第二章 インヴォーカーシステム

第11話 死とは何か?


 吸い込んだ空気に刺すような鋭さが混じっている。


 AMANECERの本拠地である巨大な新月樹の内部で、身の丈半分近くある帽子を被った少女、デルカは、椅子の上で胡坐をかきながら、自身の衛星機ステラの最終メンテナンスを行っていた。


 彼女の足の上では、衛星機ステラがもとの形がわからないほどに複雑に展開されており、その機構を露わにしている。無機質な回路や基盤に混ざって、魔法陣の刻まれた木の実や宝石が入っており、よく見れば回路の続きを植物の蔓が織りなし、回路が魔法陣を紡いでいる箇所もある。


 近代化を進めた魔法技術の結晶がここにある。魔法が得意なことを魔法で、科学が得意なことを科学で実現させた、まさに今人類が到達できる最高峰の技術だ。


 その精密な機構に目を走らせながら、デルカは回路の断線や非金属部位の損傷がないかを確認していく。


 彼女がいるこの場所は、新月樹の内部に部屋として作られた洞の一つであり、窓や扉を除き、四方は継ぎ目のない木目に囲まれていた。


 この部屋は治療室だ。棚の役割を果たしているくぼみにいくつもの薬品や魔道具が置かれており、カチコチと大きな振り子時計の音が静かな部屋を規則的なリズムで満たしている。彼女の前にはベッドが二台並べられており、その上に二人の人物が横たえられている。


 そのうちの一人、長身の青年は息絶えていた。真っ白なシーツに隠されているが、その全身は酷い火傷と爆風による裂傷でズタズタであった。白に近い長い茶髪を持つその青年は、十数時間前に、機傀ドールとも人間ともつかない少年へ鉄杭を打ち込んだ人物であった。


「ユーレカ……」


 暗い部屋にデルカの声が響く。


 ここまで運び込んだ時点で、すでに心停止にまで陥っており、手の施しようがなかった。


 だから……、


「ん……」


 もう一つのベッドから、女性の声が漏れる。瞼を震わせ、薄目を開けたその女性は、顔立ちの薄い黒髪で、白い肌に口元のほくろが目立っていた。年齢は二十代前半くらいだろうか。


 デルカは、メンテナンス中だった衛星機ステラを床に置くと、声のしたベッドへ駆け寄った。


「大丈夫か。ユーレカ」


 黒髪の女性は緩慢な動きでデルカに視線を向け、そしてひどく動かしづらそうに手を震わせながら、自身の手を視界に収めた。


「ああ……やっ……ぱり……こうなった……んだ……」


「ああ。ヒルコの体だ。無理に動かすな。まだ施術から10時間も経ってない。完全に魂が定着するにはまだまだかかる」


 デルカは笑みを浮かべ、ふわりと黒髪の少女、ユーレカの髪を撫でた。


 挿魂法。


 古き時代の日本の魔法使い、とりわけ鬼と呼ばれた身も心も魔法の禁忌に染まった者たちが編み出した魔法をルーツとする、空となった人間の器にくたいに、別人のこころを写す魔法。それは、手遅れと判断されたユーレカに施された魔法であった。


 デルカは過去一度、ユーレカは今回を含め二度、この魔法を受けている。元の体など、とうの昔に灰となっていた。


 そこに彼らが思うことがないわけではない。しかし、これは人類存亡をかけた戦争。忌避感など勝利の前には飾りにもならない。この魔法と、魂に適合する空の肉体さえあれば、貴重な人材を失わずに済むのだから。


 少なくともデルカはこの魔法のおかげで二度も妹を失わずに済んでいる。だが、それでも……。


 デルカは目の前の女性に視線を向ける。これが新しい妹の姿。ひとつ前の肉体は当然として、元の肉体からも大きく違う姿。こうしておとなしく横たわっている姿を見ても、どうしても目の前の女性が妹であるという感覚が湧いてこず、喜びや安堵の感情も胸につっかえて素直に出てこない。


 デルカは強く目を閉じ、こめかみを何度も指で揉んだ。


「デル……カ……?」


「いや、なんでもない。……にしても、今度は女の体でよかったな」


 薄い笑みとともにデルカがそう言うと、ユーレカは笑ったような泣いたような表情で顔を歪めた。


「そんなの……いまさら……」


 そう言いながら耳の裏を掻くユーレカを見て、ようやくデルカに自然と柔らかい笑みが浮かんだ。


「いいや。大事さ。無理に男言葉を使い続ける意味ももうないだろう?」


「……」


「またにーちゃんって呼んでくれるのを楽しみにしてるぜ」


 兄妹の時間がほんの数分緩やかに流れたあと、その空気を引き締めるがごとく振り子時計が大きな鐘音を部屋に鳴り響かせた。


 デルカの表情が引き締まった。


「よし。じゃあ行ってくる」


 彼女が手をかざすと、床に置かれていた衛星機ステラがガシャガシャッと瞬時に折りたたまれ、黒い五〇センチ程度の立方体へと形を収める。


 ローブを翻し、小さな矮躯でドアへと向かう。しかし、そのデルカの腕を、ユーレカの震える腕が弱弱しく掴んだ。デルカが眉を上げて振り返る。


「行っちゃ……だめだ……そんな傷で……」


 ローブから覗いているデルカの体のほとんどには、呪文の刻まれた包帯が巻かれており、中にはまだ乾いていない血が滲んでいる箇所もある。デルカはその部位をローブの中に隠して笑って見せた。


「俺が抜けたら空に穴が開いちまうよ。いいからおとなしく待ってな」


 その笑みは少女の肉体が称えるには濃すぎるほどに大人びた笑みだった。


 今度こそデルカは治療室を後にし、長い木の洞でできた廊下を歩んでいく。コツコツと木の内部へ足音を響かせる彼女の顔には、先ほど浮かべた表情はすでになく、眉間に皺の寄った険しいものとなっていた。


 彼女は自分の背後に追従する衛星機ステラへ視線を向ける。この衛星機ステラは彼女があまり使っていないものだった。大規模襲撃に対する迎撃作成へ、使い慣れていない衛星機ステラを使うことになったのは、2つの理由がある。


 一つは今まで使っていたものが壊れたから。彼女が最も使いこなせていた4機の衛星機ステラのうち円盤型の2機は、片方は謎の少年に取り込まれて失われてしまい、もう片方はマーキュリーの砲撃を防御するために無理な運用をしたせいで故障してしまった。


 そしてもう一つの理由としては……


「おお、デルカ。ちょうどいいところにおった」


 ちょうど三差路に差し掛かった時、一方の廊下からアンドウがひょこひょこ歩いてきた。少女の姿のデルカと同じくらいの身長の老人は、白い髭を擦りながらポケットから、筒状の機械を取り出した。


「ライターがつかんくなっての。ちょっと見てくれんか」


 迎撃戦を目前として、いつも通りな老人の姿に思わずデルカの眉間に寄っていた皺が減った。


「ったく、ちゃんと源石を火にくべてたか?」


「今朝やったばっかりなんじゃがの」


 ふうむと、デルカはライターを手に取り底部を外す。筒の中には赤黒い宝石が履いており、内部の壁面には簡素な魔法陣が刻まれている。ライターとは言っても、これは魔法技術によって作られた代物だ。魔法の知らないアンドウが直せないのも仕方がない。


 デルカは立方体の衛星機を自分の前に持ってくると、筒を逆さにして中の宝石を衛星機の上に出した。深い赤の宝石は、不思議なことに僅かに赤熱しており、その周囲に陽炎を纏っている。


「源石は問題なさそうだな……」


 と、今度は筒の内部を見分し、


「ああ、なんだ。スイッチのとこの魔法陣が擦り切れてるんだ。アンドウ、あんたこれ、無意味にシャカシャカ振ってただろ」


「あー、しとったかもしれん」


 デルカは肩を竦める。ともかくこの程度故障のうちにも入らない。彼女はポケットからペン状の道具を取り出し、内部に書かれた金属の魔法陣を書き直した。


「はい。終わり。丁寧に使えば十年は使えるものなんだから、大事にしてくれよ」


 アンドウに向かって投げて返す。


「ホッホ。善処するわ。……にしても、魔法は便利じゃのう。科学の時代全盛期でも十年使えるライターなんぞなかったわい。まあ、オイル交換してればそれくらい使えるかもしれんが、週に一回火にくべるだけのほうが、よっぽど手軽じゃわ」


 と言いつつ、さっそく受け取ったライターで彼は煙草に火を吹かす。


「魔法が便利、ね……」


 魔法を褒められたはずのデルカは、曖昧な笑みを浮かべた。


 彼の脳裏には、数十分前の出来事が思い浮かんでいた。

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