第26話 「ルーキー君、スラングのお勉強もう少しした方がいいわよ」
きらきら、と火の粉が落ちる。
火の粉に混じって、銀のテープが落ちる。小さな花が落ちる。香りのいい花が落ちる。
ちょうど、その光は、開き掛けたドームに反射して、きらきらと球場全体に広がった。
俺はぽかんと口を開けて、その様子をしばらく見ていた。
「……爆弾、ねえ」
はあ、と降る花の一つがトマソンの頭にひらりと乗っかる。
「確かに…… なあ」
客席は、いきなり起きたこのハプニングに、事情も知ることなく、拍手喝采している。どうも予定されていたこと、と理解されたようだ。
確かにそれは予定のようだった。
何故なら、その花火に引き続き、バックスクリーンの電光掲示板に、「ジャガーズ20周年おめでとう!」の文字が浮かび上がったのである。
「ま、間違いじゃあ、ねえな」
いつの間にか、苦笑するストンウェルの後ろにマーティが来ていた。
友人の肩に腕と体重を乗せながら、彼は何も言わずに、降り注ぐ銀のテープを眺めていた。
「だから言ったでしょうに」
シィズンは丸い肩をすくめながら、半ば呆れつつ戻ってくるメンツに言った。
「今回の私の仕事は、このことで、球場内で火薬を使用するから、そのチェックと認可だったの」
「じゃあ『爆弾』って言うのは」
ダイスはそれでも詰め寄る。
「ルーキー君、スラングのお勉強もう少しした方がいいわよ。ここではああいうくす玉も『爆弾』って普通に言うの」
「普通に……」
「ジャガー氏だってここの人ですもの。私だって付き合わなくてはいけないでしょう? それが私のお仕事ですもの」
それじゃあまたね、と手を振って、彼女はベンチから退出して行った。
その場に居たメンツが、彼女のその言葉に脱力したのは、言うまでもなかった。
「また、なんて言うんじゃねえよ……」
ストンウェルの言葉に、皆同感、とうなづく。
*
「あーっ極楽~」
大きな浴槽に肩まで浸かって、テディベァルは頭にタオルを乗せている。笑った顔がほとんどとろけそうな勢いである。
負けた、とは言え、皆この瞬間は、決して暗い顔はしていなかった。まだ今期は始まったばかりなのだ。今日が駄目でも明日がある。
無論試合の、その時には、明日は無いというばかりの気迫も必要かもしれないが、終わってしまったら、既に明日のことを考えるのだと言う。
「爆弾」が実は、20周年記念の花火だった、ということを、報告された彼等のオーナーは、ほっと胸を撫で下ろした。
『そう、それは良かった。でも今年も何かと色々起きそうね』
「たまったもんじゃないですよ」
マーティはため息をつく。
『ああそう、そう言えば、エンタ・ジャガーズのオーナーから先程、私の元にダイレクト通信が入ったのよ』
モニターごしの彼女の声に、皆耳を集中させた。
『試合前には馬鹿なことばかりしているチームの様に思ったが、なかなか試合は面白かった、ということよ。まあ悪印象よりは好印象が後に来る方がいいしね』
ほうっ、と皆一斉に胸を撫で下ろした。
『もっとも、誉められているのかけなされているのか、難しいところだけどね』
そう言ってヒノデ夫人は、口元に手を当てて、ほほほほ、と笑った。
『だけど爆弾あられ、は面白いわね。今度うちでも考えてみましょう。イリジャ、市場調査もしてらっしゃいね』
は、と営業社員は、姿勢を正した。
『ところでみんな、今度の件の罰だけど』
ええっ、とテディベァルは叫んだ。
「そんな、今更……」
『ええっじゃないのよテディ。罰は罰。やったことに対する落とし前はつけましょうね』
だからって、それをにこやかに言われても。
『ま、一週間程、宿舎の料理長が泣くことになるわね』
ええっ、と今度はホイとダイス以外の皆が叫んだ。
「ど、どういう意味ですか?」
冷静な顔をしているホイに、ダイスはこっそり訊ねる。
「ああ、宿舎の料理長のチャルダッシュって、選手のために『美味しく栄養のある料理』を作ることを生き甲斐のようにしているひとなんだよね」
それはダイスも良く知っていた。宿舎の料理は、決して見かけ的に派手とか豪華とか、そんな形容詞とは無縁だったが、涙が出る程美味しいのだ。
そして栄養価もきっちりとしているらしい。
「僕はまあ、奥さんの手料理が一番だし…… まあ僕のことはいいか」
「はあ」
「……つまり彼女の言う『罰』は、彼に『栄養はあるけれどあまり美味しくはない料理』を作らせることなんだよ」
ええっ、と結局テンポ遅れで、ダイスも叫ぶことになった。
「昨年、その『罰』が来た時のチャルダッシュの嘆きようは凄かったよなあ……」
マーティもしみじみとうなづく。
「うん、何となくその姿を見ているだけで俺すら胸が痛くなったぜ」
テディベァルまでがそんなことを言うのだ。確かに罰としては確かに効果的だ、とダイスは思った。
「あ~もう。まあいいや、その時はその時だ!」
通信が切られ、ヒノデ夫人の笑みもモニターの闇に消えた時、誰かがそう叫んだ。
誰が言ったのかは定かではないが、まあそれは大した問題ではない。
「どうせそれは、遠征が終わってからのことだ。明日には明日の風が吹く! そして諸君、今日の汗は今日流してしまおうじゃないかっ!」
―――と言う訳で、皆ホテルの大風呂に雪崩れ込んだのである。
しかしこの大きな浴槽のある風呂、という奴に、ダイスは当初、戸惑った。
レーゲンボーゲンのアルクで「風呂」と言えば、個室で一人で入るのが普通である。泡立てた一人用の浴槽で、頭から足先まで洗って、シャワーでざっと流して出るタイプだ。
宿舎の風呂にしたところで、基本的にはそうだった。
シャワー室があるから、そこは大風呂に近いと言えばそうなのだが、それでも普段の生活においては、皆、個室の風呂なのだ。
だがしかし。
いくら同じ男だとは言っても、そうそう他人のすっぽんぽんの身体など見る機会はないから、それが大量に視界に入るとさすがに彼はびびった。
それにしても、入り方にも実にそれぞれ個性がある。
テディベァルなぞ、夏場のプールじゃないんだから、と言いたくなるくらい勢いよく飛び込んで、一気に湯をあふれさせて、ミュリエルから小言を食らっていた。
ホイは眼鏡が曇るから、と取ってきたせいか、何処か足取りが危なげである。
トマソンはタオル一枚ぶらさげて、のしのしとダイスの前を歩いて行く。何処までが脂肪で何処までが筋肉なのか、よく判らない身体だなあ、とついダイスは思ってしまう。
そんな中で、何となく彼は気恥ずかしくなり、さっさと洗ってしまおう、とせっけんを泡立てる。
すると、いきなり頭から湯を掛けられた。
「な」
んなんだいったい、と顔を上げたら、彼を見下ろすマーティの大きな目と、視線が合った。
「な、なんですか、いったい」
「いや、今日のがんばったエースの背中でも流してやろうかな、と」
「でも俺、負け投手ですよ?」
「何を言ってるんだって。最初の負けなんて、勲章みたいなもんだぜ」
いいから後ろ向け、とほとんど無理矢理、マーティはダイスの向きを変えた。
ははは、とダイスはさすがにカラ笑いをする。するしかなかった。ぐい、と肩を押さえられて、右手で思い切り強く背中をこすられる。すごい力だ、と彼は思う。痛いくらいだ。
「……マーティさんは、最初の試合は」
「俺? さてどうだったかな」
はぐらかす。いつもの通りだ、と少し安心する自分が居た。
「それにしても、すごい力だと思ったら…… すごい筋肉ですね」
「お、そうか? でもお前も結構ついてるじゃないか」
「だけど結構色白いですね」
「お前一体何処見てるの?」
「いーや、それは俺も思ってたぞ」
ざば、と彼等の背後から音がした。
浴槽から上半身をのぞかせながら、ストンウェルは半ば眠そうな目で彼等をじっと見ていた。
「仕方ないだろ。何年も雪焼けしてたんだからさ」
雪焼け? ダイスは耳慣れない単語に、首をひねる。
アルクで雪焼けする様な居住区なんかあっただろうか、と記憶をたどる。
実際、言われてみれば、マーティの首から上と、服に隠れている部分の色の差は、とんでもないものがある。
そのまま横目で身体の線をたどる。確かに白い。
……ん?
ダイスの視線は、一点で止まった。
脇腹から、背中にかけて、引きつれたような跡が、うっすらと残っている。
……火傷の跡?
ストンウェルの視線も、そこに張り付いている。だがそれ以上彼は口にしない。
ああそうか、とダイスは思った。
たぶんそれは、それこそこの間の様に、彼が自分で言わない限り、聞いてはいけない類のことではないのだろうか。ダイスはそう思った。
だったら、言ってくれるまでは、触れずに置こう、と。
皆それぞれの事情が、あるのだから。
「よーし、目をつぶれ」
笑いを含んだ声で、背後からマーティはダイスに呼びかける。え、と思っているうちに、彼はまた頭から湯をざぶん、とかけられた。
へへへ、と湯気の向こう側でストンウェルが笑っていた。
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