第17話 いいものがあるんだけど 後編

「お願いします……って? 何を?」


 夏織ちゃんから突如差し出された”かたたたきけん”を見て固まっている俺は、夏織ちゃんにその意図を尋ねる。


 すると夏織ちゃんは「決まってるじゃん!」と言ってこちらに背中を見せる。


「肩叩き、お願いします」

「マジですか……」


 夏織ちゃんは俺がマッサージしやすいようにか、後ろに垂していた髪を片手で前にふわりと流す。


 漂ういい香りと、露わになる綺麗なうなじ。


 夏織ちゃんへの緊張は無くなっても、女性の色香への耐性は皆無の俺。

 当然、たじろぐ。


「十年前のやつだし、今になって急に言われても……」

「えー。いいじゃん、有効期限とか書いてないんだし」

「ぐう」


 全く理論的でない俺の抵抗に力はなく、むしろ夏織ちゃんに論破されてしまう。


「……わかったよ。じゃあ、勤めさせていただきます」

「お願いしまーす」


 向こうを向いてるから顔は見えないけど、声から夏織ちゃんが嬉しそうなのがわかる。


「じゃあいくよ」


 ゆっくりと夏織ちゃんに手を伸ばし、両肩を両手で優しめに揉む。


「おお〜。気持ちい〜〜。上手いよ孝太くん」

「そう?」

「うん、力強くてよい! さすが男の子だねー」


 優しくやってるんだけどな。


 初めて触れた夏織ちゃんの素肌は、すべすべで気持ちいい。


「妹がいるときは妹にやってもらってたんだけどさ、力が弱くって。あんまり気持ちよくなかったん……っつ!」

「ごめん! 痛かった?!」

「ううん大丈夫!! 痛気持ちいってやつだから!」

「え、でも」

「お願いやめないで……んっ! あ〜そこそこ〜〜」


 夏織ちゃん、もう少し言葉を選んでくれ。

 その言葉は健全な男子に効く。


 耳まで赤くなってるんじゃないか?俺。

 よかった、夏織ちゃん向こう向いててくれて。

 でもマッサージを終えるまでに意識を逸らさないと……。

 

 変に昂ぶってしまった気持ちを落ち着かせるために、別の話題を求めて質問をする。


「夏織ちゃん、肩こってるね。いつもこんなに?」

「うん、一日パソコン見てるから。目も肩も腰も疲れるんだよね」


 お。

 苦し紛れの質問だったけど、良問だったのでは?

 夏織ちゃんのこと、いろいろ知りたかったんだ。


「そういえばさ。夏織ちゃん、お仕事は何してるの?」

「あ、言ってなかったっけ。エンジニアだよ。ソフト屋さん」

「ソフトやさん……って?」

「あ、ごめんごめん。プログラマのこと。”ソフトウェア開発者”のことをソフト屋さんっていうの。

「へぇー。そうなんだ」

「……ソフトクリーム売ってるお姉さんかと思った??」

「お、思ってないよ!」

「本当に〜?」


 思ったよ!

 初めて聞いたよ、そんな用語。


「じゃあ夏織ちゃん、プログラミングしてるんだ」

「そうだよ〜。大学院出てから就職だったから、今四年目……かな? 周りも上司もいい人だし楽しくやれてるの」

「そうなんだね」


 ちょっと大人の夏織ちゃんが知れて不思議な気持ちになった。

 当然かも知れないけど、家にいる間は元気で優しいお姉ちゃんって感じしかしないから。


 俺の知らないところで、ちゃんと社会人なんだな。




 そんなことを思っている間に、一通り肩のマッサージが終わる。


 夏織ちゃんのことを聞いてるうちに、いつの間にか素肌に触れることによる高揚感は収まっていた。


「よし、これで終了です。お客様」


 ある種の達成感を抱きソファーから立ち上がろうとすると、「えー!」と言って夏織ちゃんがこちらを向く。


 なんだろう? まだやり足りないところでもあったかな……。


「マッサージされながら孝太くんの話も聞きたい!」


 まさかの追加要望だった。


「え……。でも肩終わっちゃったし」

「じゃあ次は、腰やって! 腰も疲れてるから」

「えっ腰?!」


 腰ってあれだよな? ドラマとかでセクハラ上司が手を回すところ。

 そんなところ触っていいんですか?


 肩はともかく腰を触るなんてそんな破廉恥なこと……。


 いや。

 正直触りたいです。

 

 触りたいけど、未知な体験ものを前に尻込みしてしまう。


「いやでも、さっきの券は”肩叩き”の券で、”腰”は入ってないから」


 なんとか振り絞った言い分は、珍しく正論だった。


 せっかくのチャンスを棒に振るのは惜しいが、これ以上の接触は心身ともにしんどい。

 夏織ちゃんには悪いけど、またの機会にさせてもらおう。



「そっか、そうだよね……」


 すると夏織ちゃんの笑顔が少し曇ってしまった。


 しまった、夏織ちゃんの気持ちは全然考えられてなかった。そんな余裕がなかった。


「調子に乗ってごめんね。肩、すっごい楽になったよ。 ありがと!」


 夏織ちゃんはそう言って立ち上がり、ソファーを離れていく。



 くそう。

 そんな顔しないでくれ。


 その表情を見ると、俺は……。


「わかった。今日は特別だよ」


 なにが特別なのかわからないが、夏織ちゃんの表情はパッと明るくなり「ほんと?!」と言いながら俺の隣に戻ってくる。


「うん、腰の方もさせていただきます」

「やった!」


 夏織ちゃんは嬉しそうに「お願いしまーす」と言いソファーにうつ伏せになる。


 すると、眼前には綺麗なヒップラインが広がった。


 これは……。


 腰よりも危ない部位に一瞬目を取られるが、うなじを目の前にした先ほどまでではない。


 いつの間にか立場が逆転しているからだ。


 普通、男が触りたいであろう女子の腰だが、今は女子かおりちゃんに触って欲しがっている。

 ……”マッサージ”という前提を俺が都合よく無視しているから、の話だが。


 とにかく、今の俺ならいける。


 夏織ちゃんの腰に手を当てて、揉み始める。


「ああ〜。気持ちいよ〜」

「あまり動くとちゃんとマッサージできませんよ」

「はーい……っ!」


 夏織ちゃんはクッションに顔を埋めながら悶えている。

 度々ビクッと体が動くが、痛いとは言われないので力加減はこれくらいでいいのかな。


 よし、じゃあ早速本題に入ろう。


「それで? 俺に聞きたいことって何?」

「あ、そうそう。孝太くん入ってる部活ってバスケ部?」

「そうだよ。あれ、俺言ったっけ?」

「ううん。でも引越しの時の荷物見て、そうかなーって。私も学生の時バスケしてたから」

「そうなんだ! ちょっと意外だな」

「えー意外かなー? あ、じゃあ勝負する? 私も結構やるってところ見せたげる」

「望むところだよ。現役なんだから絶対負けないと思うけどね」

「なにー! やってみなきゃわからんぞー」


 喋るためにクッションから顔を横に逃した夏織ちゃんと、その夏織ちゃんをマッサージする俺。

 いつもより幸せです。


「あ、もう一つ! 孝太くん、彼女は? いないの?」

「えっ! い、いないよ」

「そうなんだー。私も恋人いないんだ、仲間だねー」


 ……夏織ちゃんは彼氏いないでしょうよ。

 だっていたらにはならないはずだし。

 いたら驚きだ。


 


 ……当然、さっきも言った理由から夏織ちゃんに彼氏はいないはずってわかってた。

 けど、改めて本人の口から聞くと一瞬”自分にもチャンスがある”なんて煩悩がよぎる。


 こんな魅力的な人と付き合うことができたら——


 正直なところ、これが俺の本心だ。

 だけど、俺は数日前の決意を引っ張り出し、必死に煩悩を抑え込む。


 俺は夏織ちゃんの”弟”でいいんだ——




 その後は特に聞きたいこともなくなったらしく、一通り腰のマッサージをして終了した。




 ……今日の話、マッサージしながらじゃなくてもよかったような。



 大人の階段をちょっと何段か登った夜になった。

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