大陸横断鉄道に飛び乗って――

赤月ヤモリ

――キミの夢を叶えよう。

 大陸横断鉄道から下車した燕尾服の紳士が新聞をホームに捨てる。


 彼は『良い人』だ。


 新聞を拾って空調機の傍に戻ると、無精ひげを生やし薄汚い中年の男――友達のケインが凭れ掛かりながら落ち窪んだ瞳で何かを見ていた。


 最近はぐっと冷え込んできた。

 体調が悪いのも仕方がないとはいえ、心配だ。


「ケイン、新聞読む?」


 ケインは一度僕に視線を寄越してから油の切れた歯車のように首を振った。そっか、と返すと、彼はカサカサの唇を僅かに動かし、しかし音は声にならない。


「ケイン、もう一度良い? 聞き取れなかった」


 僕はケインの隣に腰掛け、駅を行き来する人々に視線を向ける。


 スーツを着ている人、ドレスを纏う人、学生服に袖を通す人。

 様々な人が往来し、偶に向けられる目は軽蔑の一つ。


 けれどそんなものは慣れてしまった。

 慣れて、媚びた目を向ければパンか蹴りが貰える。

 割合的には2:8と言ったところか。


 ――と、ケインがいつまでも反応がないので顔を向ける。


「ケイン?」


 見ると彼はホームを見つめながら死んでいた。


 友達が死んだ。

 悲しい。


 悲しいので、十セントをお供えする。

 知り合いが死んだときはこうするものだとケインが言っていたから。


 僕は空調機を離れた。

 離れて歩いていると、お腹が鳴った。

 ポケットを漁る。お金はない。


「……返してもらお」


 戻ると知らない男が居た。

 知らない男はケインの上に置いた十セントを奪って、そのままどこかへ行った。

 残ったのはケインの死体だけ。


 喉が鳴る。

 骨ばってて、皮ばかり。

 でも、肉だ。


「うぅ、友達は食べられないよー!」


 ケイン。

 どうすればいい?

 キミが居なくなれば僕はどうすればいいんだ?


 死体を見つめる。

 そうしたら、ケインのことを思い出す。


 ケインは昔話が好きな人だった。

 ――俺は世界を見るのが夢だったから、大陸横断鉄道の車掌だった。

 けどすぐに飽きてカジノのディーラーになった。

 けど勝ちすぎてクビになったので、時計職人になった。

 師匠を超えたので軍人になった。

 戦地で百三人撃ち殺したので、葬式屋になった。

 埋葬に疲れたので、教師になった。

 女学生からモテすぎたので車を作ることにした――等々。

 ケインはたくさんの昔話をしてくれた。


 けれど、その大半は嘘だと思っている。

 何故ならケインは決まって笑いながらそれを話すから。

 笑える過去なら今この場で死んでいない。


 そんなケインがある時言った。

 よく思えば、体調を崩し始めた時だ。


 ――俺はディール街で働いていた。


 確か、そんな冒頭だった気がする。


 一瞬で全てが終わった、というわけではない。

 それならどれほどよかっただろう。

 だんだんと、徐々に徐々に崩れて行く。

 経営が傾き、首を切られ、退職金もなく、働き口もなかった。

 妻が居て身体を売っていたが、梅毒で死んだ。

 子供は気付いたら居なかった。

 治安は悪化して、経済が破綻した。


 そうしてあれよあれよという間に、俺は空調機の隣に住むようになった。


 半分以上も理解できなかった。

 むしろなにも理解できなかった。

 ただ、その時だけケインは泣いていた。

 泣いて、鳴いて、啼いていた。


 泣かないで、と慰めると、五月蠅いと殴られた。

 喧嘩になって、でも離れられない程度には、僕とケインは仲が良かった。


 ――ケインが死んだ。


 骸は冷たく、空調機の風で舞った埃が彼の髪に降りかかる。

 僕はケインを抱えた。

 重たかった。

 軽いと思ったのに、重たかった。


 周囲からぎょっとした目が向けられる。

 浮浪者が屍を担ぐ姿がそれほど物珍しいのか。

 案外多いぞ、もっと知見を広めるべきだ。

 心の中で毒づく。


「ケインが、死んだ! お金を、ください!」


 誰もがこちらを向き、誰もが無視をする。けれど、続けた。


「ケインが、死んだ! お金を、ください!」


 何度も、何度も何度も何度も何度も!

 すると、どたどた足音。

 駅員が何人も向かってくるのが視界に入る。


「お前! このキチガイめ! 何をしている!」


 顔を殴られた。

 かと思えば腹を殴られ、蹴られ、もみくちゃになってリンチされる。


「け、ケインが、しん、だぁ! おか、ねを……ください!」

「まだいうか!」「くそがっ、社会不適合者の分際で!」「乞食のクズが!」


 痛い、痛い。口の中が鉄の味で染まる。

 意識もだんだん朦朧としてきて――


「そこまでしなくても、いいのでは?」


 一人の紳士が駅員を止めてくれた。

 それは、新聞を落とした『良い人』で――。


「お金を、ください!」

「……はい」


 十ドル紙幣。


 僕はそれを握りしめ、出発寸前の大陸横断鉄道に飛び乗った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大陸横断鉄道に飛び乗って―― 赤月ヤモリ @kuropen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ