第15話 その道の先は破滅か希望か

 少年が何か言おうとしたとき、突如新月樹で成されていた外壁が爆発した。


 二人が驚く間もない。爆風が吹き荒れ、凄まじい衝撃とともに爆炎と四散した木片が瞬時に二人のいた空間を飲み込んだ。


 アンドウが触っていた機器も砕け、吹き飛び、その破片が床や壁に突き刺さる。


 爆風の蹂躙はほんの一瞬。二人のいた新月樹に囲まれた空間は半壊し、爆発した木々の数本も倒壊したうえで焦げ付いている。


 破壊の文字が通った跡には、とっさに顔を庇った姿勢でいる少年と少女の姿があった。……無傷で。


「ったく、なんだなんだ危ねーな。こんなとこまで攻撃が来るなんて、前線の奴らは何してんだよ。自分たちに直撃するやつ以外は管轄外ってお役所仕事かー?」


 少年の耳に入ったのは、ぺらぺらで軽いラピの声。反射的に閉じてしまっていた目を開けると、そこには二人へ背を向けて宙に浮くラピの姿があった。その翼は三メートル近くに巨大化しており、二人を守る盾となっていた。二人には破壊された木片どころか爆風すらも届いておらず、その体に傷ひとつない。


「な、なにが起きたの?」


「見なよ」


 ラピが翼を元の大きさに戻す。


 目に飛び込んでくる砕け折れた新月樹と飛び散った破片。立ち上る黒煙と焦げた跡。数ヵ所で上がる火の手。その破壊の中心にあったのは、


「これは、戦闘機……か……?」


 翼が尾翼まで繋がっている矢じりのようなフォルムは、ルナの知識にある戦闘航空機の姿とは少し違ったが、これがこの時代の機傀ドールが昇華させた戦闘航空機の姿なのだろう。その搭乗部は完全に潰れており、白銀色の機体のほとんどは傷にまみれている。突然起きた爆発のごとき衝撃は、この戦闘機が二人のいるこの場所へ突っ込んできたことによって起きたものだったのだ。方々で新月樹が燃えている箇所があるのは、新月樹へ激突した際に火花が燃料に引火でもしたのだろう。


「こんなもんが突っ込んで来るなんて物騒だねぇ。機傀ドールは……ま、壊れてるに決まってるか」


 一応ということで、ラピは潰れた搭乗席を覗いたが、そこに動くものの気配はない。


 火の手に照らされた割れたキャノピーの先に、人間を思わせる白い腕が見え、ドキリとルナの心臓が強く脈打つ。


 あれは機傀ドールのものなのだろう。頭はそれを理解している。しかし、激しくなった鼓動はなかなかに収まらず、頭が痺れたような感覚がずっと広がっている。


 ルナは思わず腰をあげると、おそるおそる戦闘機に近づく。搭乗席付近で揺らめいている炎の熱さを感じるところまで近づいたとき、少年の目は搭乗席の様子ははっきりと捉えていた。


 金属製であるにも関わらず、無惨に潰れた姿を晒している搭乗席は、激突時の衝撃を物語っており、そしてその中で動きを止めている人型の存在は関節を無視した折れ曲がった姿になってしまっている。短い髪をした男性形のその存在の瞳に光はなく、どこも見てはいない。ただでさえ狭い搭乗席の空間がさらに圧縮されたことで脚部を完全に潰されており、砕けた金属片や折れたキャノピーの支柱部が頭や胸に刺さっている。引き裂かれた肌からは、やはり配線や人工筋肉の繊維が見てとれ、それを見て少年の心臓の鼓動はようやく少しだけ収まった。だが、それも少しだけ。完全には収まらない。


「頭ではわかっていても、なかなか受け入れられないわよね……」


 いつのまにか隣まで来ていたサーニャがルナの心にそう答えた。


 これは人間ではない。ただ人の形をしているだけ。しかし、されど人間の形。形は印象の始まりであり、はじまりと終わりが同じこともある。そして、はじまりと終わりが同じとき、紛い物は本物に違いはない。


 嫌が応にも人として見てしまうこの人間の形をした機械に、ルナは深い不気味さを覚えた。しかし、すぐに彼はその感情をかき消す一つの事実に気づいた。


「あ……」


 壁が壊されている。四方を新月樹に囲まれ、魔法でしか出入りできなかったこの場所に、出られる場所ができている。天井からしか見えなかった空が、今は破壊された壁からも見え、廃墟となった町並みも覗いている。


 今なら、出られる。


 ここを出て、自らの足で、あの自分が意識を取り戻した施設へ行くことができる。道はうろ覚えではあるが、それでもたどり着ける可能性は十分にある。待っていても知ることができないかもしれない自身の謎を、今なら……。


 と、そこまで思ったところで、彼はハッと息を飲む。


 視線を横に投げれば、やはりそこにはルナへ視線を投げるサーニャの姿があった。


 サーニャは人の心が読める。当然今の心の声も彼女に聞こえているはずだ。事故に乗じてここから逃げ出すなど、魔法使いたちが許すはずもない。いくらサーニャであっても……。


 サーニャの目付きが鋭くなる。


「行って」


「え……?」


「行って! 今なら戦闘中で、みんなもすぐには追えないし、私が言わなかったら暫く脱走にも気づかれないから」


「で、でもさ、お前はどうなるんだよ」


 ただでさえ危うい彼女の立場がさらに悪くなってしまうだろう。


 だが、


「いいの。私は。命まで取られる訳じゃないわ」


 彼女はそれをわかっている。少年以上に。彼を見るその瞳がそう語っている。気弱気な顔つきに似合わない、眉を吊り上げた表情をしているものの、相も変わらずその体は震えている。その震えが、仲間の死を感じていたときと別種のものから来ていることは、心が読めずともルナにはわかった。


「な、なんでだよ。なんでそこまでしてくれるんだ?」


「これが……今私にできることだから……」


 彼女は柔らかな笑みを作って見せ、寒さを堪えるように細い自分の体を抱いた。 


「さっきも言ったけど……私は、今自分にできることをやっていたい。あなたがどれだけ怖いかは、すっごく伝わってきてるし、自分があなたと同じ立場だったら、動けなくなるくらい本当に怖いと思う。だから、なるべくあなたを助けたい。そのために今できることは、ここであなたを行かせることだと思うの」


 言葉の最後に、ルナへ目を向ける。その瞳には、強い光こそ輝いていなかったが、その奥底に小さく灯る彼女の意思の火があった。


「だから、行って。迷わなくていいの」


 少女が紡いだ柔らかな言葉に、同時に少年の心は大きく揺さぶられた。感涙に? いや、違う。寧ろ彼女の言葉が生んだのは、迷いであった。


 意味がなくとも、たとえ、実るかどうかわからないことでも……。そんな暗闇の中に自分の魂を投げ続けるようなことを、彼女は実践している。


 対して自分はどうなのか?


 少年は穿たれた穴から、空を見上げる。ビル群先に広がる雲に覆われた空は、爆発音とともに断続的にオレンジに染め上げられている。


 あそこが戦場。あの場所でみな死力を尽くし、命を燃やしている。


「今、自分にできること……」


 ここから出て、一人で意識が戻った施設へ行く。命を賭して戦っている者たちを無視して、自身を助けてくれた人を犠牲にして。


 関わる義理はないか? 恩を感じる筋合いもないか?


 数多の思考の奔流が駆け巡り、そして少年は一つの結論を出す。自らの考えを噛みしめながら、拳を握って彼はゆっくりと前に歩み出す。


 瞬間、サーニャの顔が青ざめる。


「だ、だめ! それはダメよ!」


 ルナは振り返り、強く意志の固まった視線を少女へ返す。


「いや。ダメじゃねぇ。ダメだったのはむしろさっきの俺だ。自分一人だけ自分のこと知りに行って、その後どうすんだよ。なんも考えてなかった」


「まあ、普通に考えて、しばらくしたら俺たちの誰かにとっ捕まえられて終わりだろうな」


 そうなったら、今よりルナの立場は悪くなる。サーニャも同じだ。そもそも、特に調査する技術も持たずにあの場所へ行って、充分な情報が得られる確証もない。


「つか、あいつは、何しようとしてんだ?」


 ラピがサーニャの頭へ止まりながら、首をかしげるが、サーニャはそれを無視して、呪文を唱えた。呼応するように彼女の髪飾りが青い輝きを放ったと同時に、ルナの近くの新月樹に星形の花びらを持つ花が咲き、周囲に花弁が舞い踊る。その瞬間、


「がっ……!」


 ルナが突然頭を抱えて膝をついた。彼の体からは新月樹に咲いていたものと同じ花が咲いており、その表情は、頭を貫く激痛に歪んでいた。


「ご、ごめんなさい。でも、これでも弱いほうだから……。じゃなくて! ここで止まりなさい。行ってはダメよ。そういう理由なら、ここから出すわけにはいかないわ!」


 心に直接干渉する魔法の一つだろう、今ルナの頭は棘のついた針金で縛られているかのような痛みに襲われ、体も酷く動かしづらくなっている。


 痛みと不快感に見舞われながら、少年はしかし笑みを浮かべる。


 これもきっと彼女の優しさ。少年の選択には、少年にすら簡単にいくつも思いつくほどの、障害が見えている。そして、それだけの障害に対する見返りは不明どころか、失うもののほうが多いかもしれない。


 だが、しかし……。


 少年は右手を伸ばす。その手の先には大破した戦闘機。


 サーニャが目を見開いて、魔法の出力を上げるが、強まった呪縛すら押しのけて少年の手が戦闘機の冷たい光沢へ触れた。


「これが……! 俺が今できることだからな……!」


 少年の右腕が眩い光に包まれる。光の中で、その腕が機械部品へと分解され、円状に並びながら光と編まれて、部品と光の魔法陣へと変貌していく。生成された魔法陣は、大きく広がり、彼の五倍近く大きい戦闘機を包み込んだ。ネジ、鋼板、エンジン、ストレーキ、カナード……戦闘機が部品へと分解されていき、魔法陣の中へと取り込まれていく。


「ああ……」


 サーニャはため息に近い声を漏らした。


 僅か数十秒にして巨大な機械は跡形もなく取り込まれ、残された光の残滓の中に、姿の変わった少年が立っていた。


 背中より生えた鋼の翼と、背中のみならず各関節部に生成されたジェットエンジン。右腕は小型ミサイルが複数取り付けられた異形となっており、左腕も右手ほどではないが、銃口が飛び出したものとなっていた。


「お、お前、まさか……戦場に行く気か⁉」


 ラピが羽をばたつかせながら大声をあげるラピへ、機械と一体化したルナは感情の消えた視線を向けた。


「そうだ。これが今俺にできることだ。それに、もしかしたらこの行動で信用を得られるかもしれないしな」


 淡々と赤裸々にそう語るルナだが、その言葉の終わりにほんの少しだけ頬を上にあげていた。ルナの動きを止めていた魔法は解けている。融合の衝撃で魔法の対象から外れてしまったのだろう。


 サーニャは再度星形の花へ魔力を込めようとするが、


「ごほっ。ごほっ」


 湿った咳とともに彼女は膝をついてしまい、新月樹に咲いていた花も空気に溶ける、


「無理するな。魔法を使うと体に悪いんだろう?」


「で、でも、行かせるわけにはいかないわ」


 立ち上がる彼女の顔色はさらに青白くなっており、胸を押さえる手は震えている。


「あなたのその能力はすごいけど、戦いや機傀ドールのことはなにも知らないじゃない! 危ないわ! きっと命を落としてしまう!」


「そうかもしれない」


 ルナは真っ直ぐサーニャの瞳を見据えた。


「だが、示さなきゃ、進めない」


 彼がそういう立場であることは確かだ。だからこそ、戦う。それが彼にできることだから。


「でも……!」


「約束だ。サーニャ」


 彼女に背を向け、表情も変えず彼は言う。その瞳に宿る色は無色なれど、サーニャは確かに少年の心に灯る火を見た。


「必ず帰ってくる」


 言葉の終わりと同時に、爆発のごとき勢いで少年の関節部が火を吹いた。吹き荒れた風にサーニャが瞬きをしたときにはもうルナの姿はそこにはなく、彼は白煙とともに上空に身を踊らせていた。暗い夜空を背景に、ボッボッと関節部と巨大な鋼の翼よりアフターバーナーを噴出し、空中にてバランスを取るルナ。そんな彼をサーニャが視認した次の瞬間、流星のごとき速度でルナは戦場へと飛んでいった。


「あーあ。行っちまったよ」


「……ラピなら止められた?」


「いやーいけたね! 今日は調子が悪かったけど、俺が本気出せば余裕もヨユーだったね!」


「もー……」


 サーニャは大きくため息をつき、北の空を見上げる。彼のあの速度なら、数分で戦場にたどり着くだろう。そしてきっと戻ってくる。そう約束をした。


「でもさー、大丈夫かねあいつ」


「信じよう、ラピ」


「いや、信用の問題じゃなくてさ、あいつインヴォーカーシステムも知らないぜ?」


 サーニャは目を丸くして、口に手を当てた。


「た、大変! そうじゃない! なんで先に言ってくれなかったの!?」


「いや、言える空気じゃなかったでしょさっき」


「もうっ。そんなときだけおしゃべりじゃなくならないでよ!」


「え? ひどくない?」


 サーニャは踵を返して足早に部屋中央端のガラクタ置き場へ向か……


「赤瑪瑙ってあるかしら、なければパイライトか聖職者の投棄星ホールナイトでもいいけ――」


 ……おうとして段差に躓いてコケてしまう。


「おいおい、まさかお前がインヴォーカーやるつもりか? 無茶だってそんな体じゃ」


 地面についた自身の手をサーニャは見る。緑のひび割れが浮かび上がったその腕は、お世辞にも綺麗とはいえない病の証。今はまだ耐えられる程度だが、めまいや体の重さは確かにある。


 しかし、それでも……。


「やるわ。きっと誰もやろうとしないはずだもの。だから、私ができる限りはやらないと」


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