第9話 こじらせ騎士は決意した!



 見間違えでなければ、部屋に飛び込んで来た令嬢はベルタ・エラ・クンツェンドルフ嬢である。

 我輩に似た美しい緑の瞳に、艶やかな黒髪。やや日焼けした肌に、ちょっぴり散ったそばかす。素朴ながらも愛らしい顔に、見事なおっぱい。うむ。間違いなくベルタ嬢である!

 ……何故に右手に扉の残骸を持っておるのか……いや、考えまい。我輩、乙女の秘密には寛容である。


「ジーケルト様……!」


 ベルタ嬢はサッと手に持っていた扉を素早く後ろ手に放る――勢いがあったのか廊下の壁にドゴシャァッとめり込みおったな――と、ヘタレを見てパァァッと音がしそうな勢いで顔を輝かせた。

 ほほぉん?


「こ、これは、クンツェンドルフ様、何故なにゆえ、このような場所に?」


 老爺が慌ててベルタ嬢に問いかける。坊主は廊下の壁にめり込んでいる扉の欠片に慄いていた。

 そしてベルタ嬢はヘタレに視線をロックオンしたままである。

 ははぁん? これは、もしや、アレであるかな~?


「あの……クンツェンドルフ様?」

「あっ……その、私は、ジーケルト様が街の治安維持に奔走されていると聞きまして……」


 なんと、なんと、ヘタレよ、我輩が何もせずともおぬしの将来は安泰ではないか! そういえば、騎士団の宿舎に来た時も、ヘタレにわざわざ手を伸ばして触れておったな。ははぁん、あれは恋しい相手の傍にいたいというレディの精一杯の意思表示であったか。むふふふ。恋は良いものであるなぁ!

 さぁ、ヘタレよ! 恋しい娘に告白してすぐにラブラブになるがよいぞ!

 我輩がキラッキラした目で見つめる先、ヘタレは微振動しながらなんとか――そう! 奇跡的に!――声を絞り出した!!


「……手合わせ」


 心の底から馬鹿であるなヘタレ!!

 何故そこで出てくる単語が『手合わせ』であるか!? おぬし本当に脳みそが筋肉で出来ているのであるな!? もう知恵の実を探すしか術が無いのではないかな!?

 ほら見るである! 老爺も坊主も侍女もポカーンとした顔であるぞ!?

 ベルタ嬢なぞ見るからに顔を輝かせ……て……んん~?


「わ、私でよろしければ!!」


 おぬしも脳筋であったか!!

 そう言えば大男が『剣鬼』とか言っておったな!? たいした武人であるとのことであるが、だからといって何故お年頃の男女二人が揃って『手合わせ』!? もう少し甘酸っぱいアレコレは無いであるか!?

 人間界、難しいである!!


「お待ちください、ベルタ様。伯爵令嬢が王国騎士と剣を交えるなど、よほどの理由が無ければあってはならないことです」


 おっと! 侍女が素早くにじり寄るベルタ嬢にストップをかけたであるぞ!

 ……危うかったである。我輩、うっかり防御を忘れていたである。あのままの勢いでベルタ嬢がヘタレにタッチしたら、またヘタレが死んでいたである。侍女よ、グッジョブであるぞ!

 それにしても困ったであるな。ベルタ嬢の好意が判明したというのに、ベルタ嬢のタッチは常にヘタレに即死判定である。まともに手合わせ出来るのであるかな~?

 あと、ヘタレよ、うら若き娘の情熱の瞳に何故気づかぬのであるか? あきらかに恋焦がれる肉食獣の眼差しであるぞ? ……いや、気づけぬであるな。すまぬである。我輩が悪かったである。


「そんな……せっかくジーケルト様と手合わせが出来ると……」

「…………」


 ベルタ嬢は目に見えて落ち込んだ。

 ヘタレも密かに奈落レベルで落ち込んだ。

 あまりに落ち込みっぷりに侍女が慌てたほどである。


「いえ、その、騎士団の上の方と、伯爵家の合意のもとに、指導――そう、ベルタ様に剣の指導をされるなどの名目をつけてであれば、心ゆくまで手合わせすることも可能ではないかと愚考いたします」

「騎士団の上の方と、お父様の――公認ということですね!?」

「そう……ですね?」

「それは良い考えです! 早速お父様に伝書バトを飛ばして騎士団に要請をさせていただきます!」


 顔を輝かせたベルタ嬢が部屋を飛び出――そうとしてグリッと方向転換してヘタレに再度向き直った。

 来るか!?


「ジーケルト様、お嫌でなければ、私との手合わせを我が父に願うことをお許しいただけますか?」


 ヘタレ、コックリ。


「ありがとうございます!」


 ベルタ嬢の輝く笑顔に、棒立ちのヘタレの魂がスゥッと天に昇りかけて我輩慌てて抑え込んだ。ヘタレ! 生きよ!! おぬしどうしてそう死にやすいのであるか!?


「あ、あの、これ、また、その、つまらないものですが!」


 もじもじしたベルタ嬢がサッと侍女が差し出したバスケットを勢いよくヘタレの腹にゴスッ! と追撃した。ああっ! ヘタレ! 耐えるであるぞ!?


「よかったら、お食べくださいまし」


 物理攻撃に対しては頑丈なヘタレが反射でバスケットを受け取ると、ベルタ嬢は恥じらいの表情で「それではまた、ごきげんよう!」と告げて颯爽と走り去ってしまった。――扉を破壊したまま。


「……こちらは扉の修繕費となります。お騒がせいたしました」


 侍女がススッと動いて老爺に布袋を渡し、そのまま幻のように姿を消す。――なんで侍女が隠形の術を使えるのであるかなー? まぁ、我輩の目にはスカートをたくしあげて全力疾走する侍女の姿が見えているわけであるが。


「……なんだか、すごかったですね……」


 しばらくしてからようよう口にした坊主の台詞が、やたらと我輩の心に響いたのだった。






 ベルタ嬢の乱入で気勢を削がれた老爺と坊主は、あれ以降、我輩への追及を忘れてベルタ嬢とヘタレの手合わせ実現に向けた話し合いをした。自国の有力貴族の娘と王国騎士の『手合わせ』は、一歩間違えれば一騎打ちととらえられかねないらしく、自分達の興味をくすぐる我輩の存在を一時忘れる程度には大変な事態であったようである。

 ……人間界、めんどくさいであるな?

 結論としては、伯爵から騎士団に『娘への指導要請』がくるまでは手合わせをしないこと、この件に関しては吹聴しないこと、正式に命令が下るまでヘタレからは動かないこと、などを注意された。ヘタレもやればできる子であるから、それぐらいの注意は守れるであろう。……たぶん、きっと。信じておるぞ! ヘタレよ!!

 そしてそんなヘタレはというと、傭兵組合を出た後凄まじい速さで人のいない路地裏に突撃し、我輩を両手に抱いて口を開いた。


「猫ちゃん! ありがとう!」


 いきなり何故お礼を言われるであるかな~?


「我輩、何もしておらぬであるぞ?」

「ベルタ・エラ・クンツェンドルフ嬢が最初に団に来た時、尻を押してくれた!」


 吹っ飛ばしたの間違いではないかな~?


「吹き飛ばさずとも、いずれはこうなったのではないかな?」

「いや、あの日から今日までの流れで、ベルタ・エラ・クンツェンドルフ嬢に手合わせを快諾いただけたのだ。猫ちゃんのお手柄だ!」

「違うと思うであるぞ~?」


 そもそも、今日の様子を思い返して過去を振り返るに、ベルタ嬢がヘタレに好意を持っているのは明白である。我輩の手助けなぞいらなかったである。

 それに我輩、あの日からの流れでずっと誤解が超加速している気がするである。間違いない。

 まぁ、エライ悪魔である我輩はそんな些細なことなぞ気にしないであるが。


「そんなことよりも、ヘ――いや、アンゼルムよ、おぬし、あの令嬢とまともに手合わせ出来るのであるか?」


 眼差しがあった途端に死ぬのでは無いかな?


「まともに、とは?」

「あの眼差しを向けられていつも通りに動けるのであるか? 陶然として目を見つめるのに精いっぱいになって棒立ちになってしまうのではないかな?」

「ぐぅっ……それは、俺にも、分からない……!」

「そこは雄らしく『問題無い』と言い切ってほしかったであるぞ!?」

「分かっている。戦場で一瞬の油断が命に係わるのは分かっている! だが、あの方の目を見つめて、普段通りに剣を……ぐぅ……分からない、その時になってみなければ……!!」


 おぬし、底抜けに惚れた女子に弱いであるなぁ……


「だが、ベルタ嬢はおぬしと剣を交えることを楽しみにしているのであろう? そしておぬしは剣であれば存分に心を語り合えるのであろう?」

「ハッ……そうだ……そうだとも、猫ちゃん!」

「ならば、思いの全てを剣に託して語り合うためにも、ベルタ嬢の眼差し一つで身動き一つとれなくなるような無様な真似は出来んのではないかな?」

「うむ……その通りだ!」


 ヘタレは力強く頷いた。

 先程までの狼狽えっぷりが嘘のように全身から気迫が迸っている。

 うむ! 雄ならばこうでなくてはならぬである!


「アンゼルムよ。騎士たるおとこよ。汝はその思いを伝えるため、正式な命令が下る前にベルタ嬢とまともに打ち合えるよう、自らを鍛えるである!」

「ああ!」


 我輩の激励に、ヘタレは気力を漲らせて言った。


「目を瞑って戦えるよう、心眼を体得してみせる!!」


 果てしなく馬鹿であるなヘタレ!!





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