第二話

 ともかく玄関脇でこんなことをしているのはよろしくない。ダベンポートはサンドリヨンを奥のリビングに案内した。

「しかし、『生きるのに飽きた』というにはあまりにお若く見えますけどねえ」

 ダベンポートはサンドリヨンに言った。

 その言葉にサンドリヨンがクスリ、と笑う。

「ダベンポート様、あなたは私を何歳だとお思いですか?」

 唐突に訊ねる。

「さあて、僕はそういうことにはとんと疎くてね……三十歳くらいかな?」

 ダベンポートは考えながら答えた。

「私は今年で百五十六歳になります」

 サンドリヨンは笑みを大きくするとダベンポートに答えて言った。

「百五十六歳!」

 百五十六歳という彼女の答えにさしものダベンポートも椅子の上でのけぞった。

 百五十六歳にはとても見えない。肌は若々しいし、動作もしっかりしている。茶色い髪の毛には張りがあり、まるで老人には見えない。

「魔法戦争のことも覚えていますし、その前の軍拡競争のことも覚えています。年齢的にダベンポート様は私の孫かひ孫くらいにあたるかも知れませんね」

 サンドリヨンは再びクスリと笑った。

「では『殺害せよ』という命令も……」

「はい。私が要望しました。そうでもしないと魔法院でも解剖されてしまいそうでしたから……」

「しかし、これは困ったな」

 ダベンポートは思わず後ろ頭を片手で掻いた。

 女性は苦手だ。

「どちらにしても、解決には時間がかかりそうです。それに女性の身体を僕が身体検査をするのも感心しない」

「私は別に気にしません」

「あなたは気にしなくても僕が気にするんですよ。ともかく明日女性捜査官を呼びましょう。身体検査は明日からにして、今日は今までの経緯をお話しください」


………………

…………


 サンドリヨンは隣国出身の女性だった。女性兵士として徴用され、戦時中は最前線で戦っていたのだと言う。

「ですから、私はある意味、ダベンポート様の敵でもあるのです。いわゆる残存兵というものです」

「残存兵と申されましても、あの戦争はもうずいぶん昔に終わってしまいましたからねえ。政治的にも軍事的にもあの戦争は完全に解決していると考えていいはずですよ。現に今の両国の関係は極めて良好だと言って良い。人の流通も激しいし、いまさらそのようなことを気にすることはないと思いますけどね」

「でも、私はお国の人をたくさん殺してきました。私は第一七特務小隊という特殊部隊に所属していたのです。最前線に立って敵を倒す部隊です」

 リビングに置かれたいつものティーテーブルを挟んでダベンポートはサンドリヨンの話を聞いていた。

「いや、それも関係ないでしょう。何しろ戦時中のことです、何も気にすることはありますまい」

 目の前にいるサンドリヨンは普通の女性に見える。コップに注いだ水を静かに啜る姿は普通の市井の主婦かなにかのようだ。

(しかしどうしたものかな……)

 表情には現れなかったが、ダベンポートの頭脳はフル回転していた。

 治療せよということはこの傷つかない肉体を元に戻せということか。どうやら魔法がかかっているようだが、とにかくその正体を見極める必要があるな。

 まあ、仮にその『治療』がうまくいかなかったとしてだ。そもそもサンドリヨンは傷つかないんだろう? そんな人物をどうやって殺害しろというんだ? 毒殺か? それとも扼殺か?

 どちらも嫌だな。


 ダベンポートは殺害の方の選択肢を脳裏から押し出すとサンドリヨンを再び見つめた。

「さきほども仰っていましたが、私の身体を治して欲しいというのはどういう意味なのですか?」

 ダベンポートはサンドリヨンに訊ねてみた。

「怪我もしなければ病気にもならない。しかもどうやらお歳も召さないようだ。結構なお話ではないですか」

「ですが……」

 ふとサンドリヨンは言い淀んだ。

「それではただの怪物です。人は生まれ、育ち、そして死ぬ。だから人生は輝くんです。でも私の人生はくすんでしまいました。生きている理由も判らないし、今では生き甲斐も感じません」

 深いため息を吐く。

「この身体は軍に与えられたものです。魔法の力を使って身体の治癒速度を劇的に向上する。第一七小隊ではこの身体を与えられたことで大きな軍功を上げました」

「小隊ということは他にもお仲間がいらっしゃるということですよね。その方達は今はどうなさっているのです?」

 ダベンポートはサンドリヨンに訊ねた。

「皆、もう死にました」

 サンドリヨンは俯いて答えた。

「親友は頭に致命傷を負って戦場で亡くなりました。他のものも似たようなものです。痴呆して亡くなったものもいますし、病気で亡くなった友人もいます。特に癌。この身体に癌が発生すると致命的です。しかも発症率は決して低くないようです」

「でも、あなたはそうならない?」

「はい」

 サンドリヨンは頷いた。

「どういう訳だか解りませんが、私は死なないんです。先ほどお見せした程度のことなら仲間の誰もが出来たことです。もっとも、私は特に治癒速度が早いようですが」

「…………」

「やがて戦争が終わり、第一七小隊も解散しました。生き残った者たちは第一七小隊所属だったことをひた隠しにして散り散りに市井へと帰って行きました」

 サンドリヨンが訥々と語ったところによれば、しかし、あまり長く経たないうちに残りの仲間たちは全員が死に絶えたのだという。

「ところが私だけがまだ生きていることを知った時、どうやら軍は強い興味を持ったようでした。すぐに逮捕され、私は軍の研究所に送られたのです。要するに研究材料という訳です」

「そりゃ、そうなるでしょうなあ」

 ダベンポートは頷いた。

「不死はある意味人類の夢でもある。それを実現できるとなれば、その秘密をなんとしても解き明かしたいと思うのは当然でしょう」

「お医者様は文字通り私を切り刻み、サンプルを採取し、色々と研究をしていたようです。でも捗々しい成果は得られていないようでした。そこである日の夜」

「あなたは病院を脱走した」

「はい」

 いつの間にかに外が暗くなり始めていた。そろそろリリィが帰ってくる時間だ。

 ダベンポートは立ち上がるとリビングの瓦斯洋燈ガスランプを点け、窓のカーテンを閉じた。

「そして逃げてどうしたんです?」

 カーテンを閉じながらダベンポートは背中越しにサンドリヨンに訊ねた。

「教会に保護を求めたのです」

 サンドリヨンはダベンポートの背中に言った。

「教会の神父様は親切でした。神父様は私に孤児院の世話係の仕事を与えてくれると、私の身を隠し、軍から隠れる手助けをしてくれたのです」


 トントントン。


 その時、ドアノッカーが叩かれた。

『ただいま帰りました、旦那様』

 リリィだ。

 リリィの気配を聞きつけ、どこからともなく黒猫のキキが現れる。

「ニャーン」

 キキはドアから入ってきたリリィに抱きつかんばかりに突進すると、甘えた声を出して盛んに両頬をリリィの頬に擦り付け始めた。

「こら、キキ」

 リリィはなおも甘えるキキの小さな身体を肩から抱き降ろした。

「キキ、これはね、キキのごはんじゃないの。これは旦那様のぶん。あなたのご飯もすぐに準備するからちょっと待っててね」

 ふと、リリィは来客があることに気づいたようだった。驚くべきメイドの直感だ。

「旦那様、お客様がいらっしゃるなら先に言っておいて頂ければよかったのに」

 キキを床に離し、あたふたとリリィが応接間のサンドリヨンに挨拶する。右足を引いたコーテシー。

「リリィと申します。ダベンポート様のハウスメイドを勤めさせて頂いております」

「サンドリヨンです」

 サンドリヨンもソファから立ち上がると深々とリリィに挨拶した。

「名字はもう忘れてしまいました。ダベンポート様に助けを乞うために急にこうしてお訊ねした次第です。せっかくのお休みだったのにごめんなさいね」


¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨


 リリィがお土産にセントラルから買って帰ってきたのはキッシュだった。

 だが二人分。

 屋根裏の自室で手早く合理服からメイド服に着替え、急いで夕食の準備をする。

「うーん、二つのキッシュを三つにするって難しい……」

 それでもなんとかキッシュを綺麗に三人分に取り分け、リリィはレンジでミネストローネを準備した。ミネストローネは簡単だ。すぐに作れる。

 スープとキッシュ、それにサラダ。お客様には申し訳ないが、これで形にはなるだろう。

 リリィが食事を配膳すると、

「やあ、うまそうじゃないか」

 とダベンポートは相好をくずした。

 ダベンポートはいつものように真ん中の席、その左側にリリィ、リリィの反対側にはサンドリヨン。

「こんな、夕食まで頂いてしまってよろしいのですか?」

 サンドリヨンが細い身体を小さくする。

「リリィの食事は絶品ですよ。ぜひお召し上がりください。それに今日だけではありません。サンドリヨンさん、あなたには当分ここに滞在して頂く必要があります。その間はリリィが食事を用意します」

 パンをちぎりながらダベンポートはサンドリヨンに言った。

「リリィ、本当はお休みだったのにすまないね」

「いえ、とんでもない。これはハウスメイドの仕事です。おやすみは関係ありません」

 上品にスープを口に運びながらリリィがにっこりと笑う。

「ついでに申し訳ないんだが、二階の客間もサンドリヨンさんのためにセットアップして欲しい。そうだな、左側のベッドの方が良さそうだ」

 小さいながらもダベンポートの家には来客が宿泊できる客間があった。ベッドの数はふたつ。

「ああそうだリリィ、それから明日からはウェンディも来ると思う。賑やかになりそうだが大丈夫かい?」

「食事の方は大丈夫ですが……でも、ウェンディさんがいらっしゃるんですか?」

 驚いたようにリリィが顔を上げた。

「ああ。まだ連絡していないがね。命令書は僕が作る。今晩のうちに手筈を整えておくよ」


 ダベンポートは夜のうちに今までの調査報告書を作成し、それに短い手紙を添えると、魔法院の封蝋を施した上でウェンディの家のポストに入れておいた。ついでにウェンディをしばらく使うことに関する依頼状も魔法院の受付に預ける。


 翌日早朝に届いたテレグラムをみてダベンポートはにやっと笑った。

『要請受諾。期間については貴官の判断に一任する』

 短い返信だったが、これでウェンディを自由に使える。最近は大きな事件もないから要請は通るだろうという目論見はあった。

「なにか嬉しいことがあったのですか?」

 朝のお茶を注ぎながらリリィが機嫌良さそうなダベンポートに訊ねる。

「なに、そこのサンドリヨンさんの件さ。昨日、ウェンディが来るかも知れないって言っただろう? 目論見通り、要請は受諾されたよ。しかも期間は僕の思いのままだ」

「それでご機嫌なんですね」

 ダベンポートは自分の思った通りに事を進めたがる悪い癖があった。これでサンドリヨンの身体検査に集中できる。

「今のところ、ウェンディには家から通ってもらうつもりだ。だが、一応念のために客間のもう一つのベッドもセットしておいておくれ」

「わかりました。……ところで」

 リリィは下唇に指を当てながらダベンポートに訊ねた。

「夕食なのですが、ウェンディさんのぶんはどうしましょうか?」

「ま、食わせてやれば良かろう」

 ダベンポートはティーカップを傾けながらリリィに言った。

「何、食費は後で魔法院に請求すればいい。彼女は食うぞ。僕と同じくらいの量を用意した方が良いかも知れない」

「わかりました。考えてみます……大きなお鍋を出さなくちゃ」

 リリィがキキを引き連れて下のキッチンに戻ってからダベンポートは窓辺の椅子に座ってぼんやりと外を眺めているサンドリヨンに訊ねた。

「どうです? リリィの朝食は美味しいでしょう?」

「はい。こちらのお国の朝ごはんは量が多いんですね」

 サンドリヨンは頷いた。

 今日の朝食は薄いトーストに半熟の目玉焼き二つ、ベーコン数枚とソーセージ、ベークドビーンズ、それに付け合わせのサラダだった。ダベンポートはさらにヨーグルトを添えたミューズリーも食べている。

「なに、労働者の朝食ですよ。朝ちゃんと食べないと身体が動かない。……お国ではどんな朝ごはんをお召し上がりになっていたんです?」

「私たちの朝ごはんは軽いです。カフェ・オ・レにジャムをつけたパンをひたして食べながら、あとはビスケットくらいですね」

「ジャムをつけたパンをコーヒーに浸すんですか?」

 びっくりして、思わずダベンポートは仰け反った。

「はい。どこのおうちでもやっていることだと思います」

「やれやれ、国が違うとそこまで違うとは……」

 思わずため息が漏れる。

「その代わり、お昼ご飯をたくさん食べます。お昼にはワインもサーブされることが普通です」

「お酒を飲んで、その後仕事をするのですか?」

「ええ」

「まあ、これだけ違えば戦争にもなるわなあ」

 ダベンポートは妙に感心すると、再び朝食に取り組んだ。

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