第18話 学習能力


(被弾が増えてきた……)


 ビルを貫く新月樹の陰に身を隠しつつ、航空戦闘機と融合した少年、ルナは腹部の傷を確認していた。銃弾によって穿たれたいくつもの穴からは少量の出血があるものの、浮き出た魔法陣がそれを修復している。


 雨音響く暗いビルの一室。新月樹に侵食される前は、どこか企業のオフィスであったのだろうか、苔と雑草が生えた床面に、同じく苔に呑まれたパソコンや大型コピー機の残骸が見られる。


 少年は融合に体内に取り込んだ赤外線センサーや電磁レーダー、視覚に対応させたサーモグラフィカメラで周囲を警戒するが、近くに機傀ドールの存在は感じられない。だが、安心はできない。戦闘機に搭載されている主なレーダーである電磁レーダーは、これだけ障害物だらけの地上ではあまり使い物にはならない上に、他のセンサーもそこまで障害物を貫通して周囲を警戒できるわけではない。感じられないだけで、今も近くに機傀ドールたちはいるかもしれないのだ。


 もちろん、笑い声も聞こえない。


 彼らが笑い出すのは、人間の前に姿を現したときだけ、笑い声でまだ見つかっていない自身の存在を知らせる愚を当然のように犯さない。


 とはいえ、


(なぜ笑う……っ)


 少年は新しくミサイルを生成する右腕に力を込めつつ、記憶に焼き付いた機傀ドールの姿を思い出す。


 笑顔と、笑い声と、光る銃口。


 見た目上はほとんど感情が無いように見える融合時のルナだが、感情が全くないわけではない。笑いながら殺害を狙う機傀ドールたちの姿に、不気味さも狂気もしっかり覚えていた。


 ピクリと少年の眉が動く。レーダーに変化を感じたのだ。


 電波の反射で物の有無を判断する航空機用のレーダーは、地上では大量の障害物に電波が乱反射して敵の有無などわかったものではないが、一方で周囲一帯に動きがなければ反射して帰ってくる電波も一定であり、何かがどこ方向で動いた程度の情報は知り得る。彼が感じたのは、数十メートル東側での「何か」の動きだ。今も動き続けていることからも、十中八九機傀ドールだろう。


 腹部の修復を終え、右腕の周囲にミサイルのストック4発が浮遊していることを確認したかれは、壁から背を放そうとし――


 手榴弾が投げ込まれた。


「……っ!」


 目視の瞬間に駆け巡る思考。チーズのように穴の開いた筒状のそれは光と音をまき散らすスタングレネードタイプ。逃げ道は窓。


 判断と行動は瞬きするよりも早い。放たれるであろう閃光のために瞼を閉じようとしつつ、腕を目元まで上げながら肩口と両ひざの裏から最大出力でジェットを噴射する。


 それはまさに一瞬。しかし、瞼を閉じ切るより先にスタングレネードは炸裂した。


 キイイィィッ! 鼓膜を突き破る爆音と夜闇を吹き飛ばす閃光が咲く。


 肉体的損傷はないものの、窓から飛び出たルナの視覚と聴覚は完全に白く潰されていた。しかし、彼は多少の冷や汗をかきつつも、地上十数メートルの空中にて体制を立て直しつつ、電磁レーダーや赤外線センサーを駆使し、周囲の環境を把握する。


(検知した距離は100メートル近く先だった。スタングレネードだけ遠投したのか)


 その肩の強さと精度は流石機械人形というところか。


 初めてスタングレネードを間近に受けてパニックや呆然自失にならないのは、やはり彼に機械が混ざっているからなのか。判断こそ冷静にできていたが、その行動は最適解とは言い難かった。


 ビーッビーッとルナの脳内に耳障りな電子音が鳴り響く。戦闘機に搭載されているミサイル警報装置だ。レーダーで感じる彼の世界に二つの飛来物が現れる。


 ビルの間を縫うように飛んできているミサイルに対し、ルナもジェットを噴かして反対方向へ飛ぶ。それに合わせてミサイルも進行方向を変えた。


「フレアッ!」


 掛け声とともに腕や腿の内側から赤く燃焼する球体がいくつも放たれる。体を回転させながら四方に巻いたそれらは、ミサイルの赤外線誘導を欺瞞するフレアだ。


 二機のミサイルは放たれたフレアを目標と誤認し、フレアを放つと同時に下降した彼の頭上を通り過ぎて近くのビルへ炸裂する。


 爆風のあおりを受けつつ態勢を立て直すルナ。しかし、彼が安堵の息を漏らす間もなく、彼の体に数十発もの弾丸が撃ち込まれた。


「ガアッ!」


 それはビルより高い新月樹の上からの銃撃。


 撃たれた位置から射線を逆算して死角となる位置へ空中を駆ける。


(詰められてる!)


 目や耳で周囲の環境を正確に把握できていれば、待ち伏せしていた敵を目視(正確に言えば映像情報からの機傀ドール識別機能)で気づくことはできていただろう。現在ルナが使えるセンサーやレーダーでは、ものの位置や形が大雑把にわかる程度。おそらくは、敵はそれをわかったうえで攻撃を仕掛けてきている。


 スタングレネードで視覚と聴覚を奪い、正確な環境補足手段を奪ってからの、ミサイルで追い込んでの誘導。誘導地点での集中砲火。


 ルナは自身の被弾が増えてきていた理由を今更理解した。


(学習してるんだ……!)


 ミサイルが中空で創造される原理も、このサイズに様々な機械機能が備わっている理屈も機傀ドールには理解できないだろう。だが、原理は理解できなくとも現象は理解できる。


 自分たちの行動に対する反応から、すべては推察できる。何をもってルナが自分たちを探知しているのか。どの行動をしたとき、相手はどんな反応をしたか。そこからどんなことが推察できるのか。武装の数は、装填間隔は、何を感じ取っているか、反応範囲は、正確性は……。


 得た情報から最適解を選び続ければいい。失敗や敗北も彼らにとっては試行の一つ。そうして、彼らはもはやほとんどルナの底を把握しつつある。


 ルナの背筋に冷たいものが走る。加えて、


(融合時間残り1分)


 と電子的なアナウンスとともに、視界の端に秒刻みのタイマーが表示され、彼の焦りが加速する。


 必死に思考を巡らせる。集中砲火から逃れることも彼らの想定の中なら……。


「くっ!」


 薄く戻った視界に映るビルの窓から銃を構える機傀ドールの姿。構えているその銃が対物ライフル並みに巨大なものであると認識し、体を捻った次の瞬間、少年の左腰が打ち抜かれた。


「ぐああぁぁっ!」


 飛び散る破片。腰から千切れ跳ぶ左足。バランスを失った彼は錐揉み状に回転しながら自身のジェット噴射の勢いで路上の電柱に激突し、ひび割れたアスファルトへ叩きつけられる。


 痛みに顔をしかめつつも、死の圧力に急かされ彼は無理に両翼と左足のジェットを噴出して、銃の死角となる車の陰へ体を動かす。


 銃声と衝撃。


 ギリギリ隠れ損ねた左腕を打ち抜かれ、左腕の半分が肘から吹き飛んだ。


 痛みに苦しむ時間はない。あの威力の対物ライフルならボンネット内の硬いエンジン部でなければ弾を防げないうえに、この車高の低さと角度ではルナの全身を隠し切れない。相手は機械。エンジン部を避けたうえでルナの位置を予測した正確無比な射撃など容易にやってくる。飛び出せば当然打ち抜かれる。


 隙は次弾装填までの1秒以下の間。


 ルナは白んだ視界の中で数メートル先にある錆びついた車に狙いをつけると即座に右腕のミサイルを一発放ち、爆散させる。


 近くで起こる爆炎と爆風に歯を食いしばって耐えつつ、巻き起こった黒煙の中へ背部のジェットを噴射して飛びこむ。


 飛び出した瞬間に銃声が鳴り響くが、煙と粉塵に紛れたおかげで銃弾は腹を掠めただけ。ルナはそのままジェットの噴出を強め、近くのビルの中へ勢いよく飛びこんだ。


 受け身も取れず勢いのままに雑草の生えた床を転がる。


「うわっ」


 しかし、転がり込んだビルの床部は大きく陥没しており、そのまま彼は落下する。崩れたコンクリートの大穴の先は数メートル落ちたところで水に満たされており、ルナが叩きつけられたことで大きな水飛沫が立ち上る。


 大量の泡を纏いながらルナの体が暗い水の中に沈んでいく。剥き出しになっていた傷口の配線がショートを起こし、暗い水中にいくつもの光が激しく瞬く。切断されていた左腰部から下は特に激しく明滅し、同時に駆け巡る痛みにルナは叫び声の代わりに肺の中の空気を全て吐き出した。


 かなりの速度で水の中に入ったが、よほど深い穴なのか水底に体が叩きつけられることはなかった。沈み続ける今も水底に着く気配はない。


(ま、まずい……!)


 ルナの顔が痛み以外に歪む。


 もとより体のほとんどは機械でできているが、戦闘機と融合している今はなおさら水に浸かっていいわけがない。現に傷口から流入した水でその部位がショートを起こし機能を停止している。


 だが、彼の焦りはまだ甘い。


(……! 浮かない!)


 一旦沈む速度は収まったもの、いつまでたっても体は浮かないどころかどんどん沈んでいく。当たり前だ。体のほとんどが金属で構成された彼が水より比重が軽いはずがない。


 急いでジェットエンジンを噴かそうとうするが、しかし各関節部のそれらは低い駆動音を上げるだけで推進力は得られない。ジェットエンジンは、燃料の燃焼によって推進力を得る。空気のない水中で燃焼が起きる道理はない。


 急いで周囲を見渡すも、暗い水中ではほとんど視界はなく、電磁レーダーがこの穴の深さが五メートル近くあることと、洞窟のように左右に長く続いていることを伝えてくる。


(なんだこの大穴!)


 焦りもがくも、水面はどんどん離れていき、息もどんどん苦しくなってくる。


 思考を巡らし、右腕のミサイルを水底に放つことで爆風で飛び出そうと右腕を構えるが、


(融合終了)


 無情にも彼の脳内に電子音性が響くと、体が光に包まれ、背中側に残っていた金属の翼が崩れ落ち、右腕のミサイルもバラバラになって水中に舞う。それに合わせて彼の体を修復しようとしていた魔法陣のいくつかも消え去り、血だまりが広がる速度が上がる。


 彼の瞳に感情の色が濃くなり、目に見えて焦りと苦しみの表情がその顔に現れる。


 冷静な判断ももうできず、彼の意識が遠のきはじめたそのとき……突然周囲の水が渦巻き、水流が彼の体を押し上げる。その勢いはすさまじく、彼の体は一気に水面に跳ね上げられ、雑草が生い茂るビルの一階部へ大穴から放り出される。


「げほっ……! げほっ……!」


 水を吐き出しながらむせるルナの前に、体格のいい男が立っていた。


『対象を発見』


 響いた声は彼の脳内に直接。聞きなれない男の声。


 ルナは知るよしもなかったが、彼はヘイルを命がけで守っていた彼女の同僚、カインであった。彼は、目にかかるほどの前髪を揺らしながら慎重な足取りでルナへと近づきつつ、剣状の杖を振るう。すると、彼の傍らに浮いていた雫型の衛星が四つに分裂し、ルナの周囲に移動すると、そこから湧き出した水がルナの全身を細い水流となって駆け巡る。ただの水流が幾重にも体の表面を流れているだけなのに、それだけで彼の体は縄で縛り上げられたように動かなくなる。


「がっ、このっ! 放せ!」


『黙れよ機傀ドール


「俺は機傀ドールじゃ……」


 打って変わって感情を剥き出しにした彼は最後まで言葉を言いきれなかった。彼が言葉を終える前に、全身の水が冷たい氷と変貌したからだ。


「かっ……! あっ……」


 突然の氷結に彼は声も上げられず霜を落としながらその場に崩れる。パキリと氷が小さく砕ける音が虚しく響く。


『鹵獲完了しました』


 カインの後方より現れたのは、クリーム色の髪を不機嫌に揺らすヘイルだった。彼女は氷より冷たい視線で動けないルナへ近づくと、そのまま頭を踏みつけた。


『まじでなんなの? 結局戦場乱しにきただけじゃん。それで味方のつもり? あんたみたいな雑魚、味方だとしてもいらないよ』


 ルナは歯を食いしばってもがくも、凍った体では大して動くこともできない。


『これから永遠にお前は実験台のモルモットだ。覚悟しとけクソ機傀ドール


 ヘイルが強かに頭を蹴りつけたのを合図に、カインがルナの体を浮かして運ぼうとする……が、そんな三人の動きが止まる。動けないルナはともかく、ヘイルもカインも、とある一点に視線を向けて足を止めていた。


 それは、真っ黒な立方体。


 ルナの目の前に現れたそれは、空中にて静止したままノイズが走っているかのようにその形をブレさせている。


『これって……』


 と、ルナがヘイルの言葉を聞き取れたのはそこまで。次の瞬間、彼の瞳に映る光景は暗いビルの内部から、小雨が降りしきる夜の空へと変わっていた。


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