第四話/決戦油小路!
●決戦油小路!
慶應三年十一月十八日。
深夜。油小路の四つ辻。
もう、俺にはなにがどうなっているのかさっぱりわからない。
「おいおい、ほんとに御陵衛士の奴らが来やがったぜ! 伊東の亡骸を駕籠に乗せて引き取るつもりだ。土方さんの罠だと知りながらよう。あいつら、師匠に殉じて死ぬつもりだな」
「左之助、ちゃんと鎖帷子は着込んできた? 平助は必ず斬り込みに来るだろうけれど、あの子だけは逃がすように、平助だけは絶対に死なせるな、と近藤どのからも土方どのからも厳命を受けている。ことここに至った以上、御陵衛士と尋常に決戦しなくちゃ士道不覚悟だけれど、平助だけは」
「だーっ! わかってんよ、がらっぱち! ったくよう、誰が伊東を斬っちまったんだあ? 泣く泣く新選組を抜けて御陵衛士に移籍した平助がかわいそうじゃねーか。試衛館組と師匠の伊東の間で、完全に板挟みになっちまってよ……来るなよ平助。頼むぜ」
左之助さんも永倉さんも、決死の形相で御陵衛士たちを待ち構えていた。
幹部に率いられた大勢の新選組隊士たちも、「ほんとうに昨日までの仲間と斬り合うのか」「仕方ないだろう、伊東を斬っちまったんだから」「ここで討ち漏らすと、いつまでも連中の報復に怯えることになるからな」と震えている。
「……隊を脱する者は切腹。伊東甲子太郎は局中法度を破り、新選組を二つに割った。山南さんでさえ切腹したのだから、大勢の隊員を引き抜いて御陵衛士に分派した伊東を許していいはずがなかった……それに」
全身を黒の隊服に包んだ斎藤一さんが、やるせなさそうに呟く。
「……伊東派の幹部たちは、近藤局長暗殺を計画していた。伊東の了承を得ていたかは不明だけど、時勢は急激に薩長に流れていて、彼らは勢いづいていた。これ以上は放置しておけなかった」
斎藤さんはつい先日まで、新選組と袂を分かって勤王志士集団「御陵衛士」を結成した伊東甲子太郎のもとにいた。山南さん切腹の件で土方さんに憤慨して、伊東のもとへ奔ったのだ――というのは表向きで、実は斎藤さんは土方さんのスパイとして御陵衛士に送り込まれていたのだった。
無口で人に懐かない斎藤さんは、誰ともつるまず派閥を作らない剣一筋の人間だと思い込まれていたから、間諜として最適の人材だった。だが実は、斎藤さんは試衛館以来の近藤さん・土方さんの同志で、誰よりも試衛館組への忠誠心が篤い人だったのだ。土方さんはそんな斎藤さんを誰よりも信頼し、そして斎藤さんも言葉には出さずとも土方さんに対して常に忠誠無比だった。
その斎藤さんが「……御陵衛士が近藤さんを暗殺しようとしている」と新選組の屯所に駆け込んできたのが、ほんの数日前。
折しも、薩長同盟を成立させて幕府の第二次長州征伐軍を叩き潰し、土佐藩を動かして将軍・徳川慶喜による朝廷への政権返上、すなわち「大政奉還」を実現させた土佐脱藩浪士・坂本龍馬が、京の近江屋で暗殺された直後だった。
新選組と袂を分かって薩摩に組する勤王志士となっていた伊東甲子太郎は、暗殺される直前の坂本龍馬に面会し、「一介の浪人の身でありながら倒幕を果たしたきみは今や、幕府にとって憎んでも憎み足りない最大の敵だ。新選組がきみを狙っている。用心したまえ」と警告したという。
しかし新選組は、幕閣の永井尚志さまから「坂本龍馬を斬ってはならない。彼女は今、潔く日本のために政権を返上した慶喜さまを新政権の中心に据えようと奔走している。もしも短慮を起こして龍馬を殺せば、徳川家は文字通り滅びるのだぞ」ときつく命じられていた。「さささ坂本龍馬はいったい何者なのですか~? ととと土佐のろろろ浪人がさささ薩長を同盟させて、ばばば幕府を潰してしまっただなんて……ですが徳川家には豊かな天領と旗本八万騎がございます、まだ間に合います! 坂本を斬りましょうっ!」と激昂していた近藤さんも、永井さまにこんこんと説得されて、「よくわかりませんが、わかりました?」と首を捻りながらも納得し、むしろ坂本龍馬を保護する役目を仰せつかっていたのだった。
だが、その龍馬が斬られた。
しかも、御陵衛士の面々は「やはり新選組に殺されたか」「近江屋の現場から、原田左之助の鞘が見つかった。間違いない」と土佐藩や海援隊の連中に吹聴している。海援隊の志士たちは、リーダーの龍馬を新選組に殺されたと激怒している。幕閣の面々からも、近藤さんは「どうしてこんな時に坂本を……やはり壬生狼は壬生狼だった」「なんという短慮な。これでは幕府と薩長の間で戦になる」と白眼視されている。
これだけでも新選組にとっては大打撃なのに、御陵衛士はさらに近藤さん暗殺計画まで練っていたのだ。
「しっかし左之助、どこで鞘を奪われたのさ。ばっかだなあ」
「奪われてねーよっ、がらっぱち! おいらの得物はそもそも槍だぜ? いい加減なこと言ってやがんだよ、あいつら! あの手この手で新選組を潰すつもりなんだよ!」
「……伊東甲子太郎自身がどう考えていたのかは、殺してしまったからもうわからないけれど……明らかに御陵衛士の隊士たちは、あらゆる手を用いて新選組を壊滅させるつもりだった……」
そう。伊東甲子太郎は今日、単身で近藤さんの別邸を訪れてなにやら会談を行っていた。果たしてその場で近藤さんを殺すつもりだったのかどうか。結局、会談の場ではなにごとも起こらなかった。
だが新選組側は、御陵衛士から龍馬暗殺犯の疑惑をなすりつけられた上に、局長暗殺計画まで漏れ知っている。「大政奉還」に動揺している隊士たちが伊東を生かしておくはずがなく、近藤さん宅からの帰路についていた伊東を路上で襲撃して殺してしまった。
誰が「伊東を斬ろう」と言いだしたのかは俺にはわからないが、ともかく、そういうことになった。
この事態を知った土方さんが「こうなったらやむを得ない。伊東の亡骸を油小路に晒して御陵衛士をおびき寄せ、平助を除いて全員斬れ。隊を脱する者は許さずだ――山南さん、すまない。あなたに頂いた二年の時間、私はまるで有効に使えなかった」と歯がみしながら、この残忍非道な「罠」を油小路に張ったのだ。
「うぉーっ! 来た来た来やがった! でも、なんでおいらたちは二隊に分裂して戦ってるんだっけ、がらっぱち? おいらにゃさっぱりわかんねーよ? そもそも幕府が潰れたってホント? 狐につままれたみてーな話だなー?」
「左之助、そんなこと言われてもあたしにもよくわからない! 第二次長州征伐の最中に、将軍さまが病で亡くなられて……薩摩と同盟を組んだ長州軍が幕府軍を圧倒して……徳川宗家を継いだ慶喜公は、戦は幕府の負けだといきなり長州征伐を放り投げちゃって……そんな中、会津中将さまを誰よりも信頼しておられた帝までが、流行り病で突如お隠れに……会津藩は京に居場所を失い、新選組からは伊東一派が離脱して御陵衛士を結成して薩摩側に。悪い夢を見てるみたい……!」
「数々の働きをやっと認められた近藤さんが将軍さま御目見得以上の旗本に取り立てられて、新選組も幕府ご直参部隊に出世したってのによー。いやあ、短い夢だったなー!」
「……伊東一派は、新選組を勤王倒幕派に宗旨替えさせようと目論んでいた。けれど士道を貫く近藤さんと土方さんが時勢に流されての宗旨替えなど認めるはずもなく、新選組は徳川幕府のご直参に。しょせん新選組と御陵衛士は、殺るか殺られるか。こうして戦う運命だった」
斎藤さん。こんな時でも、落ち着いている。ここに至るまで、彼女は新選組の誰よりも人を斬っている。そう。沖田さんが喀血して重度の労咳だと判明し、寝込んでしまってからは、斎藤さんは御陵衛士に入り込んでのスパイ活動も含めて、一人で何十人分もの「仕事」をこなしてきた――。
沖田さん。そうだよな。新選組の沖田総司は、若くして労咳で死ぬ運命だったんだよな。この世界の沖田さんも、そうだったんだ。どうして俺は気づいてあげられなかったんだろう。あの人は、ずっと無理をしていたんだ。大好きな近藤さんと土方さんのために、辛そうな顔ひとつ見せず、新選組一番組隊長として命を削りながら働き続けていたんだ。
「来た……御陵衛士最強の男剣士、服部武雄が先頭だ! いや、違う! 先頭は……小柄だから見落としていた! 平助だ! 平助が御陵衛士の中に加わって、魁を務めている!」
「どえええええっ? どーすんだ、がらっぱち? 平助と斬り合えるわけねーだろー! だーっ! どうする? どうする? 引き上げっか!?」
「ここで背中を見せて引き上げたら、次は局長が襲われるよ! 平助はあたしに任せて! 必ず土方さんの命令通りに、平助を生かして逃がすから! ううん。命令なんてなくても、あたしは……!」
「だよなー! 試衛館以来のダチだもんなーっ! しっかし、やべーぞ! あの服部は力任せに二刀流を軽々と使いこなす芹沢並みのバケモノだし、鎖帷子までばっちり着込んでやがんぞ!? あいつ一人斬る前に、何人の隊士が斬られるか……」
そうか。
やっぱり来てしまったのか。藤堂さん。
魁先生として戦うのか。たとえ親友の永倉さんや左之助さんが相手でも、師のために殉じる覚悟なのか。
「うわあああっ……先生っ……伊東先生っ……!? どうして、どうしてこんなことにっ? わたくしが。わたくしが伊東先生を新選組に誘ったばかりに、こんなことに……! すべてはわたくしの責任ですわ……!」
「落ち着け藤堂! 相手はお前の古い仲間たちだ、斬り合いは俺に任せろ! この服部武雄に! 先生の仇は必ず俺が討つ! お前は、先生のご遺体を駕籠へ!」
月明かりのもとで。
凄まじい斬り合いがはじまった。
つい先日まで同じ新選組隊士だった両派による、問答無用の殲滅戦。
両者の怨恨は、御陵衛士たちが路上に放置された伊東甲子太郎の亡骸を視界に入れた瞬間に頂点に達した。
なにをやっているんだ。俺たちはいったいなにを。時代は大きく変わろうとしているのに。明治維新がはじまろうとしているのに。将軍はすでに大政を奉還し、薩長新政府が日本を新しい国家として生まれ変わらせようとしているのに。それなのに俺たちは、京の町中で剣を抜いて仲間同士で斬り合っている――。
いずれこういう時が来ることを予想していたのか、自らの切腹によって「誰であれ隊を離脱することは法度が許さない」と伊東一派にも知らしめてくれた山南さん。
薩長と幕府の凄惨な内戦を回避しようと奔走してくれて、そして志半ばで凶刃に倒れた坂本龍馬さん。
「誠の武士」に憧れて一途に戦い続けてきた近藤さんは、「長州さえ倒せばそれで動乱は終わります。長州征伐では新選組が先頭に立ちます、必ず勝ちます」とずっと幕閣に訴え続けてきたが、新選組は京の治安維持部隊だとしか思われておらず、新選組の長州征伐従軍は許されず、ついに幕府瓦解の瞬間をその目で見てしまった。
そしてそんな近藤さんを支えるために、自ら隊の憎まれ役・鬼の副長役を買って出て耐えてきた土方さんは今宵もまた、御陵衛士たちの怒りと呪いを自ら一身に受けるかの如く、伊東の死骸を路上に晒すという悪鬼のような策謀を用いて、近藤さんを護ろうとしている。
どこだ。どこで俺たちは道を誤ったんだ。山南さん……! 俺がもっとあなたから時勢を学んでいれば、未来人としての知識を有効に活かせていれば、こんなことには。
御陵衛士のほうが数は少ない。だが、師を殺された彼らは死ぬ覚悟を決めている。手強い。なによりも、鎖帷子で身を包んでいる二刀流の服部武雄の無双ぶりはあの芹沢鴨に匹敵する。新選組最強の男剣士だ。しかも、体格と筋力に劣る剣術娘は相性的に不利だ。
「だーっ! 邪魔すんな、デカブツ! おいらは平助と話をつけなきゃならねーんだよーっ! うらあああああっ!」
「問答無用! 先生を犬のように扱う貴様らに、士道などない! あれほど、あれほどわれらが止めたのに、伊東先生……! 申し訳ありませぬ!」
「どうしてこうなったのか俺にはわからない。誰の罪なのかも。でも! 藤堂さんを乱戦の中で死なせるわけにはいかないんだ、絶対に! 服部武雄、お、俺が相手だ!」
「うおーい!? 無理すんなよー周の字! ブッ殺されちまうぜえ?」
ガンッ!
なんだ、この斬撃音は? だ、ダメだ! 完璧な角度から一太刀浴びせたつもりだったのに、服部の鎖帷子は通常のものよりも分厚い。刀が通らない! 斬撃して討つのは不可能だ。全力を込めて服部の胴を斬りつけた俺の剣はもう、無残なまでに刃こぼれしていた。
「近藤家の養子となっていた小僧か。その程度の腕で俺に挑むとは、笑止! 剣を舐めるなああっ! 死ねい!」
うわ。うわああああああっ!? う、動けないっ? 服部の凄まじい「気」に圧されて身体が……? 殺される!
「……危ない、周平。強くはなったけれど、一流の剣客と戦うにはまだ『気組』の練りが足りない」
大勢の御陵衛士を相手に単身で斬り合いを続けていた斎藤さんが、急遽俺と服部の間に割って入り、服部が振り下ろす長大な打刀を抜き打ちの一刀で防ぎ止めてくれた。た、助かった! で、でも、藤堂さんは? いったい戦況はどうなっている? 無数の剣士たちが至るところで斬り合っていて、藤堂さんの小さな身体が見えない。永倉さんはどこだ?
「……服部の一刀は自分が引き受ける。もう一刀は、左之助に任せた」
「おっしゃあ、任されな斎藤! オラオラオラ、腹ががら空きだぜえデカブツ! 左之助さまの種田宝蔵院流の槍を食らいなあっ! いいかぁ周の字! 硬くて斬れねえ奴はなあ、田楽みてーにブッスリと突き刺すんだよっ! こなくそがあっ!」
左之助さんは、服部の圧力に押されてよろめき中腰になっていた俺の背中を強引に踏み台にして高々と跳び上がり、そして服部めがけて全力で得物の槍を投げ込んでいた。外した時に自分がどうなるかなんて、この人は考えちゃいない。目の前の敵を倒すこと、仲間を護ることで頭がいっぱいなのだ。これが、いちど切腹して生き返った剣士の強さか。凄まじい闘争心だ……!
「……ぐおっ……!? や、槍の原田が……躊躇なく、その槍を投げ捨てるとは……ふ、不覚……!」
服部の腹部に、左之助さんの槍先が見事に突き刺さった!
表情こそ変わらないが、阿修羅の如く暴れ回っていた服部の動きが止まった。あとは、数で押し切れる! 槍を捨てた左之助さんのフォローは、居合い抜刀術の達人・斎藤さんに任せられる。
「行けっ周の字! がらっぱちを助けろ! 平助を死なせんじゃねえぞ!」
そうだ。藤堂さん。藤堂さんを見つけだして、この場から逃がさないと!
もう俺の刀は役に立たない。脇差を抜いて、乱戦の戦場を駆ける。近藤さんに「脇差は打刀くらいに長いものでなければなりませんよ?」とさんざん言われてきたが、こういう時のためだったのだな。長脇差は室内では使いづらいだろうと思って敬遠していたが、刀剣に関しては、超実戦派の近藤さんの言うことは絶対に正しいんだ。俺は少しだけ後悔した。くそっ。脇差一本では、大刀をぶん回してくる相手に対して不利だ……間合いが違いすぎる。躱せ。躱しながら、藤堂さんのもとへ……!
いた! やっと見つけた!
永倉さんと藤堂さんが、互いの剣を激突させて力で押し合っていた。
「平助。あたしは未熟者で、山南どのを救えなかった。平助だけは絶対に助けたいんだ。こんどこそ。お願い、どうか逃げて。土方どのも近藤どのも、平助だけは救えと言っているんだよ?」
「いいえ! 勤王派で長州志士にお考えが近かった伊東先生を新選組に誘ったのは、この藤堂平助ですわ! 山南さんも伊東先生も、もとはと言えばわたくしの短慮から命を落とすことに……そもそもわたくしは、隊を脱することを許さず、という局中法度を破った裏切り者ですもの! 今宵こそ、最後まで武士として戦って死にますわ!」
「それで山南どのが喜ぶと思うのかっ!? 違うだろう、平助!? 二度と試衛館の仲間が法度に殺されることのないように、山南どのは敢えて……! 伊東どのだって、平助を巻き添えにしたくないと思っているよ! 温厚な伊東どのには近藤どのを暗殺するつもりはなかったと、あたしは思う! 幕府が倒れたことに興奮した御陵衛士たちが先走っていただけだよ! 今宵のことは、平助の罪じゃない!」
「でも……でも……誰かが。誰かが、責任を取らなければ……! いよいよ日本の夜明けが来るというこの大切な時に、あたら伊東先生を死なせてしまった責任を……!」
「それは一番弟子の服部どのが取る! あの人は、闘死する覚悟で敢えて鎖帷子を着込んで来たんだ! どれだけ手傷を負おうとも、一歩も退くつもりがないんだ! 御陵衛士たちだって、分裂した両派閥の板挟みになって苦しんできたお前を助けたいんだ、平助! お前は近藤どのたちからも御陵衛士たちからも愛されているんだ。生きてくれ……!」
「……新八」
「あたしをまだ、友だと思ってくれているのならば、どうか」
「……新八……友に、決まっているじゃない……ずるいですわ……そんなことを言われたら、わたくし……」
「頼む。あたしは口下手なんだ。これ以上気が利いたことが言えなくてごめん!」
通じた。
不器用な永倉さんの誠意が、想いが、友情が、藤堂さんに通じた――!
あの気位の高い「魁先生」が。「藤堂家の名誉を穢すくらいならば潔く闘死しますわ」と常に先頭を切って戦い続けてきた藤堂さんが、その剣を鞘に収めた。
永倉さんに背を向けて、藤堂さんが走り去っていく。
戦場から離脱してくれるのだ。
他の隊士たちはまだ油小路で斬り合っていて、誰も藤堂さんの動きに気づいていない。
よかった……!
しかし。
この時、誰も予想していなかった不運が起きた。
「巡邏に出ていて遅れました! 新選組隊士・三浦恒次郎、加勢に参りました! 御陵衛士、覚悟!」
「……あっ……?」
ザンッ!
嘘だ。
巡邏に出ていて事情を知らされていなかった新入りの平隊士が、駆け込んできた四つ辻でいきなり藤堂さんと鉢合わせになって、そして。
藤堂さんが着込んでいた御陵衛士の隊服を見るなり、反射的に抜刀していた――。
その一刀が、完全に戦意を失って無防備になっていた藤堂さんの額を、深々と割った。
どさり、と藤堂さんの小柄な身体が崩れ落ちる。
すべては一瞬の出来事だった。
誰よりも早く、永倉さんが叫んでいた。
「あ、あああああっ!? そんなっ!? 平助、平助ええええっ!?」
永倉さんが涙ながらに、血に塗れた藤堂さんの身体を抱き上げる。
俺も、震える膝を掌で叩きながら藤堂さんに駆け寄ろうとした。
だが、永倉さんが「来るな」と小声で俺を制止した。
京では薩摩武士たちから「どうかお稚児さんに」と熱狂され、江戸でも「今牛若」と呼ばれて町衆の人気者だった。それほどに愛らしく美しかった藤堂さんの顔面に、致命の一撃が深々と入ったのだ。誰にも、見せたくなかったのだろう。
「……新八……次はわたくしがあなたを護るはず、でしたのに……また、気を抜いてしまいましたわ……約束……守れなくて、ごめんなさい……」
「平助。謝るのは、あたしだよ。ごめんね……一緒に……一緒に、逃げるべきだった……この油小路から……たとえ、新選組を抜けることになっても。あたしは、いつだって……バカだ……ほんと、バカだよね……」
「……新八が剣術バカなのは、知っていますわ……でも、あなたほどまっすぐな人はいない……あなたはどうか、生きて……」
その先は、もう、俺には聞き取れなかった。
異変に気づいた左之助さんが「嘘だろ? こんなの、嘘だよな?」と叫び、そしてここが戦場だということも忘れたかのように地に伏して号泣する。
そして斎藤さんは「……服部に手こずりすぎた。今宵、もしもこの場に総司がいてくれたら、服部を三段突きの一撃で倒してくれていたのに。平助は救われていたのに」と哀しげに呟きながら、「服部も藤堂もやられた! もうこれ以上は無理だ!」「退け、退け! 伊東先生、申し訳ありませぬ!」「必ずや後日復讐を遂げます!」と逃げ散っていく御陵衛士の隊士たちを追いかけ、あとはひたすら無言でなにかを斬り続けていた。まるで感情を失った殺人機械のように、闇の中で、いつまでも剣を唸らせていた――。
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