第25話 ストンウェルが、吠えた。

「くそ!」


 九回の表。攻撃を終えた「サンライズ」メンバーは、確実に焦りのようなものを感じていた。

 八回に更に一点を返された。これで同点だった。どうしても九回の表に、彼等は点をもう一点入れなくてはならなかった。なのにその点がとうとう取れなかった。

 くそ、とトマソンはバットを大地に叩き付けていた。彼にしては珍しいことだった。

 取れば。そしてその一点を、この九回の裏で守りきれば、勝てるのだ。

 本当にそうなのか判らないが、シィズンの言うところの「爆弾」は撤去されるだろうし、自分も初マウンドに勝利という記録を残せる、とダイスは思う。

 なのに、だ。

 こうなったら延長戦だ、と彼等は思う。ダイスもそれを思って、ぞくぞくしてくる自分を感じていた。

 ああ、緊張しているな。自分でもそれがよく判った。

 と。

 その肩を、ぽん、と叩かれた。


「……何ですか?」


 振り向くと、マーティが居た。

 どういうリアクションを取っていいのか判らなかったので、えーと、とダイスは言葉を探す。

 するとマーティは、いきなり自分の顔をむぎゅ、と左右から押しつぶした。


 は?


 ダイスの頭の中は、真っ白になった。

 そして次の瞬間、マーティはまたにっこりと、いつもの笑いになった。

 黙ったまま。

 そしてその笑いのまま、彼をグラウンドへと押し出した。

 何の意味があるんだ!? 訳が判らなかった。

 考えるな、と彼の理性は叫ぶ。

 だが、あまりにも唐突すぎたその行動に、疑問は理性を大きく飛び越えた。

 何なんだ何なんだ何なんだ。

 ホイもマスクごしに、そんなダイスを見て、大丈夫かこいつ、という顔をしている。

 そう思われても。ダイスは困惑する。

 とにかく、投げるしかない。疑問は疑問で置いておくしかない。

 しかし。

 ああっ駄目だっ!

 ダイスは口を押さえる。

 笑いそうになる。タイム、と彼は審判に合図をして、グラブで顔を隠し、発作的に湧いてきた笑いをとりあえず散らす。

 ホイもさすがに、心配して駆け寄ってくる。


「だ、大丈夫です、ちょっと思い出し笑いを……」

「思い出し笑い~?」


 呆れた、という顔で彼は戻っていく。

 いかんいかん。どうしてこうなんだ、とダイスは必死で笑いを止めようとする。緊張していた上でのことだったので、歯止めが効かなくなっているのだ。

 ああ今は、投げなくちゃ投げなくちゃ。

 プレイ、と審判が叫ぶ。そう、投げなくちゃ。

 振りかぶって。


 ……えええええっ!


 彼は驚いた。

 ぐん、と思い切り、腕が伸びた、様な気がした。

 球が思い切り、走る。

 ぱしん、といい音がミットに響く。


「ストライク!」


 打者は見送り。

 何がなんだか、彼には判らなかった。思わず腕をぶらぶら、と動かしてみる。別に何も変わりはない。


「へーい、ダイちゃんいい調子っ」


 マーティの声が聞こえて来た。

 思わず彼の頭に、先程の顔が浮かび上がり、また笑いの発作が起きそうになる。

 だがそうそうタイムは掛けられない。がんばれ俺、とダイスは自分を叱咤激励する。何とかして押さえて、それから笑ってしまえ。

 そして願いはどうやら天に届いたらしい。


「ストライク、バッターアウト!」


 大きく主審は腕を上げる。

 三球三振。彼はその様子も半分に、笑っていた。

 何かもう、背中から笑いが突き上げるのだ。何が何だか判らない。

 二人目も、同じだった。無我夢中で投げているうちに、バッターが見送っていた。

 そして気付いた時、……2アウトになっていた。

 ベンチでは、にやにやとマーティが笑っていた。

 この事態に、とダイスは呆れる。が。

 忘れてた、と彼はその時ようやく気付いた。

 この二人の打者の間、彼は、頭上の脅威のことも、勝たなくてはならない、ということも全く忘れていた。

 そうか。

 気付くべきではなかったのかもしれない、と彼は思う。

 マーティは、気付くと緊張してしまうだろう彼の気を、瞬間的に逸らしたのだ。

 全くあのひとは。

 ダイスは苦笑する。ふざけてるのか、真面目なのか判らない。でも。

 最後の打者を、彼は見据える。いや、最後であってはいけないのだ。

 でも、どっちでもいいのかもしれない。

 目の前の打者を押さえること。それだけが大事なのだ。

 彼はホイのサインを見る。うなづく。ふりかぶる。

 ふりかぶって―――


 しまった!


 ダイスはその時、内心叫んでいた。

 投げた瞬間、それがほんの僅か、手から離れるのが早いのに気付いた。

 すっぽ抜けた!

 打者は、それを待ちかまえていたように、打ちの姿勢に入る。彼はとっさに守りの体勢に入る。無駄だと判っていても。

 かきーん、と音が、実に球場内に、爽やかに響いた。

 ああ、とダイスは白球が、綺麗な弧を描いて、レフトスタンドに吸い込まれていくのを目で追っていた。

 わああああああああ。スタンドから歓声が飛ぶ。

 紙テープ、風船、紙吹雪。そんなものが一気に飛び出す。

 そして、その歓声に混じって、低い機械音が彼の耳に飛び込んできた。

 はっ、として天井を見上げると、すきまから、夕暮れの青紫の空が、見えてくる。

 開き出しているんだ、と彼は気付いた。

 どうしよう、とダイスは周囲を見渡す。どうにもならない。彼はは思わず、立ちすくんだ。立ちすくむしかできなかった。


 その時だった。


「どいてろ!」


 がん、と横から誰かに体当たりされて、ダイスは吹っ飛んだ。聞き覚えのある声。


「……す、ストンウェルさん!」

「ホイ、球貸せ!」

「は、はい?」


 ヒュ・ホイは何が何だか判らない、と言った声で、だが素直に控えの球を、ストンウェルに渡す。

 渡された球を彼はぐっと握り、斜め上を向く。

 開きかける。黒い天井に、薄紫が、だんだん広がってくる。そしてその真ん中に、銀のくす球。頭上の脅威。

 何をするつもりだ、とダイスは腰を抜かした姿勢のまま、ぼんやりとストンウェルの姿を見ていた。

 食い入るように、銀の球を見る彼の視線は、獲物を見つけた鮫のようだった。

 そしてふりかぶる。


 ……ふりかぶる?


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」


 ストンウェルが、吠えた。

 白球が、真っ直ぐ、銀の球に向かって飛んでいく。ドームが開く。開く。


 ぷつん。


 あ、とダイスは口を開いた。銀の球が―――落ちる!


 落ちる、と思った時!


「嘘だあ」


 テディベァルはぽかんと口を開けて、そう言った。


 白球が、銀の球を直撃した。

 直撃して、そのまま、空へと飛んでいった。

 飛んでいき……


 だん! 


 音が響いた。


「は」


 ストンウェルは吠えた口が閉じる前に、そう発音していた。


「花火い?」


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