第3話〈ぼっち大学生の歩む二つの道〉
大卒なら将来安泰だと言える時代は遠の昔の話ですが、特殊な才能がない人間にとってこれほど有難い資格も他にあるまい…私の友人は、必ずしもそのように考える人間ばかりではなかったなと、ふと思います。
〈ぼっち大学生の歩む二つの道〉
Cくんは高校の同級生でした。私たちは同時に上京し、東京の大学へ進学しました。私は法学部に、Cくんも同じく法学部に進学しました。大学の所在地も同じ23区内で一人暮らしを始めたアパートもそれほど離れていませんでした。
大学へ進学してからも私たちは頻繁に、といえるくらいに連絡を取り合っていました。そして、自分たちが置かれている状態が、奇妙な程似ていることを知りました。
私もCくんも大学へ入り、多くの大学生がそうであるようにサークルという集団に短期間所属しました。そして二人とも、同じようにゴールデンウィークに差しかかった頃にその集団を去ることになりました。
この頃私たちは、自分たちが大学という場所を大きく見誤っていたことに気が付きました。
高校までは、学校へ行けば自分の机があり、毎日のように顔を合わせる友人がおり、担任の先生がいました。部活や同好会などに入らなかったとしても最終的にクラスというコミュニティーがあり、自分の居場所が保証されていました。
大学の講義はこうです。300人を超える学生が一堂に会し教授の話を聞き、終わったらまた異なる300人と教授の話を聞き、また異なる300人と一緒に聞く。これを10回ほど繰り返すと一週間が終わり、次は250人ほどの、やはり毎回異なる学生と一緒に教授の話を聞きます。
大学には自分の机はありません。クラスもありません。顔なじみのクラスメイトも担任の先生もいません。大学には指定席がありませんから隣に座る学生は講義ごと異なり、顔見知りになることはありません。
つまり友人がひとりもできなかったのです。
***
この頃私たちは、自分たちが大学という場所を大きく見誤っていたことに気が付くことができましたが、それとどのように接するべきかという問いに対する答えは全く出すことができませんでした。
私たちの結論は、少なくとも、何かしらの課外活動にでも参加しない限り、大学という場所が私たちの生活の基盤となることはない、ということでした。
しかし、これは高校までに得た私たちの学校に対する見方とは全く異なるもので、受け入れるまで相当の期間が必要でした。なにせそれまでの私たちにとっての学校という場所は、生活の全てで、友人も充実感も青春も失恋も目標も悲壮感も失敗もやりがいもありとあらゆるイベントを与えてくれるものだったからです。
大学は自分から求めない限りなにも与えてはくれません。主体的でない人間がどこまでも無視される場所が大学であると、私は解釈しました。幸い2年次から大学での自分の居場所を見つけた私はその後、充実した大学生活を送ることができたのですが。
***
私の話はまたの機会に置いておくとして、Cくんの話です。
Cくんは大学の環境に適応することができませんでした。大学では高校までとは違い、主体的な行動を取らない人間はどこまでも無視されます。自分の思い描いていた華やかなキャンパスライフとは真逆の大学生活に切望したCくんは、自分なりの目標を見つけることができませんでした。
Cくんの一日はというと、朝講義室へ入り、3時限まで受け、2時半に帰宅し、PCを眺め特になにもせず、1時に寝て、また講義を聞きに大学へ行きました。
やがてCくんは大学を休みがちになりました。なぜ大学へ行かないのかと問うても、Cくんは、ただ自分が大学へ行く意味が分からない。と答えます。
大学へ行く意味はあります。大学を卒業しなければ就くことができない職業がたくさんあります。しかし、大学の意義を見失ったCくんにとってそんなことは、ずっと優先順位の低い意味だったのです。
***
さて、Cくんのような学生は大学にたくさんいます。いわゆる「ぼっち大学生」という人々です。大学は、一度なにかしらの団体に所属する機会を逃すと、友人を作るのが非常に難しい場所です。クラスの存在が希薄なため、全員が強制的に参加するコミュニティーが存在せず、交友が発生しません。
世間が思い描く華やかなキャンパスライフとは裏腹に、このような学生は、大学に意外なほどたくさんいます。
孤独になってしまった大学生が歩む道は二手に分かれます。
一方は、華やかなキャンパスライフに見切りをつけ、学問、バイト、就活などにまい進する道、もう一方は大学生活に絶望し学校を去る道です。個人的にステハゲさんは前者だと考えています。
人間は平均以下の状態をとても不安がる生き物だと言われています。
世間のいう平均的な大学生とは、華やかなサークルに入り合コンをし、異性と交際し、たくさんの友人に囲まれたおよそ社会の中で最も幸福な存在となります。
しかし実際にはそのような華やかな生活を送る大学生は稀です。大学デビューなどそうそう起きるものではありません。
Cくんの苦悩の原因はここにあります。
Cくんも元々は華やかな大学生活に憧れていて、初期はサークルに入りそれなりにバラ色のキャンパスライフを送っていましたが、やはり団体に馴染むことができませんでした。
サークルを辞めた後、Cくんは自分に大学内に友人と呼べる人物がひとりもいないことに気が付きました。
実際、履修する講義は一人ひとり異なるわけですし、休講等の連絡もインターネットで得ることができますから、友人がいないからといって困ることは何一つないのですが、そういうことではありません。
Cくんからは、とにかく周りが羨ましく見えて仕方なかったのです。
***
大学が私たちに与えてくれるのはただ大きな空白だけです。
そこに詰めるものは自分で探さなければならなかったのです。スケジュールがびっしりと埋まっていた高校生までとは正反対の生活です。適応することができない人が出るのも無理ありません。
学内で孤独になってしまった大学生が考えるべきなのは、この空間を埋めるべき価値のあるものはなんなのか、ということです。
学内で孤立することは、価値のある大学生活を送れるかどうかとは全く関係ありません。
華やかな大学生活を送った学生のほうが精神的に成長できるとも限りません。
そのような学生もいないことはありませんが、孤独な期間を通じて今やるべきことを正しく認識することができれば、ぼっち大学生も有意義な学生生活を送ることは可能です。
では、大学生が今やるべきこととはなんでしょうか。
それは、将来の投資となりえる活動です。
ここで思い出してほしいのは、私たちはなぜ大学へ行くのか、ということです。
多くの学生は大卒という資格をとるために大学へ通います。しかし大卒は手段に過ぎません。大卒は、大企業に大卒枠で就職をすることができます。これを大学生活の明確な目標とする大学生がどれだけいるかは定かではありませんが、実際、これが可能だ、という話です。
大学生は華やかな大学生活を送るために大学生をするのではありません。
華やかな大学生活は送ってもいいし、送らなくてもよいのです。将来、大学生のときこの活動を頑張ったと胸を張っていうことができさえすればよいのです。友達が多かったか少なかったかはどうでもよいことです。
具体的にするべきことですが、個人的には語学の修得をお勧めします。テキストを読んでTOEICの勉強をするという意味ではありません。語学教室でも大学の少人数学習でもよいですから他人と外国語でコミュニケーションを取る経験を積むのがよいです。確実に将来の糧になります。
自分のすべきことを認識して、自分の生活に集中すれば周りが気になることはなくなります。Cくんが無事大学を卒業することを祈っています。
※この小説は事実を基にしたフィクションです。
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