第9話 社会人でも朝は弱い 後編
夏織ちゃんと暮らし始めて初めての朝。
いつも通り六時を少し過ぎたあたりで自然と目がさめる。
いやー。予想外の快眠だ。
昨日は寝付けないかもって思ったけど、そういえばすぐ寝たな。
寝坊読みで五分おきに設定しておいたアラームを解除しながらベッドから出る。
朝食の時間は、確か六時半だったよな。
それまでにできる準備をしよう。三十分あれば十分だ。
まず寝間着から制服に着替える。
次に部活の準備を詰めて、学校の用意も確認する。
……うん、部屋でできることはこれくらいかな。
後は、顔を洗って髪を整えて、できたら水筒にお茶も詰めて。
そしてお待ちかねの朝食だ。
意気揚々と自分の部屋から出る。
すると、異変に気がつく。
静かだ。
今の時間が六時十五分。
朝食まで十五分だし、てっきり夏織ちゃんは先にキッチンにいると思ったのに。
リビングのドアをそーっと開けると、やはりそこには誰もいない。
……想像と違う。
自分の部屋から出たら、トントングツグツと暖かい音が聞こえて、乾いた体に染み込むいい匂いがしてると思ってた。
まあ、まだ十五分あるし……。
非現実的な理由を立てて、引き続き準備に取り掛かる。
洗面所で顔を洗い、髪を軽くセットする。
セットって言ってもワックスだのスプレーだのでガチガチにはしない。鏡を見ながら寝癖をチェックして、櫛で軽く髪を流す。
学校でもイケイケの部類じゃないからな。俺は。
……よし、完成。
準備は順調だ。
身だしなみを整え終えたので、次の準備のために洗面所から出ようとした、その時——鏡に映る青色のパステルカラーの何かを目の端で捉える。
……ん? 昨日あんなものあったか?
未確認物体を確認するため、何の気なしに振り向いた。
そこには、洗濯カゴに入った魅惑の布があった。
上下セットで。
さっきも言ったが、俺はイケイケの部類ではない。
女性もののし、し、下着なんて見たこともない……。
それも、し、し使用
ドン!と心拍数が跳ね上がる。
まずい、寝起きの体には刺激が強すぎる!
想像しちゃダメだ! ここから離れないと!
しかし、蛇に睨まれたカエルの如く、下着に睨まれた俺は動くことができない。
……決して、俺が下着をガン見してるわけじゃない、下着が俺を睨んでくるんだ。うん。
しばらく初めて見る魅惑の布に見とれて——いや、戦っていると、廊下の方からアラーム音が鳴り響く!
俺はその音への反射を利用する。
咄嗟に身をよじり、なんとか洗面所から脱出する。
……ふう。手強い相手だった。
そしてここでわかったことがある。
……いや、俺が”ムッツリ”とか、そういうことじゃないぞ。
夏織ちゃん、まだ寝てるってことだ。
確かに朝食は六時半からって言ってたのに。
色々あった間に、もう六時半は過ぎてるぞ。
……そういえば昨日、俺が起きる時間を答えた時の夏織ちゃんの様子は少しヘンだった。
まさか、いつももっと遅くに起きてるんじゃ。
夏織ちゃんの部屋の前に移動する。
コンコンとドアをノックしてみるも返事はない。
うーん、起こした方がいいのか?
そのまま寝かしてあげた方がいい気もするけど、起こさなかったら『なんで起こしてくれなかったの?!』って詰め寄られそうな気もする……。
よし、起こしに行こう。
もちろん女子の部屋なんて入ったこともない。
普段なら足がすくむかもしれない場面だ。
だが、先の激闘を経て、軽い興奮状態の俺は夏織ちゃんの部屋のドアをすんなり開けることができた。
静かにドアを開けて、薄暗い部屋の中を覗く。
綺麗に整頓されたデスクと本棚。壁には会社用であろう鞄や服が掛けてある。
これが大人の女性の部屋か。
妹の部屋しか見たことがなかったから、てっきり人形だのが置いてあってカーテンもお花柄の可愛い雰囲気なのかと思ってたけど、観葉植物を置いたスッキリしたナチュラルテイストの部屋だ。
「う〜ぅ」
うめき声が聞こえる。
声のする方を見ると、カーテンの隙間からの朝日に照らされて苦しそうに蠢く夏織さんがいた。
どうやら、さっきのアラームは止めたものの力尽きたらしい。
右手にはスマホが握られている。
あまりジロジロ部屋を見回すのも失礼だし、早く起こそう。
暗い足元に注意して、物音を立てないようにベッドの横にたどり着く。
「夏織ちゃん、朝だよ」
「んぅむ?」
寝ぼけた様子も可愛いなあ、なんて思っていると、俺の声に反応してこっちに寝返りをうつ。
その寝顔は”可愛い”というより”美し”かった。
いつもと違う夏織ちゃんの表情。
こればかりは認めよう。
俺は夏織ちゃんにしばらく見とれていた。
やっぱり、可愛さと美しさを兼ね備えてるこの人は最高に素敵だ。
そんな人と一緒に暮らせる喜びを再認識しながら、一つの不安が頭をよぎる。
……夏織ちゃん、彼氏とかいないんだろうか?
もしいたなら俺という存在は邪魔になるんじゃ。
『ピピッ! ピピッ!』
不意に夏織ちゃんのスマホからアラームが鳴る。
俺は逃げ出すように、退室した。
別に逃げる必要はなかった、夏織ちゃんを起こしに来たんだから。
けど、ヘンなことを考えたせいで夏織ちゃんに合わせる顔がなかった。
リビングに戻り時計を見ると、時針が七時を回ろうとしている。
「やば! もうこんな時間!」
俺はダイニングテーブルに書き置きを残して、学校へ向かった。
”——
夏織ちゃん
おはよう。先に学校に行きます。
夏織ちゃん、いつも六時に起きてないんでしょ。
無理しないでいいのに。
ロールパンとお茶だけもらいました。
じゃあ、いってきます。
夏織ちゃんも気をつけて行ってらっしゃい。
孝太
——”
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