第五章 アポカリプス

第33話 下る裁き

 変化は町中で起きていた。


 機傀ドールたちの動きがほんの少し止まり、再び動き出して数分後には彼らの動きは全く違うものになっていた。そして何より、彼らは笑うのをやめていた。


「このっ!」


 魔法使いの一人が機傀ドールへ向けて魔法を放つ。それは影へと着弾し、影の通りに対象を操り破壊する魔法。だが、黒い球体が機傀ドールの影に着弾する直前。


光陰蛍フローライト


 小さなつぶやきとともに機傀ドールが光に包まれ、その影が消える。虚空に着弾する自身の魔法をよそに、魔法使いは目を疑っていた。


 今のは魔法の中でも初歩の初歩のもの。だが、それを機傀ドールが使った。機傀ドールの腕に刻んだ魔法陣が見ても明らかだ。


 だが、


「そ、そんなわけがない! そんなわけが……!」


 動揺する魔法使いのもとに、無数の銃弾が叩き込まれた。


 戦場の色が変わる。


 ある場所では魔法の仕組みを看破された魔法使いが命を落とし、ある場所では魔法が逆に利用されて魔法使いが命を落とす。いままで通じていた手段が突然通じなくなり、動揺は死とともに戦場に広がっていく。


 六花天蓋宮を維持しているビルにも機傀ドールが集まりだし、そこに張ってあるバリアではなく各ビル同士を繋いでいる経路自体の破壊へと動きだす。


 このままでは六花天蓋宮が解除される。そうなれば、彼らが得た魔法の知識が世界中の機傀ドールに共有されることになる。だが、それをわかっていても、止めに向かえる魔法使いはいない。


 戦場は乱れ、敵からも味方からも魔法が飛ぶようになる。彼らが使うのはほんの初歩的な魔法と、得た知識を生かしたより的確な魔法への対処。言ってしまえばそれだけのことだが、機傀ドールが魔法を使う姿は、その事実以上に戦場に立つ魔法使いたちの心を抉り、彼らの心の支えを折った。


「終わりだ……」


 多くの仲間を失いながらもジュピターを破壊しきったヘイルが、地に膝をついてその杖を零れ堕とした。


 一方、


「えっ……! えっ!」


 事態の変化を最も大きな規模で把握していたのはサーニャであった。この町中の人の心を把握している彼女は、AMANECERの本部へ帰還中に、町中に感じる『人の心』が急増していくのを感じていた。


 一つ二つではない。何百何万とその数は増えていく。それは人よりだいぶ単調ではあるが、確かに心と呼べるものであった。


「そんな……うそ……」


 同時に魔法使いのものと思われる心が急激に減っていく。六花天蓋宮へ集まっていた機傀ドールたちがその弱点と言える中間経路の破壊へ向かい始めたことも今の彼女にはわかってしまう。


 生まれたばかりの心の萌芽。それは驚異の卵そのものだ。


 本部となっている巨大樹で爆発が起こる。防衛しきれなかったアルデバランからの砲撃を受けてしまったのだろう。雷雨の中で新月樹が燃え上がり、戦場の火は止まらす、希望の灯はどこにも見えない。


 本部へ進めていたサーニャの足が止まる。未来の暗さに体が凍り付きそうになる。だが、彼女の中に問いが響く。


 なんのために生まれたか。自分は何者なのか?


 そう、その答えは、


「わからない。だから、今できることを……!」


「サーニャ……?」


 彼女に抱えられたラピが怪訝な声を上げるが、それも耳に入らない様子でサーニャは本部とは別の方向へ駆けだした。




 ◆◆◆




 空にいくつもの閃光が舞う。雲よりもずっと低い位置で飛び交うその光は、ルナとアークトゥルスの戦いの光。先刻から続くその戦いはすでに一方的な展開となっていた。


 使い捨ての魔道具によって空を走りながらルナは右腕の獣を銃口に変形させて音を凝縮させた衝撃波を撃ち放つ。


 音速を超えて一直線に空を裂いたその一撃はしかしアークトゥルスに直撃する直前で大量の電光とともに周囲に四散した。当然のように無傷。彼を守ったのは、周囲に張ってある流体障壁……だったものだ。


 瞬間的な物理攻撃のみを防いでいたその障壁は、今や表面に電気の魔法陣を纏い、ルナの渾身の一撃すら防ぐ代物と化していた。


 リングで出来た翼をはばたかせ、宙を滑るように移動しながら彼がルナに指を向ければ、彼の羽から無数の電撃が撃ち放たれ、それらは龍をかたどってルナを襲う。瞬間的に走る電撃よりもずっと遅いが、それらはちょうど音速を超えないようにされた意志を持った電撃。音霊喰らいオトガイで消せないその攻撃をルナは衝撃波や空木返しで撃墜していくしかない。その間に放たれた亜音速の弾丸がルナに叩き込まれ、それもまた張りなおしたプルートーを貫通して電撃を体に走らせる。


「がぁっ!」


 態勢を崩して近くのビルに激突しそうになるが、即座に持ち直して空へ上がる。その彼の背後で彼が激突するはずだったビルが電磁パルスの爆発に包まれる。


「くっ……」


 電撃は障害物があるほうが躱しやすいが、電磁パルスを放つあのリングも死角から彼を狙い放題になる。苦しいとわかっていても彼は空の戦いを選ぶしかない。


 空を駆けられる魔道具の効果もそう長くは続かない。いやそれよりも、


(融合時間、残り二分)


 音霊喰らいオトガイの効果が切れるのが先だ。


 息を切らし必死に頭を巡らせても、活路がどこにも見出せない。そもそも、疲労とダメージと苛烈な攻撃で思考をする余裕もない。


 ルナは背中のリュックへ意識を向ける。今アークトゥルスに食らいつけているのは、音霊喰らいオトガイのおかげだ。これ以外の魔道具でアークトゥルスに対抗できるものなど……。と、その思考を巡らせたのは明確な隙であった。


 死角より迫った雷の竜が背中から彼に食らいつき、高電圧をまともに喰らう。


「がああぁぁ!」


 その一撃はプルートーの許容値を超えてルナへ電撃を走らせ、彼の背負っていた魔道具が高電圧に次々に破壊される。


 ギリギリで意識を保ったルナは、黒い獣を大量に自分の周囲に展開し追撃を防ぎ、凄絶な表情でアークトゥルスを睨みつける。


「で? 仮に俺に勝ったとしてどうすんだよ? いまさらそれが何になるよ」


 そう言ってアークトゥルスが視線を向ける先は、戦火が上る最前線。今や戦場の光はAMANECER本部の間近まで迫っており、アルデバランも未だ落ちていない。


「……関係ない。できることをやるだけだ!」


 そう叫びながら、展開した黒い獣を一斉に放ち、自身もアークトゥルスへ突っ込んでいく。時間もなく、遠距離攻撃も全て撃ち落とされる今、もはや最後の希望は近接攻撃以外にない。後のことを全て忘れ、己のすべてを賭けてルナはアークトゥルスの障壁に獣の右腕を叩きつける。障壁は大量の電光を無音の嵐の中にまき散らしながらルナの拳を阻み続ける。


「できることをやるだけ? ハハハッ。いやそいつはちげぇな」


 目の前に迫るルナの拳に臆することなくアークトゥルスは笑う。


「何にもならねぇことやるのは、できることをやってるとは言わねぇだろ。そいつは逃げてんのと一緒だよ。現実逃避ってやつだなぁ!」


「……!」


 辛辣な言葉は黒い棘となって彼の心に深く刺さる。しかし、その痛みを感じる前に、彼の脳裏に現れたデルカがその棘を消し去る。


(そうだ。違う。できることがあるから行動してるんじゃない!)


 できることを、最良手を打つだけなら、どうして正体不明のルナを助け、戦わせることができただろうか。


 そう。違う。デルカは違った。


 彼の瞳に光が戻る。


「……それがどうした!」


 ルナの拳が二つに割れる。それは損傷のせいではない。殴りつけながら電光を目くらましに変形させたその腕は、割れるためにその形になったのだ。そう、真っ二つに割れるために。


 空木返し。


 アークトゥルスを覆っていた障壁が真っ二つに割れる。すかさずその中に体を押し込み、右腕を獣の形に変形させながらその牙を雷に輝かせ、ルナはアークトゥルスへ拳を振り上げる。


「それが何にもならないことでも! やりたいと思ったことやるのが人間なんだよ!」


 仲間のために、助けるためにルナを戦わせてくれたデルカのように、やりたいことと、叶えたい願いのために……。


 何になるか、ならないではなく、何がしたいか、何を願うか。その瞬間に道は開ける。


 自分が何者であるか。その問いにルナは答えることができる。記憶を取り戻したからではない。それは与えられるものではなく、見出すもの。


「俺はデルカの思いを継ぐ! 勝ち筋が見えなくても、諦めない! 戦い続ける!」


 振り下ろされたその牙は鋼鉄も切り裂く高周波ブレード。金属部品をほとんど使っていないバイオロイドに耐えられる一撃では――


「ハハッ。なるほどね。心があるからってか? でも俺らもあるぜ、それ」


 無音の世界に衝撃の嵐が吹き荒れる。目を見開くルナの瞳には、渾身の一撃をその腕で受け止めるアークトゥルスの姿があった。


「硬化魔法ってやつ? 電撃で瞬間的に何百回も発動させるとすげぇ硬度になるんだな」


 そのまま硬い拳をルナへ向けて振り上げる。


 それを防ごうとルナは腕を掲げようとするが、


(融合終了)


 彼の体から機械が剥がれ落ち、すべての武装がガラクタへと変貌して宙に散る。


 最後の希望を砕かれたルナには、時間間隔すら破壊され、自身に迫る拳すらゆっくりに見えた。


 万策尽きた。


 ここは嵐の空の真っただ中。背中の魔道具もほぼすべてが破壊され、そもそも取り出す時間もない。手の届く範囲に都合のいい兵器などあるはずもない。


 いや……


(兵器……?)


 ある。


 引き延ばされた時間の中で、ルナは自身へ振り下ろされる拳へ向けて、形の戻ったばかりの右腕を伸ばす。


「……‼」


 アークトゥルスが気づいたときにはもう遅い。


 一閃の雷が空を照らし上げたその瞬間、バイオロイドという兵器とルナの拳が接触した。


 瞬間、爆発のごとき勢いで展開される魔法陣。それはルナの右腕を分解してできた機械と融合するための魔法。


「ぐっおおおおぉ!」


 アークトゥルスの表情が歪み、彼の左腕から指先から一気に分解されていく。しかし、


「ガアァッ!」


 無理やり体を捩じって彼は自身の腕を引きちぎり、ルナより高く空へと舞い上がる。


「ハハハッ! スピカから情報聞いといてよかったぜ! こうしたら逃げれるもんなぁ!」


 光に包まれ、半端に左腕だけと融合していくルナを見ながら、今度こそアークトゥルスは勝利を確信する。腕には雷撃を誘導する程度しか主だった機能はない。


 どの攻撃手段を用いてもルナは終わり。そもそもこのまま放っておくだけで彼は数百メートル近くも落下して地に叩きつけられる。回復機能で死にはしないだろうが、止めを刺すには十分だ。


 アークトゥルスの表情に自然と笑みが浮かぶ。それは今までの記号としての笑みではなく、彼に生まれた心が引き出した彼の心の姿。


 苦しまぎれかルナがさっき融合解除した際に散った金属片を投げつけてくる。


 アークトゥルスが知り得た魔法の知識と科学の情報を照らし合わせて分析しても本当にただの金属片。辿りつくまでに十分に分析し終え、軽々と彼はそれを躱し、自らを突き動かす熱い感情の赴くままに銃の形を作った手をルナへ向けた。


「じゃあなぁ! 神に祈りな!」


「ああ……。祈ってる」


 そう返したルナの声は、本当に神にでも祈っているかのようにおだやかで、そしてアークトゥルスと同じようにその右手を銃の形へ変えてアークトゥルスを指さしていた。


「ハァ?」


 顔に浮かぶ笑みをさらに強めて、アークトゥルスはルナを見下ろす。


 アークトゥルスは負けなかった。……もし、冷徹にすべての可能性を分析していたら。もし、彼が勝利の喜びという感情に酔いしれていなければ、気づけていた。




 天から降り注ぐ、雷の一撃に。




 空が煌めき、黒雲を裂いて現れたその一撃は10億ボルト。小さな兵器から打ち出されるものとは比べ物にならない自然の驚異。


 障害物もない空で、導電性の高い金属が空に打ち上がればその可能性は決して低くはない。それこそ……神が微笑めば。


 ルナの左手に宿った電導機能で、投げた金属片に落ちた雷は一直線にアークトゥルスを貫いた。身に着けた装備も魔法も関係ない。自然界で最も驚異的なその一撃は、加熱された空気が起こす爆発である巨大な雷鳴を轟かせ、一瞬にしてアークトゥルスの体を焼き尽くした。


 その雷鳴は町全体へ響き渡り、どこまでもその音を響かせていた。

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