第2話〈五浪のバンドマン〉
大卒なら将来安泰だと言える時代は遠の昔の話ですが、特殊な才能がない人間にとってこれほど有難い資格も他にあるまい…私の友人は、必ずしもそのように考える人間ばかりではなかったなと、ふと思います。
大卒の資格を取得するためには4年の歳月と数百万円の学費が必要となります。これが大卒の最大のネックですが、この資格を得なければ就くことができない職業がたくさんあることは、世間にも知られています。
***
大学に入学した当初、私もはじめは多くの学生と同じようにサークルに参加することにしました。
大学というのは面白い場所です。実にさまざまな人がいます。
私が、参加した音楽サークルで出会ったBくん、いや彼は私より5歳も年上ですからBさんと呼ぶことにしましょう。Bさんも大学によくいる経歴不詳な人物でした。
はじめて会ったとき一目で年上だとわかりましたがそのとき彼も私と同じ1回生でした。
高校を卒業後数年ふらふらしたあと、友人とバンド活動を始め、いろいろあって解散、これからどうするかというときに、ご両親から、もし大学に受かったら学費は出してやる、と。ご両親もBさんの将来が心配だったのでしょう。
名前を書けば入れる大学が星の数ほどあるなか、Bさんが選んだのは皇典大の文学部日本文学科でした。
皇典大は歴史的な経緯から史学と日本文学が強く、偏差値もこの両学部だけは頭一つ抜けています。
音楽以外だと唯一古典に興味があり、むしろそれ以外の勉強をする気にはなれなかったそうです。
歴史ある大学ということ、日本文学科のあるまともな大学の中で皇典大だけは英語が試験科目にないことからBさんは受験を決めました。
そして2015年4月、高校を卒業して5年後みごとBさんは皇典大日本文学科に入学することになりました。
「試験のための勉強みたいなのはほとんどしませんでしたね。英語もないですし。公民は忘れているところがあったから教科書を読みましたが、国語は本当になにもやっていません」
入学当初のBさんは教員になることを考えていたそうで、教職の講義を受講していました。
プロのバンドマンから堅い大学の文学部へ入学するのも数奇な話ですが、そのまま教員になるというのもまた面白い話です。
バンドマンから教員になった人って日本にどれほどいるのでしょうかね。
私はすぐに幽霊部員になってしまったためBさんとは疎遠になりますが、たまにふとBさんのことを思い出しては、ベースを弾きつつ教職の勉強に追われる日々を送っているのだろうなと呑気に考えていました。
***
次にBさんの消息を確認したのは、私が休学を挟んで4年生となった5年後のことでした。
音楽サークルを辞めたあと奇跡的に交流のあった部員の知人と食事をしていたときBさんの話になりました。
「そういえば私が1回生で、まだサークルに所属していたとき、Bさんという何歳も年上の同級生がいた気がするのですが、覚えていますか」
「ああ、そんな人がいましたね。私も覚えていますよ、なんせ自分より年上の1回生が入部してきたのですからね」
「彼は今どうしているのでしょう。順当にいけば社会人1年目のはずですが。彼は教職についたのですか」
「いや、2回生の頃でしょうか、サークルにはすぐに顔を出さなくなりましたよ。大学も辞めたはずです」
「そうですか。では彼は今なにをしているのでしょうか」
「さすがにそれは分かりませんね。連絡を取るほどの中でもないですから。尾口くんもサークルを辞めたあと、連絡を取り続けている部員なんてほとんどいないでしょう」
私のスマホにはBさんの連絡先が入っていました。
『Bさん、お久しぶりです』
『え、尾口くん。どうしたのですか』
『Bさんが大学を辞めたと聞きました』
『…ずいぶん昔のことを言いますね』
Bさんは2回生の前期から大学へ行っておらず、3回生に上がるタイミングで留年が決まり、大学を中退することにしたということでした。
『私に4年間は長すぎました。だって私が大学へ入学したとき、同じく大学へ進学した高校の同級生たちは、もう働いてたんですよ。講義は少なく、かといってフルタイムで働けるほど時間があるわけでもない。あの空間にいることが馬鹿馬鹿しくなってしまったのです』
Bさんは今アルバイトで生計を立てつつ、バンド活動を続けているとのことでした。
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大卒なら将来安泰だと言える時代は遠の昔の話ですが、特殊な才能がない人間にとってこれほど有難い資格も他にあるまい…私の友人は、必ずしもそのように考える人間ばかりではなかったなと、ふと思います。
人生経験豊富なBさんにとって、大学は退屈でまた時間の浪費としか思えない場所だったのかもしれません。
むろん私もそのように考えたことがないといえばうそになりますが、とはいってもまだ20歳前後、時間やお金を浪費しているという感覚を覚えるには至りません。周りに働いている人間がいないためです。
Bさんは大学へ入学したとき、すでに同年代の仲間は社会人となっていました。周りが働き出している中、自分だけが置いていかれているという感覚を覚えるのも無理はありません。
しかし、大学へ行かなければ就くことができない職業があることもまた事実です。
Bさんは教員になることはできませんでした。大学は出ることが大切です。大学を出ているかどうかに比べれば、どの大学を出たかは些細な問題かもしれません。Bさんを見ると、大学は行けるときに行っておいたほうがいいと強く感じます。
※この小説は事実を基にしたフィクションです。
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