプにサイクロプス、大きなヘマさえしなければ、この魔物たちにも問題なく勝てるものだと思っての発言だった。
それにここにナタリーを置いておくのはあまりに危険だ。
敵は複数。その内の一体が、標的をナタリーに切り替えてもおかしくはない。
かといって二人でここから逃げ切るのは、幼児と妊婦の足では不可能だと考えた。
誰かがここに残り、魔物たちを足止めしなければならない。
ナタリーは言葉を口にすることなく、今にも泣きだしそうになりながら力強く頷く。
ナタリーもここで自分が何をするべきが最善なのか、頭では分かっているようだ。
「いい子。ここが片付いたらすぐに私も向かうわ。避難所で騎士さんの言うことを聞いて、大人しく待っているのよ。さぁ、行きなさい」
ライラスはナタリーの背を押し、魔物たちと対峙する。
両手に魔法陣を展開。魔力を高め、襲ってくるインプたちに向けて魔法を放つ。
ナタリーはその場で、少し戸惑った。
見る限り戦況はライラスに傾いている。
風を主とする強力な魔法の連続に、インプたちは防戦一方。
唯一の課題点だったサイクロプスも、手首を切り落とされたショックから後ろでずっと俯いていた。
――行こう。振り向かずに。真っ直ぐ。
――私のママを。かっこいいお母さんを信じて。
ナタリーは大通りの先を見据え、精一杯に駆けだした。
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