第3話 俺を試したのか? 後編

 そこに立っている女性は間違いない、神野夏織じんのかおりさんだ。


 昔よく通った駄菓子屋さんの孫娘。


 髪は下ろしてるし、エプロンもつけてないけど間違いない。



 俺の、初恋の人だ。



「孝太、覚えてるか? 昔よく行った——」


「”駄菓子屋かみの”の夏織さんだろ? 覚えてるよ」


 相変わらず綺麗だ。十年前から変わらない……いや、より綺麗になっている。昔は化粧もしてなかったし、今は何だか大人の女性って感じだ。


「覚えててくれたんんだ! 嬉しい」


 夏織さんは屈託のない笑みを浮かべ、こちらに手を振っている。


 そう、このギャップだ……。黙っていると”綺麗”って感じなのに、口を開くと愛嬌たっぷりの表情と所作……。ああたまらん。


 お、あ、あれ、俺今どんな表情してた? 大丈夫だよな? 十年ぶりに会った相手がニヤけてたら完全に不審者、もう終わるぞ。


「久しぶりね、コーちゃん」


「ど、どうもお久しぶりです」


 よかった、不審がられてないぞ。会話が続いてる。

 ナイスだ、俺の顔。ギリセーフだったかな。


 ……いや、何で夏織さんがここにいるんだ? そもそも何の話だっけ?

 

 やばい、久しぶりに夏織さんに会えた喜びと興奮で話がとんでる。


「二人とも覚えてくれてるようでよかった。何しろ、これから一緒に暮らしてもらうんだからな」


「え? 父さん、今なんて……」


「そりゃあ、昔とはいえうちの常連さんだったもん。忘れませんよ。ねーコーちゃん?」


 はい、可愛い。


 ……いや、そうじゃない! 今なんて言ったんだ父さん!


「孝太、お前のいう通り、お前一人のためにここは少々広すぎる。だから、引っ越し先を見つけなければならなかったんだが、時間がないので部屋探しからやっては間に合わないと思ってな。父さんの知り合いに声を掛けた」


 うんうん、ここまでは理解できる。

 俺だって、こんな広い所は手に余ると思っている。


「そして、OKをもらえたのが神野さんだったわけだ。夏織さんのご両親とは昔から親しくさせてもらっていたからな。今回相談した所、夏織さんが借りているアパートの一室が余っているそうで、快く了承していただいた」


 はい、アウト。

 なんで一室余ってるからって、女性が一人で暮らしているアパートに決まるんだ?

 うちの父さんもおかしいが、神野さんもおかしくないか?

 年頃の娘の元に、思春期の男が転がり込んでくるわけだよな?


 するか? 快諾。普通。


「ちょっと待ってよ、父さん。父さんと神野さんがOKしても、夏織さんがいいって言わないとダメだろ」


「ああ。もちろん本人にも確認したぞ。だから夏織さんはここにいるわけだ」


 正論のつもりで父さんにぶつけたのに、予想外の答えによって真顔でカウンターされる。


 そういえば、わざわざ断るためだけに夏織さんがここにいるはずもないし、

 夏織さんはずっとニコニコしてる。


「今まで、妹と二人で暮らしてたんだけど、彼氏さんと同棲するからーって出て行っちゃったのよ。だから、今一人で寂しくって……。そんな時にコーちゃんが来てくれるっていうから嬉しくって! ほら、私たち昔は仲良しだったじゃない?」


 夏織さんの説明を聞いても納得できることはなかった。


 ……なんだ? まともなのは僕だけか?

 父さんも神野さんも夏織さんも、俺を何だと思ってるのか。

 歳こそ十離れてるが、俺だって高校生、立派な男だぞ。



 ……いや待てよ。


 フッと思考が切り替わる。


 みんながOKって言ってるならいいじゃないか。

 抵抗してるのは俺だけだけど、理性が争ってるだけで他に俺が抵抗する理由はない。


 むしろ、感情的には大歓迎だ。

 こんなに綺麗で可愛さも兼ね備えた人と一つ屋根の下で暮らせるなんて。

 しかも、その人は俺の初恋の人だ。


 ……すまない、俺の理性。一人でよく戦ったな。

 あとは俺に任せてくれ。

 きっと幸せになるから。



「お世話になります」


 葛藤が終わった体からは、これまでの人生で一番綺麗なお辞儀が出た。


「うん、よろしくね!」


 夏織さんは嫌な顔一つ見せずにそう言ってくれた。


 本当にいいのか、いいんだな?

 俺だってやるときはやる——かもしれないぞ。


「それじゃあ早速行きましょうか」

「うむ」


 興奮する俺を機にすることなく夏織さんと父さんがリビングを出ていく。

 いや「うむ」じゃないぞ父さん。説明説明。


「何してる? 孝太も来なさい」


「えっと、どこに?」


「決まってるだろ。引っ越しだ」

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