大学を去った人々

水城ナオヤ

第1話〈神主の仮面浪人生〉

大卒なら将来安泰だと言える時代は遠の昔の話ですが、特殊な才能がない人にとってこれほど有難い資格も他にないと思います。


仮に高校まではどれだけ学校の成績が悪かったとしても、大学に入学し単位さえ取れば、大手企業の総合職として働くチャンスを得ることができます。生涯年収も高卒と大卒では大きく異なります。


さて、日本人の約半分が取得する大卒という資格ですが、取得するためには4年間、大学へ通い卒業に必要な単位を取る必要があります。


通常、4年制大学の場合最低124単位を取得する必要があり、多くの講義は半年間受講すると2単位を取得することができますので、卒業単位の取得には最低60~70ほどの講義を受ける必要があります。


私立大学の場合、学費も膨大で、大学により異なりますが文系で年間約100万円、理系では150万円ほどの学費が必要になることもあります。


大学で勉強したいのだが学費を出すことができない、という学生のために国が奨学金制度を用意しています。しかしこの奨学金制度は学費が免除されるわけではなく借金で、卒業後返済しなくてはならないため、学生にとって卒業後の大きな負担となります。


このように大卒の資格を取得するためには、膨大な時間と資金が必要となります。大学に通っていた4年間、もし働いていたとしたら得ることができたであろう数百、数千万円の賃金を計算に入れれば、それこそ機会損失は計り知れません。


大卒とはそれほどハイリスクハイリターンな投資なのです。


〈神主の仮面浪人生〉


大卒なら将来安泰だと言える時代は遠の昔の話ですが、特殊な才能がない人間にとってこれほど有難い資格も他にあるまい…私の友人は、必ずしもそのように考える人間ばかりではなかったなと、ふと思います。


2015年、大学に入学してしばらく経ち、だいぶ東京での生活にも慣れてきたとき、私はAくんに出合いました。


教養の講義で毎回教授に質問する熱心な学生で、脇には何故か防衛大学の赤本を抱えていました。ある日私は、Aくんが私の故郷の高校の名前が刺繍されたバックを持っていることに気がすきました。


「あの、もしかして〇〇高校出身?」


「え、ああ、そうだよ、知ってるの?」


「実は私は△△高校で」


「え、本当に?隣町じゃん」


講義の終わりに私たちは一緒に学食へ行くことにしました。


私は、Aくんに非常に興味を持っていて、さまざまなことを質問したかったのです。


Aくんは神学部の1回生でした。私たちの通う皇典講究大学には神学部があり、この学部を卒業すると神主になるために必要な資格を得ることができます。


ほとんどの神学部生は実家が神社で、親も神主をしています。Aくんの実家は地元の人間ならまず間違いなく知っているほど大きな神社でした。


Aくんは私の実家のある県の北部出身で、中部の私の故郷の難関高校へ通っていました。


高校の成績もよく、いくつかの難関大学にも合格していたAくんですが、親御さんはなんと家を継がせるため、Aくんを無理やり皇典大の神学部へ入れてしまったのでした。


しかしAくんは神主になる気は全くありません。Aくんは神主になることを回避するために、学費が必要ない防衛大学を受けなおすつもりだということでした。ゆくゆくは航空自衛隊のパイロットになることが夢だということです。


学費も寮費も親に頼りっぱなしの私からは、親からの支援を打ち切ってでも自分の進みたい道のために努力をするAくんが眩しく見えました。


それからも私たちは幾度か講義のあと食事をしました。しかし他学部ということもあり、後期になり時間割が合わなくなると、私がAくんと顔を合わせる機会はめっきり減っていきました。


***


久々にAくんに会ったのは2回生の春でした。Aくんは少しやつれた顔をしていました。


Aくんは防衛大学の受験勉強のために、1回生の後期はほとんど講義を入れず、下宿にこもって勉強していたそうです。


しかし、防衛大学に合格していたとすればAくんがここにいるはずがありません。


受験に失敗、後期は1単位も取れず、講義に出ていないことが父親にバレ仕送りを止められているという、三重苦を味わっているAくんでした。


2回生もあまり講義は取っておらず、どのみち留年することになるだろうから、もう大学には行かずアパートで自分を追い込むつもりだとAくんは言っていました。


「心配ないよ。今年はママも応援してくれるって言ってるから。もし仕送りを止められたとしてもママが送ってくれるから」


***


次にAくんと会ったのは、そう、会ってしまったのは、私が1年間大学を休学してから復学した3年生のときでした。


Aくんは髭を蓄え(というかただ剃っていないだけだと思いますが)なぜか脇には一橋大学と埼玉大学の赤本を抱えていました。防衛大学はあきらめたのでしょうか。しかし、一橋大学のほうが防衛大学より難易度が高いようにも思えます。


Aくんは自分の身の回り、社会、世界に対する不合理への非難を繰り返しました。


「講義に出席しないから留年してしまう」


「防衛大学には何年受けても受からない」


「成績が出るたび何か月も仕送りを止められる」


「滑り止め(仮面浪人に滑り止めという概念があるのかわかりませんが)に受けた埼玉大学にも合格できない」


「学部の連中が馬鹿ばかりで話が合わない」


「こんなところから早く逃げないと俺はダメになる」


次第にAくんの話しは現実味のない被害妄想に変わっていきました。


「付き合っていた彼女が3人とも自殺した」(←これはAくんのモデルとなった人が、本当に言っていました)


「父親が自分を合格させないよう防衛大に働きかけている」


「大学にいると誰かがつけてくる」


「下宿にカメラが仕掛けられていた」


「今も盗聴されている」


…1回生のとき、目をきらきらさせて夢を語っていたAくんの姿はそこにはありませんでした。


その後Aくんは大学を休学し、防衛大の4回目の受験に挑戦し敗れた後、皇典大の3年生として再入学したそうですが、相変わらず講義には出ず、なぜか毎日アルバイトにいそしんでいるらしいということを神学部の知り合いから聞きました。


***


なぜAくんはこのような困窮した事態に陥ってしまったのでしょうか。


いまから考えると、Aくんはただ皇典大の神学部という肩書が気に入らなかっただけなのではと思います。


どのような大学であれ卒業しさえすれば、自衛隊も含め大卒として就職をすることができます。それは皇典大の神学部といえども同じです。


卒業後は家を継ぐつもりだと親に言い、卒業後東京で食い扶ちを見つけ実家との縁を切る、という選択肢を取ることもAくんには十分可能だったのではないでしょうか。


大学生は親がいなくてはすぐに困窮してしまう弱い存在です。このことを正しく認識しなければ生活は一気に崩壊してしまうという厳しい現実を、A君をみて学びました。


※この小説は事実を基にしたフィクションです

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