第3話 外れたネジだけの世界


「ふぃー。ようやく撒けたか。ギリギリだったぜ」


 なかなか息すら整わないでいると、足音とともに、床の崩れた一つ上の階から幼女が近くの瓦礫に降り立った。幼女もまた息切れしており、煤に汚れた顔には酷く疲労の色が見えている。だが、それでも彼女は笑みを消していない。


「よ。大丈夫かよ? ほとぼりが冷めるまでちょっと隠れてようぜ」


 と、言い終える前に、彼女の近くに浮遊していた衛星機ステラが音を立てて落下し、少年のほうへ転がってきた。


 危うくつま先を潰されそうになった少年は、反射的に飛びのく。疲れた体にはなかなかつらい動きだ。


「ハハ、悪い悪い。マジでギリギリだったんだな」


 幼女は瓦礫から降りると、少年の近くでドッカリと腰を下ろした。所作といい口調といい、どうにも見た目とのギャップが激しい少女である。


「ようやく話ができるぜ。で、お前なんだ? どっかの支部のお使いか?」


「いや、違う……と思う」


 ゆっくり話せる状況になったことで、少年が今までせき止めていたものが一気に溢れ出した。


「分からないんだ。何も思い出せないし、名前もわからない。訊きたいことがあるのはこっちのほうだ。なんで俺は襲われて……ていうか、あの襲ってきた機械とかロボットみたいなやつはなんなんだよ!」


「待て待て落ち着けよ」


 幼女は少年を手で制すと、少しだけ眉根に皺を寄せて少年を眺めた。星空を透かしたようなその瞳には、疑問とともに少しだけ納得の色も見えている。少年の格好といい、体力のなさといい、もとより彼女の中で違和感を持っていた部分はいくつかあったようだった。


「記憶が、か……。本当に何もわからないのか?」


「いや、基本的な常識とか、知識とかはある……と思う。起きてから見てきたものがめちゃくくちゃすぎて何が常識なのかももうわかんねぇけど……。本当になんなんだ? あのロボットとか、君が使ってた魔法みたいなやつとか」


 幼女が頭を掻く。


「みたいなっつーか……、魔法だよ。俺が使ってたのは正真正銘魔法だぜ?」


「え、ま、魔法?」


 少年は困惑する。少なくとも彼に残っている常識の中では、魔法なんて荒唐無稽で非現実的なものであったはずだ。


「本当に何も知らないんだな。それとも忘れちまったか。……いいぜ。どうせしばらくはここから動けないし、一から説明してやるよ」


 少女は持っていた機械の杖を持ち直して地面に立てた。


「つっても簡単な話だけどな。今この世界では、機傀ドールと魔法使いが戦争してる。以上」


機傀ドール?」


「さっき襲ってきた人間そっくりのロボット。それも知ないか?」


 知らない。とそう言おうとしたとき、彼の頭にいくつも光景が走り抜けた。


 具体的な何かではない。差し伸べられる手。綺麗な街を人々が行き交う光景。彼は知っている。その中の半分近くが自律人形であることを。


「知っ……てる……?」


 彼は機傀ドールという存在を知っている。


 機傀ドール。高度なAIが搭載された人型自律ロボット。見た目も限りなく人に似せて作られ、人間をサポートするために、あらゆる分野で利用され、世界中に普及していた。


 『一家に一体機傀ドールを』そんな煽り文句が少年の脳裏を掠めた。


「40年前、世界中にいた機傀ドールが反乱を起こした」


「反乱? でも……機傀ドールには意志まではなかったはずじゃ……?」


 僅かに浮かび上がってくる記憶を必死に掬い取りながら、彼は答える。彼の知識に残っている限りでは、機傀ドールはあくまで命令をこなすだけのロボットで、自我などはないはずだ。それが反乱を起こすとは一体……。


「科学のことは詳しくはわかんないけど、世界中に普及してた全ての機傀ドールたちは、悪用を避けるために一つのマザーコンピュータの制御下にあったらしいじゃねぇか。そいつがイカれちまったって俺は聞いたな」


「マザーコンピュータが……でも、どうして……」


「さあな、それは誰も知らねえよ。それを知ってる科学者たちはみんなとっくに死んじまってる。……わかってるのは、世界中の機傀ドールが反乱を起こして、人間を皆殺しにしていったってことと、そうして今この世界に残ってるのはほとんど俺たち魔法使いしかいないってことだけだ。把握できてる数だと、10万人もいない」


「そんな……!」


 世界人口が10万人未満。その数がどれだけ少ないかなど自身の常識と比べるまでもない。人類史で見てもそんなに少なかったことなどない。


 知識として少年が持っている世界人口は100億人を超えていた。今が彼の知る時代よりどれほど時間が経っているかはわからないが、それでも100億人に近い人間が機傀ドールたちに虐殺されたことは確実だろう。


 少年の顔から血の気が引いた。


 この荒廃した街の姿は、ここだけではなく世界中で見られる光景だということだ。この世界のどこにも、人間が賑わう活気ある町は存在していないのだ。


「あいつらはなんでもできる。銃を使うことも、兵器を作ることも、使うことも。人類が作ってきたもの全部完璧に扱える。……あたりまえだよな。あいつらは人の形をしてて、それを使うための知識も全部持ってるんだから」


 人間が作ってきたものは、人間が使えるように作られている。ゆえに必然的に、人の形をしている機傀ドールが使えないものはない。人のために作られたコンピュータで世界中のネットワークをハッキングし、人が使うために作られた銃や兵器で人間を殺しつくしたのだろう。


 幼女は顔を歪ませた。


「最初期はレジスタンスもいたらしいけど、すぐに殲滅されたらしい。向こうは完全に人間の上位互換なんだから、そりゃそうだよな。……人間が機傀ドールに勝る点はない。ただ一つだけ除いてな」


「一つ?」


 幼女がニヤリと笑うと、指を鳴らした。


「魔法だよ。科学でも計算でも解き明かせない、あいつらには理解できない概念さ」


 幼女の指の音に呼応して、宙に浮いていた十字の衛星機ステラが獣の顎のような形に変形し、周囲に張られていた紫色の光の膜が縮小する。膜は少年たちの体の数センチ表面を覆ってから、その輝きを少しだけ弱めた。


「ここからはちょっと移動しながら話そう。俺も魔力が限界だ。早いとこ仲間たちと合流したい」


 そう言って幼女は杖を持って、廃墟の外へ歩いてい……こうとしたところで振り返る。


「あ、悪い。その衛星機ステラ持ってって」


 と、少年の足元で転がっていた衛星機ステラを指さす。


 いわれるがままに円盤状の機械を片手で持ち上げようとする少年だが、それは浮いていたのが嘘のように重く、両手で抱えるように持たなければならなかった。


 廃墟や荒れた路地を二人で進んでいく。幼女は周囲に目を走らせ、常に警戒を怠っていない。


 しばらく進んだところで彼女は再び口を開く。


「魔法はあいつらには効果覿面だった。あいつらは魔法の概念を知らなかったし、見ても理解できなかった。でも……俺たちは遅すぎた」


「遅すぎた?」


「魔法使いは俗世とは離れた存在であるべき。そういう考えだったんだ。昔は。だから世界が機傀ドールのせいで危なくなっても、しばらくは知らんぷりだったらしい。でも表社会がどんどん崩壊していって、いよいよ魔法使いたちにも影響が出始めて、ヤバイって思ったころにはもう世界のほとんどは機傀ドールに支配されてたってわけだ」


 あっけらかんとそう言うが、その口調には苦々しいものが浮かんでいる。その時代の仲間たちが、もっと早く動いていれば、こんな風に人類が滅びの危機を迎えることはなかったという思いがあるのだろう。


 少年は静かに目を伏せた。


「その、今は魔法使いたちは勝ててるのか? あんた、えっと……」


「ん? ああ、デルカだ。そう呼んでくれ。名前は別にあるけど、魔法使いは真名では呼び合わない」


「ああ、デルカ。それで、どうなんだ?」


 幼女は大樹の下をくぐりながら、険しい顔を作った。


「厳しい。正直に言って。魔法はあいつらには効くけど、あいつらの数は多すぎるし……人間を殺すための手段は、多すぎる……。あいつらはそれを最大効率でやってくるんだ」


 より効率的に、あらゆる手段で人を殺しに来る機傀ドールたち。それは人間が目指してもきっと不可能なレベルのものだろう。寿命も、知能も、地力が違い過ぎる。


 例えば戦力としての一人の人間と一体の機傀ドールを見てもそう。製造すれば即座に戦力となる機傀ドールに対し、人間は戦えるようになるまでに膨大な時間とコストがかかる。


 そうした積み重ねが、このような滅亡の今を作り上げている。魔法という一点のみで、簡単に覆る差ではない。


 廃墟に食い込んだ大樹を登ろうと苦戦していた少年の目の前に、幼女の小さな手が差し出される。デルカと名乗った少女は少年と目が合うと、ニッと笑った。


「でも負けねぇ。またみんなが笑って暮らせる世界を俺は見てみたい」


 その強い笑みに少年の心にも温かいものがあふれていた。


「いいな、それ」


 大樹に乗り、脇に抱えていた衛星機ステラを持ち替えて、少年はそう返す。


「そんなヤバイ状況で、殺されずに助けてもらえたなんて、運がよかったんだな俺」


「運はよかったに違いないが、でも俺も偶然見つけたわけじゃないぜ。お前の存在を感知して、助けてやれって言ってくれたやつがいる。あとで会わせてやるから礼言っときな」


「感知?」


 よくわからないが、きっと何かの魔法で彼を見つけたということだろう。なんにせよ、助けを出してくれたというのはありがたい。彼は幼女に続いて大樹から飛び降りながら、こわばったままの心にわずかな温かさを感じた。


「ていうか、気になってることがもう一つ。この町中にあるでっかい木はなんなの? これも魔法?」


「ああ。そうだぞ。これがこの世界を……おっ」


 言葉の途中でデルカは目を細めると、遠くを見ようと手のひらで目に庇を作る。


 少年も幼女の視線を追うと、ビルに巻き付く大樹の陰から、一人の長身の男性が現れた。ウェーブのかかった白に近い長い茶髪。女性に近い端正な顔立ちは機傀ドールを思わせるが、全身を彩る十字のアクセサリや、その周囲に一つ浮いている大きな棺型の衛星機ステラが、彼が魔法使いであることを示している。彫りの深い顔は険しさに包まれており、鋭い視線が二人を射抜いていた。


 その剣幕に思わず少年はたじろぐが、


「安心しろ。俺の妹だ」


「え? 妹?」


 少年の声を聞く前に、デルカは長髪の男に歩み寄っていく。


「いやー、助かったぜ。魔力もあと少しでなくなるところだっ――」


 


 瞬間。3本の鉄杭が少年を貫いた。




 手のひらほどの直径をもつ杭は、右目、左肩、腹の中心と少年の体に突き刺さり、その勢いのままに対面の壁へと少年を叩きつけた。


「なっ……!」


 驚愕して振り返るデルカ。少年が叩きつけられた場所には粉塵が舞い上がり、墓標のように三本の鉄杭が突き立っている。


「ユーレカ! 何を⁉」


「何をしているんだ。兄さん……!」


 静かな物言いではあったが、その声からは、煮えたぎる憎悪が溢れ出ていた。その向き先は、鋭い視線と同様に舞い上がる粉塵の中だ。睨みつけるその左目の前には、小さな片眼鏡状の衛星機ステラが浮かんでおり、展開されている緑の魔法陣が、複雑な機械部品と織りなされて回転している。


 仲間の只ならぬ剣幕と、ある可能性がデルカの脳裏によぎり、彼女は恐る恐る少年のほうへ視線を送った。


 粉塵が晴れていく。現れるのは、三つの鉄杭に無残に貫かれた少年の姿。しかし、彼から出血はない。その傷口から滲みもしていない。骨も肉も飛び出していない。だが代わりに、杭に貫かれた傷口や肩から千切れた腕の断面からは、金属の部品と、紫の火花が飛び散っていた。


 幼女の目が見開かれる。


「こいつは……機傀ドールだ」

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