第18話 前言撤回 前編

 お手製の肩叩き券を突きつけられてから数日が経った。

 今日も一日が終わり、自転車を漕いで家に帰る。



 ……あれ以来、大きなイベントやハプニングはない。

 けど、全然悲しくもない。


 毎日分担した家事をこなし、自由時間になれば一緒にテレビを見たり他愛ない会話をしたりして過ごす。


 毎日、楽しく暮らせている。



 そんな日々の中でも、学校からの帰り道は特に幸せだ。


 家に帰ると夏織ちゃんと温かいご飯が待っている。


 早く夏織ちゃんに会いたいし、その日の夕飯の献立も気になる。

 とにかく早く家に帰りたい気持ちになるからだ。



 ……夏織ちゃん、今日は何作ってくれてるかな?


 僕らの家に向かって、景気良く自転車を飛ばす。




 ◇◇◇



「ただいまー!」


 リビングのドアを勢いよく開ける。


 そこには、今日もキッチンにエプロンをした夏織ちゃんが——いない。


「……あれ?」


 まだ帰ってきてないのかな?


 窓から駐車場を見下ろすと、夏織ちゃんの車が見当たらない。


 何か連絡が来てないないかと携帯を見てみると、夏織ちゃんからメッセージが来ていた。

 帰りの自転車の間に来ていたらしい。



 ”——

 ごめん!


 急遽残業しなきゃいけなくなっちゃった!

 八時くらいには帰れると思う


 お腹すいただろうから、よかったら外で食べてきてね


 本当にごめんね

 ——”



 そっか、残業か……。

 夏織ちゃんに会えると思ったのに。


 正直残念で仕方がないが、夏織ちゃんも社会人だもんな。

 仕方がない。


 夏織ちゃんに会いたい気持ちに冷静に対処する。


 次の問題は、空腹だ。

 幸い一人で外食するには十分な手持ちがある。


 財布を広げて確認しながらどに行こうかと考えていると、ふと夏織ちゃんのことが頭をよぎる。


 ——夏織ちゃん、ご飯どうするんだろう?


 帰ってきてから作るのかな?

 でも、仕事で疲れて帰ってきてから料理するのも大変そうだ……。


 そこで、名案が閃く。



 ……俺が夕食作って待ってたら、夏織ちゃん喜んでくれるかな?



 疲れて家に帰ってくると、温かいご飯が出迎えてくれる感動。

 俺は身を以て知っている。


 よし、その案採用!

 早速作戦開始だ。


 財布を閉じ鞄にしまい、スマホを持ってキッチンに向かった。



 ……その前にシャワー浴びるか。汗かいてるし。


 夏織ちゃんが帰ってくるまで約一時間。

 俺は身を清めてから、作戦に取り掛かることにした。



 ◇◇◇



 よし、体も清潔にしたし、早速取り掛かろう。


 献立はすでに決まっている。シチューだ。


 先の母の日に妹が作ってるのを少し手伝った(ほぼ見てただけ)こともあって、なんとなくつくり方はわかる。

 分量とか細かいところはスマホで調べればいいだろう。


 ……いや、この際プライドは捨てよう。

 調理手順もスマホの先生に頼ることにした。




 よし、行くぞ。


 冷蔵庫から材料を取り出し、人参・ジャガイモの皮をむく。

 これは簡単。ピーラー素晴らしいものがあるからな。


 よし、次は……。

 これを一口大に切る、っと。


 一口大って言っても、小さい方が食べやすいよな、きっと。

 人参とジャガイモを賽の目切りにしていく。


 あ、鶏肉も切っといた方がいいか。


 包丁を持つのなんて中学の調理実習以来くらい久しぶりだから、ちょっと不安だったけど案外いけるじゃないか。


 鶏肉も一口サイズに切り終わった。

 順調だ。


 次は玉ねぎを薄切りに。


 先ほどの賽の目切りで自信をつけた俺は、料理番組で見るようなペースでトントントントンと玉ねぎを細切りにしていく。


 俺、料理の才能あるかもしれん。



 だが、その慢心がいけなかったのか——


「痛っ!!」


 情けない、親指を切ってしまった……。


「うわ、血出てきた……」


 玉ねぎ終盤のカーブを甘く見ていた。

 包丁が入るかと思ったのに、つるっときた……。


 親指を加えて舐める。

 やっぱり、普段料理しない奴が一人で料理なんて無理があったかな……?


 初めての包丁での怪我に、少し気が動転する。


 いや……。

 こんな序盤で諦めるわけにはいかない……!

 早く止血して再開しないと、夏織ちゃんが帰ってきちゃう。


 気をなんとか持ち直すと、患部を圧迫し止血を試みる。


 ……が、なかなか血が止まってくれない。


 結構ざっくりいっちゃったからな……。

 しょうがない。


 血は止まってないが、絆創膏を巻いてキッチンに戻る。


 よし、次だ!

 ジャガイモと人参を電子レンジで温めておくと、調理時間の短縮になりますっと。


 へぇそうなのか、じゃあこれでいいかな。


 俺はステンレスのボウルを手に取り、中に切った人参とジャガイモを入れる。


 時間は……特に書いてないな。

 とりあえず、二分くらいにしてみるか。


 ボウルを電子レンジに入れ、時間をセットしてスタートを押す。


『ピピッ♪』


 レンジが音を立てて、駆動音が鳴り出す。


 よーし、じゃあこの間に何をしようかな。


 あ、今のうちに次の工程を先にやっとけばいいのか!

 うーん、効率的!


 その次は、フライパンにバターを溶かして鶏肉を炒める、か。


 フライパンを出し、そこにバターを入れ火にかける。


 ……やっぱり、俺料理の才能あるわ。


 フライパンを揺すりながら悦に浸る。


 この調子ならきっと夏織ちゃんが帰ってくるまでに間に合うかな?

 夏織ちゃん喜んでくれるといいな。


 夏織ちゃんの喜ぶ姿を想像して、一人でにやける。


 あー早く夏織ちゃん帰ってこないかなー。



 ——バチッ


 妄想で夏織ちゃんに意識を持って行かれた俺は、ある異変によりキッチンに引き戻される。


『バチバチバチバチ』


 電子レンジから異音がする?!


「えっなんだ?!」


 電子レンジの中で火花が飛び散っている!


 ——これヤバイ!!


 この状態が正常でないことは俺にだってわかる!


 すぐに電源を切りレンジを開けると、美味しそうとは真逆の匂いと水蒸気が広がった。


 ——早く取り出さないと!


 もうパニックだ。

 少し考えれば素手で触ることが危険だってわかりそうなのに。


「あっっっつ!!!」


 素手でボウルを掴んでしまった。がっつり。


 脊髄反射で手が離れるが、その手の制御なんかできない。

 思いっきりボウルにガシャンと引っ掛けてしまう。


 床にぶちまけられるジャガイモと人参。


 くそ、また失敗……。


 まだ使えるかわからないけど、人参とジャガイモに申し訳なくて違うお皿に拾い上げていく。


「これ、まだ食べられるかな……」


 しゃがみこみ軽い放心状態で落とした野菜を見ていると、



 ——ジュジュジュ



 焦げた匂いが鼻をつく。


 野菜を乗せた皿もそのままに、立ち上がって振り返るとフライパンが真っ黒になっていた。


 ——しまった、バター! 火にかけたまんま!


 急いで火を消すも、キッチン中に異臭が広まる!


 くそ、換気しないと!

 あ! そもそも換気扇つけてなかった!


 つけ忘れてた換気扇をつけ、部屋の窓を開けようとすると——


『ガシャン!!』


 先ほど拾い上げた野菜を、蹴ってしまった。


 再び床にぶちまけられるジャガイモと人参。本当にごめんよ。




 ……前言撤回。俺に料理の才能は皆無です。




 一連の大失敗を経て、放心状態になっていると——


「ただいまー」


 玄関から、夏織ちゃんの声が聞こえた。

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