第5話 孤独なサーニャ

 夜風が冷たい。


 窓枠に手をついている少女が、風に撫でられた髪をそっと耳にかけなおした。


 夜の闇を裂くような真っ白な髪は長く、小さな矮躯の腰まで真っすぐ流れている。風が吹くたびに青い花型の髪飾りが揺れ、下に連なる金属の飾りが小さな音を奏でている。幼い顔立ちをしているが、外の景色へ向ける憂いだ表情は、見た目以上の年月の積み重ねを感じさせていた。どこか機傀ドールたちとは違った意味で人間離れした少女は黒を基調とした質素な柄の着物に身を包んでいる。


 サーニャ。


 それが彼女の通名だった。


 魔道具と書物が整頓されて置かれた部屋へ、夜風が入り込んでくる。


 少女が窓辺に手をかける。その窓枠は年季を感じさせる亀裂が入ったコンクリート製だ。彼女のいる部屋は少し普通ではなく、そのほとんどは古いコンクリート製だが、しかし部屋のあちこちある大きな亀裂のもとを辿ると、侵食してきた巨大な樹木の一部が覗いている。


 彼女のいるこの場所は、この広い街に数多く存在している廃墟の一つであり、覗いている樹木は、この町のあちこちに生えている大樹、中でもこの町の中央に聳え立つ最も巨大な一本の一部であった。他の大樹やビルと比べても群を抜いて巨大な直径200メートル近くもあるこの大樹こそ、彼女の所属する日本のレジスタンスの本拠地であった。


 彼女の部屋はその本拠地である大樹に半ば侵食されかけた廃墟の一室であった。


AMANECERアマネセル」と、この魔法使いたちで構成されたレジスタンスはそう名乗っていた。……悲壮なことにもはや他の抵抗軍は存在しないため、その名よりもただレジスタンスと呼ぶことのほうが多くなってしまっているが。


 サーニャの眼下には暗い街並みが映っている。


 立ち並ぶビル群とそれを侵食する大樹たち。闇に溶けるようなこの景色はさながらどこかの森のようにも思える。人工物であるはずなのに、そのどこにも明かりは灯っておらず、町から漂う死の匂いを一層濃くする。


 地上に灯る明かりは点々と上がる火の手と爆発の光のみ。しかし、死んだ街並みは余すことなく空からの淡い光に照らされている。


 その光は月のものでも星のものでもない。


「なーに考えてるんだ? サーニャ」


 サーニャしかいないはずの部屋に甲高い声が響くとともに、彼女の花形の髪飾りが輝き、そこから不思議な生き物が飛び出してきた。端的に言うなら羽の生えた熊のヌイグルミ。空中を自由に動き回ってはいるが、デフォルメが強いその姿は生物というより、命を持ったヌイグルミと表現したほうが近いか。


「ラピ、おはよう。ちょっと、景色を見てただけだよ」


 ラピと呼ばれた生き物は、サーニャの肩に降り立つ。


「景色ねぇ。こんな味気ない景色そう眺めるもんじゃねぇぜー。それより俺ともっとおしゃべりしてようぜ!」


「景色見ながらでもできるでしょ」


 味気ない。そういわれてしまえばそうかもしれない。


 サーニャは空を見上げる。特徴的な大きな垂れ目に空の光が映しだされる。


 まばらに散る雲のその向こうで、巨大な魔法陣が空を覆っていた。その緑の光は折り合わさって空で紡がれ、地平線の先まで続いている。


 天井結界オメガ・スフィア


 かつての大戦において、機傀ドール側の衛星兵器を無効化するために張られた地球規模の結界。


「いつ見たって、代わり映えしねぇじゃねぇか。空も地面も。つまんねー景色ーってサーニャも思ってるだろ?」


「それはその……。でも、あれは大切な結界だから。衛星兵器? とかいうのを使われないようにしてたりとか……」


 この結界を張るために数多の命が散ったと聞かされている。彼女にとっては産まれる前の話であるため、その壮絶さを身をもって知っているわけではないが、それでもこの巨大すぎる魔法を成さなければならなかったという事実が、その決戦の重要さを教えてくれる。同時に衛星兵器がどれだけ恐ろしいものであったのかということも……。


「俺も良く知んねーけど、よっぽどやばいらしいなその衛星兵器ってのは。その結界がなけりゃ、機傀ドールたちはいつでも俺たちの場所を把握して、宇宙からの攻撃してこれるんだろ? ヤバイヤバイ。ヤバ過ぎて概念ごと封じた科学技術もあるらしいけど、こっちも相当だよな」


「うん……」


 ラピは軽くそう言うが、魔法使いがここまでする必要があった殺人技術など、想像したくないほどに恐ろしい。サーニャの肩が僅かに震え、白い髪が肩から流れ落ちた。


 放っておいたらラピはこの話題でいつまでも喋り続けてしまうので、サーニャは話題を変えることにした。


「私は、つまらないとまでは思わないけど、でも昔の綺麗な空も見てみたいな」


 生まれたときから彼女はこの空しか知らない。魔法陣に覆われた空。それがかつての時代では普通の光景ではないと知ったのはほんの小さいころだった。みんなが月と呼んでいる常に真っ黒な、しかし確かに輝いて見える不思議な天体も、天井結界オメガ・スフィアで黒くなっているだけで、本当は淡い光を放つ美しい衛星であったという。


 かつての夜空はいったいどんな姿だったのか。自分の知らない空の姿に思いを馳せ、いつも彼女は夜空を見上げる。


 機傀ドールとの戦争が始まってもう40年。


 機傀ドールがなぜ人間を襲うのかわからないまま、そして機傀ドールの本体であるマザーコンピュータの位置もわからないままこの戦争は続いている。それでも、いつか昔のような平和な時代を目指して、魔法使いたちはみな命を賭している。


(でも……私は……)


 突然彼女は表情を歪ませて口を押えた。


「ゴホッ……ゴホッ……」


「おいおい、大丈夫か?」


 湿った咳が何度か部屋に響く。口元を押さえる真っ白な手には、ひび割れのような緑の筋が何本も走っている。


 彼女は自身の手を見つめて表情を曇らせた。


 彼女は病気に罹っていた。それも『嫌魔疾患』と呼ばれる、自身の魔力に肉体が拒否反応を起こす魔法使いとしては致命的なものを。この病気のせいで彼女の体は弱く、魔法もほとんどまともに使えない。こんな時代なのに、彼女は仲間たちの戦力になれないのだ。


 治療法は見つかっていない。いや、あったかもしれないが、こんな時代ではすでに失われ、また研究する余力もレジスタンスにはない。


 ふと、サーニャが顔を上げる。


「ん? どした?」


「誰か来るみたい」

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