第16話 笑っている

 戦場は濃すぎるほどの死の色に満ち満ちている。


 ぽつり、ぽつりと振り出した雨を気に留めるものは誰もいない。


 雨の降り始めに沸き立つ香りに混じった血の匂い。耳を劈く銃声と爆発音、悲鳴と閃光……。どのような生物であってもこんな場所から一目散に逃げるだろう。しかし、そんな場所に居続けるのが人間であり、そして機傀ドールである。


 銃弾と魔術が飛び交う戦場の中で、ウェーブのかかった薄い茶髪を持つ少女、ヘイルは四方に展開した氷壁の中で機傀ドールからの銃撃を防ぎつつ、損傷した衛星機ステラの自動修復を待っていた。衛星機ステラにも結界が張ってあるとはいえ、被弾しすぎれば壊れもする。


 彼女の周囲には、壊れていない雪の結晶型の衛星機ステラが三機浮いており、銃弾を受けてもビクともしない氷壁を維持している。


 ここは戦場の前線部。最前線ほどではなくとも機傀ドールたちの攻撃は苛烈だ。白かった彼女のドレスは、泥と汗で汚れており、数か所破れている部分もある。荒い息を吐きながら、彼女は周囲を取り巻く不快な環境をなるべく意識しないよう目を閉じる。


 五感で感じうる全てのものが不快感を煽る。自身を殺そうと工夫を凝らす機傀ドールの姿。口に広がる泥と血の味。汗でべたつく服の感覚。血と煙が混じったむせ返る匂い。そして何より銃声に混じった彼らの笑い声。




 そう。笑っているのだ。彼らは。




 氷壁を透かしてその向こうの様子を見れば、小雨の中様々な手法で人間を殺そうとしている機傀ドールの姿が見える。銃撃、爆弾、音響弾、毒ガス、火炎放射器。人を死に至らしめる方法がこれほどあるのかということを嫌というほどに見せつけてきている。


 そんな様々な殺人手法をとる彼らは、しかしみな共通して笑っている。笑みを浮かべるどころか、声に出してさも愉快そうに彼らは笑っているのだ。


「アハハハッ」「ウフフフ……」と、血と銃弾が鳴り響く戦場に全く合っていない声色が響き続けている。その異常な様は見る人間が見れば自身の精神状態を疑ってしまいそうな地獄のような光景であった。笑顔を浮かべている人間の姿をしたものが、自身の傷を顧みず、ただ手練手管を尽くして殺そうとしてくる。その光景に耐えられなくなって心を壊した魔術師も多い。


 ある時代から突然彼らは戦場で笑い出した。彼らがなぜ笑うのか、その正確な理由はわからない。しかし、おそらくは魔術師たちへの精神攻撃が目的であるとされている。実際彼らが笑い始めてから、精神を害す魔法使いが増加した。彼らの中で考えられた「最も効率よく人間を殺すための工夫」の一つだろう。表情という機傀ドールの一機能まですべて使って人間を殺さんとする姿は、機傀ドールにあるはずもない殺意を感じざる得ない。


 耳障りな笑い声がヘイルの鼓膜に絡みついてくる。


「くっ……冬の核リプリズン起動!」


 衛星機ステラの修復を確認すると同時に彼女は怒気を隠せない声で叫ぶ。その声に呼応して、四機の雪の結晶型の衛星機ステラすべてが彼女の頭上で回転し、その表面に氷を纏っていく。数秒の後に彼女の衛星機ステラは、一回り大きな氷でできた雪の結晶となっていた。


 四方の氷壁が割れ砕けて飛散する。


「うるさいんだよ!」


 対面した機傀ドールたちへ怒号とともに、氷の欠片を飛ばすと、それに着弾した機傀ドールたちは突然動きを止めて沈黙する。それを回避した機傀ドールも、氷の着弾点に広がった霜を踏んだとたん、同じ末路を辿る。


『雪妖の欠伸』。雪山に踏み込んだ者を沈黙させる、冬の降雪地帯でのみ使用できる魔術だ。本来この場において使えるはずもない魔術だが、しかしそれを可能にするのが衛星機ステラであり、科学の力だ。


 この魔術が「冬の降雪地帯」と認識する定義は、「気温五度以下の環境下で頭上から結晶化した氷晶が落下する(つまり、雪が降る)こと」である。科学技術によって衛星機ステラ内部でその気温を維持し、雪の結晶を生成する機構を組むことで魔術の条件を満たしている。実際の天気が雨だろうと冬でなかろうと関係ない。


 これが現代の魔術の姿。機傀ドールに対抗するために魔術師が歩んだ進化の道。


 何体もの機傀ドールが機能停止したことでほんの少しだけ、戦場が静かになる。『雪妖の欠伸』が行使する「沈黙」の定義はただ生物を氷漬けにするにとどまらず、非生物であっても、機能停止という形で適用される。


 沈黙した機傀ドールはしかし、笑みを浮かべたままで、それを目にしたヘイルは少しだけ目を細めた。よぎった心の揺れは僅かなものだが、ほんの数瞬彼女に隙を生む。そして数瞬もあれば、放たれた銃弾は彼女の額を打ち抜ける。


 弾かれたように彼女の頭が後方に反った。物陰に隠れていた機傀ドールからによる狙撃。それを皮切りに隠れていた機傀ドールからの砲撃射撃の雨あられが彼女の矮躯に叩き込まれる。


「痛ったい!」


 だが、何十発もの直撃を許した彼女の体はやはり無傷で、近くの瓦礫へ疾駆する彼女は、銃弾を受けた衝撃に体をぐらつかせながらも、腿に括り付けていた短い杖を鋭く振るう。その動作だけで彼女の衛星機ステラはさらに輝き、彼女の周囲一帯に何本もの氷柱が突き立った。人二人分ほどの高さのそれらは、またも瞬時に砕け、その破片を受けた機傀ドールたちを『雪妖の欠伸』で沈黙させていく。


 広範囲にわたる氷雪魔法の行使で、彼女がいる通りの一角はそれこそ冬が訪れたかのように氷と霜に覆われていた。


 息を切らし、再度訪れた沈黙の間に息をつこうとするヘイルだったが、息を吸ったそのときに、彼女が身を隠した瓦礫が爆散した。


「がっ……!」


 背に爆風を受け、地を転がってビル内へ叩き込まれるヘイル。彼女が顔を歪ませながら立ち上がるのと、彼女の隣に人影が差したのは同時だった。


『ヘイル! 前に出過ぎだ! 足並みを揃えろ! 祈念装プルートーに頼り過ぎだ!』


 彼女の頭に声が響く。


 ヘイルが入ってきたビル入り口を雫型の衛星機ステラから発生させた水流で塞ぎながら彼女に叫んだのは、彼女の同僚のカインであった。剥き出しの筋肉を隆起させながら機械製のガントレットを地面に打ち付ける彼は、強く少女を睨みつけた。


 ヘイルは唇を噛む。今回の戦いは何かがおかしい。襲撃を受けたタイミングといい、あの人形とも機傀ドールともつかない少年といい、想定していたよりもずっと多い敵兵器の数といい、大局に敏感ではないヘイルですら違和感を覚えるほどだ。


 それに、


『EMP兵器はまだどの班も鹵獲してないの?』


『どうやらな。目撃情報すらない』


 そう、作戦開始前にあれほど警戒を促された兵器の影すらない。


 いったいなぜ?


 そんな不気味な違和感ばかりがこの戦場には這いずり回っている。


 カインが展開させている水流の盾の向こうでは、今も機傀ドールたちが不快な笑みを浮かべて銃撃と砲撃を投げつけてきている。鼓膜を叩き続ける銃声や破壊音の中に、かき消しきれないやつらの笑い声が聞こえてくる。


(集中しろ。私の役目はこいつらの気味悪い笑い声を一つでも多く消し去――)


 爆炎がビルを吹き飛ばした。


 破壊の嵐は、カイン展開させていた巨大な盾の防御すら安々と飲み込んで蹂躙し、鉄筋コンクリートを瞬時に瓦礫へと変え、二人の体は産まれた瓦礫とともにゴミくずのように宙を舞った。


「――ッ!」


 人間の許容量をとうに超えた光と衝撃と爆音に、二人は声すら上げられない。たっぷり数秒も経ったあと、ヘイルの体は受け身すら取れずに頭から瓦礫に叩きつけられた。


 一切の視界を断つ凄まじい量の粉塵の中で、ヘイルは横たわったまま全く体を動かせない。


 頭より……、いや体の裂けた肉の各所から赤い液体が流れ出し、地を汚す。人の形を保っていることすら奇跡であるが、彼女を守ったのは奇跡ではなく魔法。肉体を守る魔法のおかげで、彼女の体は腕があらぬ方向に曲がった程度で、五体満足を保っている。


 しかし、その命は散りかけの花。それを刈り取らんと容赦なく笑顔の擬人が、粉塵の存在などないかのように正確に銃弾の雨を撃ち注ぐ。


晴れない墓地アイレイン!」


 瓦礫から飛び出した雫型の衛星機ステラが空中にて赤く輝いた。その光を目指して瓦礫の間から水が噴き出し、水を纏った衛星機ステラへ赤い光を受けた銃弾や榴弾がすべて軌道を曲げて殺到する。


『ヘイル! しっかりしろ!』


 心の声を上げたのは、カインだ。彼も傷だらけで額から血を流しているが、重症ではない。太い腕で丁寧にヘイルの体を抱き起すと、液体の入った小瓶を彼女の口へ突っ込みつつ、剣のように鋭い杖を振るう。それに呼応して、もう一機の雫形衛星機ステラが細長く変形し、二人の周囲を円状に囲むと、水の膜を発生させて二人を包んだ。


『なに……が……』


『ミサイルだ。空掃部隊が落とし損ねたらしい。……こんな長丁場じゃ仕方ねぇけどよ。すまねぇ! 俺も空は油断してた』


『いや……』


 それこそ、仕方のない話だ。


 遠距離攻撃が効かないならと、ナイフや瓦礫の中から拾ったであろう金属棒で数体の機傀ドールが飛びかかってくるが、先ほど展開させた水の膜が触れるそばから彼らの体を溶かして阻む。笑顔を浮かべながら、様々な獲物で水の膜を殴りつける様はまさに狂気的で、思わずヘイルは目を逸らした。


 傷口からは煙が立ち上ぼり、再生していく。あらぬ方向に曲がったまま骨折が治癒しないように、彼女は勢いに任せて折れた腕を無理矢理真っ直ぐに伸ばす。


「ぐうぅっ……!」


 激痛に視界は明滅し、食い縛った歯の間からよだれが垂れることすら気にしていられない。あと数分もあれば動けるまでに回復する。それまでは、耐えなければならない。痛みにも、無防備な状態を晒す恐怖にも、なにもできない悔しさにも。そして、耐えなければならないのは、彼女を守るカインも同じだ。


『ごめん、カイン』


『いいさ。マリアのもんだったその体は、命に代えたって守るって誓ってるんでね!』


 その言葉をヘイルが聞くのはもう何度目か。しかし、彼の言葉に反して、銃弾を集めていた頭上の衛星機ステラが放つ光が弱まっていき、二人を覆っている水の膜も明滅する。


 驚いてヘイルがカインへ視線を投げると、よく見れば横顔から伺える彼の瞳は虚ろで、息も荒いまま収まっていない。


『カイン、お前魔力が……』


『ああ、さっき結構使っちまってな……』


『もういい! もう私を守らなくていいから! じゃないとお前も心を……!』


『ダメだねぇ。言っただろうが、誓ってるってよ。意地でも守りきってやるよ!』


 その言葉で頭上の衛星機ステラは光を取戻し、纏う水も体積を増やす。だが、その輝きの強さは彼の命をより早く燃やしていることと同義である。


(はやく! はやく! はやく!)


 体はまだ動かない。彼女の魔法制御は声と杖の両操作。喉が治っても腕が動かないのでは意味がない。やはりあと2分はかかる。


 気は急くばかりで、時は待たず。もちろん機傀ドールも待ってくれない。彼らの打つ手は常に最善手。頭上の水を纏う衛星機ステラが飛来物のみ引き受けると、数々の試行で学習した彼らは、即座に手榴弾を水の膜の前に置いて離れた。


 ドガガガッと、もはや聞き飽きた何重もの爆発音と閃光が二人の周囲に炸裂し、衛星機ステラもろとも水の膜が粉々に砕け散る。


「くっ……」


 再度舞い上がった粉塵に映る影。それらはみな声を上げて笑い、二人へ近づいてくる。


「ウフフ……」


 粉塵を分けて露わになる機傀ドールの顔。短い髪の女性型の機傀ドールは、頬の部分が大きく抉れ、人工筋肉を露わにしながらも、ただ笑いながら銃口をヘイルに向ける。


「クソッ」


 カインがヘイルの上に覆いかぶさったのと同時に、轟音がヘイルの耳を貫いた。


 その音は……銃声ではない。


 いくつもの連続した爆発音。


 それも、ヘイルたちへ向けられたものではない。ヘイルたちのその周囲で断続的に爆発は起き、機傀ドールたちの笑い声が減っていく。


 ヘイルの目の前まで来ていた機傀ドールも、身を翻して粉塵の向こうへ姿を消す。


 銃声と爆発音が数十秒の間鳴り響き、やがてそれも収まっていく。


 最後にヘイルの付近で起きた大きな爆風が彼女の周辺に舞っていた粉塵を吹き飛ばした。


 爆風に煽られて閉じた目をヘイルはゆっくりと開ける。その目に映ったのは、晴れた視界と、笑い声の絶えた焼け野原と、機傀ドールの残骸と、そして……一人の少年の姿。


「お、お前は……!」

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