第4話 じゃあ、戻ろっか 前編
今度は”引越し”だって?
また突拍子もないワードが出てきたな。
「引越しって、今からトラックでも呼ぶの? まさか、業者の手配も先に済ませてあるってんじゃ……」
「いや、お前一人の荷物を運ぶのに業者に頼むことはない。大型の家電や家具を運ぶわけじゃないからな」
「それじゃあ、どうやって?」
「車で運ぶ。うちのと、夏織さんので十分だった」
父さんは相変わらず真顔だ。
あ、夏織さんはピースを作ってる。かわいい。
……ん? ちょっと待て。
「十分だった?」
「ああ、お前の荷物はすでに車に詰め込んである」
「え?!」
リビングを出て自分の部屋のドアを開ける。
そこは、空っぽの本棚と大きく口を開いた押入れ、そしてベッドだけはそのままの見慣れない部屋となっていた。
今朝まではここで生活していたのに……。
「まじかよ……」
「ベッドは余っているそうだから、それをお借りすることにした。お前のベッドは祖父に預けておくことになっている」
部屋に入ることなく立ち尽くす俺に、父さんが後ろから追加説明を浴びせる。
どこまで準備がいいんだ。
ベッドの行き先まで決定済みとは、恐れ入る。
「ほら、いつまで夏織さんを待たせるんだ。早く行きなさい」
「え? 俺は父さんの車じゃないの?」
「私のは助手席にも荷物が置いてある。お前は夏織さんに乗せてもらいなさい」
「夏織さんの車って?」
「ここの入り口横に止まっているコンパクトカーがあったろ。紺色の」
ああ、あれは夏織さんのだったのか。
帰ってきたときに停まっていた車を思い出す。
「コーちゃーん。早く行くよー」
玄関の方から夏織さんの声が聞こえる。
「先行ってるから、準備できたらきてねー」
「あ。はーい!」
俺が大きな声で返事をすると、「早くねー」という声が聞こえたあと、玄関のドアから出て行く音がした。
父さんの言う通り待たせても申し訳ない。
わざわざ俺の引越しのために車まで出してもらってるんだ。
俺は冷えた汗を拭くためにスポーツタオルを持つとすぐにアパートの入り口へ向かった。
駐輪場横の入り口。そこにエンジンがかかった紺の車が止まっている。
汗だくで帰ってきたときはコレに俺の荷物が積み込まれてるとは夢にも思ってなかったな。
俺は背中を伝う汗を持ってきたタオルで拭い、大きく一息ついた。
よし、行くぞ。
『コンコン』
車の助手席の窓をノックすると、運転席に座る夏織さんがチョイチョイと手招きを返してくれた。
「失礼します」
俺は恐る恐る助手席に座る。
「はーい、じゃあ行くよ。忘れ物ないね?」
「は、はい。大丈夫です」
「じゃあ行きまーす。あ、シートベルト締めてね」
「あ! すみません」
いかんぞ俺。緊張しすぎててシートベルトも忘れている。
そりゃそうだ、俺が助手席に座るなんてことは、両親か友達の親の車でしかなかった。
若い女の人の運転する車に乗るのなんて初めてだ。
……俺、汗臭くないかな。
「私の借りてるとこ、そんな遠くないからね。五分くらいでつくよ」
ここでさりげなく窓を開けられでもしようものなら、俺への精神ダメージは計り知れなかっただろうが、どうやらそれはなさそうだ。
ふう、よかった。
五分か。
近いな。
「……あの」
「? なに?」
「本当に、俺なんかが一緒に住んでいいんですか?」
「え? なんで? ダメなの?」
赤信号で停止すると、夏織さんがキョトンとした顔でまっすぐこっちを見てくる。
「いや、そう言うわけではなくて……。
急な話だったし、本当は嫌だけど断りきれなくて渋々引き受けてもらったんじゃないかーって」
「あー」
夏織さんは片手を口元に添わせながら考えている。
「私は本当に来て欲しいと思ってるんだよ? 一人で暮らすのって寂しくて私にはちょっと合わないし、家事とか分担できたら楽だろうし、それに——」
夏織さんがこっちを見て、これまでと違う優しい表情をする。
「私、コーちゃんのこと好きだし」
「っっえぇ?」
え? 今なんて言った? 俺のことが、好き?
嘘だろ? 滅茶苦茶声裏返ったぞ。
「昔うちの駄菓子屋に来てくれたときに、いっぱい一緒に遊んだじゃない? コーちゃんはちゃんと挨拶できるし、周りの子に気遣いできるしで本当にいいこだなーと思ってたんだから!」
なるほど、likeの好きだったか。
いや、そうだろうとは思ったさ。くそう。
信号が青に変わり、夏織さんは再びアクセルを踏む。
「だからさ、私から一つお願いがあるんだけど」
「お願い、ですか?」
「うん。あのね。
私としては、そうやって不安がられるより、これからの生活にワクワクして欲しいの! それで、これからは二人で明るく楽しくやっていきたいな!」
……ああ。
ありがとうございます。
ここにいるのはどうやら天使だったようです。
「わかりました! もう変なこと聞くのはやめます!」
「ウンウン、素直でよろしい!」
そう言うと天使——いや、夏織さんは俺の頭をワシャっと撫でる。
夏織さん、本当に楽しみにしてくれてるんだな。
俺は、その気持ちに応えなきゃならない。
俺はもう悩まない!
これから夏織さんとの生活をエンジョイしきってみせる!!
一種の悟りに行き着いたところで、車はスピードを緩めだす。
「あ、ここよ。到着!」
夏織さんの運転する車は、俺の新しい住まいとなるアパートに到着した。
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