第22話 黒竜


 街の中央にそびえ立つ新月樹の中。AMANECER本部が位置する巨大樹の中の一室で、サーニャは両手で口を覆っていた。


 目玉や薬草などの瓶詰めが壁棚一面にずらりと並ぶ実験室内の気温が数十度下がった錯覚さえ彼女は覚えた。


『デルカ、撃墜されました! 何ですかあの兵器は⁉︎』


 彼女の頭の中に兵士たちの動揺の声と感情が響いてくる。


 戦場に立つものをインヴォーカーシステムに接続する役割を持つ祈念者インヴォーカーとなって、ルナをインヴォーカーシステムに接続させていたサーニャは、祈念者インヴォーカーの機能の一つとして戦場での一部始終を映像としても捉えていた。


 光の玉から現れた黒竜は明らかにルナであり、確かに彼はデルカへ攻撃した。


 しかし……。


『デルカの仇です! 撃墜します!』


「待っ――」


『待て』


 殺意をむき出しにした飛空部隊を押しとどめたのは、アトラスの声だった。


 黒竜の様子がおかしい。


 彼はデルカを撃墜した後も全身の武装を展開し、レーザー光線や小型ミサイルで周囲の戦闘機やドローンなどの機傀ドール側の兵器を次々と撃墜していっており、敵兵器もそんな黒竜を敵と見なして攻撃を仕掛けていっている。


 サーニャが感じている彼の心も、複雑に乱れて読み取れないものとなっており、とてもまともな精神状態ではないことは明らかだ。


 やはり、あれだけ巨大なものを取り込むにはルナにとって負担が大きかったのだ。


 アトラスの冷静な声が続く。


『あれは、デルカが運用していたトリニティから転用した独立兵器だ。現在は暴走状態にあるようだがな』


 それらしい説明をし、一応アトラスもルナを完全に敵扱いはしなかったようだが、その声は厳しい。


 黒竜の攻撃は無差別であるようで、近づこうとした空掃部隊や比較的遠くに位置する戦闘機にまで攻撃を仕掛けている。その武装の多さから放たれる攻撃の激しさは凄まじく、本来アルデバランの武装にない重機関銃まで周囲に打ち放っている。おそらくは、アルデバランと同時に取り込んだ戦闘機の武装まで表出させているのだろう。


『これじゃ、近づけません! デルカもいない今、撃墜すべきです!』


『誰がいないって?』


 挟まれた声は、幼い幼女のもの。


 視点を切り替えたサーニャが見たのは、廃ビルの屋上で腹部を抑えながら空へ左手を掲げるデルカの姿であった。


『哭印解除! 無知亡舞スレイプラネス!』


 彼の左手の先に黒いキューブが出現すると、高速回転しながら体積と面を増やしていき、やがて限りなく球に近づいてところで姿を消すと、黒竜の周囲に無数の黒い球体が出現する。


 黒い球体は互いに黒い線で連結しあい、できた面に灰色の障壁を張った。


 空中にできたのは、多面体の檻。灰色の多面体に閉じ込められた黒竜は砲撃や銃撃を繰り返すもそれらは全て灰色の壁に阻まれる。


『こいつは俺が止める……! お前ら行け……!』


 デルカのその声は息も絶え絶えだ。それもそのはず。彼女の腹部に空いた穴は、魔法で応急処置を施してあるものの塞がってはおらず、彼女の衣服と床面は血まみれであった。


 デルカの一括で覇気を取り戻した空掃部隊は、歯を食いしばって前線へ出ていく。


『サーニャ! こいつの心はどうなってる⁉︎』


『は、はい! 彼は今錯乱状態で、いろんな考えや記憶がめちゃくちゃに溢れ出て自我も保てていないようです』


 デルカとサーニャの思考会話にアトラスの声が割り込む。


『サーニャ。精神側からあいつに干渉しろ。完全に魔法が効かずとも、効く範囲で大人しくさせることができないか全て試せ』


 その言葉を聞いたサーニャの心臓が強く脈打った。生まれて初めて、父から戦闘に関する命令をもらった。今が特殊な状況であるということも、アトラスはただ最善手を打っただけだと分かっていても、その言葉の重みと胸の内から込み上がる熱いものを感じざる得なかった。


 彼女は、自分の右腕に走る緑のひび割れを見る。インヴォーカーシステムの接続にはほとんど魔力を使わないが、今使っている通信魔術等、今に到るまでに魔法を使ってきたことで体が少なからず悲鳴をあげ、頭痛も顔をしかめる程度には強くなってきている。


 それでも、


『やります。任せてください』


 返事は無かった。しかし、彼女はしかと自らの責任を受け止め、その重みを感じながら、ポケットから金属製の蕾を取り出して床に置くと、目を閉じて呪文を唱える。


 使うのは、人の精神に直接侵入する魔法。体への負担は大きめだが、今確実に効果を望めそうな魔法でもある。アトラスはできることを全て試せと言ったが、彼女の体の問題からそう何通りも手段を試せる訳ではないのだから、初めから確実な手を取るのが堅実だ。


 彼女の呪文に呼応し、金属の蕾が大輪の花へと変形する。


 新月樹は魔法の遠隔伝導機能も持っている。インヴォーカーシステムやこの街に貼られた結界魔法もそれを利用して成り立っている。彼女もその経路を用いて、ルナに一番近い新月樹へアクセスし、そこに床面に咲いている花と同じ光の花を開かせる。


 ルナとの接続と経路の安定を確認し、彼女は心の目を開いた。


 サーニャの目の前に広がる光景は一変していた。


 目の前に広がるのは、赤い濁流と轟音。天も地も視界の先も全てが赤く、そこにミサイルや戦闘機などの大量の瓦礫が混ざって激しく飛び交っている。


 これは情報の嵐。この乱れに乱れ崩壊した世界が今のルナの心の現れだ。侵入したサーニャすら頭を抑えるほどの音と光の暴力。正常とは程遠い。


 濁流に自身も流されないよう、光の膜で自身を覆い、彼女は目を細めながら周囲を見渡す。


「ルナー!」


 今まさにこの濁流に翻弄されているであろう人の名を呼ぶが、その声は濁流の轟音にかき消されほとんど響かない。


 しかし、


「サ……ニ……」


 その轟音の中で、確かに返事があった。それは微かなものだったが、サーニャの耳は確かにその声を捉えた。


「ルナ! いるのね! どこなの!」


 しかし返事は聞こえない。代わりに流れ込んで来る彼の深層に流れる思い。それは、水泡となって濁流の奥から浮かんで弾ける。


(俺は誰なんだ?)


(ここで頑張ることに意味があるのか?)


 彼の根底に眠っていた虚無感と懐疑心が、この荒れた世界の中で浮かび上がってきている。いや、これこそがこの世界の嵐の根本原因か。


(俺は何者なんだ?)


(ここでこうするのが本当の俺なのか?)


 寄る辺はない。仲間もいない。記憶もない。そして、結果を出さなければ未来もない。


 サーニャは唇を噛んでまずはこの濁流を収めようと呪文を唱えるが、


「っ……!」


 彼女は頭を押さえて膝をつく。


 腕のひび割れは酷くなっており、彼女を覆う光の膜が不安定に歪む。今日1日、彼女は人生で一番と言えるほどに魔法を使ってきた。もう体の方が限界を迎えており、これだけの情報の嵐に対し光の膜を維持するのが精一杯だった。


 無理に別の魔法を発動しようとすれば保護膜が破れてしまう。そして失敗すれば次はない。


 ならば……ならばできることは……。


「ねえ、ルナ……」


 彼女は力を振り絞って、簡単な魔法で自身の声を拡張する。


「あなたは、一人なんかじゃないわ」


 濁流の轟音に混ざりながらもその高い声は、世界に響く。


「私はあなたを見てる。昔のあなたも、あなたの正体も知らないけど、私にとってのあなたは、今日出会ってからのあなたが全てよ」


 過去や真実がどうであろうと、起こした行動と残した事実は嘘にならない。


「何も嘘になんかならないわ。私は見てる。デルカも、それにみんなも、あなたの行いを不当に評価したりしないわ」


 頭痛がひどくなり、防御結界を保てなくなる。濁流を防げなくなった彼女は緩やかにその流れに翻弄され始め、ルナの精神との接続も弱くなっていく。それでも彼女は最後までできることを、彼へと言葉をかけ続ける。


「だから、迷わないで。最初に檻から出て行った時のように、自分の衝動を信じていいの。今日のあなたは、今日のあなたが作るのよ」


 ついに嵐に耐えられなくなり、ルナとの接続が急激に薄れていく。しかし、錐揉みに離れていくルナの心象風景の奥から、サーニャは確かに言葉を聞いた。




「ありがとう……」




 ハッと目を開ければ、そこは静かな実験室。


 見れば彼女の魔法に反応して壁から伸びた新月樹が自身の腕に巻き付いてきているが、無理矢理それを引きはがし、彼女は頭の痛みを無視して急いで戦場の様子を伺った。


 頭中に浮かぶリアルタイムの戦場の光景。


 降りしきる小雨と堕ちたアルデバランから立ち上る黒煙。その両者に身を晒しつつ、上空に鎮座していた黒竜は動きを止めていた。


 戦場に立つもの全員が、自らの戦いの手を休めはせずとも、怪訝そうに黒竜へ意識を向けている。


 インヴォーカーシステムの思考通信にノイズが走る。


『本当にすまなかった。デルカ』


 落ち着いた声は確かにルナのもの。


 サーニャの顔に喜色が浮かぶ。


『気にすんな。そのヤベー兵器で埋め合わせしてくれや』


『待て。罠の可能性がある。まだ立球結界は解くな』


『ワリィ。もう解いた。ちょうどこれ以上はキツかったし』


 アトラスの言葉を聞き終えてから、デルカはルナを覆っていた灰色の多面体を消し去り、廃墟の屋上へどっかりと座り込んだ。


『ありがとう』


 そう声を漏らしたルナの視界には、六角形の平たく大きな建造物が写っていた。都心に見られる大きな公園を更地にして占拠する形で存在しているその建物は、機傀ドール達の補給施設。あの規模の拠点が今回の作戦のために急ごしらえで建てられたというのだから、機傀ドール側の技術力の高さには目を見張るが、そこに耐久力が伴っているかは、別の話だ。


(残り時間1分)


 融合してからまだ5分も経っていないが、そんな警告が頭に流れる。負担のかかる融合はそれだけ融合時間も短いのだろう。


(1分もあれば十分だ)


 視界で展開される自動分析結果が、六角形の拠点の武装と防衛機能を割り出していく。その間も戦闘機や戦闘ヘリから攻撃を受けるが、そんなものは歯牙にもかけるまでもなく全身の武装で撃ち落としていき、最低限の自己防衛を果たす武装以外の武装の照準を全て補給施設へと向け、一斉に発射した。


 空間が歪まんばかりの轟砲が重なりあって鳴り響き、レーザー、機関砲、地対空ミサイルの全てが補給施設へ殺到する。


 補給施設も防衛兵器や周囲の機傀ドールの射撃により少しでも被害を減らそうとするが焼け石に水。ルナが放った7割以上の攻撃は慈悲もなく着弾し、かつて公園だった土地は一瞬にして爆炎に包まれた。


 補給施設は音を立てて崩れ去っているが、アルデバランと同等の電磁シールドのおかげか、まだ形を保っている。


 ルナは再度全武装を装填し、狙いを定める。


(これで終わりだ!)


 轟音が空気を劈いた。


 それはルナによる砲撃の音ではない。空気どころか、ルナの体すら貫いたその巨大な光の一閃は、紛れもない雷の一撃であった。


「がっ……」


 黒竜の口部から煙が吐き出される。


 極太の雷撃は、瞬時にルナの全身を駆け巡り、莫大なエネルギーでルナの全身の回路と意識を焼き切っていた。


(なん……で……)


 アルデバランは堕ちたはずなのに。


 薄れゆく意識の中、ルナが雷撃の発生点見たのは、宙に浮くリング状の物体であった。

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