第4話 見えない事実


「こいつは……機傀ドールだ」

 

 僅かな沈黙の隙間に、瓦礫が落ちる乾いた音が差し込まれる。傾いた日の光が赤みを増してきていた。


「そんな……でも……」


 デルカが言葉を取り戻すにはかなりの間が必要だった。その声は震えている。


「でもこいつは、機傀ドールに襲われていて……」


「そんな三文芝居に騙されたのか⁉ どうかしてるぞ!」


 溜息とともに、ユーレカは耳の裏を指で掻いた。


「でも……」


 デルカも馬鹿ではない。機傀ドールが人類を殺すためなら何でもすることなど十二分に知っている。人間の戦意を削ぐためだけに、命乞いや苦痛を訴える真似をし、表情を作る狡猾さに何度憎しみを滾らせたことか。そこに心などないと何度自分に言い聞かせても、その表情や声に自身の心が摩耗する。そんな戦いを何年も続けてきた。


 だがそんな経験を持っていても、いや、そんな経験をしつくしてきたからこそ、確信していたのだ。


 記憶がないと言ったり、あからさまに不審な格好といい、騙すにしては不出来すぎていたのに。何よりもその言動からは、どう見てもリアルな人間味を感じていたのに。


 だが現実より多く語るものはない。


 彼は機傀ドール。人類の敵だった。


 長髪の青年が手を仰ぐと、少年に刺さっていた鉄杭が抜けて、棺桶型の衛星機ステラの中へと納まる。


 少年だったものの残骸へ空けられた穴からは、血肉ではなく金属と配線が覗いている。


 未だ信じられない思いでデルカは残骸へ目を向ける。


 そしてその目が再び見開かれた。


 少年の傷口が青く光っていた。


 デルカの視線を追ったユーレカも言葉を失う。


 彼らが絶句したのは、その光にではない。その光の形とその現象。


 その光は線となって、彼らにとっては見慣れた幾何学模様、魔法陣をかたどっていたのだ。


 しかも、周囲に散乱した彼の部品と思しき金属たちが魔法陣を介して傷口へと戻っていく。それはさながら逆再生のようで、そして正真正銘魔法そのものだった。


「どういう……こと……。機傀ドールが、魔法を……」


 ユーレカが顔を青ざめさせながら声を漏らす。


 そう。機傀ドールは魔法を使えないはずだ。だからこそ、この戦争は成り立っているのだ。


 二人に走った混乱と動揺は大きく、その心に大きな空白を生む。それは仕方のないことではあったが、戦場においてその空白は致命的な隙であり、不幸にも彼らはそのつけを払うはめになる。


「……! 兄さん!」


 鋭いユーレカの叫び。弾かれたようにデルカがその視線を追うと、百メートル以上先のビル影から、人間の数倍はあろう金属の体と大きな砲口が覗いている。


 視認と同時に砲口が火を噴き放たれるはミサイル弾頭。


 即座に二人は衛星機ステラを操作し、防御魔法を展開――しようとしたとき、一瞬の隙間の中でデルカの瞳が奇妙なものを捕えた。


 一見それは人工物には見えなかった。全く継ぎ目の見えないリング状の金属体は、彼女にその知識があればまるでUFOのようだと形容しただろう。衛星機ステラのようでもあるが、あんな形状のものは見たことがない。


 気を取られたのは、衛星機ステラが変形を終えるまでのほんの一瞬。しかし、その次の瞬間、彼女が目に留めた金属輪から、爆風のように青い光が放たれた。


「なっ!」


 瞬時にドーム状に広がる光に周囲が覆われるが、その光は周囲の何にも変化を及ぼさない……ただ一つ衛星機ステラを除いては。


 光に飲み込まれた衛星機ステラは、突如不自然な振動と挙動をし、展開するはずだった防御魔法の形成が止まる。


「一体これは……⁉」


「兄さん!」


 ユーレカがデルカの前に出たとき、そしてデルカが危機を察したときにはもう、二人の目の前にまでミサイル弾頭は迫っていた。


 声を出す真もなく、二人のいた場所が爆炎に包まれた。


 爆風が吹き荒れ、ビルの壁面も大きく砕ける。


 爆炎は瞬時に黒煙に代わり、黒く無残な爪痕だけが露わになっていく。


「なん……だよ……」


 立ち込めた黒煙から力ない声が漏れ出す。


 そこには、血まみれで伏すデルカの姿があった。ほとんど全身に火傷を負い、爆風による深い裂傷からの出血も激しい。


 彼女の近くには彼女よりさらに重体のユーレカが倒れていた。彼は辛うじて防御魔法を展開し、デルカを守ったのだろうが、即席のものでは防御力が伴わなかったのだろう。棺桶型の衛星機ステラは粉々に砕けて周囲に散乱し、彼の体は焼け焦げて黒くなってしまっている部位もある。


「ユーレカ……!」


 痛みに顔を歪ませながら、デルカはユーレカのもとへ這っていき、その手を取る。かろうじて脈はあるが、ひどく弱弱しい。


 青い光を放ったリングがあったほうへ視線を向けると、件のリングは近くのビルへと飛んでいくところであった。翼もないのに浮遊するその姿は本当に衛星機ステラのようで、乱れたデルカの心をさらにかき混ぜる。


 リングはビルの側面に併設された非常階段へそのまま向かい、やがて一つの影の前で停止した。


 霞んだ視界の中でデルカは確かに見た。黒い無骨なボディスーツに身を包んだ白い髪の青年の姿を。


 白い髪の青年は一筋伸びた右側の髪を揺らしながら、悪意の籠った笑みを彼女へ返した。


「ドー……ル?」


 目を凝らそうとしたが、聞こえてきた地響きに彼女は視線を切って音のほうへ向ける。地響きの正体はさきほど影から二人へミサイルを撃ち込んできた巨大な機械。その機械は隠れていたビルを破壊し、3メートルはあろう人型の巨体をもって、デルカたちのいる路上へ飛び出してきた。


 頭と胴が一体化した異様に大きい手足を備えたフォルム。短い銃口がその手の甲から三本ずつ伸び、肩から伸びた長い銃口が翼のようにも見える。


 デルカはその顔を大きく歪めた。


 マーキュリー。


 先の時代、災害救助用として開発されたパワードスーツ。頑丈な外骨格と強力な人口筋肉が搭載されたそれは、人が中に入り、危険な場所でも安全に作業を遂行することができるように設計されたものだった。


 しかし今やそこに乗るのは機傀ドールであり、マーキュリー自体も人殺しの道具として改造されつくされている。


 通常の機傀ドールよりも桁違いの武装を持つ厄介な相手だ。


 マーキュリーが肩の銃口から徹甲弾を撃ち出すのと、デルカが震える手で杖を振るうのは同時。祈る思いで振った杖は、今度はちゃんと魔法を発動し、遠くに飛ばされていた獣の顎状の衛星機ステラが変形しながら彼女とマーキュリーの間に割って入り、四つに分かれて二人の間に紫に光る壁を作り出す。


 かろうじて防いだ一発であったが、しかしその一発で光の壁は大きく揺らぎ、色が薄くなる。


 そこに容赦なくマーキュリーは銃弾を撃ち込んでいく。


 一撃ごとにデルカの息は浅くなり、その瞳から光が消えていく。歯を食いしばり、敵を睨みつけてはいるものの、無慈悲にも衛星機ステラには少しずつ亀裂が入っていき、縋りつくように杖を持つデルカの手が一撃ごとに下がっていく。


(もう……これ以上は……)


 デルカの心が暗く陰ったそのとき、彼女の視界の端で青い輝きが迸った。


 見れば、その光はさきほどユーレカが貫いた少年の右腕から溢れだしていた。その右腕は機械部品へと分解されて宙を舞い、内側から現れた光と部品が複雑に組み合わさり、彼の腕があった場所を中心に四つの連なった魔法陣が組み上がる。


 魔法陣が独りでに動いて、彼が脇に挟んだままだった円盤状の衛星機ステラを飲み込む。すると、強い光とともに衛星機ステラはバラバラになって魔法陣の中に飲み込まれ、それに呼応するかのように少年の体も青い光に包まれる。彼の千切れた右腕と体の傷口に小さな魔法陣が生成され、生み出された金属の部品が傷を補っていく。


 光とともに、生えるように生成された彼の新しい右腕は、しかし元の人間に近いものとは大きく異なった細く剥き出しの金属製。肩と手首に、取り込んだ衛星機ステラを思わせる円盤がついた異形。


 異様な光を感知し、マーキュリーの砲撃が止まり、デルカもその光景に目を奪われていた。


 かくして光が収まったとき、そこには、異形の腕を携えた少年がマーキュリーを見据えていた。その瞳には恐れどころかなんの感情も浮かんでいない。まるで機傀ドールのように。


 マーキュリーが無機質な単眼カメラで少年の姿を捕えた瞬間、少年へ向けて両腕の機関銃が激しく火を噴く。


 認識から攻撃まではコンマ1秒以下。人間の反射すら超えた反応速度。機械にだけ許された超速の世界。


 ならばそれに対応できるのは、やはり人外か。


 マーキュリーの銃撃が始まったときには、少年もまた動き終えていた。


 掲げた異形の右手首。円盤状のその部位は四つのパーツへ分かれ、少年の前に紫色の結界を展開し終えていた。その結界はデルカが張っていたものと全く同一。デルカの目が大きく見開かれる。


 数十もの銃声と、それを結界で阻み切った轟音が折り重なって空気を叩く。


 銃撃を受け止める少年の表情はやはり変わらず、続けざまに肩の円盤を輝かせ、そこから数十匹の光の鳥を射出する。


 それを見たマーキュリーは、即座に少年への攻撃を肩のカノン砲へと切り替えつつ、両手の機銃の狙いを光の鳥へと変更し、正確無比なその射撃で次々鳥を撃ち落していく。


 両者の拮抗はほんの数秒。


 徹甲弾の次弾が撃たれるまでの僅かな時間に、少年は大きく跳躍した。その高さはマーキュリーの高さを優に超え、カノン砲の射角を超える。


 少年が右手を薙ぐと、結界を展開していた手首のパーツが集結して形を変え、再び円盤型となると、そこから肩のパーツと同じように紫に輝く鳥たちを無数に打ち出す。


 鳥の数は純粋に二倍。


 もはや二つの機銃で撃ち落とせる数ではなく、一瞬にしてマーキュリーは押し負け、いくつもの小鳥たちの着弾を許してしまう。着弾したところから紫の花が咲き誇り、数十秒あとには、マーキュリーは美しい花柱へと変貌してしまっていた。


 一転して周囲が静かになる。遠くから響いてくる爆発音以外に響く音はない。


 硝煙臭い風が吹き、何枚も花弁が攫われて宙を舞う。デルカの瞳には、その花弁たちを纏うように立ち尽くす少年の姿が映っていた。


 真っ赤な夕焼けの逆光を受けて真っ黒なシルエットとなっているその姿は、異形の腕も相まって人間には見えない。


 デルカが何か言おうと口を動かした。


 が、彼女が言葉を発するより前に、グラリと少年の体はふらつき倒れ込む。倒れる最中、光とともに異形の腕がバラバラに別れ、元の人間を模した腕に戻る。


 乾いた空気に少年が倒れる音と、いくつもの金属部品が転がる音が重なって木霊する。


 デルカが黒い人影を見た非常階段に目を向けるが、もうそこには何もいない。


 三人の人間を取り残し、舞い散った花びらがゆっくりと少年の背に降りた。

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