第19話 この世界の戦い

 次の瞬間、彼の瞳に映る光景は暗いビルの内部から、小雨が降りしきる夜の空へと変わっていた。


「は……?」


 突然変わった光景と纏う空気。体を冷やす夜風は本物で、何度瞬きしても今ルナの体は地上から何十メートルも離れた上空にいた。


『いやー間に合ったー。セーフセーフ』


 快活な幼い声が横から聞こえ、まつ毛に降りた霜を揺らしながら少年が視線を向けると、そこには身の丈二倍以上の機械の箒にまたがる幼女、デルカの姿があった。


「デル……カ……?」


『よっ。覚えてたか。お前も大変だなぁ。サーニャから話は聞いたぜ』


「サーニャが……?」


 少年の脳内にサーニャの透き通った声が響く。


『ええ。私からお願いしたの。デルカなら味方になってくれると思って……』


『なるさ。俺だって、こいつは味方だと思ってる』


 その声を聞くルナは体を震わせた……寒さで。


「デル……カ……とりあえず……助けてくれ……」


『あ、悪ぃ』


 デルカがそう言い終わると同時に少年の周囲に小さな黒い立方体が現れては消えてを繰り返し、彼を縛っていた氷を全て砕ききった。


 ようやく動けるようになったルナは、紫色の唇を震わせながら体を丸める。氷が砕けても地上数百メートル地点で冷えた体を風に晒したままでは寒いままだ。最初に意識を取り戻してから着ていた白衣はぼろ布同然で、防寒の役には立ってくれそうにもない。


 体を震わせつつもルナは周囲を見渡す。


 暗い世闇の中そこかしこで爆発が起きて魔法使いや戦闘機を照らし上げ、敵味方合わせて闇の中を疾駆する風切り音が鳴り響いており、ここまた戦場であることをまざまざとルナへ伝えてくる。


『デルカ、どういうつもりだ?』


 刺し貫くような鋭く重いアトラスの声。その声はいままでのどのアトラスの声よりも冷たく、ともすればルナごとデルカを切って捨てることもためらわない色を帯びているが、対するデルカは調子を変えない。


『どうって? 戦力になりそうなやつが無力化されそうだったから助けただけだけど?』


『そいつを戦力と認定した覚えはない。それに、お前には後続支援を命じたはずだ』


『このほうが仲間が死なない。サーニャがこいつをインヴォーカーシステムに組み込んだし、十分戦力として扱っていいはずだが?』


『敵か味方か不明の存在を作戦に組み込むことはできない。仲間を危険に晒すつもりか?』


『それ、敵だった場合の話だろ?』


『最も確実な作戦を遂行することが私の役目だ』


『ふーん。で? その作戦で何人死ぬ予測だ?』


 突然、デルカの声が冷たく冷えきったものに変わった。


 優秀な指揮官ほど正確な戦術予測を可能とする。情報さえ揃っていればあらゆることが予測できる。敵の動きも、戦況の展開具合も、そして立てた作戦で死ぬ仲間の数も。


『質問。もし、こいつが味方だったら予測死者は減るか?』


『……減るだろう。だがその仮定が――』


『んじゃ、決まりだな。俺はこいつと戦う』


『待て! 勝手なことをするな』


『じゃあ、どうする? わざわざ人員割いて今から別のやつを向かわせて俺とこいつを捕まえさせるか? なんなら今この時間も無駄だけどな』


 言いながらもデルカは黒いキューブを瞬間移動させ、雨を散らして地上へ飛来せんとするミサイルや、付近を飛び回る航空兵器を撃墜していく。


 ほんの少しだけ間を空けた後、


『……いいだろう。これよりお前を戦死扱いとし、カウベルを空掃部隊長に任命。部隊を再編する。クラウンを監視につけるから、お前は好きにするといい』


 要は作戦から完全に外された遊撃隊ということ。アトラスはデルカをいないものとして作戦を遂行し、デルカとルナは(作戦上は)勝手に仲間の補助をする。もしルナが裏切った際に対応する監視はついているものの、事実上のルナへの戦闘許可。


 ニヤリと笑ったデルカと目が合い、それにつられてルナの鋭い目付きに光が灯る。


『だが、前線には出るな。この命令だけは守れ。もし前線でそいつに裏切られれば回収は困難だからな』


 その命令は怪我を押しているデルカを慮った意味も含んでいると気づけたのは、本人だけか。デルカは口端をつり上げた。


『了解!』


 デルカはそう言うと勢いよく機械仕掛けの箒を立てると、後方部から一気に炎を噴出させて空をかけ上がる。黒いキューブに引っ張られる形でルナの体もそれに続く。


『聞いたか? よかったなサーニャ!』


『は、はい! ありがとうございます!』


『いいよ。全然。というわけでよろしく頼むぜ!』


 デルカがそうルナに声をかけるより早く、彼女の隣でルナが光に包まれていた。彼は上昇の勢いを乗せた雨に打たれながら、腹部を囲んでいた衛星機ステラと融合を試みていた。雫型の衛星機ステラはルナの腕から発生した魔法陣に分解され、数十秒後に彼を包んだ光が収まるころには、左腕と左足が水の塊で構成されたルナの姿がそこにはあった。


 上昇を終え、その姿をデルカは口笛を吹いて迎える。


『いいねぇ。確か取り込んだ衛星機ステラの魔術が使えるんだっけ?』


「ああ」


 感情に乏しい表情でルナはそう声に出して答えた後、


『……心で会話するのはこうやるのか?』


『ハハッ。ばっちりだよ』


 ルナは水で形作られた左腕を軽く動かし動作を確認する。水の腕には芯となるように細い金属腕が内蔵されており、これが水の腕の制御の役割を担っている。


『デルカ。魔法で俺を浮かさなくていい。自力で飛べる』


『え? その衛星機ステラに自立飛行能力は……』


衛星機ステラの相対追従機能があるだろ。それでお前についていく』


 衛星機ステラが使用者の周囲を浮遊してついていく機能のことだ。それを利用しデルカを追従対象に指定すれば、高速移動するデルカについていく形で、ルナも高速移動ができる。


『なるほど。仕組みの理解もバッチリってか。じゃあ飛行の面倒は自分で見てもらうぜ。……ああそうだ、膜は張るなよ。あの防御魔法は高速移動についてこれねぇ』


 デルカより飛行能力を解除されると同時に、追従魔法で自身のデルカの相対位置を固定したルナは、続けて水の膜で周囲からの攻撃から身を守る防御魔法を展開しようとしていたので、その動きを止める。その彼の脳裏には、自身に防護を張らないことへの一抹の不安。先ほどの戦闘では自身の力の底を見抜かれ、早々に破壊されてしまった。


 ほんの数分前に刻み付けられた左腕が吹き飛ぶ記憶に顔をしかめていると、サーニャの声が頭に割り込んできた。


『そこはそんなに心配しなくていいわ』


『インヴォーカーシステムというやつか?』


『あれ、知ってたのか?』


『何度も話題に出てる』


『そりゃそう、だっ!』


 返答しながら、デルカが謎だけでできた恒星モノリスターでミサイルと航空機を撃墜していく。ルナも戦おうと周囲に目を凝らすが、さっきの戦闘機と違って環境認識機能のない衛星機ステラを取り込んだため、雲に覆われた夜の空の中では相手がほとんど認知できない。


 と、急にルナの視界が明るくなった。景色が明るくなったわけではない。外は暗いままに、まるで暗視ゴーグルでもつけたかのように周囲の景色が見えるようになったのだ。彼の目に箒で飛び回る魔法使いと、高速で飛行する何機もの戦闘機や戦闘ヘリが目に入った。


『戦いやすくなったろ?』


『ありがとう』


 ルナがその透き通った左腕を振るうと、付近にてこちらに狙いをつけようとしていた戦闘ヘリが、絵の具が洗い流されるように雨によってドロドロに溶けて地面へと落下した。


『千年水禍』。水の「洗い流す」という概念を拡張した、物質を描かれた絵のように溶かして流し落としてしまう魔術。千年降り続く雨を受けて形を保っていられるものはない。それが絵で描かれただけの世界ならなおさら。


『ルナ、戦いながら聞いて。インヴォーカーシステムについて説明するわ』


『頼む』


『インヴォーカーシステムは、戦闘員を保護する魔法の総称なの』


 機傀ドールの様々な殺人手法と学習能力に対して個人の魔法のみで対応しきるのは難しい。そこで編み出されたのがこの魔法だ。


『機能は二つ。味方に防御結界を張る機能と味方の行動の現実を歪める機能よ』


『現実を歪める……?』


 一つ目はともかく、二つ目は言葉から機能を推測することができなかった。高速で飛び回りながらミサイルを撃ち落としていくデルカに追従しつつ、周囲の雨を集めて自身の周囲に水球を形成しながらルナはサーニャの言葉の続きを待つ。


『簡単に言うと、機傀ドールに正確な分析をさせない魔法よ。インヴォーカーシステムに組み込まれた人の行動を機傀ドールが数値として捕えようとしても、曖昧で不確定な結果しか得られない。だから……』


『こっちの行動や起こした結果から対策を練られることがなくなる、ということか』


 先刻ルナをものの数分で追い詰めた機傀ドールたちと100年近く魔法使いたちが戦い続けられているのはこの魔法のおかげなのかと理解する。


『でも、完璧というわけじゃないからね。防御結界……プルートーは、一度に受けられるダメージ量と、受けられるダメージの総量が決まってるから、攻撃を受けすぎちゃダメ』


 ゲームのHPとアーマーみたいなものか、とルナは理解する。


『観測を曖昧にする魔法も、全く観測できなくなるわけじゃないから、なるべく同じ行動は避けて、手の内を明かさないためにもできるだけ少ない種類の魔法で戦うようにして』


『了解』


 雲の中から飛来した戦闘機が機関銃から打ち込んできた弾丸を、自身の前に展開した水の塊で溶かしつつルナは答える。銃弾を撃ち込んできた矢尻型の戦闘機はデルカが進行方向上に出現させたキューブに激突して大破する。


 爆炎をまき散らしながら落下する戦闘機の残骸へ目を向ける暇などなく、別の戦闘機が仲間の残骸を目隠しに機関銃を放ってくる。急反転で弾丸の雨を躱したデルカに合わせて、ルナが千年水禍で戦闘機を溶かそうとするも、敵の急旋回に狙いを外して融解の雨は虚空に振る。死角から飛び入ってきたミサイルをデルカのキューブが受け止める。


「くっ……」


 至近距離で爆風を受けてルナは水の手を顔の前にかざす。


 その隙を逃さず、複数の小型のドローンたちが小口径の機関銃を四方から放つが、ルナの周囲に展開された水塊へ銃弾は全て吸収され、返す刀でルナが飛ばした水弾で数機撃ち落とす。残ったドローンもデルカが謎だらけの恒星モノリスターを激突させて処理する。


 ルナは小さく唇を噛んだ。


(敵が速すぎる……)


 この世界で空の支配者は機傀ドールか魔法使いか、と訊けば、ほとんど満場一致で「機傀ドールだ」と返ってくるだろう。科学の飛行手段は速い。魔法使いにとって速すぎるのだ。


 長い魔法の歴史の中で、音速の数倍の速さで飛行を可能とする魔法は存在しない。音速の半分の速さで飛ぶ魔法すら片手に収まるほどしかなく、どれも誰でも使えるものではない。だが、機傀ドールが使う科学兵器はそれが可能なのだ。それだけでも差は大きい。


 ルナの取り込んだ衛星機ステラ晴れない墓地アイレインは、水を扱う魔法が使え、決して弱い兵器ではない。だがそれは、地上での話。空を高速で動き回る相手に対し、彼の魔法は遅すぎる代物であり、その魔法の射程も空での戦いに運用するには短すぎる。


 空中で高速で移動可能になりつつ、触媒の乏しい空中で射程の長く速い魔法が使えなければ、空では戦えない。そんな条件を満たす魔法使いが少ないからこそ、空の玉座に座る権利は機傀ドールに明け渡されたままなのだ。


 古代から人類は空を飛ぶことを望み、それを最初に実現したのはずっと昔の魔法使い。しかし、今やその技術は科学に抜き去られた。それがこの戦場が見せつける事実。


(だからといって足手まといになるわけにはいかない……!)


 ルナは、前線のそのはるか先へ視線を投げた。魔法で夜目が効くようになった視界でも雨と距離で霞んで見えるが、そこには確かに巨大な浮遊兵器が鎮座していた。


 翼をもたない楕円形の巨大機械。下部から伸びた四本の太い亀のようなヒレが薄く発光し、静かに空中に静止している。ルナの脳内に保管された情報が勝手に引き出され、磁気浮遊技術であの巨体が浮いていることを理解する。


『アルデバラン。俺たちはそう呼んでいる』


 戦場にて直接制空権を得る、という目的で先の時代に製造された戦術兵器。機傀ドールたちによってかなり改良は施されているものの、基本特製は先代のままである。電磁シールドや迎撃兵器に身を固め、その中に保有するミサイルや投下爆弾、戦闘機などで空に拠点を作ることを可能としたまさに空中要塞。本体の動きは鈍いものの、近づくことは容易ではない。先ほどからミサイルや空中兵器を次々と繰り出しているのは、まさにあのアルデバランなのだ。


 ルナはアルデバランから視線を切り、自らの戦闘に集中しようとしたとき……。


 雷光が轟いた。

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