第6話 前触れ

「誰か来るみたい」


 彼女が感じ取ったのは、誰かの『心』。彼女は一定範囲内の人間の心を感じ取ることができる。ほとんど魔法の使えない彼女が使える数少ない魔法の一つだ。その能力を持ってして、今まさに誰かの感情が自身へ向けられたことを感じ取っていた。


 彼女に心を向けている者は、この部屋に向かってきている。その心にはサーニャに対する冷たい感情が滲んでいた。


 まともな戦力にもならない彼女を快く思っていない仲間たちは多い。ここに向かってきている人物もその一人のようだ。


 しばらくすると、ノックの音が部屋に響き、サーニャの返事で一人の少女が顔を出す。長くウェーブのかかったクリーム色の髪を揺らして入ってきたのは、ヘイルという通名を持つ少女だ。勝気な性格がそのまま反映されたような顔立ちが、放たれている剣呑な空気でさらに厳しそうに見える。白いドレスのような服装も相まって、まるで貴族のような雰囲気を持つ少女だ。彼女はサーニャに露骨に冷たい態度を取る人間の一人だった。


「サーニャ。団長が呼んでる。ちょっと来て」


「え、お父さんが?」


「そ。あんたが見つけたやつのことでちょっと」


『あんたが見つけたやつ』とは、数時間前に突然この街に現れた人物のことだ。


 サーニャはただ存在を感知するだけならこの街全域にいる人間を感知できる。そんな彼女の感知網に数時間前突然彼女の知らない人間の心が現れたのだ。集中して感じ取ってみれば精神的にかなり疲労していることも伺え、もしかしたら先日壊滅した京都支部の魔法使いの生き残りかもしれないと、この支部の団長である父に救助するよう頼んだのだ。


 今意識をその彼に傾けてみると、救助要請から数時間経った今でもまだこのアジトから離れた地点にいることを感じ取れ、しかも意識を失っているようであることも彼女にはわかる。


 彼の現在位置といい気を失っていることといい、不可解な点が彼女に首を傾げさせる。


「彼に何かあったんですか?」


「いいから、来な」


 面倒そうにそう言い放つヘイルの言葉と、その心が放つ棘を見て、サーニャは反射的に「すみません」と返してしまう。が、口の減らないヌイグルミが一匹。


「おいおい、ヘイルちゃんその態度はないんじゃねー? お願い聞いてもらう側なんだがら、もっとキュートにお願いし――」


「ちょっと、ラピッ。シッ。静かにしててっ」


 ヘイルがラピを睨むのと、ラピの口をサーニャが塞ぐのはほぼ同時だった。ギュギュギュと奇妙な声をラピが上げる。


「ラピ。戻ってて。お願い」


「へいよー」


 と、適当な返事とともに、ラピは光の粒となってサーニャの髪飾りへ戻っていった。


 一連のやり取りを見ていたヘイルはしかしラピの言葉にはもう何も言わず、


「あんたの魔法が珍しく役に立つんだから、さっさとして」


 そう厳しい言葉をサーニャに投げた。


 機傀ドールに反抗するための魔法が重宝されるこの時代において、人の精神に干渉する魔法を扱える人間は少ない。もともとある程度の才能を必要とする魔法であるうえに、今の時代にそんな機傀ドールに対して何の意味もない魔法を学ぼうとするものがそもそもいないからだ。


 彼女には才能があった。それも類稀なほどに。いや、あってしまったと言うべきか。


 魔法も使えず、体が弱くとも、科学者や技術者としてサポート側にまわることも可能だ。だがサーニャは自身のこの才能のせいでその道を歩むこともできなかった。


 レジスタンス支部の団長である彼女の父は、この彼女の類稀な才能に目をつけ、彼女に精神干渉系の魔法の道を歩ませた。


 今の時代に、人間の心に作用する魔法など無価値に等しいが、しかしそうであるがゆえに、こうした今の時代に必要とされていない魔法は、保護しなければ失われてしまうのだ。


 魔法は研究と技術の結晶である。


 千年以上の系譜を積んで出来上がった叡知を再び白紙に戻すわけにはいかないと、そんな理由でサーニャの父は彼女を精神干渉系魔法の継承者として任命した。


 理屈は通っている。しかし、周囲がそれでなんの不満も抱かないかというと別の話だ。


 今の時代に役にも立たない魔法の習得だけしかせず、しかも嫌魔疾患によってその魔法も一日に少ししか使えず、他の魔法に至ってはかなり初歩的なものしか使えない。そんなサーニャの存在など、今を必死に戦って生きているレジスタンスのメンバーからすれば、お荷物以外の何物でもない。


 筋の通った理屈を前に置こうが、穿った見方をする者からすれば、サーニャの父が実娘を完全なお荷物にしないために、無理やり役割を与えたようにも見えなくもない。


 実際、彼女に対して冷ややかな態度を取るレジスタンスのメンバーも少なくなく、表面上は普通にしていても、(皮肉なことに心を感じ取る魔法によってわかってしまうのだが)内心で快く思っていない者も多い。


 ヘイルは短い溜息をついたあと、呪文とともにポケットから深い青色の氷を落として踏み潰す。すると、キラキラと光る局所的な吹雪が爆発のように瞬時に立ち上った。人一人分ほどの大きさで渦巻く吹雪の向こうには、こことは違う場所の景色が映っている。


 ヘイルは無言でその吹雪の向こうへ姿を消し、サーニャも近くに掛けてあったカーディガンを羽織るとそれに続く。


 ほんの少しの浮遊感を味わったあと、白色に染まった視界が開け、新しい景色が彼女の前に広がった。


 サーニャの部屋と似たような木壁に囲まれた場所。違うのは、この場所は木の内部ではなく、幾本もの木々がドーム状により合わさった空間であるということと、サーニャの部屋よりずっと広いということ。そして――。

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