第三話

 トントントン。

 翌日、朝の九時頃にウェンディがやってきた。着替えでも入れてきたのか、大きなカバンを持っている。どうやら家に帰るつもりはないようだ。

「それでなんですの、ダベンポート様。私じゃないとできないことって」

 玄関先でウェンディはダベンポートに訊ねた。

「ああ。こちらはマドモアゼル・サンドリヨン、隣国からいらっしゃった方だ。マドモアゼル・サンドリヨン、こちらはウェンディ・ファニング、僕と同じ魔法院の捜査官です」

 ダベンポートは背後で身体を小さくしているサンドリヨンをウェンディに紹介した。

「初めましてサンドリヨンさん」

 ウェンディが右手を差し出す。それに対してサンドリヨンは優雅に膝を折って会釈した。

「君の主な任務は彼女の身体調査だ。報告書にも詳しく書いたが、こう見えて彼女は百五十六歳なのだそうだよ。しかもどうやらそう簡単には死なないようだ。怪我をしてもすぐに治癒してしまう。その秘密をあばき、できれば普通の身体に戻したい。だが、治療がままならない場合には殺害せよ、だとさ。これについてはサンドリヨンさんも了承済みだ」

 背後で話を聞いていたサンドリヨンが黙ってうなずく。

 ダベンポートは魔法院の黒い封蝋が施された命令書をウェンディに差し出した。

「まあ、玄関先でこんな話をするのもなんだ。僕の書斎に行こう」


………………

…………


「魔法院にはこんな命令書まであったんですね。初めて見ました」

 ウェンディは命令書を一通り読むとダベンポートに言った。

「ああ。僕も存在は知っていたが、実物をみたのは初めてだよ」

「まあ、戦時中は暗殺が主な任務だったと聞いていますし……でも実物をみるとやっぱりひきますね」

「まあな。今時殺害命令だものな。僕も驚いたよ」

 サンドリヨンはいつもはリリィが座っている椅子に座って小さくなっていた。

「なんか、お手数をおかけして申し訳ありません」

「いえ、仕事ですから。じゃあ、ちょっとみせて頂けますか」

 ウェンディは立ち上がると、バッグから細身のナイフを取り出した。

「万が一お洋服が汚れると嫌なので、肩口まで脱いでいただけます?」

「はい」

 サンドリヨンが素直にワンピースのボタンを胸元まで開ける。

「では」

 ウェンディはサンドリヨンの背中に手を回すと、いきなり自分のポケットナイフをサンドリヨンの胸に突き立てた。王国風の幅広なタイプのナイフだ。

 さすがに驚いてダベンポートがウェンディに声をかける。

「おいおい、いきなり殺してどうするよ? 僕たちの第一任務は治療だぞ?」

「いえ、この程度で死ぬような方ならここには送られないと思いますわ」

 ウェンディは涼しい顔だ。

「それに傷がすぐに治癒するのであれば、胸にこんな小さなナイフが刺さる程度では死なないと思いましてよ」

「……はい、確かにそれはその通りです」

 少し苦しそうにしながらもサンドリヨンはウェンディに答えた。

「この程度のことなら病院で何度もお医者様にされました」

「そうだろうと思いましたわ」

 次いでウェンディが突き立てたナイフの手応えを確かめるようにナイフの柄を回す。

「血が出てこない。もう治癒が始まっているんだわ」

 ウェンディは一度サンドリヨンの胸元からナイフを引き抜いた。ボチュッという濡れた音。一瞬開いた傷口が見る間に跡形もなく姿を消す。

「本当に不思議な身体をお持ちなのね、サンドリヨンさん。では、もう少し過激に行きましょうか。万が一死んでしまったらごめんなさいね」

 ウェンディは表情を変えることなく今度はナイフを鳩尾の辺りに差し込んだ。よく研がれたナイフはまるでバターを切るかのようにサンドリヨンの肌に吸い込まれていく。

「ウグッ」

 サンドリヨンの顔が苦痛に歪む。

 ウェンディは真剣な表情で中の様子を想像しながらナイフの切先を上に向けた。

「……これが心膜、じゃあこの奥が心臓ね」

 さらにナイフを奥に進める。

「これで心臓に侵襲したわ。ついでにずたずたにしてみましょう」

 さすがのダベンポートもウェンディがいきなりここまでするとは思ってもみなかった。

(しまった。手紙に少し詳しく書きすぎた。ウェンディはきっと僕の書いた手紙を自分なりに解釈したんだ。しかし、ここまでやるとは)

 ウェンディはナイフを回すと、周囲の組織を完全に破壊した。

「これでよし、と」

 ウエンディはナイフを抜くと刃をハンカチで拭った。

 だが、拭ったハンカチに血のついた様子はない。

 ウェンディのえぐった傷は小さかったが深かった。

 その傷がどんどん再生されていく。傷は再び、数分もしないうちに跡形もなく消滅した。

「……し、心臓は何度刺されても苦しいんです」

 サンドリヨンはどっと椅子に座った。緩めた下着を再び身に付け、ワンピースのボタンをはめる。

「……ダベンポート様の手紙を読んでだいたい想像はしていたけど、やっぱり心臓も再生してしまうのね。だから百五十六年なんて長いこと生きていられるんだわ」

 ウェンディはこともなげに二人に言った。

「心臓は今それこそぐっちゃぐちゃに潰したんです。それがあっというまに再生したってことは、きっと他の臓器も同じです。何か不具合があっても勝手に再生してしまうんだわ」

「おそらくは……」

「これはもっと詳しく身体検査をしないと。ダベンポート様、サンドリヨンさんを寝かせるベッドはないでしょうか? 少し、全身を切り刻んでみようと思います。でも、この様子だと血でシーツが汚れる様子はなさそうですわね」


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨



 サンドリヨンの身支度が整うと、三人は二階の客間に上がった。

 だが、部屋に入ったのはサンドリヨンとウェンディだけ。ダベンポートの入室はウェンディに拒絶された。

「ダベンポート様はここまでです。覗いてもダメですよ。まあ、ダベンポート様は一階で新聞でも読んでお寛ぎになってて下さいな」

 ウェンディが部屋の入り口で艶然と笑う。彼女はそう言い残すと客間のドアを静かに、だが毅然とした態度で閉めた。

「ま、仕方がない」

 独り言を言いながら素直に階段を降りてリビングに戻る。

 外ではリリィが洗濯物を干していた。足元ではキキが蝶々を追い回して跳ね回っている。

 珍しく天候は今日も晴れ、窓から吹き込む初夏の風が心地よい。

(しかし不思議だ)

 ダベンポートはリビングのソファで考えていた。

(そもそも魔法戦争は隣国が魔法を嫌って起こったと聞いている。しかし、あの様子はどう考えても魔法だ。隣国に魔法の技術があったとは驚きだ。戦争の話もアテにならないのかも知れないなあ)

 王国にも治癒の魔法はあるが、あれほどの速度で怪我を直す技術はない。

(百五十六歳か。施術をうけたとすると百二十年くらい前の話になるな。百二十年前というとまだ錬金術の時代だ)

 錬金術の時代。魔法院が創設される前、まだ領域リームも魔法の基本概念も何もない時代だ。ある意味なんでもありの時代、人体実験も多く行われていたようだ。

 もし隣国が同じように当時は魔法の研究をしていたのだとしたら……

(もしかしたらサンドリヨンもそうした人体実験の犠牲者の一人なのかも知れないな。しかし、人は死ぬから生きていけるんだ。死なないとなれば、それはさぞかし退屈だろう)


………………

…………



 ダベンポートはひとしきりリビングのソファに一人で座っていたが、手持ち無沙汰で仕方がない。そこでダベンポートは書斎に移動した。デスクサイドの大きな本棚を指で辿り、片隅から錬金術時代のアーカイブをとりだす。

(しかし隣国の技術だ。記録が残っているかどうか……)

 アーカイブは革表紙の分厚い本だった。表紙には大きく魔法院のエンブレム──翼を広げた黒いドラゴンの紋章だ──が箔押しされている。

 デスクにアーカイブを丁寧に置き、お気に入りの椅子に腰掛ける。

 ダベンポートはさっそくアーカイブを開くと、インデックスを指で辿り始めた。

(しかし、どうしたものか……)

 インデックスを読みながら、同時に心が浮遊する。

(治癒速度が異常に速い。それはまあ結構。だが、それを治したところでどうなるというのだ……)

 ダベンポートはふと顔を上げると、もう一度現状を整理してみることにした。

(『治療せよ』と『殺害せよ』はまあ言ってしまえば魔法院の都合だわな。むしろ問題はサンドリヨンが生きることに飽いていることの方かも知れない。なんせ、自ら殺害を魔法院に請願するくらいだからなあ。おそらく退屈しているんだろう。それでは万が一治療したところであるいは意味がないのかも知れない。しかし、じゃあ僕は彼女を殺すのか?)

 窓から見える空を白い雲がゆっくりと流れていく。

 ダベンポートはそんな穏やかな日に不穏なことを考えている自分のことをふと滑稽に思った。

「……まったくなあ」

 思わず口からぼやきが漏れる。

 こんな穏やかな日だったら、きっと外で過ごせば気持ち良いだろう。リリィを連れて二人でピクニックは良い考えかも知れない。

 楽しそうにするリリィを想像して思わず笑顔が漏れる。

 ダベンポートは首を振ると、再びアーカイブの読み込みを始めた。

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