第26話 止まない雨

 キュッキュッと衣擦れの音がコンクリート張りの部屋に木霊する。所々本部の新月樹に半ば取り込まれたビルの一室である自室で、サーニャは初めて戦闘衣装に身を包んでいた。その格好は、いつもの和装に上から魔術防護を施された無骨なジャケットを羽織ると言う見た目としてはチグハグなものだが、この和装にも彼女自身の魔法に関わる装備なので仕方がない。袖から覗く手足はプロテクターで覆われており、バチリと胸元の留め具を留めた手は震えている。


「緊張しすぎじゃね? 戦いに行くワケじゃねーんだからさ!」


 そう言いながら、彼女の髪飾りから飛び出してきたのは、羽の生えた熊のぬいぐるみ、ラピであった。お喋りな彼が今の今まで出てこなかったのは、彼なりに気を遣ってくれたのだろう。


 サーニャは、指を組んで視線を逸らす。


「そう、だけど……でも初めての任務なことには変わりないわ……。失敗はできないし……」


「失敗なんてナイナイナイナイ。ルナの足跡辿るだけっしょ? いつものサーニャなら大丈夫だって」


 そう、いつものサーニャなら。


 ラピに眉を寄せながら微笑む彼女の額には冷や汗が浮かんでいる。


「……頭、痛いか?」


 ラピが少し声のトーンを落として彼女の額を撫でる。


 ルナの精神に入ってからまだ半日も経っていない。あの後彼女は数時間近く立てないほどに頭痛と体の痛みに苛まれ、一眠りした今もそれは完全に回復していない。ズキリズキリと鼓動に合わせて頭で脈打つ痛みを無視して、少女は笑顔を作って見せる。


「平気。せっかく私の魔法が生かされるんだから、できることはやらなくちゃ」


 そう言いながら部屋を後にする。


「おいおい、どけどけ!」


 部屋を出た先で大きな機械を持った男とぶつかりそうになって慌てて避ける。扉の外は新月樹の内部。緩やかな凹凸が続く広い木の洞の廊下となっているが、普段は静かなここも今や人が荷物を持って行き交っている。敵に拠点がバレた今、速やかな拠点移動が求められるため、総動員でその準備を進めている。


 カーンと照明となっている光る果実に長い道具を誰かがぶつけ、降ってきた埃を手で払う。彼女ははラピを髪飾りへと戻し、集合場所へ歩を進めた。が、ほんのしばらく歩き続けたところで彼を戻したことを少し後悔した。黙々と歩いていると脳裏に浮かんでしまうのだ。デルカという仲間の死の事実が。


 サーニャは鼻を啜って少し俯く。


 デルカは、サーニャに優しい数少ない仲間の一人だった。彼はサーニャをというより、仲間という存在そのものが好きだったのだろう。だからルナを初めから受け入れ、仲間のために戦い、そして仲間のために散ったのだ。


 すれ違う人間からまたサーニャに対する否定的な感情を感じ取る。


 数少ない人類を全て尊ぶというデルカの考え方は、この世界の状況的にはある意味合理的ではあるが、そう単純にいかないのが人間の感情だ。自身が命がけで戦う傍で、戦いになんの役にも立たずに同じ食糧を食べる人間がいたら誰だって否定的な感情が先に立つ。


 なんのために存在しているのか。


 誰もがサーニャに抱く感情だ。それはサーニャ自身も同じだった。


(だから……できることをやらないと……!)


 これからようやく自分が役に立てる。そう思うだけで彼女の頭痛は和らいだ。


 早足気味に通路を進んでいき、集合時間きっかりに彼女は北口へたどり着いた。北口とは言ってもそこは大きく外へ向かって開いた巨大樹の穴であり、人が何百人も並べそうな広い空間には箒や衛星機ステラの整備をしているものたちや、山積みとなった資材コンテナがある以外は何もなく、平たい木目の床に大雨の激しい音と風が吹き込んでいる。


 出口に近いところでサーニャを待っていたのは男女混合の6人の仲間たちで、当然のようにサーニャをよく思っていない者もいた。


 白い仮面を被った魔法使いが、仮面の奥から冷たい視線を投げてくる。


「ギリギリ。たるんでいる」


「すみません」


「まあまあ。時間通りですし十分でしょう。早速行きましょうか」


 まあまあ、と両手で仮面の魔法使いをを宥めるような仕草をしつつそう言ったのは、白衣を着た線の細い男性であった。彼は魔法使いではなく、アンドウの所属する科学技術部隊の一人だ。確か名前はカワサキと言ったか。彼は非戦闘員ではあるが、調査先には科学技術的な知識も必要となると予想されるためにこのメンバーに組み込まれている。カワサキ以外だと隣で大きなリュックを背負ったまま手元で何やら機器を弄っている初老の男も科学技術者だ。科学的な調査員2名、魔術的な調査員兼護衛が2名、純粋な護衛役が2名、そして案内役のサーニャを合わせた7名でルナのいた施設を目指す。


「よし。では出発だ。サーニャ。先頭へ」


 今回の任務の隊長である背の高いメガネの男がそう告げながら雨合羽を被りつつ自らの宝箱型の衛星機ステラを一つ浮かせ、それを合図に周囲の魔法使いたちも自らの衛星機ステラを浮上させた。


 サーニャも前に踏み出して、袖から機械性の蕾を取り出して呪文を唱える。


 ズキリと走った腕の亀裂と頭の痛みを無視して魔法を発動し切ると、機械の蕾は花型へ変形し、彼女の感覚が拡張されて、かつてルナが通ったであろう場所が気配のように感じられるようになる。


「こっちです」


 雷鳴が轟き、篠突く雨の中へ彼女は踏み出した。


 × × ×



 仰々しく部隊を編成して挑んでいるものの、大方の予想通り調査はとんとん拍子に進んでいった。


 まずはデルカが最初にルナと出会った地点にまで行き、そこからサーニャの魔法でルナの足跡を追っていく。道中に機傀ドールとも会うことはなかった。迎撃作戦は成功し、そもそも作戦の主戦場は街の北側であったため、当然といえば当然なのだが。今この街周辺で機傀ドールに会うとしたら、前線だった場所で最後の掃討作戦兼見張りをしている部隊くらいのものだろう。


 雷雨とそれに伴う足場の悪さとメンバー間の微妙な空気感さえなければピクニックも同然の任務だ。もちろん、そのどの要素も一つでもピクニック要素を台無しにするには十分ではあるのだが。


 なんにせよ任務は順調に進み、サーニャも多少気分が悪くなりながらもルナの足跡を追って行った。


 そうして任務開始から1時間近く経った頃だろうか。


「止まれ」


 隊長が鋭く声を上げる。


 全員が空気を張り詰めさせる中で、彼はメガネの奥に光る瞳で周囲に意識を向けている。


「……何か聞こえなかったか?」


 何か、と問われても答えられるものはいない。それに、雷雨の中では雑音が多すぎる。しかし、そうして全員が周囲の音へ意識を向けた途端、ドォッと遠雷よりもさらに微かな爆発音を確かに全員が耳にした。聞き間違えようがない。戦場に立ったものは嫌というほどに聞いた音。これは確かに兵器による爆発音だ。


 音の方角は本部のある大樹の方角。いや、それよりもさらに遠い場所か。


「一体何が……」


 誰かが呟いたその声は、雷鳴にかき消されて雨に溶けた。


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