第25話 何が個人を決めているのか


「知ったことか! こいつのせいで! デルカが……デルカが死んだんだ!」



「え……?」


 ドクンとルナの心臓が強く打つ。そこにあるのは、半分近く機械の臓器だが、鼓動とともに震えた心は確かに人のものだった。


 嘘か聞き間違いかと思ったが、ユーレカの剣幕がすべてを物語っている。ルナの手足はしびれ、その顔色がみるみる青くなっていく。


「デルカが……死んだ……?」


 脳裏に幼い子供の姿が浮かぶ、存在していることそのものが不安で仕方がないこの世界で、その身も心も救ってくれた彼の姿。強気な笑顔と、仲間の死への激怒の表情、そして、彼の頭に記憶が湧き出る。それは、雷撃兵器を使う青年の姿と、血まみれで膝をつくデルカの姿。ルナの目にはやがて闇しか映らなくなり虚ろとなる。


「お前が、お前がいなければ……! デルカは! 兄さんは!」


 サーニャの静止を振り切り、膝立ちになってユーレカが松葉杖を振り下ろす。ルナはそれに反応することすらできなかった。


「やめなさい!」


 聞きなれた声が部屋に響き、ユーレカは杖を止め、その場にいる全員が扉へ振り返った。


 亜麻色の髪と小柄な矮躯。医療着であろう簡素な白い服に身を包んだまま腕を組むその幼女は、


「デル……か……?」


 ルナの目に涙が滲むが、サーニャが眼を伏せながら首を振った。


「違うの。彼女はボーライド。デルカの……いえ、デルカの心が前入っていた体に新しく入った心よ」


「ど、どうして、なんでデルカは……そこに……」


 ぐちゃぐちゃに脳と思考がかき混ぜられ、彼の心は何も明確な言葉を紡げなくなる。


「違うわ。デルカじゃない。彼は魔法を使い過ぎて心を使い切ってしまったから」


「こころ……を……?」


「魔法は心で使うって話をしたでしょう? 使って減った心は少しでも残っていれば時間とともに回復していくわ。でも、完全に使い切ってしまったらもう戻らない。この世からその心は永久に失われ、体は抜け殻になってしまうの。みんながデルカを回収したとき……彼の心はもうどこにもなかったの……」


 魂がこの世から永久に失われる。それは死と同義だ。


 ルナの混乱した頭でも分かってしまう。


 サーニャから聞いた挿魂法の話。あのとき聞いた、魂が入るべき「空の肉体」とはなんなのか。それは、人間に模した人形でも、土くれで出来た模型でもない。魔法を使いすぎてその心を全て使い切った別の魔法使いそのものの肉体だったのだ。


 デルカはルナたちを逃がしたあのとき、自身のすべての心を燃やし尽くしたのだ。


「くっ……」


 ユーレカは、自身が止めた松葉杖を見たままその表情を歪めていた。兄のものではないその声に、彼女は確かにその杖を止めてしまったのだ。彼女は力なく杖を落とし、その場に膝をついて顔を覆う。


「一体……何しに来た」


「何しにって、あなたに用はないですよ。私はただ任務前の準備もせずにこんなところにいる穀潰しを呼びに来ただけです」


 ユーレカの言葉に肩を竦めてそう答えつつ、ボーライドは冷たい視線をサーニャに向ける。


 サーニャは思わず俯く。


「わ、わかっています……。でも……ユーレカが……」


「彼女がなんですか。その行動が任務の準備より優先されることなのですか。たまの役立てる機会くらいまともにこなしたらどうです」


「……はい」


 見かねたのか、アンドウが作業の手を止める。


「まあ、そうツッパリなさるなよ。お前さんの体にも悪いじゃろう」


「私の魂の定着が早いのはご存じでしょう。この程度の動きなら問題ありません」


「そうしてまた人の体を使い潰すのか」


 ユーレカがそう言葉を放つがボーライドはそれを鋭い視線で跳ねのける。


「私の体を、私がどう使おうが勝手なはずです。戦術的にも私が肉体を消費する戦い方は最も戦果をあげられる。それに、もとはと言えばこれは私の妹の体。あなたの未練がまとわりつくべきところではありません」


「なんだと……!」


 言い合いを始める二人を、ルナはとても言い表せない感情で見ていた。どちらも一度は会ったような感覚を覚える相手。しかし、片方はその肉体が違い、もう片方は魂が違う。肉体と魂が違うのだと頭では理解していても、デルカだった体への感情とユーレカであるはずの肉体に感じるものが相反していて、気持ち悪く脳で混ざる。


 認識と思考のずれに感情が手から零れそうになったとき、そっと白い手がルナの視界を覆った。彼女は魔法を使わなかったが、それだけでもルナの心は揺れが小さくなる。


「ほーらほら! 喧嘩ならよそでやってくれ! ほら行った行った!」


 言い合いを続ける二人をアンドウが金属の棒を振り回しながら追い出していく。ボーライドもユーレカも何か言いたそうにサーニャとルナへ視線を送っていたが、問答無用でアンドウが扉を閉めた。


「やれやれ……」


 とアンドウがそう漏らしたのを最後に木造の部屋に僅かな沈黙が下りるが、やがてルナが耐えられなくなって口を開く。


「サーニャ! 俺……!」


「何も言わないで……」


 サーニャは悲しそうな笑みを浮かべながら、ルナの瞼にあてていた手を彼の唇へあてる。


 二人の目が合う。黒い瞳と青い瞳は夜空と青空のようで、二人の視線が交わる場所でほんの小さな一日を作る。ルナは彼女の澄んだ瞳に映る自分の姿が映っているのを見て目を逸らす。


「でも……、だって……俺のせいで……デルカが……!」


 血が出そうなほどに唇を強く握りしめる。


「あなたのせいじゃないわ。デルカは……いつでも撤退しようと思えばできたわ。お父さんもそう命令してた。戦い続けたのは、彼の意思よ」


「でも死にたかったわけじゃない! 俺が……! 俺があいつを前線に連れ出して! 俺があいつを……撃った……!」


「あなたにはどうしようもなかったことよ。あなたは頑張ったわ。あの戦いで誰よりも。あなたのおかげで死ななかった人はたくさんいたわ」


「でも……でも……」


 悲壮に歪んだルナの頰に涙が伝う。


 きっと、今何を彼に言ってもその自責を除くことはできないだろう。


 ルナがいなければ、おそらくデルカが最前線へ行くことはなかった。ルナがデルカを撃ったことも事実。その傷の回復へ当てた魔力があれば、もしかしたらデルカの心は撤退までに残せたかもしれない。可能性としてはありうるのだ。


 ゴーンと部屋の振り子時計が鐘を鳴らす。午後一時。もう行かないといけない。彼にかけられる声は少ない。彼女はルナの手を両手で包む。


「ごめんなさいルナ。私もう行かないといけない。でもこれだけは言わせて。デルカは、死んでしまった時も少しも後悔してなかったわ。仲間を守りたいと、ただそう願っていた」


 ルナが濡れた瞳をサーニャへ向ける。彼女の目もまた悲しげに揺れていた。そう。彼女はこの街全ての人間の心を把握している。


 サーニャはルナから手を離して身を翻すと、扉へ手をかけて振り返る。


「だから最期は喜んでさえいたわ。最期の最期に、あなたという仲間を守れたから」


 その言葉だけを残して、サーニャは部屋を後にした。


 狭い部屋の中に、ルナのすすり泣く声だけが木霊していた。

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