第8話 人である証
「――――」
名前が呼ばれている。だが少年には聞こえない。
誰の声か、いつの記憶か。全てが霞にかかって不明瞭。
隙間だらけの空虚な自分を埋める欠片。渇望して止まないそれに手を伸ばして――
バシンッと体の中で何かが弾けた音がした。傷を負ったかと錯覚するほどの衝撃はしかし、彼の内側だけの出来事で、ただ彼の意識を覚醒へと引っ張り上げただけ。
意識を取り戻した彼にあらゆる情報が同時に飛び込んでくる。
木々に囲まれた空間。自身が地上よりずっと高いところにいること。そして、自分を見上げる見知らぬ人間たち。あらゆる情報が彼を飲み込む。
「は……⁉ えっ……⁉」
遅れてやってきた四肢の痛み。見れば手足は右腕一本を残して全て千切られ、怪しげな魔法陣が切断面で回転しているばかりか、太い枝が胴に巻き付いて自身を拘束している。
情報の奔流は濁流へと変わり、頭痛さえ起こして彼を混乱の渦へ落とし込むが、そんな彼を置いて状況は進む。
彼が見下ろす先には、白い髪の少女が座り込んでおり、息を荒げて動揺の色を見せている。
「サーニャ!」
大きな帽子を被った幼女、デルカが倒れ込む少女に足を引きずりながら駆け寄る。
大仰なローブを羽織った初老の男がサーニャと呼ばれた少女に歩み寄りながら、静かな声を発する。
「どうした。何を見た?」
しばらく少女は答えなかった。その瞳は揺れており、記憶と思考の乱れがそのままその目に現れているようであった。
「サーニャ」
初老の男の声に、ようやく彼女の意識は現実へ向き、白い髪の少女は初老の男の顔を見た。依然として瞳は揺れているが、思慮の息遣いもまた戻っている。
少女は拘束された少年へ視線を向ける。
その瞳に移ろう色の多さに少年は思わずまじまじと視線を向ける。その一瞬だけ、少年から痛みも混乱も遠く離れた。
魔法使いになりきれない少女と、人とも
「心が読めなかったのか?」
デルカのその言葉に、サーニャはかぶりを振った。
「全く読めなかったわけじゃないの。深層意識とか思考は読めたんだけど……でも……記憶は読み取れなかった。多分……この人は……脳の一部も機械でできてる……から……」
その場にいる全員が少年に視線を向ける。向けられた視線のどれも、彼への忌避感の色を含んでいた。
人間用の魔法は機械には効かない。半端にその魔法が効く彼は人間か
「んー。やっぱりそうじゃったかー」
と、一人緊張感のない声を上げたのはアンドウであった。
「頭の半分近くに脳以外の機械が見られたそうじゃから、もしかしたら、と思っておったけど、やはり脳機能を司っておったか。んーでも面白いのぉ。大脳辺縁系のあたりはかなり機械部を占めておるのに、思考は読めて記憶は読めんとは……。いや、魔法でそもそも脳機能自体を読み取っているのか、機械でも脳の挙動をしていれば読みとれるかで仮設は異なって……」
サーニャに話しかけていたかと思いきや、言葉の途中からぶつぶつと独り言に代わってしまった。
構わずアトラスが口を開く。
「……やはり、トリニティが関わっていると思うか?」
「それを調べるんじゃろうて。そうでなきゃ終わりじゃよ」
「そうだな……。アンドウ。私たちはこれから迎撃作戦がある。引き続き調査を頼む。サーニャ。アンドウに協力して内面から『それ』の調査を続けろ」
淡々とアトラスから告げられ、サーニャは小さな声で返事をし、アンドウはクリップボードを見つめたまま言葉を返す。
「それはいいんじゃが、ある程度壊してかまわんか?」
「構わない。デルカの報告で、ある程度の回復能力を持っていることがわかっている」
「な……っ」
自分を蚊帳の外にして、自分を害することが目の前で決められていく。彼の視点からすればあまりに非情な決定に目を見開くとともに、彼の心に凄まじい不快感が湧き出てきた。
彼らは少年のことを見もしない。許可や配慮の片鱗もない。その事実が湧き上がった不快感を沸騰させて怒りに変え、彼の中にあった不安や恐怖さえ押しのけた。
「今は魔法で回復を抑制しているが、それを切れば回復を始めるだろう。どの程度の回復能力を持つか検証できれば、今後の実験でもそれに合わせた強度の実験が――」
「ふ、ふざけんな!」
怒気に満ちた声がアトラスの声を吹き飛ばした。
アトラスがはじめて少年の目を見る。
「勝手に決めんじゃねぇよ! 俺は……
「何を根拠に? その体で、人間に効くはずの魔法も効かない。何をもってして君は自分を人間だとするんだ?」
「そ、それは……!」
何も返す言葉が出てこなかった。なによりアトラスの問いは彼自身が問いたいくらいのものであった。必死に言葉を探そうにも、感情がごちゃ混ぜになった頭の痛みが酷くなるばかりでまともな思考すらままならない。
「デルカからこの時代の惨状は聞いたのだろう? 君の気持はわかるが、我々には人道的な手段を取っている時間も余裕もない」
「
ヘイルが口を挟む。
「わかっている。言葉のあやだ。いくぞ」
そう言い終わる前にアトラスの姿が空気へ溶けるように消え、ヘイルとデルカもそれに続いた。
大樹のドームの中にサーニャとアンドウ、そして名前のない少年が一人残される。
「カッカッ……。お前さんそんな状態でよくあんな啖呵が切れたの」
「うるせぇ……。どうしても一言言ってやら……なくちゃ……」
と、そう続ける少年の様子がおかしくなっていく。興奮のせいで切れた息は落ち着いていくどころかどんどん激しくなっていき、怒りのせいで一時忘れていた頭痛すらも酷くなって蘇り、顔色もどんどん酷くなる。
「ハァッ……なんだ……ハァ……!」
彼を人と仮定して、見る人が見れば、彼の症状が極度のストレスと興奮による過呼吸であると判断しただろう。そして、この場にはそれを内面から感じ取れる者がいた。
白い柔らかな光がフワリと現れ彼の額へと優しく触れた。その途端、彼の中に渦巻いていた恐怖や怒り、不安などの負の濁流が動きを休め、暖かい安堵の光が心に差した。
「……落ち着いた?」
少しの間を開けて、サーニャが口を開く。その手には、白い光を纏った機械の花が咲いていた。
再度、少年と少女の目が合う。ここには味方などいないと思っていた少年の目には疑問の色が浮かんでいる。しかし、その問いを口にする前に、今度は少女の顔色が悪くなり、地面に膝をついた。
「お、おいっ」
「だ、だいじょうぶ……。強めの魔法使うとこうなるだけ……」
力なくそう答えてから、サーニャは目を伏せた。
「……ごめんなさい」
「え、何が?」
「さっき、お父さんに人間かどうかって話をしていたとき、あなたを庇ってあげられなかった」
「は? 庇うって……あんたは、俺が人間だって思うのかよ。こんな見た目の俺を……」
傷口に視線を落とす。人間的な皮と肉の傷は表面のみで、その下にはまごうことなき機械の体があり、露出した配線や部品が今も火花を散らしている。よく見れば赤い血も流れ出しているが、それも人間がこの傷をうけたのと比べれば少量だ。その傷口を光と機械部品が織りなす魔法陣が治癒しようとしている。
目が覚めてから、信じられない現実ばかり目にした。しかしそれでも、根本的な常識や概念は形を保てていた。しかし、これはどうだ。もはや自分自身の存在すら、信用できなくなった。頭も体も杭で貫かれてなお生きており、得体の知れない力で回復し始める機械の体。これのどこを取ってまともな人間といえようか。
彼自身も確証が持てないことを肯定するサーニャの言葉は、少年には酷く空々しく聞こえ、信用の得るための甘い誘惑にさえ思える。そんな疑念を抱く彼に少女は小さな声で、しかしハッキリと告げる。
「あなたは……人間よ。だって、心があるもの」
「心……?」
「私、人の心が読める魔法が使えるの。その私が、あなたに心を感じてる。
「……」
言葉の終わりに、弱々しいが確かな意志の光を持って少女は少年を見返した。
その目に灯る光は、右も左もわからない闇にいる少年にとって、小さくともとてもまぶしく、暖かい光であった。
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