第10話 ルナ

 アンドウは手を降りながらそう言うと、少年とサーニャに視線を向け、


「んじゃちょっと待っとれ」


 とだけ言葉を残し、口型の花に触れると姿を消した。


「「……」」


 突如雑に取り残される少年と少女。少しの間を開けて二人は困惑ぎみに顔を見合った。


「えっと……本当になんの警戒もないんだな」


「そう……だね」


 二人の間に微妙な空気が流れる。いろいろあったが、初対面である。無遠慮なアンドウならいざ知らず、お互いなにを話していいかわからない。


 が、突然、


「なーんだよこの空気! お見合いかー?」


 と甲高い声とともに、羽の生えた熊のヌイグルミ、ラピがサーニャの髪飾りから飛び出してきた。


「うわっ。なんだこいつ」


「なんだとは、なんだよ! 俺様はサーニャを守る迅雷の騎士、ラルフィエルト様だってんだ! 名無しのお前より立派な名前よ!」


「ちょっと、ラピっ。シッ、おしゃべりダメっ」


「ギュギュギュ」


 またも口を強く抑えられるラピ。おとなしくなった彼はサーニャの手が放されると、彼女の頭にぐてりと寝そべる。サーニャはラピを指先で撫でながら、少年に向き直る。


「ごめん。この子お喋りで……。この子はラピ。小さいころにお父さんが私にくれた、人工精霊なの」


「人口精霊?」


「うん。自発的に考えて魔法使いをサポートさせたりするために作られる精霊をそう呼ぶの。……まあ、この子は私お話相手なだけなんだけど……」


「とりあえずお二人さん、座ったらー?」


 ラピが尻尾で部屋の隅を指す。さきほどアンドウがガラクタを漁っていた付近のそこには、一脚の椅子がある。サーニャは少年をその椅子に座らせ、自分は手近な機械部品へと腰を下ろした。


「どこかまだ痛いところはない? 体調とか大丈夫?」


 と言いつつ、そう言っている彼女自身が突然激しく咳き込み始めた。


「ゲホッ……ゲホッ……」


「だ、大丈夫か?」


「うん。いつものことだから……」


「サーニャはよ、病気なんだよ。体が魔力に耐えられないんだって。おかげで体も弱くて戦えないから、みんなこの子を白い目で見るんだぜ。ったくじゃあお前らに人の心に干渉する魔法が――ギュギュギュ」


「ラピっ なんでも話さないのっ」


 ラピの口を押えながらも、サーニャは少し俯いた。


「そうだったのか……。でもさっきは任されてたじゃん。俺の心を探れって」


「そう……だね。でも、この魔法も役割もお父さんに言われてやってるだけだから……」


 自ら生み出した価値ではない。と、彼女はそこまでは言わなかったが、軽く目を細めた彼女の表情から、少年はそんな言葉が聞こえた気がして、彼の心に同情心が僅かに灯った。


 そんな彼の心を感じ取ったのだろう、彼女はことさら明るい表情を少年に向けた。


「き、気にしないで! 嫌々やってるってわけじゃないし」


 サーニャの手から抜け出したラピが少年の前にまで飛んでくる。


「にしても、お前すごかったな。あんな状態でサーニャの親父に食らいついてよ。おもしれぇやつだなぁって思ったぜ」


 またもサーニャがラピの口を塞ぎにくると思ったが、意外にも彼女はラピの言葉に頷いた。


「うん。あれは私もすごいって思っちゃった。お父さんにあんな風に言う人、仲間の人たちの中でもいないから。すごく意志が強いんだなって」


「ああ、あれね……」


 返答を考えつつも、(さっきのあの人、この娘のお父さんなんだ……)と内心少年が思っていると。


「あ、うん。そうなの。あの人が私のお父さん」


 という言葉が返ってきて、思わず彼女の顔を見た。


「あー。そっか心が読めるんだったっけ?」


「あ、ご、ごめん。つい……」


 両手を振りながら、彼女は目を逸らした。


「たまにやっちゃうの。心の声のほうに反応しちゃうやつ。ごめんなさい。それに、話の腰折っちゃったね。続けて?」


「あ、いや、いいよ。そんな大したこと言おうとしてなかったし。ただ……」


「ただ?」


「意志の強さ…… とはちょっと違うと思う。そりゃ自分の意思で言ったのはそうなんだけどさ、ただあのときは……ただ……なんて言うんだろうな……」


 表現に困って少年が言いあぐねていると、


「『意思表示しないと、自分が壊れる』と思った……」


 ハッとして少年がサーニャの瞳を見つめる。


 少女は苦笑いでそれに返した。


「あのときあなたが感じていたことを言葉にするなら、そんな感じかなって」


 環境も、自分自身の存在さえ自分で信じられなくなっていたあのとき彼にとって、湧き上がってきた衝動すら抑え込んでしまっては、もはや自分というものの形すら崩壊してしまう。そんな恐怖に彼は駆られたのだ。


 今だって……、自分で自分がわからないという恐怖は足元に蠢いている。


「そう……。だから、あれは意志が強いとか、そういうのじゃないと思うんだけど」


「そうかな、私は……」


 少女は立ち上がると、覗き込むように少年と目を合わせた。


「衝動に任せちゃったんだとしても、自分の意見をあんな風に言えるのは、強い意志を持ってるって言えると思うんだけどな」


 少年は軽く眉を上げる。


 こんな風に言う彼女は、ひょっとしたら、普段から自分を抑圧しているのだろうかと、そんなことを彼は思った。しかし、少年はそれを口には出さず、少年の心の声が聞こえたはずの少女も、少年に背を向けて新月樹の天井を見上げるだけだった。


「あ、そうだ。まだお礼を言ってなかった。デルカとユーレカを助けてくれてありがとう」


「あ、あぁ……」


 パッと振り返って微笑む少女に、少年は視線を逸らしつつもそう答える。


(あのときは、無我夢中だったけど……)


 何もわからない世界で、自身が人間とも機傀ともわからなくなり、心のすべてが壊れそうになっていたあのとき、命を落としそうになっているデルカを見て、彼は自分の心の奥に火が灯ったのを感じたのだ。


 こんな危険な世界で、命を賭して少年を助けてくれたデルカ。仲間も連れず一人で。魔力もギリギリであったというのに。


 そんな彼女の命が消えようとしていた。そんなことが許されてなるものか、と彼の中に灯った火。それは自分の存在すら確信を持てない彼にとって、確かに信じられる確固たる光であったのだ。だから、彼はそれに従った。


 突然、サーニャが少年の顔を覗き込むように顔を近づけてきた。


「ねぇ。あなた、夜空を思い浮かべてみて」


「は? 夜空? なんで?」


「お願い。少しだけでいいから……」


 申し訳なさそうに眉を寄せながらも、その目にはキラキラと光る好奇心の欠片が見え隠れしている。その目を見たうえで邪険に断るのもなんだか心苦しいと少年は思いつつ、(まあ、夜空を思い浮かべるだけなら手間でもなんでもないし……)と、軽く目を閉じて夜を思う。


 目を閉じた先に広がった真っ黒な光景に、小さく頼りない光をちりばめ、夜を彩る星々として少しだけ闇を遠ざける。次に思い浮かべた満月が、暗いながらも確かな光でさらに闇を遠ざける。


 彼は思う。これは、もしかしたらいつか自分が見たはずのものなのではないかと。何か心に引っかかるものはないかと、彼は無意識的に夜空の姿を真剣に描き始めた。


 星と星との隙間を埋める月光のおかげで、点在する雲の輪郭が暗い中でもはっきりと浮かび上がっている。淡く、しかし確かに光を四方に注ぐ月も、完全な輝きを放っているわけではなく、暗く見える部分も散見し、その模様を思い出そうとしたが、少年には具体的にどんな模様であったかまでは思い出せなかった。


(ていうか、星も位置も適当じゃん)


 学者でもなければ月の模様や正確な星の位置など覚えているはずもない。そう考えると、いま思い浮かべている光景は記憶の中の一場面ではなく、知識から作り出したただのイメージなのかもしれないと彼は思った。


 ただ、彼は不思議に思った。夜空を思い浮かべろと言われて描いた光景は、曇り空でも、半端に三日月が登っている空でもなく、どうしてこんなに……、


「綺麗な空……」


 ハッと目を開けて少女を見た。


 少女は目を閉じて小さく微笑んでいた。


「これが……本当の空。本当の夜の姿……なのね」


「本当の……?」


「うん。見て」


 そう言うと、少女は近くの壁、ドーム状のこの空間を形成している新月樹の一つに手を触れた。すると、木々全体が淡く光り、木々の先端が寄り集まっていたドームの頂上部が動き出し、開かれていく。やがて新月樹の動きが止まったとき、少年たちの頭の上を覆うものは夜空のみとなっていた。


 だが、少年は最初それが空だとは認識できなかった。


 散りばめられた雲と雲隙間から覗くのは、星が輝く夜空ではなく緑の魔法陣。浮かぶ文字列はゆっくりと動いており、緑の光は夜の闇を押しのけている。


 明らかに、少年の知識にある夜空の姿と違う。


「これが、空……? もしかしてあれは、月か?」


 雲と緑の魔法陣の隙間で黒い輝きを放つ丸い物体を少年は指さす。


「そうよ。あなたの心にあった月とは、全然違うわよね……。私たちを守る結界がこの空にはずっとある。私が生まれたときから……。ここにに来た時、あなたがこの世界のことを何も知らないってデルカの記憶から読み取れたから、もしかしたら、本当の空の姿を知ってるかもしれないと思って」


「いーなー。サーニャだけそれ見れてさー。俺も見たかったぜ」


 ラピがサーニャの頭の周りをぐるんぐるん跳びまわりながらぶーたれたあと、少年の頭に乗っかった。


「つーかお前さ、過去からタイムスリップでもしてきたのか? 今の世界のことの知識はないのに、ずっと昔の空の知識だけは持ってるしさー」


「いや……違うと、思う」


 少年は顎に手を当てる。ようやく落ち着いて思考を巡らせることができるようになり、彼の中で簡単な推測が立った。


「俺はずっと……どこかに閉じ込められてた……。目が覚めたとき、どこかのカプセルみたいなのから出されたところだったんだ。多分、俺はそのカプセルにずっと入れられてたんだ。ずっと、この戦争が始まるまえからずっと……」


「へぇ、そんなことがねぇ。確かにそれなら古い知識しかないってのも納得だな」


 それが何のためなのかはわからない。コールドスリーブか、それとも、そういう風に作られたのか。


 いずれにしても、自分が人間であるかの確証は持てない。


「あの場所にもう一回行ってみたい。あそこに行けばもっといろいろわかるはずだ」


「ま、そうだろうな。心配しなくとも、そこの調査はされるだろうよ。ここのやつらだって、お前の正体は知りたいだろうしな。ま、しばらくは無理だろうけど」


 ラピの言葉に少年が眉を潜めると、サーニャがその心をくみ取った。


「今、このアジトは機傀ドールからの大規模な侵攻を受けてるの。その迎撃に忙しくて、調査に人員を割く余裕はないと思う」


「お前に対してみんながピリピリしてんのは襲撃のせいもあるんだぜ。いきなりの大規模襲撃のタイミングで、魔法が使える人間でも機傀ドールでもないやつが現れるなんて、偶然で片づけるには怪しすぎってな」


「……」


 それは確かに怪しい。


 少年の足元に蠢く不安がせりあがってくる。もしかしたら、自分はサーニャたちの敵かもしれないのだ。記憶が戻ったとき、今のこの感情すら忘れてしまうのだろうか。この先も自分は自分でいられるのだろうか。


 再び纏わりついてくる恐怖を感じ始めたとき、サーニャの手が少年に触れる。


「大丈夫。あなたは、人間よ。あなたには心がある。自分を信じて」


「あ、ああ」


 思わず目に涙が浮かんだのを、空を見上げることでごまかした。


「ありがとう……えっと、サーニャ、でいいんだよな?」


「え? あっ、ごめんなさい。自己紹介、まだだったね」


 サーニャは居住まいを正すと、


「私はサーニャよ。よろしく」


 と、肌も髪も透き通るように白い少女は言った。こうして改めて見る彼女は、その色素の薄さや病気であるという情報も相まって、ひどく儚げに見えた。


「よろしく。えっと、俺は……」


 自然に言葉を返そうとして、少年は苦笑いする。


「名前……は、わかんないんだったハハ……」


「あ、ご、ごめんなさい」


 サーニャもこんな形で傷に触れるとは思っていなかったようで、眉を下げると慌てて頭も深く下げた。


 またも湿っぽい空気が漂うかと思われたが、


「つけてやればいいじゃん。この際」


 ラピのあっけらかんとした声がカラっと空気を入れ替えた。


「え?」


「いやだから、サーニャが名前つけてやったら? って。さっきから、『お前』とか『あいつ』とか、呼びづらくて仕方ねぇよ」


「で、でも、そんな。勝手につけたら悪いよ」


 ラピと少年の間で何度も視線を行き来させながら少女は顔の前で手を振った。


「別に俺は構わないけど……」


 ラピの言う通り不便ではあると思うし、それに名前すらないというのは、彼の不安を煽る要素でしかない。目の前の少女につけてもらうというのは少し気恥しいが……。


 少年の気恥ずかしさを読み取ったのだろう、サーニャもみるみる顔を赤くし、


「や、やっぱり無理……! 他の人に……」


「いやーつけてやれって。絶対他の奴らろくな名前投げてこないぜ? 『被検体一号』とか、『半機傀マン』とか」


「それは嫌だな……」


 自然と二人の視線が期待を乗せて少女へ向かう。


 サーニャは目を白黒させたが、ラピの言うことも全くあり得ない話ではないと思ったのか、徐々に落ち着きを取り戻していくと、やがて覚悟を決めたように目を閉じた。


「……わかった」


 少しの間だけ静寂のあと、彼女は目を開き、空を見上げた。


「ルナ。あなたの名前はルナ……なんて、どうかしら……?」


 彼女の瞳の奥に、少年が描いた夜空の姿が、映っていた。


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