第28話 崩れる柱


 戦闘開始から30分あまり。


 土砂降りに埋もれる町の一角に、切れそうなほどに冷たい氷原を生み出している者がいた。


 バキバキバキッと鋭い音を立てて生み出された氷壁を自らの周りに立てるが、凄まじい勢いで叩きつけられた何かにいとも容易く砕かれて、その身と共に吹き飛ばされる。


 水しぶきを上げて地面に叩きつけられた。


『ヘイル! 大丈夫か!』


 仲間の声に返事をする余裕もなく、ウェーブのかかった亜麻色の髪を持つ少女、ヘイルは即座に体勢を立て直してその何かを睨む。


 それが何か、一言で類例を挙げられる者はいないだろう。まずもってその兵器は全身から黒煙を吹き出しており、かろうじてシルエットしか捉えられない。目を凝らせば見えるその姿は、全長5メートルほどの四足型の兵器ではあるが、前脚部にあたる部分が極端に大きく、後脚部の倍の長さと太さがある。強いて言うなら機械でできたゴリラのようだが、ゴリラであるなら頭にあたる部分はなく、そしてもうもうと立ち上る黒煙の中に、針山のように幾つもの砲口が四方八方へ伸びている。


 あまりに異様な風態の兵器。こんなもの見た事がない。似たものすら知らない。


 ここに来て投入された新兵器。その性能は、


「ッ!」


 ヘイルが魔法を発動しようとした瞬間、四脚兵器が爆発した。いや違う。爆発と錯覚するほどの凄まじい勢いで地を蹴って飛び出したのだ。その素早さたるや常識を疑いたくなるほどにその巨体では有り得ないほど速く、ヘイルの魔法が発動しきる頃にはとうにその場所にいない。氷柱が黒煙の名残を虚しく突き上げるのを傍に、巨大な拳が仲間の一人を肉片へと変える。


 プルートーすら突き破る暴力の権化。


 大きく、速く、硬い。ただそのシンプルな力で物理的に攻撃を仕掛けてくる、最新兵器とは思えないほどの原始的な攻撃法。ただしそれは有効だ。理不尽極まりない魔法の攻撃もシンプルなそれらの要素にねじ伏せられる。巨体に合わない常識はずれの早さで狙いは外れ、範囲を指定した魔法は食らい切る前に範囲から逃れ、桁外れの耐久力で魔法の直撃もモノともしない。実際普通の大型兵器なら即機能停止に至る魔法を何発も当てているが、周りに大量の破片を散らしてもなお依然として動きは衰えていない。


(でも、消耗はしてるはずだ!)


 ヘイルは雪の結晶型の衛星機ステラを展開させ、次なる魔法を発動しようとするが、プルートーごしの背中に幾つもの衝撃を受け、顔を歪ませる。背に叩き込まれたのは中口径の銃弾。魔法による感知で、400メートルほど先の新月樹の影に機傀ドールの姿を認識する。


 当然だが相手は黒煙の四足兵器だけではない。四足兵器をサポートに何人もの機傀ドールが遠近問わず嫌らしい攻撃を仕掛けてくる。視界が灰色に染まるこの土砂降りの中でも正確無比に銃弾を当ててくる機傀ドールに憎しみが募り、この距離では聞こえないはずの奴らの不快な笑い声が空耳した。


『ヘイル!』


 誰かの声が頭に刺さる。意識を前に戻したその時には、黒煙に包まれた巨体が目の前にまで迫っていた。素早く動き、黒煙を置いてきぼりにした時だけ見えるその姿は金属を纏った悪魔そのもの。黒煙で自らも黒く染められた装甲の隙間から紫の光を漏れ出させ、雨を切り裂いて巨大な拳が振り上げている。


 迫りくる死。ヘイルの瞳にその瞬間の光景が鮮烈に焼き付く。そして彼女は見た。雷鳴の如く空を貫き四足兵器に飛びかかる人影を。


 四足兵器の背の砲口から雨を弾き飛ばさんばかりの轟音で徹甲弾が放たれるも、飛来した影が周囲を紫の光で包み込む。


 瞬間、世界から音が消えた。


 雨音すら聞こえない無音の世界で銃弾は消え去り、大きく振るわれた影の一閃は四足兵器の背部を大きく抉り飛ばし、爆発のごとき勢いでその破片が四散する。それでもなお無音なせいで、夢でも見ているような錯覚を覚えるが、ヘイルはこの現象を起こせる兵器を知っている。


音怨喰らいオトガイ……!?」


 周囲の音を奪い取り、そのエネルギーと音を消した世界そのものを利用する衛星機ステラ。その中には音を喰らう化け物、『音霊喰らいオトガイ』が封じ込められたお札が内包されている。曰くつきの兵器だが、ヘイルの知る限りそれを使える魔法使いはもう誰もいないはずだった。あれを使えた最後の魔法使い、デルカは死んだはずなのだ。目を見開く彼女を他所に、四足兵器の背から離れて彼女の横へ降り立ったのは、右腕を獣の顎の形へ変形させている少年、ルナであった。


『大丈夫か』


 音が戻り、土砂降りと戦場の音が鼓膜を叩く。


 抑揚のない声を頭に響かせた彼は、青い線が走るボディスーツにプロテクターが各所に施された戦闘装束に身を包んでおり、その背には幾つもの魔道具がはみ出したリュックを背負っている。音霊喰らいオトガイと融合しているせいか、その身に青く透けた炎を纏い、全身に呪詛のような刺青が浮かび上がっている。ヘイルを見下ろす冷たい目も白目まで真っ黒になっており、腕や体の機械部がなければ妖怪そのものだ。


 ヘイルはルナから視線を切る。


『団長からは聞いてたけど、本当に来るとはな』


 実際、猫の手を借りなければならないほど戦況は厳しい。本部に近づくほどこちらも罠を用意しているが、それらを駆使しても物量で押されている。とはいえ、


『言っておくが、私はお前を仲間とは見てない。お前は道具だ。壊れるまで役に立て』


『好きに思え』


 そう言うルナの瞳は揺れていなかった。


 ガチャリと耳障りな音を立てて、倒れ込みかけていた四足兵器が大きく飛び退く。


『あれを喰らってまだ動くのか』


『ああ。あれくらいの一撃は何回か入れてるけど、全然倒れない』


 本当の獣のように異常なほどにタフだ。


 再度戦いへ挑もうと二人は同時に構え……


「あーれー! もしかして融合できる子ー? アッハ! めっちゃ見た目変わってるー!」


 と、戦場に似つかわしくない緊張感に欠けた声が土砂降りの中に発される。


「その声、スピカ……!」


「アハハ。覚えててくれたんだー! ちなみにこの子はジュピターね! 可愛いでしょ!」


『……ヘイル。周囲の機傀ドールを頼む』


『だれがお前の……っておい!』


 ヘイルの言葉を聞き終える前に、目を血走らせたルナが飛び出して行く。


『アハッ! 正面からとか!』


 周囲に潜んでいた機傀ドールのみならず、ジュピターと呼ばれていた四足兵器の背の砲口が火を吹いて銃弾がルナを襲うが、同時にルナの右腕の顎も吠える。その咆哮はどこにも響かず、代わりに紫の光が展開された。世界から音が全て食われ、彼に向かっていた銃弾も消滅した。


 山を歩いていると、木が倒れる轟音がしたにも関わらず、しかしそこに行っても何も起きていなかったり、逆に誰も音を聞いていないのにさっきまであった木が倒れていることがある。そうした不思議な現象が伝承となり、音霊喰らいオトガイという化け物を生み出した。


 音を奪うという音霊喰らいオトガイの基本機能だが、厳密にいうならばオトガイは「音速以上の速度をもつもの」を消滅させる。それはもちろん音、すなわち空気の振動もそうだが、銃弾や爆風も当然音速を超えるため、消滅の対象なのだ。オトガイという化け物が存在していた時代は音速を超えるものなど存在してなかったが、そんなものが存在していなかったからこそ、その定義は曖昧で魔術へと利用できる。


 自分へ向けられた銃弾を消し去ったルナは、容易に距離を詰めて黒い顎となっている右腕をジュピターへ向けると、吸収してきた音を凝縮された衝撃波として至近距離で撃ち放つ。それは防御を無視した内部から機械を破壊する振動の嵐。空気だけを歪めた不可視の一撃は音もなくジュピターへ突き刺さりその内部で炸裂する。


 世界に音が戻り、ギイィン!という甲高い音が何重にも街に木霊するが、しかし、その一撃を持ってしてもジュピター動きが止まったのは一瞬。黒い煙に包まれた兵器は全身からさらに大量の黒煙を吐き出して、銃撃がダメならと凄まじい速度でルナを殴殺せんと迫りくる。


「まだだ」


 音霊喰らいオトガイの近接攻撃手段は高周波ブレードしかなく、この巨体に対して近接での対抗手段は持ち合わせていないが、ルナが焦ることはない。眉一つ動かさず彼は背のリュックから青い液体の入った瓶を取り出し地面に叩きつけると、ルナの姿が瞬時に掻き消え、ジュピターの拳が空を切る。ジュピターがセンサーでルナの姿を捕えたときには、彼はジュピターの直上で集結した雨の中から姿を現していた。


 彼が使ったのは宿り雨と呼ばれる使い捨ての魔道具。融合したものに不足があっても、こうして魔道具を使えばそれを補える。


 瞬時に身を反転させてルナへ拳を振るうジュピター。


 迫りくる拳を前に、彼は再度周囲から音を奪う。銃声、爆発音、雷鳴、そして地を叩く無数の雨。今この戦場において満ち満ちている音の嵐は、そのまま彼の力となる。


 自らに放たれた銃弾すらもエネルギーへと変換し、一際強く彼の右腕が光ると右腕が一本の真っすぐな棒へ変形する。棒の周囲には黒い小さな獣が何匹も浮遊し、それらはルナが腕を振ると一斉にジュピターへ殺到し、ジュピターの拳や腕、体に着弾していく。そうしてジュピターの拳がルナへと届く直前。


「空木返し」


 少年の右腕が真っ二つに割れ、それと全く同じようにジュピターの体の各所が真っ二つに割れた。それは黒い獣の着弾点。ルナを砕かんと振るわれた拳もまた真っ二つに割れ、ルナの両隣を割れた拳が通り過ぎる。


 空木返し。山中で大木の倒れる音だけがするその現象の正体の一つして言われているのは、乾燥した樹木が内部で割れてしまった音だとも言われている。この魔法はその再現。黒い獣の着弾点とルナの腕をリンクさせ、ルナの腕とともに真っ二つに破壊する魔法。もちろん、ルナの右腕は『割れる』という機構によって割れただけなので、すぐさまもとの獣の顎の形へ変形する。


 全身から破片を飛ばし、音の戻った世界に響く金属同士が軋む音は断末魔。かくして巨大な兵器ジュピターは、大量の黒煙を上げたままガラクタの山となってその場に倒れ伏した。


 世界が音を取り戻し、激しい雨音が鼓膜を叩く。雨を押しのけて届く戦闘音は遠く、アルデバランや上空兵器たちのものが雨とともに降ってくるばかりで、ルナの周囲は機傀ドールの笑い声も聞こえなくなっていた。


(融合終了)


 ちょうど融合時間も終わり、ルナの体から機械部が剥がれ落ち、彼の姿が人間のそれへと戻っていく。


「一人でやるとはな」


 ヘイルが、肩で息をしながらルナの近くへ降り立った。大きな帽子や長い髪から雨を滴らせ、注意深くジュピターとルナへ視線を送る。


「とりあえず周りの機傀ドールは片づけた。すぐに次が来る。その前にさっさと済ませろ」


「ああ」


 そう言ってルナはジュピターの残骸へ手を伸ばす。


 ルナが戦闘をするにあたり、アトラスから命じられたことがある。それは、「喋る機傀ドールの武器と融合すること」だ。


 言葉を話す機傀ドール、スピカとアークトゥルスのみ超常的な兵器を使っている。ルナが融合すれば、アンドウですら分からなかったその仕組みを理解でき、そこから対策を練ることができる。不確定要素を潰したいというアトラスの目論見だろう。


 ルナの腕が円状に分解され、機械部品と光の線で紡がれた魔法陣がジュピターを覆おうとしたところで、


「ンハッ。やっぱここまでかー!」


 突然ジュピターが起き上がり、取り込まれかけた右腕を切り捨てて大きく後退し、ルナの魔法陣から抜け出した。


 目を剥くルナとヘイルの前で、ジュピターの黒い装甲がどんどん剥がれ落ちていく。


「もう少しイケると思ったんだけどなー。でも取り込まれたらどのみちバレちゃうから仕方ないかー」


 そんなスピカの独白をよそに、右腕だけを取り込んだルナはその姿を変えていき、彼の頭の中に分析情報も流れ込んでくる。四肢が金属の装甲で覆われていき、筋肉が肥大化するように四肢が太く隆起していく変形を続けながら、ルナの顔はどんどん青ざめていく。


 それは事実。


 脳内に流れ込んでくる情報と、そして目の前で起きている現実。


 ルナと同じものを目にしているヘイルの顔もどんどん青ざめていっていた。


 彼らが釘付けになっているのは、目の前で装甲を剥がし、その中の姿を現していくジュピターの姿。次々と剥がれていく金属片の下にあったのは、全身から炎を立ち上らせる灰色の細身な機体。その体から立ち上る炎は紫。ルナに取り込まれて失われた右腕の付け根から、その紫の炎が噴出し、炎の中から金属部品が生まれて腕の形が形成されていく。


 ルナは、そしてヘイルは知っている。




 この魔法を知っている。




 愉快な序章パープル・ポップ


 道具を修理するという非常に単純な機能しか持たない魔道具の力。

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