第26話 「ルーキー君、スラングのお勉強もう少しした方がいいわよ」

 きらきら、と火の粉が落ちる。

 火の粉に混じって、銀のテープが落ちる。小さな花が落ちる。香りのいい花が落ちる。

 ちょうど、その光は、開き掛けたドームに反射して、きらきらと球場全体に広がった。

 俺はぽかんと口を開けて、その様子をしばらく見ていた。


「……爆弾、ねえ」


 はあ、と降る花の一つがトマソンの頭にひらりと乗っかる。


「確かに…… なあ」


 客席は、いきなり起きたこのハプニングに、事情も知ることなく、拍手喝采している。どうも予定されていたこと、と理解されたようだ。

 確かにそれは予定のようだった。

 何故なら、その花火に引き続き、バックスクリーンの電光掲示板に、「ジャガーズ20周年おめでとう!」の文字が浮かび上がったのである。


「ま、間違いじゃあ、ねえな」


 いつの間にか、苦笑するストンウェルの後ろにマーティが来ていた。

 友人の肩に腕と体重を乗せながら、彼は何も言わずに、降り注ぐ銀のテープを眺めていた。


「だから言ったでしょうに」


 シィズンは丸い肩をすくめながら、半ば呆れつつ戻ってくるメンツに言った。


「今回の私の仕事は、このことで、球場内で火薬を使用するから、そのチェックと認可だったの」

「じゃあ『爆弾』って言うのは」


 ダイスはそれでも詰め寄る。


「ルーキー君、スラングのお勉強もう少しした方がいいわよ。ここではああいうくす玉も『爆弾』って普通に言うの」

「普通に……」

「ジャガー氏だってここの人ですもの。私だって付き合わなくてはいけないでしょう? それが私のお仕事ですもの」


 それじゃあまたね、と手を振って、彼女はベンチから退出して行った。

 その場に居たメンツが、彼女のその言葉に脱力したのは、言うまでもなかった。


「また、なんて言うんじゃねえよ……」


 ストンウェルの言葉に、皆同感、とうなづく。



「あーっ極楽~」


 大きな浴槽に肩まで浸かって、テディベァルは頭にタオルを乗せている。笑った顔がほとんどとろけそうな勢いである。

 負けた、とは言え、皆この瞬間は、決して暗い顔はしていなかった。まだ今期は始まったばかりなのだ。今日が駄目でも明日がある。

 無論試合の、その時には、明日は無いというばかりの気迫も必要かもしれないが、終わってしまったら、既に明日のことを考えるのだと言う。


 「爆弾」が実は、20周年記念の花火だった、ということを、報告された彼等のオーナーは、ほっと胸を撫で下ろした。


『そう、それは良かった。でも今年も何かと色々起きそうね』

「たまったもんじゃないですよ」


 マーティはため息をつく。


『ああそう、そう言えば、エンタ・ジャガーズのオーナーから先程、私の元にダイレクト通信が入ったのよ』


 モニターごしの彼女の声に、皆耳を集中させた。


『試合前には馬鹿なことばかりしているチームの様に思ったが、なかなか試合は面白かった、ということよ。まあ悪印象よりは好印象が後に来る方がいいしね』


 ほうっ、と皆一斉に胸を撫で下ろした。


『もっとも、誉められているのかけなされているのか、難しいところだけどね』


 そう言ってヒノデ夫人は、口元に手を当てて、ほほほほ、と笑った。


『だけど爆弾あられ、は面白いわね。今度うちでも考えてみましょう。イリジャ、市場調査もしてらっしゃいね』


 は、と営業社員は、姿勢を正した。


『ところでみんな、今度の件の罰だけど』


 ええっ、とテディベァルは叫んだ。


「そんな、今更……」

『ええっじゃないのよテディ。罰は罰。やったことに対する落とし前はつけましょうね』


 だからって、それをにこやかに言われても。


『ま、一週間程、宿舎の料理長が泣くことになるわね』


 ええっ、と今度はホイとダイス以外の皆が叫んだ。


「ど、どういう意味ですか?」


 冷静な顔をしているホイに、ダイスはこっそり訊ねる。


「ああ、宿舎の料理長のチャルダッシュって、選手のために『美味しく栄養のある料理』を作ることを生き甲斐のようにしているひとなんだよね」


 それはダイスも良く知っていた。宿舎の料理は、決して見かけ的に派手とか豪華とか、そんな形容詞とは無縁だったが、涙が出る程美味しいのだ。

 そして栄養価もきっちりとしているらしい。


「僕はまあ、奥さんの手料理が一番だし…… まあ僕のことはいいか」

「はあ」

「……つまり彼女の言う『罰』は、彼に『栄養はあるけれどあまり美味しくはない料理』を作らせることなんだよ」


 ええっ、と結局テンポ遅れで、ダイスも叫ぶことになった。


「昨年、その『罰』が来た時のチャルダッシュの嘆きようは凄かったよなあ……」


 マーティもしみじみとうなづく。


「うん、何となくその姿を見ているだけで俺すら胸が痛くなったぜ」


 テディベァルまでがそんなことを言うのだ。確かに罰としては確かに効果的だ、とダイスは思った。


「あ~もう。まあいいや、その時はその時だ!」


 通信が切られ、ヒノデ夫人の笑みもモニターの闇に消えた時、誰かがそう叫んだ。

 誰が言ったのかは定かではないが、まあそれは大した問題ではない。 


「どうせそれは、遠征が終わってからのことだ。明日には明日の風が吹く! そして諸君、今日の汗は今日流してしまおうじゃないかっ!」


 ―――と言う訳で、皆ホテルの大風呂に雪崩れ込んだのである。

 しかしこの大きな浴槽のある風呂、という奴に、ダイスは当初、戸惑った。

 レーゲンボーゲンのアルクで「風呂」と言えば、個室で一人で入るのが普通である。泡立てた一人用の浴槽で、頭から足先まで洗って、シャワーでざっと流して出るタイプだ。

 宿舎の風呂にしたところで、基本的にはそうだった。

 シャワー室があるから、そこは大風呂に近いと言えばそうなのだが、それでも普段の生活においては、皆、個室の風呂なのだ。

 だがしかし。

 いくら同じ男だとは言っても、そうそう他人のすっぽんぽんの身体など見る機会はないから、それが大量に視界に入るとさすがに彼はびびった。

 それにしても、入り方にも実にそれぞれ個性がある。

 テディベァルなぞ、夏場のプールじゃないんだから、と言いたくなるくらい勢いよく飛び込んで、一気に湯をあふれさせて、ミュリエルから小言を食らっていた。

 ホイは眼鏡が曇るから、と取ってきたせいか、何処か足取りが危なげである。

 トマソンはタオル一枚ぶらさげて、のしのしとダイスの前を歩いて行く。何処までが脂肪で何処までが筋肉なのか、よく判らない身体だなあ、とついダイスは思ってしまう。

 そんな中で、何となく彼は気恥ずかしくなり、さっさと洗ってしまおう、とせっけんを泡立てる。

 すると、いきなり頭から湯を掛けられた。


「な」


 んなんだいったい、と顔を上げたら、彼を見下ろすマーティの大きな目と、視線が合った。


「な、なんですか、いったい」

「いや、今日のがんばったエースの背中でも流してやろうかな、と」

「でも俺、負け投手ですよ?」

「何を言ってるんだって。最初の負けなんて、勲章みたいなもんだぜ」


 いいから後ろ向け、とほとんど無理矢理、マーティはダイスの向きを変えた。

 ははは、とダイスはさすがにカラ笑いをする。するしかなかった。ぐい、と肩を押さえられて、右手で思い切り強く背中をこすられる。すごい力だ、と彼は思う。痛いくらいだ。


「……マーティさんは、最初の試合は」

「俺? さてどうだったかな」


 はぐらかす。いつもの通りだ、と少し安心する自分が居た。


「それにしても、すごい力だと思ったら…… すごい筋肉ですね」

「お、そうか? でもお前も結構ついてるじゃないか」

「だけど結構色白いですね」

「お前一体何処見てるの?」

「いーや、それは俺も思ってたぞ」


 ざば、と彼等の背後から音がした。

 浴槽から上半身をのぞかせながら、ストンウェルは半ば眠そうな目で彼等をじっと見ていた。


「仕方ないだろ。何年も雪焼けしてたんだからさ」


 雪焼け? ダイスは耳慣れない単語に、首をひねる。

 アルクで雪焼けする様な居住区なんかあっただろうか、と記憶をたどる。

 実際、言われてみれば、マーティの首から上と、服に隠れている部分の色の差は、とんでもないものがある。

 そのまま横目で身体の線をたどる。確かに白い。


 ……ん?


 ダイスの視線は、一点で止まった。

 脇腹から、背中にかけて、引きつれたような跡が、うっすらと残っている。


 ……火傷の跡?


 ストンウェルの視線も、そこに張り付いている。だがそれ以上彼は口にしない。

 ああそうか、とダイスは思った。

 たぶんそれは、それこそこの間の様に、彼が自分で言わない限り、聞いてはいけない類のことではないのだろうか。ダイスはそう思った。

 だったら、言ってくれるまでは、触れずに置こう、と。

 皆それぞれの事情が、あるのだから。


「よーし、目をつぶれ」


 笑いを含んだ声で、背後からマーティはダイスに呼びかける。え、と思っているうちに、彼はまた頭から湯をざぶん、とかけられた。

 へへへ、と湯気の向こう側でストンウェルが笑っていた。

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