第4話 忘れ去られた場所で

 ふたたび自宅に戻ったレイジは、今度は寝ずに考えた。

 壁を見つめ、暗いままのテレビの画面を見つめ、鏡に映る自分を見つめ、細くお湯が飛び出すシャワーの蛇口の表面を見つめ、或いは耳を塞ぎ目を閉じて、意識の続く限り考えた。

 彼女にかける言葉は本当に何もなかっただろうか?

 レイジは必死になって空き地で塔子と交わした会話のひとつひとつを思い出し、頭の中で何度も繰り返した。

 そして次に話すべきだった自分の言葉を推察し、場面に合わせてシュミレートしてみたが、どれだけの言葉を尽くし文章を組み立てても不自然な会話にしかならなかった。あの時の自分がどんな言葉をかけても、塔子を納得させたり、彼女に希望を与えるような事は出来なかっただろうという事が、シュミレーションを積み重ねる度に明白になっていくだけだった。

 それでもレイジはやめなかった。

 会社をリストラされてもここまでの無力感は感じなかったのに、と思うとそれはそれで不思議な気もしたが、とにかく自分が何もできなかった事に納得がいかなかった。

 頭の中で考えていた事を、今度は紙に書き出した。いくつかのパターンを変えた会話のシナリオでノートを一冊使い果たした。あらかた書き尽くしたところで、今度はパソコンのテキストエディタに文章を打ち込み始めた。もし彼の行為を第三者が見ていたとしたら、それは何かしらの禁欲的な修業の一環だと思ったかも知れない。

 考えて、書きまくって、それに疲れると彼は電車に乗って東京タワーを見に行った。しかし、あれ以来塔子は現れなかったし、東京タワーが消えてしまう事もなかった。全てまぼろしだったのではないか、そう思う事もあったが、捨てずにとってある牛乳瓶がその可能性を否定していた。考え、書く事に疲れ果てると、レイジは手の中で牛乳瓶を転がして煙草を吸った。

 そうやって宙を漂う煙を眺めている時に、携帯にメールの着信があった。

 差出人の名前は『深谷今日子』となっている。

 レイジは差出人のプロフィールを画面に呼び出し、肺の中の煙を吐きだしてから、その電話番号をコールした。


 今日子の提案で、彼女が事務所代わりに使っている都内の雑居ビルの一室に、レイジは来ていた。書斎と来客用の部屋ぐらいしかない、さっぱりと殺風景な室内を見て、(テレビで観る探偵事務所みたいだ)と来るたびにレイジは思ってしまう。

 その来客用のテーブルの上には、既にビールの空き缶が並び、灰皿にはフィルター周りに真っ赤な口紅の跡がついたものとそうでないものとの二人分の吸い殻がマクドナルドのポテトみたいにぎっしりと突き刺さっていた。

 壁の時計は十九時十二分を示している。

 レイジはもう何本目か分からなくなり始めた缶ビールをぐいっと一気に飲み干して、今日子に聞いた。

「どう思う?」

 この数日間で自分に起きた出来事を語り終えたところだった。

 今日子の方も、もう何本目かとっくに分からない煙草をくわえていたが、レイジに聞かれて、煙を吐いた。

「もう一度断っておくけど、テキトーな事抜かしてるんだったら、ただじゃ置かないよ?」

「信じないならそれでも良いよ」

「電話もメールも反応しないでいたくせに、そっちから連絡してきたと思ったら、まあ良くできたネタを披露してくれて、私は今感謝すべきか半殺しにするべきか。それを問題にしているところだわ」

 実際こういうことを平気で言うし、実行したりもするから、時には連絡を取り辛かったりするのも事実ではある。

「ネタじゃねえよ。姉ちゃんなら仕事柄、こういう話を耳にする事もあるんじゃないかと思ったんだけど、……いいよ、もう」

 レイジはそう言った。

 今日子は天井に向かって煙草の煙をふかし上げながら、見下ろすようにレイジの目を見ていた。

「何がいいんだよ」

「信じないんだろ? どうせ」

 レイジはその今日子の視線をまっすぐに見返した。

 しばらく睨み合うような視線を交わした後、今日子はソファに預けていた体を起こして、持っていた煙草を灰皿の中に突っ込み、ぐりぐりと押し付けて消した。

「東京タワーが建てられた時、四本の足の内の一本が墓地の真ん中に配置されたってのは、有名な話だよ。で、元々そこにあったお墓は別の場所に移されたってのは知ってる。でも一個一個の墓がどこに行ったか、なんて話になると、ちょっと調べてみないとわからないね」

「墓が移された?」

「当たり前だろ。ただ墓地潰してあんなもんおっ立てたってんなら、今ごろ電波飛ばすどころか怨念と呪いの発進源みたいになってるわ」

「どこに移されたの?」

「管轄はたぶん増上寺だけど、あんたが知りたいのは一個の墓だろ? さっきも言ったけど、それは調べてみないとわからないよ」

「どうやるの?」

 レイジがそう聞くと、今日子は次の煙草に火を点けようとしていた手を停めて、今度は上目遣いにレイジを睨んだ。

 そのまま数秒間の沈黙。

 そして今日子は口の端をくいっと斜めにつり上げて、

「自分で調べてみなよ」

 と意地の悪そうな笑顔で言った。

 続けて、

「その方があんたも納得するんだろう?」

 と言った。

 レイジは、たしかにそうだと思えた。

「わかった。そうする。姉ちゃんに聞いてもらって良かったよ。東京タワーが墓地の上に建てられたとか、全然知らなかったし」

 とレイジは言った。

 今日子はまたソファに深々と身体を預け、

「ジャーナリストなめんじゃねえよ」

 といって煙を吐いた。


 姉と酒を飲み交わしてから数日後、積乱雲が空の支配者の如く広がる青空の元にレイジは水筒と花束を手に持って、都内のある墓地にやってきた。

 上空では風が強いのか、雲の流れが目に見えて速く、日の当たる場所とそうでないところが、文庫本のページをめくるみたいに、さらり、さらり、と入れ替わっていく。

 ここに辿り着くまで、レイジは姉に宣言した通り、自ら動いて情報を掻き集めた。図書館で東京タワー建設に関連してそうな資料や書物を漁り、当時のことを調べる一方で、少しでも関わりのありそうなところに電話して問い合わせたりもした。

 幸運なことに、当時のことを知る寺のお坊さんに話を聞くことが出来、「ここではないか」という墓地の移転先を教えてもらったが、そこに常盤家の墓があるかどうかというところまでは、やはり分からなかった。もう何十年も前のことだ。関係者とは言え、記憶が薄れていても仕方ない。

 だからレイジはそこからは自分で探すことにした。探す範囲が限られていれば、後は大した労力ではないと考えたのだ。教えられた場所が、塔子が姿を消していった方向と同じであることにも、彼は気付いていた。

 彼なりに、何らかの確信を得た上での行動だったのだ。

 しかし実際に墓地を訪れた時、レイジは目を疑った。

 そこは狭い敷地ではあったが、丘の中腹にある墓地全体が鬱蒼とした深い雑草に埋め尽くされ、傍目にはそこにお墓があるとはとても見えない有り様だったのだ。足を踏み入れ、草をかき分け、そこに墓石があることを確かめて、初めてそこが間違いなく墓地だと言う事が明らかになる。

 どのような経緯で常盤家やその他のお墓がこんな忘れ去られた土地に移転されてきたのかは分からない。ただ、その墓地がほとんど人に忘れ去られた場所であることは察することが出来た。

 レイジは伸び切った雑草を右に左に排除しながら、常盤家の墓を探した。さほど広い墓地ではなかったことも幸いして、常盤家の名が刻まれた墓はすぐに見つかった。他に同じ名前の墓はない。

 すぐに周辺の雑草を引きちぎる。

 こんな事なら軍手でも持ってくれば良かったと思いながら、レイジは擦り傷も切り傷も構わずに草を手で掴み、引っ張って千切って根っこを抜いた。

 三十分ほど休み無くその作業を続けると、ようやく墓石の全貌がはっきりと現れてきた。ちょうど雲が流れてきて、墓地全体が影に覆われた。汗を拭い、一息つく。

 墓石の横には墓誌が立てられていて、そこに家族の名と思われるものが刻まれていたが、土や埃で汚れてしまって読みにくくなっていた。

 レイジがその墓誌を水筒に入れてきた水で少し洗うと、泥が落ち、文字がはっきりとして、きれいに読めるようになった。その最後の一人の名前を見て、レイジは口をヘの字にした。

 たしかにトウコという名前がある。がしかし、トウコのトウはタワーの塔ではなく、瞳(ひとみ)という字になっていた。確かにこれでもトウコと読める。一瞬、間違えたのかと思ったが、その考えはすぐに消えた。それは、かえって不自然だからだ。

 レイジは、常に遠くの船を見ているような彼女の瞳を思い出した。

「結構嘘つきなんだよな、君は」

 墓石にそう語りかけた。

 名前のこともそうだったし、東京タワーが歩いてテレビ局を襲いに行くなんて話を真顔で語った彼女の事を、レイジは改めて思い出しながら、

「君は僕の中に何かを残した。それが何かはまだ僕にも分からないけど、その何かを君が生み出したという事だけは確かだよ」

 この数日で感じていたことを、そのまま口に出して言った。

 言葉が、彼女に伝わることを願いながら。

 墓前に手を合わせて目を閉じると、頭の中に、東京タワーの姿が浮かび上がった。その映像は明滅を繰り返し、耳の奥にチリチリとした刺激を送ってきたが、前に感じたような存在感はなく、徐々に弱まっていくようだった。

 目を開くと、タワーの映像は意識から消えた。

 もう電波も感じなかった。

 蝉の鳴き声が止んでいる。

 風も感じない。

 彼は静寂の中に居た。

 レイジは合わせていた手を解き、リュックの中から牛乳瓶を取り出した。

 空っぽの牛乳瓶を、そのまま墓石の前に置く。

 未だにどこかで迷子になっているかも知れないけれど、これが目印になって彼女がここに来れたら、という思いが彼にはあった。

 墓石から一歩離れると、蝉の鳴き声が、ひときわ大きくなって彼に降り注いだ。

 雲が流れて、熱い日差しが彼のいる場所を照らし出した。

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東京タワア cokoly @cokoly

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