疑祭

@Y0HY0H

疑祭(一話完結)

 潮の音が空に浮かび上がる。雨は止み、雲の切れ間から降りる光の柱が海を貫いている。島民はこの光景を「窓が開く」と表現する。天候が良くなる兆しだ。海女が漁に出かける支度をはじめて忙しない。


「祭りですか・・・」

満島みつしまの役場に勤める大久保一馬は唸り声を上げていた。


「近頃は、どこで何が流行るかわかりません。若者が田舎を旅してSNSに投稿すると、それまで全く注目されていなかった土地の観光ビジネスが急に盛り上がったりする。この現象は地方創生の足掛かりになるとも言われています。特に、奇祭が注目されてるんですよ。ぜひ、取材させてください。ありませんか? 奇祭」


 得意げに語る髭を生やした中年の男はテレビ局のディレクターである。


「しかも、奇祭ですか・・・」


 大久保一馬は再び唸った。


 満島は伊勢湾に浮かぶ人口三百人の小さな離島である。島全体が山地であり、独楽こまを逆さにしたような形をしている。ひっそりと海にたたずむ秘境的秘島。本土の人間からすると、その神秘性から奇祭の一つや二つくらいはありそうに思えるのかもしれない。


 ディレクターは下調べもせず、半ば決めつけでこの満島に奇祭があるものと思い込み訪れた様子。


「あるでしょう? 奇祭の一つや二つ」


 予想通りの調子。


 さすがに乱暴である。満島には奇祭どころか、祭りと呼べるものは何もない。


 私は三重県鳥手市の出身で、名古屋の大学を出た後、市の職員として働くために地元に戻ってきた。いわゆる Uターン就職である。

 満島は鳥手市の一部であり、市役所の満島出張所に常駐する大久保一馬とは一緒に仕事をする機会が多い。大久保一馬は満島の出身で、神童と呼ばれた天才であった。

 満島には学校がなく、島の子供たちは毎日船に乗って、本土の学校に通う。本土で生まれた私は、小学校で大久保一馬と出会い、高校生まで切磋琢磨した同窓だ。奇しくもお互い大学を出た後、地元に戻ってきて市の職員になったわけだが、歳を重ねるにつれ、この島の将来に危機感を覚える。少子高齢化と人口減少の進行が速すぎるのだ。


 島の医療設備では治療できない病気を患って本土の病院へ運ばれ、の地で命を全うする島民が増えており、人口はこの十年で三分の一になった。


 大久保一馬は焦っていた。何とかして満島を全国に知れ渡らせ、観光客を増やしたい。あわよくば、島を気に入って住み着いてくれる若者が増えればなお有難い。


「奇祭ですよね。もちろんありますよ。ないわけないじゃないですか」


 天才・大久保一馬は大見得を切った。


えますか?」

えます」

「相当な自信ですね。どんな奇祭なんです?」


 こぼれんばかりの期待感。

 ディレクターは前のめりになって大久保一馬の眼前に詰め寄る。


「とにかく、謎に包まれた奇祭なのです。この祭りの記録を残すことは禁じられています。文献は何一つありません。それが掟なのです。ですから、起源はわかりません。いつ、何の目的で始まったのかもわからないのです」

「それで? それで? どんなことをするんです?」

「成人の男女が南軍と北軍に分かれ、島全体を戦場に見立てて戦います。現代でいうところの、サバゲーです」


 大久保一馬は自信満々。まるでサバゲーの起源がこの島の祭りにあるかのような言い草である。


「サバゲーですか・・・。うーん。ありがちですね・・・」

ディレクターの顔つきが曇る。


 大久保一馬はうろたえた。


「だ、大丈夫です。聞いてください」


 何が大丈夫なのか。


「採れたての鮑を投げつけ合って戦います」


 なんともったいない。


 満島の近海では鮑がよく採れる。しかし、海女の大事な収入源である鮑をぶつけ合うなど、島民の首を絞めているようなものだ。


「ふうん。鮑ねえ・・・」


 ディレクターは完全に興味を失っている。


「大丈夫ですよ。ディレクターさん」


 さっきから、一体、何が大丈夫なのか。


「何がですか?」とディレクター。


 本当に知りたい。


「この奇祭には、があります」

どうもしっくりこない比喩である。


「何がですか?」


 自動質疑。

 ディレクターは興味を失ってチャットボットモードに切り替わったようだ。


人身御供ひとみごくうです。敗北した軍は、生贄いけにえを一人、海の神に捧げます」


 メインディッシュの食材判明。比喩ではなかったらしい。


「なんですって? この現代において、人身御供などという習俗がまだ残っているというのですか? これはスクープだ!」


 息を吹き返したディレクター。


「毎月、七のつく日は祭りが開催されています。ぜひ取材に来てください」


 ひと月に三人の生贄が必要となる計算。


 人口減少に追い打ちをかける祭りではないか。


 七月七日。臨むべきその日。そのとき、大久保一馬は波止場の集会場に集まった全島民から鮑の貝殻を投げつけられていた。全員、大久保一馬がでっち上げた祭りの開催に猛反対なのである。


「頼む! この島のためなんじゃあ!」


 大久保一馬は土下座して懇願。上目に島民たちの顔色を窺うも、許してくれそうな雰囲気はない。


「へへっ。冗談じゃよ・・・生贄なんて嘘。ぶつけ合った鮑は煮よう。神様へのお供え物。最後はみんなで美味しくいただけばええ」


 ディレクターは三名のテレビクルーを引き連れて満島にやってきていた。


「すみません。人身御供はなくなりました」


 悪びれず報告する大久保一馬。


「はい?」

呆気にとられるディレクター。の意味が理解できなかったらしい。


「口承で続いてきた祭りなもんで、はっきりしたことはわからないんですが、どうやら、人身御供はなかったようだと主張する島民がいるらしくて・・・。その者は亡き祖父から聞いたようなんですが・・・。ある島民の話では、人身御供ではなくてあわびのお供えが正しいっぽいとか正しくないっぽいとか。しかも、神様にお祈りをした後、参加者が食べることになっているらしいという噂があったりもするそうです。とりあえず、変更します」


 果たして虚構とは不確かさの衣装をまとうことによって事実に近づけるものだろうか。


「朗報もあります。ついに、祭りの名称がわかりました。ビーアワサバゲー祭りです。ビーアワサバゲーが何を意味しているのかは謎です。満島の方言で美しい女性のことをビハマと呼び、問題が解決することをサバケルと表現するのですが、それが訛ってビーアワ、サバゲーになったという説が濃厚です。つまり、かつてこの島は女帝が支配していた可能性があります」


 もっともらしいこじつけで奇祭らしさを演出してはいるものの、アワビをズージャ読みにしてサバゲーを足しただけであろう。


「えっ? 今まで名前なしでやってたんですか? 初めてやるわけじゃないですよね?」


 痛いところを突かれた。


「しばらく休止していたんです」

「最後に開催されたのはいつですか?」

「千五百年前です」


 しばらくの感覚が尋常でない間隔。


 何はともあれ、ビーアワサバゲー祭りは滞りなく実行され、東海圏のテレビ局によって放送されるやいなや、予想以上に大きな反響を得た。SNSで拡散されたこととも相まって、満島には観光客が一気に押し寄せた。宿泊施設が増え、本土と島を結ぶ定期船の運航回数は五倍になった。


 そんなある日、ディレクターが再び満島にやってきた。大久保一馬は祭りの運営に忙しく、私が一人で対応することになった。ディレクターは落ち着かない様子である。


「どうかされましたか?」

「実は・・・有明海に影島という島があるのですが、その島の視聴者から問い合わせがありましてね。ビーアワサバゲー祭りと似た祭りが影島にもあるとかで・・・」

「どんな祭りなんです?」

「未婚の男女が浜に集まり、海に向かって詩を詠むところからこの祭りは始まります。そのあと、この島で神の化身とされているネコの足に、詩をしたためた和紙をくくりつけます。和紙は影島の特産なんです。参加者は、島中に放たれたネコ達を捕まえて和紙をほどき、その詩を詠んだのが誰なのか推測します。言い当てた者は、その詠み人に求婚することができるのです」


 婚活イベント的な要素を感じずにはいられないが、なんと情緒的で文化の香りがする祭りであろうか。鮑を投げつけ合うどこかの野蛮な祭りとは大違いである。


「どこが似ているんですか? まったく種類の違う祭りのような気がしますが・・・」

「口承なんですよ。影島でも、祭りに関する記録を残すことが許されておらず、文書にしたものは全て燃やされるのが掟だそうです。昨年までは休止されていたみたいで・・・手口が似ているんですよね・・・ビーアワサバゲー祭りと」


 って言うな。罪悪感が増す。


「ただの偶然でしょう」

「いやあ。私もテレビ番組の制作ディレクターなんで、この手のことには敏感なんですよ。これって所謂いわゆる、や・・・」


 それ以上は言うな。言わないでくれ。


 奇妙なことに、それからというもの、ビーアワサバゲー祭りと同様のを用いた根拠なき祭りが増え続け、その数はなんと一〇八にも及んだ。

 その胡散臭さが却って世間の注目度を高め、北から南まで、これらの祭りが行われる島々には国内外を問わず多くの観光客が訪れるようになった。


 大久保一馬は、増殖する根拠なき祭りを包括して「さい」と名付けた。そして、全国の離島で働く地域振興の担当者を集めて運営委員会を立ち上げ、疑祭の日本一を決めるため、「疑祭フェスティバル」という祭りのための祭りを企図した。


 満島の集会所にカメラのシャッター音が鳴り響いている。


 大久保一馬は「疑祭フェスティバル」の開会宣言をしようとしていた。


 檀上に立った天才・大久保一馬が、全国の離島から集まった担当者達に目配せで秘密の暗号を送った後、うつむいて静かにほくそ笑んだのを、私は見逃さなかった。

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