第24話 場違いなピンクのスーツの女

 そう言いかけた時だった。


「おい何やってるんだよ! こっちの攻撃、終わっちまうぜ!」


 ダレスが声を張り上げていた。


「仕方ねえ、行くか。マーティ、こいつどうする?」

「シィズン、あんたジャガー氏にずっとくっついていないとまずいのか?」

「いいえ。基本的に私のお仕事はもう終わったの。今日はその結果を見に来ただけ」

「じゃあお前、今から試合終了まで、うちのベンチで見ていろ」


 マーティは命令の口調を使った。それを聞いたダイスは思わず背筋にぞっとするものが走るのを感じた。

 何だろう、この迫力は。

 ただの、「楽しくやって居られればいい」というベースボール・プレイヤーのそれとは何か違うような気が…… 彼にはしていた。


「ええいいわ。そしてあなた方が負けるのをきっかり確かめてやりましょ」


 ふふふ、とシィズンは笑った。

 再び自分にブレッシャーがかかるのを、ダイスは感じた。 



 回が進むにつれて、皆「勝たなければ」という気持ちで焦りが出てくる。

 特に、今回の様に、頭上の脅威にさらされている場合は。

 しかしそれでも、ホイのリードは冷静だった。ダイスは感心する。

 きっとこのひとは、きっとどんな状態になってもそうなのだろうな、と彼は思う。地味だけど、こういう人はプロだよな、と。

 無論、色んな選手のタイプがある。

 華があり続けるというのも、「見せ物」としてのベースボール・プレイヤーとしては重要なことだし、そういうキャラクターであることも、また「プロ」であると彼は思う。

 じゃあ俺は。

 ダイスは振りかぶって、投げる。

 さすがに、まだ彼はそこまで考えていない。考えられない。

 今はただ、目の前の、ホイのミットに向かって投げるだけだった。

 ストライク、と審判が告げる。ホイがよし、とうなづく。

 ストライク、という言葉は、そもそもは「良い球なんだから、打て」という命令から来ているのだ、ということをダイスは実業時代の監督から聞いたことがある。遠い遠い昔、地球という人類発祥の惑星で、そのスポーツが生まれた頃のエピソードだ。

 そう、打たれてもいいのだ。

 ちら、と右を向くと、テディベァルが闘志むき出しにして打球を待っている。

 この人だったら絶対に打たれても守ってくれそうだな、と彼は思える。きっとこけてもただでは起きないだろうこの「ぬいぐるみ」は。 

 背後でぱんぱん、とグラブを叩く音が聞こえる。右では、冷静に打者の姿を追っている「先生」が居る。

 大丈夫、俺は。ダイスは次第に気持ちが落ち着いてくる自分を感じる。

 だがジャガーズの方も、彼等が気合いを入れるのに比例するように、志気が上がって来ていた。


 カーン。


 鋭い音が響いた。


「わあっ」


 ダイスの頭上を、強い打球が通り過ぎて行った。

 ぱっと振り向くと、センター前にまで打球は飛んでいる。ワンバウンドで拾っても、一塁には間に合わない。

 ふう、と彼は帽子を取って、一気に吹き出た汗を拭いた。

 3対2。まだ一点リードとしているからとは言え、油断はできなかった。

 あと何回だっけ……

 彼は、新しいボールをぐっと握った。次の打者が、左打席に入る。

 ダイスは左打者はあまり好きではない。彼の投げやすい方向が、左打者には打ちやすいコースだったりする。

 ヒュ・ホイはそれを知っている。だから彼には、いつもその逆を要求してくるのだが。ホイはその時、ダイスの投げ易いコースを指定してきた。

 いいのか? と目でダイスは訴える。するとOK、とホイはうなづいた。打者が一塁に居るのに、だ。

 ただし、思い切り。

 そういう意味のサインを捕手は返す。判った、とダイスはうなづいた。

 振りかぶり、自分の一番速い球を。

 星系内の大会で、誰も打てなかった、俺の。


 ぱん!


 ボールはミットに大きな音を立てた。

 オーケイ、とうなづきながらホイは彼に返す。もう一発それを、とサインを送る。

 行けるかも、とダイスは思った。いや、行くしかないのだ。


 もう一発!


 渾身の力を込めて。

 ……だが。

 キーン、と音が響いた。

 三遊間。綺麗な流し打ちだった。

 テディベァルが飛びついたが、ダイレクトキャッチはならなかった。

 そのまま、体勢が悪いにも関わらずセカンドへ。間に合わない。一塁は一塁で悠々セーフだった。

 ホイはダイスの方へ来る気配は無かった。

 ダイスは思わずベンチの方を見る。監督も、動かない。どうやら、初登板のルーキーに、このまま続けさせる気らしい。

 勝っても負けても、それは経験値。

 あの監督だったら言いそうだった。

 そしてそれは間違っていない、とダイスは思う。自分の様なな若造が、勝つことばかり覚えてはいけない、と。

 そう言うだろう、と彼は思った。

 だが彼は、どうしても勝ちたかった。自分の完投でなくていい。誰であるにせよ、とにかく、勝ちたいのだ。頭上の脅威が彼を急かす。

 だがベンチは動く気配が無い。

 信じろ、と自分に言い聞かせる。虚勢だっていい。とにかく、今は。自分自身を。

 ダイスは歯を食いしばる。

 ストンウェルはあの試合の時、マウンドでどんなことを考えていたのだろうか。負けをひっくり返してしまった試合のことをダイスは思い出す。

 彼の気持ちを見習えるものなら見習いたいものだった。

 怖いものが無い、という訳ではないのだろうが、逆境であればある程、闘志がわくというのは。

 でも俺は俺でしかないんだ。彼は思う。正直言って、怖い。怖かった。

 それでも俺は、今ここで投げなくてはならないのだ。

 だったら。

 ホイのサインを見る。右打者仕様だ。やるしかない。



 その回も何とか締めたが、さすがにダイスのベンチに戻る足取りは、重かった。


「大丈夫か?」


 マーティは問いかける。


「大丈夫です」

「うん、それならいい」


 本当は、助けて欲しい、とダイスは思う。だけどそれは無いらしい。

 マーティは肩を作ろうとしていない。監督の方針が今日はそう決まってしまったのだろう、とダイスは予測をつける。

 皆ベンチの中で言葉少なになっていた。

 そしてその後ろで、場違いなピンクのスーツの女が、退屈そうに、グラウンドとメンバーの間に視線を往復させていた。

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