第4話 運命的?な再会
「ぶえええええっっくしょおおおおおん!!」
薄暗い地下牢獄に、一つの大きなくしゃみが鳴り響く。
その声は壁と壁で跳ね返り、まるでやまびこかのように反響した。
「ううッ、寒すぎるだろここ。いくら犯罪者だからってもうちょいマシな待遇してくれないもんかね……」
龍一はあまりの環境の悪さに、つい不満を漏らす。
時刻は深夜。
地下ということもあってか、夜の牢獄はやけに冷えていた。
それなのに暖を取る手段がこのバスタオルのような薄い毛布しかないというのだから、つい文句も吐きたくなるものだ。
とっくに消灯時間は過ぎていて普段の彼ならとうに夢の中だが、あまりの寒さになかなか寝付けないでいた。
「これは早めに脱獄しないと、割と本気で体が持たないな……」
ズズッっと鼻水をすすりながら、そんな一言を呟く。
龍一はこの世界で『魔王をブッ殺す』ということをとりあえずの目標とし、まずは脱獄の計画を練っていた。
しかし、数時間にわたる考察は実を結ばず、龍一の頭に脱獄の案は一つも浮かんでいなかった。
よくある展開ではここで反乱軍か何かが主人公を助けにくるものだが、恐らくこの世界はそんなに甘くない。
自分で考え、自分で行動しなければ生き延びることは出来ないだろう。
でなければ、転生初日に投獄されるなんて最悪の展開になることはなかったはずだ。
ファンタジー世界に転生したというのなら、バンバン魔法を操ったり、魔物を倒して英雄を気取ったりを想像していたが、それがこれとはあまりにも酷い仕打ちだ。
「全く……。ほんとに飛んだ期待外れだ」
転生ものの相場は、主人公がチートスキルに目覚めて異世界で無双すると決まっている。いわゆる俺TUEEEとかゆうやつだ。
それなのに転生しても、龍一の身体の中に変化は感じられない。
この世界でヒューマンは知能を生かして魔法を操る最強種族だと言われているらしいが、本当にそうなのか。
――どれ。試してみるか。
龍一は牢を囲んでいる鉄柵に向かって身構え、転生ものの作品でよくある、ベタな魔法の名前を叫んでみる。
「真空波動拳!!」
――違う、間違えた。
ある格闘ゲームの技名を魔法っぽく叫んでみるも、肝心の鉄柵は当然のように動かない。
囚人を閉じ込めている牢は鉄柵で覆われており、その柵は一本一本がかなりの強度だ。
押しても引いても動くはずもなく、今度は冗談抜きで渾身のタックルをかましてみたが、背骨が悲鳴をあげただけで当の鉄柵はびくともしない。
考えてみれば、明らかに龍一より力の強そうなドワーフが現に牢屋の中で静かにしているのだから、非力なヒューマンが力技で出られるはずもなかった。
「……そういえばこのドワーフはどうしてこんなところにいるんだろうな」
隣の牢屋で気持ち良さそうに眠るドワーフを見てぽつりと呟く。
よくこんな寒い中で眠れるものだ。
長い髭が毛布代わりになってくれているのだろうか。
このドワーフとは少し話をした程度だが、投獄されるほどの悪人には見えなかった。
この世界にとって厄災扱いである人間にも優しく接することの出来るほどの人当たりの良さに加え、素行も悪そうには感じない。
しばらくここから出る方法を考えようと思っていたが、龍一の頭にはもう少しこのドワーフと仲良くなってからでもいいかもしれない、という考えが浮かび始めていた。
そんなことを思っていると、
コツン……コツン……
廊下の奥から、誰かが歩く足音が聞こえてくる。
それは徐々に近くなり、こちらに近づいているのが分かった。
なんだ? こんな時間に見回りか?
龍一は顔が隠れるくらいまでに毛布を深くかぶり、横になった。
ドワーフから見回りの看守が定期的にくるとは聞いていたが、消灯時間後は来ないと言っていたはずだ。
それとも新しく囚人が増えたから警戒を強化しているのだろうか。
とにかく、ここは大人しく寝たふりでもしてやり過ごすのが吉だ。
こんな時間に起きていたら、なにか企んでいるのかと勘違いされても不思議じゃない。
コツン……コツンッ。
ようやく足音が聞こえなくなった。と、思ったのも束の間。
……なにかがおかしい。
足音が聞こえなくなったというより、龍一のいる牢屋の前で足音が止まった。
ようするに、龍一の牢屋の前で看守が立ち止まったのだ。
龍一は特にあやしい動きなどしていないし、今の彼は客観的に見れば大人しく寝ている囚人にしか見えない。
ではなぜ看守はそこで立ち止まったのか。
龍一には皆目見当もつかなかった。
帰ってくださいお願いしますもう乱暴な目は合わせないでください何でもしますから暴力だけはやめてください分かったらそんなところにいないではよ帰れ
歯をガタガタと震わせながら、怖がっているのか強がっているのか分からない言葉を心の中で念仏のように並べていると、ふと顔に砂利のような粉末状のものがかかってくるのを感じる。
「ねぇ、寝てるの?」
「……?」
——おかしい。
消灯前に見回りの看守が何回か来たことはあったが、それは全員男性だった。
しかし、今聞こえてくる声はとても透き通った綺麗な声で、明らかに女声だった。
龍一には全くイメージが湧かなかったが、女性の看守がいてもおかしくはないものなのだろうか。
「ねぇ、起きて」
呼びかけるような声と共に、龍一の顔にさらに砂利が飛んでくる。
起こそうとしているのだろうが、その手に乗るわけにはいかない。
いくら女の子に呼びかけられようとも、この状況で話すことなどなかった。
——俺は絶対に起きない!!
分かったら早く諦めてどこかいってくれ。
「起きてってば……!」
バシャア!
しびれを切らしたのか、一度目や二度目とは比べ物にならない大量の砂利が龍一の顔に覆いかぶさってくる。
「うわぁっ! な、なにしやがる!」
龍一は耐え切れず、つい上体を起こしてしまう。
「……あ」
「あ、起きた」
しまった、と眉根をひそめる龍一を尻目に、龍一を起こしたと思われる女性が嬉しそうに表情を晴らす。
そこには昼に冒険者ギルドで龍一が一番に声をかけた、エルフの女性冒険者が立っていた。
昼の衣装とは違い全身が隠れるほどの大きなローブを羽織っているが、内側から覗くその可憐な顔立ちは隠しきれていなかった。
「君は、あの時の……」
急な再会につい頬を赤らめてしまう龍一。
龍一としてはこの運命的な再会の時間をもう少し楽しんでいたかったが、エルフは龍一が起きたことを確認すると、一瞬だけ緩めた表情を抑え、慣れた手付きでそそくさと牢の開錠を始める。
「話は後。とりあえずすぐにここから出て」
キーピックのような針金を器用に使いこなし、あっという間に鍵を開錠してみせたエルフ。
あまりに急な展開に、龍一は全く状況を飲み込めないでいた。
「何してるの? 早く」
「え、えっと……。ここから出してくれるのか?」
急かすエルフと対局的に、龍一は彼女に疑問をぶつける。
彼女と龍一は決して仲が良いわけでもない。
それどころかギルドで一言会話を交えただけ間柄で、情が湧くような接点などあるはずもなかった。
——それに「私とは関わらない方がいい」なんて言われたし……。
龍一は未だにギルドで彼女に振られたことを根に持っていた。
「ええそうよ、とりあえず急いで。いつ騎士が見回りにくるか分からないわ。事情は後で話すから」
彼女はそう言ってから、連いてきて、と言わんばかりに手招きをする。
そして早足で階段の方へと向かった。
いくつか不審点はあるが、龍一はとりあえず考えることをやめ、彼女についていくことにした。
ここから脱出できる機会なんて滅多にない。
せっかくここから出してくれるというのだから事情はどうあれ、彼女の指示に従おう。
龍一は急ぎ足で彼女の背中を追いかけた。
※
「よし、ここまで来たら十分ね」
彼らは地下牢獄を抜け、街の中心街からかなり離れた田舎道へとたどり着いた。
日の出が近いのだろうか。空は少しずつ白んできている。
かなり息が上がっている龍一に対し、エルフの冒険者は平然としていた。
「大丈夫?」
「……全然平気だ」
女の子に気を遣われ、恥ずかしくなってしまった龍一は変に強がる。
だがその鼻息は荒く、肩で息をしているのが一目で分かる。
「足が付かないように城中回ったから、鍛えてないと確かにきつかったかも……ごめんなさいね」
自分の気が効かなった、と女の子は謝罪。
――やめてくれ、女の子にそんな深く頭を下げられたら、俺の男としての威厳が無くなる。
長い廊下を抜け、窓を飛び越え、中庭を抜けて部屋を何度も往復した。
確かに陸上選手でもきつそうなハチャメチャコースだが、女の子が平然としている状況で龍一だけがばてているのは情けなかった。
「自己紹介がまだだったわね。私はナタリー、ナタリー・アセンブルクよ」
フードを外し、黄金色の綺麗な髪をなびかせながらナタリーと名乗るエルフの少女。
改めて見ると本当に綺麗な顔つきだった。
月明かりに照らされ、碧眼の瞳がより一層輝いて見える。
「俺は龍一、杉野龍一だ」
「スギノ・リューイチ? 珍しい名前ね」
こちらの世界にきてから、あまり名乗ることのなかった龍一。
言われて見れば日本人の名前はこの世界からすれば珍しいのかもしれない。
この世界では杉野龍一改め、スギノ・リューイチと名乗ることにしよう。
「ああ、そういえば遠い島国出身だなんて言ってたわね。なら納得だわ」
ナタリーはそう言って、リューイチにとって非常に都合の良い解釈をしてくれる。
名前や出身地について言及されてみてば、最終的には自分が人間だと告発するしかなかったからだ。
「おうそうなんだよそれじゃ助けてくれてありがとな」
「え、ちょっと」
リューイチは一刻も早くこの場から立ち去るべく、早口で別れ言葉を吐いて振り返る。
助けてくれたのは有り難いし、この恩はしっかり返すべきだと思う。
だが、とりあえず今は自分が人間だということは知られたくない。
人間だとバレた瞬間にどんなひどい目に合わされるかは既に身をもって体験済みだ。
幸いこのエルフ、ナタリーはリューイチが人間だと発言した時既にギルドの中にはいなかったみたいだし、それに気づいてる可能性は低い。
自己紹介を終えてさらに素性を聞きだされる前に、この場から立ち去ろうと思っての行動だった。
「待ちなさい」
ガシッ
立ち去ろうとするリューイチの手を、ナタリーは逃がさないと言わんばかりに力強く握る。
――おぉん、なんて情熱的な握手だ。俺じゃなきゃときめいちゃうね。
そんなことを思いながらつつ、内心満更でもないほどリューイチの心臓は飛び跳ねていた。
「せっかく助けてあげたのに、まさか礼もなく立ち去るつもり?」
――ですよねー、やっぱりそうなるよねー。
仕方ない、ここは話を合わせるふりをして隙を見て逃げるしかないか。
「悪い悪い冗談だよ」
試しにハハハと分かりやすい作り笑いをして場を和ませようとする。
が、ナタリーにはあまり効かなかったようで、逆に冷たい視線を浴びせられた
「……まぁ事情も説明せず助けられたら、なにかやましいことがあるのかと疑いたくなるのも無理はないわね」
ナタリーはそう言って、またもご都合的解釈をしてくれる。
キツそうな口調と見た目から、リューイチはこの子に対して勝手に上品なイメージを浮かべていたが、ひょっとして中身は案外天然なのかもしれない。
「とりあえず事情を説明するわ。分かっているかもしれないけれど、貴方を助けたのには
リューイチは唾を飲む。
彼女とは大して面識があるわけでもなく、助けてもらうほどの借りを作った覚えもない。
そんな中、なぜ彼を助ける必要があったのか。
「まず聞きたいんだけど、あなたは本当にヒューマン?」
「……!」
思わず口をつぐんだ。
どうやら彼女もリューイチがヒューマンだということをどこかで聞いていたらしい。
確かに彼は紛れもない人間、ヒューマンだ。普通ならこの質問には即答することが出来る。
しかしこの世界の惨状を知ってしまったからには、すぐに答えることは出来なかった。
「否定しないってことは、肯定の意味で捉えていいのかしら」
口をつぐんだままのリューイチを見かねて、ナタリーが威圧するようにそう発言する。
否定は出来ない。
だが面と向かって肯定することもリューイチには出来なかった。
それからナタリーは、無言の圧力でジッと龍一の方を見る。
リューイチはその緊張感に耐え切れず、意を決してこう答えた。
「……ああ、そうだ」
「……そう」
リューイチの答えに対し、ナタリーは静かに一言で返答した。
なぜヒューマンだということを確認したのかは分からないが、良いイメージは浮かんでこない。
もしかしたら過去にヒューマンに酷いことをされていて、国による罰ではなく、自らの手で制裁を加えたかったのかもしれない。
リューイチは歯を食いしばった。
「ならきてほしいところがあるの。ついてきて」
ナタリーはそういって振り返り、またも小さく手招きをしてから歩を進める。
リューイチになにかをするわけではないのだろうか。
そんな疑問が浮かんだが、とりあえずは酷い目に合わされなかったことに安堵する。
今なら彼女に気づかれないように逃げることが出来るかもしれないが、リューイチはどうしても彼女の表情が気になってついていくしかなかった。
一瞬だけ浮かべた、寂しげな表情が。
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