第2話 俺を試したのか? 中編

 学校から急ぐこと約十五分、いつもの半分くらいの時間で家に着いた。


 緊急事態って……いったい何が起きたんだ?


 家のすぐ横に見慣れぬ車が止まっている。

 が、そんなことはどうでもいい。

 

 ハアハアと息を切らしながら、家の扉と居間のドアを立て続けに勢いよく開けていく。


「ただいま!!」


「あ、孝太。お帰りなさい」


 汗だくの俺を迎えたのは、いつも通りの母さんの言葉だった。


 ……どうやら、空き巣やら事故やらは俺の杞憂に終わったようだ。それは、よかった。



 だが、まだ”異常事態”は続いていることが容易にわかる。

 なぜなら、居間のL字型ソファーに父さんが座っているからだ。


 父さんが平日のこの時間に家にいたことがこれまであっただろうか。いやない。


 父さんは仕事人間で、平日の帰りが遅いのはもちろん、土日祝日も出勤していることが多い。そんな父が俺を待つようにこの時間に家にいるなんて……。


「確かに、ただ事じゃなさそうだ」


 父さんは読んでいた夕刊をパサっと閉じてダイニングの椅子に座る。


「孝太、こっちに座りなさい」


 こんな真面目な雰囲気、高校受験の志望校を伝える時以来か。父さんは別に怖い人ではないが、この空気は好きではない。


 だけどまあ断る理由もないので言われるがままに、父さんの向かいに座る。俺にも聞きたいことがあるし。


「母さんから、緊急事態って聞いたけど。話があるの?」


「うむ。実はな……。今日、異動の内示が出た。海外に転勤だ」


 全身に衝撃が走る。これは確かに緊急事態、だな。


「そう、なんだ。……えっと、いつから?」


「半月後だ。期間は三年」


「急だね。母さんは?」


「母さんにも来てもらう。それと、優希ゆうきからさっき電話があった。私達と一緒に海外に来るそうだ」


 優希というのは俺の妹。三つ下の中学二年生だ。

 そうか、電話。ああ、その手があったか。必死に自転車なんかこがずに俺も電話すればよかったのか。やるな優希。


 ……いや、そうじゃない。まだ問題は何も片付いてない。


「それで、孝太。お前はどうする?」


「どうする、って」


「一緒に海外へ来るかどうか、だ。海外へ来るなら転校しなくてはいけない。今の高校に入るために孝太は頑張って勉強してきた。それは父さんたちも知っている。だから、お前に決めてほしい——

 一緒に海外へ行くか、一人で日本ここに残り今の高校に通い続けるか」


 あまりに急な話だ。言葉を失う。


「もちろん、お前が残ると決めたなら、最大限のバックアップはする。生活費も送るし、学校や部活で使うものも買う。大学受験が近づく頃には母さんに日本に戻ってもらうし、塾のお金も出す。あとは、お前がどうしたいか、だ」


 早い話、金には困らせないぞ、ってことか。それはありがたいことだが……。


「私もお父さんも、孝太なら一人でもやっていけると信じてるのよ。だから孝太に選んでほしいし、孝太が決めたことなら全力で応援するわ!」


 母さんが明るい口調で話に入ってきた。きっと俺の顔が固まっていたんだろう。


 ……あー。

 つい一時間前まで、こんなこと想像もしなかった。いつもどおり部活に行って、いつもどおり家に帰り、またいつも通りの明日を迎えると思ってた。


 父さんのいう通り、今の学校に入るために中学時代は猛勉強の日々だった。それで志望した高校に入れて、今二年目。やっと学校生活に馴染んで、友達も増えて部活も楽しくなってきたところだ。 


 加えて、お金の援助があるなら、一人暮らしにチャレンジしたいという好奇心も湧いてくる。


 それに実は英語はあまり得意じゃない。


 ——俺の答えは決まった。



 父さん母さんを見ると、黙って俺を見守ってくれていた。


 考えがまとまるまで、静かに待っててくれた。



「父さん。俺、日本に残るよ」


 そう切り出した後、先ほど考えていた理由を父に伝えた。英語の件以外。


 父さん母さんは黙って聞いてくれた。


「そうか、わかった」


 母さんが黙って頷く横で、父さんはそう言う。


「それじゃあ、住む場所とか決めないとね。さすがに俺しか使わないのにここをずっとは借りないよね? こういう時って不動産屋に行くのかな……」


 今後の話をしようと俺から切り出すが、両親からの返答がなくなった。



 少し待つものの、まだ黙りこくっている。


 ……俺、何か変なこと言ってるか?

 俺なりに問題を解決しようとしているのだが。


 すると、おもむろに父さんが席を立つ。


「孝太。父さんたちはお前が日本に残ると決めることはわかっていた。これでもお前の親だからな」


「……え?」


「実はお前が日本で暮らせるように、先に色々と手を回してあるんだそれでお前に——」


「じゃあ、さっきの質問は? 俺を試したのか?」


「……まあそう言われても仕方がないな。

 それでも、自分の道は自分で決めてもらいたくて、さっきはあんなことを聞いた。お前ももう高校二年生だしな。

 騙すような真似をしてすまないと思っているが、今回は私が出国するまで時間がなかったんだ。許してくれ」


 そうか。

 何もかも見透かされているようで、なんか悔しい。

 けど、今回は親父も急なことで大変なんだ、と自分に言い聞かせる。


「それで、お前に合わせたい人がいる」


「……? だれ?」


 父さんがリビングを一旦出る。


 この流れで、合わせたい人? 誰だ?

 お爺ちゃんとこにお世話になるとかか? いやでも祖父の家はここから車で三時間。とても学校に通える範囲じゃない。


 心当たりが浮かばないまま、父さんがリビングに戻ってくる。


「………………あ」


 父さんに次いで入ってきた人が目に入る瞬間。十年前の記憶が呼び戻される。


 そこにいたのは、俺の初恋の人。


「夏織……ちゃん……?」

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